三大陸にまたがったこの帝国の歴史を語りましょう
そう。
テュルク語のカガンのこと
優位だったことはないだろ
14世紀には西欧はもう機械時計が普及してるし
火器の技術もウルバンみたいな西欧人技術者雇ってるし
カフカース出身者であり、彼女たちは金髪で色白の
肌を持ち、雌鹿のような目をした美女たちであった
チェルケス、グルジア、アブハズ、アルメニア出身の
女性たちである
スルタンが誰と同衾するかは母后と大臣が決めていて
結果的に何の後ろ盾も持たない
コーカサス人種の奴隷が好まれただけの話
内廷の小姓たちも美少年が集められていた
もちろんスルタンの恣意に左右される地位だが
有能な人間を集めてくればいいという発想だからな
技術者も西欧人を雇えばいいと考えていた
昔、ロシアのミサイルの設計図が中東で流出したときも、
アラビア人には組み立てられず、結局、北朝鮮に設計図を渡した。
鉄道も発電所も、発注してカネを出すだけで、技術は丸投げ。
中国と違って、技術をパクろうとはしないから安心できる(笑)
医学に関してはアラビアが圧倒的に進んでおり、
中世の欧州は未開人の呪術レベルだった
巷間に流布している。
オスマン帝国君主が「ルーム(ローマ)」のカエサル」という称号を
用いていたことは確かである。
しかしこの用法での「ルーム」とは「かつてローマが支配していた地域」
という意味でアナトリアを指す地名であり、ローマ帝国を意味している
わけではない。
また、「カエサル」も
数ある君主の称号の一つとして利用されていたにすぎない。
ギリシャ正教の総主教の支持を得てたし。
メフメト2世死後はどうでも良くなったみたいだが。
「二つの陸のスルタンにして二つの海のハーカーン」
という称号を刻ませている
曲がりなりにもオスマン帝国が世界の秩序と平和を護っていた。
統治の難易度が超絶級に難しい地域ばかりだ
いつか、中華人民共和国もそう言われるのかもしれない
米国はイラクのフセイン政権打倒後、
バース党を排除すべきでなかったと思う。
政権担当ノウハウを持つバース党を活用してたら、
混乱と無秩序をかなり回避できたのではなかろうか?
もし中国共産党による暴力的支配が消滅したら、
もっと恐ろしい害悪が生じるだろうな。
秩序維持という一定の機能を一応果たしてるんだよね。
イラク、とくに南部は、
中世のサラセン帝国の頃から統治が難しい地域として有名
アメリカ人の手に負えるようなものではなかった
>中国共産党による暴力的支配が消滅したら、もっと恐ろしい害悪が生じる
中国共産党は周辺諸国や自由主義諸国の安定を乱すイヤな存在であっても
必要悪だという現実(´・ω・`)
逆に考えると国内をまとめるために外敵を作ってるような
歴史に名を残す大帝国も
最後は外敵に目を向けさせるのに失敗して分裂滅亡が多いな
オスマン帝国ならWW1のイギリスにうまく反乱煽動されてたし
アラビアのロレンスのテーマ曲が頭をかけめぐってしまった。
ところで何でオスマン帝国はドイツと手を組んだんだ?
クリミア戦争のときは、英国を味方にしてたのに。
汎スラヴ主義拡大の脅威に対抗するため
ドイツと同盟に関する密約を締結。
エンヴェル・パシャが親独派だったから
直接的な原因は
イギリスがオスマンに引き渡し予定の戦艦を接収したから
間接的にはオスマン帝国にドイツ資本が参入してきて
イギリス資本を追いやったから
異教徒を「二級市民」として扱うことによって成り立っていた
現代にそのまま適用できるようなシロモノではない
そりゃバラ色の理想郷の実現からは程遠いだろうし、
欠陥は数知れずだろうが、
一定の秩序と安定をもたらしただけ、マシじゃないか。評価しようよ。
ただ、最期のアルメニア人大虐殺の意味はわからないな。
>ただ、最期のアルメニア人大虐殺の意味はわからないな。
当時~オスマン帝国末期~の経済を動かしてたのは
ユダヤ人やアルメニア人で、特にアルメニア人はトルコの
経済の70%を握ってたという説もある位で、憎まれてたと
読んだ事がある。
以前NHKのBSの紀行番組観たとき、
イスラム社会のどこにでもアルメニア教会があった。
そしてかってはアルメニア人街があったけど、
現在は少しの人しか住んでいない、との事だった。
アルメニア人って、
陸路海路の商業ネットワークを持ってて
広い範囲でかなり活躍してたんだね。
イギリス東インド会社にとっても
アルメニア人有力商人たちの協力を得たことが
会社活動に大きな利益となってるらしい。
ティムールはオスマン帝国なんぞ瞬殺できちゃう英雄だが、
1代の成り上がり者の悲しさで、
後継者が小粒だし、
結局、四方八方の敵対勢力に一人で対処しなければならず、
それも親征すると次々と撃破しちゃうんだが、
親征しない方面は押されることも多く、
ジョチ・ウルスとの死闘の一方で、
さすがにアナトリアまで目が届かない。
ティムールはオスマン侯国のアナトリア側での拡大の結果として
追放されていたかつて諸侯国の君主たちを戦いの前面に立て、
オスマン軍をゆさぶった
オスマン軍として戦いに参加したアナトリア出身の騎士たちの多くは、
かつての君主がティムールの軍にいることに気づいて動揺したといわれる
オスマンの常備軍も、
バルカンとアナトリアの両前線で続く遠征に疲弊し、
士気があがっていなかった
軍勢の数でも勝ったティムール軍は、オスマン軍を解体させ、侯国は分裂した
「雷帝」と呼ばれた英雄だったが、相手が悪すぎた
歴史における「上には上がいた」という例
ニコポリスで、ハンガリー王ジギスムントが完敗したときは、
久々に西欧の危機だった
あとにはバルカン、アナトリアに散らばった
バヤズィトの王子たちによる後継者争いが残された
以後、20年にわたってオスマン家は分裂し、
バルカンとアナトリアを舞台に抗争が続く
最終的には、メフメト1世の手でオスマン家支配の再統一がなされた
超有能で帝国を盛り立てて、
権勢の絶頂に立ったところで、
処刑されておしまいというイメージを持ってる。
なんか可哀想。
斜陽を迎えた第一次大戦末期に大宰相を務めたタラートも処刑こそ
されなかったけど自国から死刑判決を受けてたっけ
(エンヴェルやジェマル共々)
自動的に死んでもらう制度なんでしょ。
合理的だけど非人間的なものを感じる。
さすがに19C後半以降はそういう制度もなくなったような
ムラト5世⇒アブデュルハミト2世⇒メフメト5世⇒メフメト6世
というように兄弟が帝位を引き継いでるし
アフメト1世(在位1603年ー1617年)の時代から兄弟殺しは行われなくなった
代わりに皇子たちは「黄金の鳥籠」と呼ばれる場所に
幽閉されるようになった
即位の度に兄弟殺しを厳格に実行し続けてたら、
いくらハーレムがあっても
いずれ断絶しちゃうよな。
まぁ、ハーレムは男のロマン。
日本の室町幕府だと将軍の兄弟は僧侶にさせられてたっけ
遊牧民の王朝にはよくあることなのかな
ムガール帝国の場合は、兄弟殺しというより、兄弟による内戦だな
どういうわけか、跡目争いのたびに毎回そうなる
跡目争いや権力闘争での兄弟殺しはどの文化圏でもあるけれど、
制度化しちゃうというのは他にあるんでしょうかね?
長子相続制ではないし、
ゲルマン人国家のように分割相続でもないから、
必然的にそうなってしまうんですかね
英国に味方した方が実現の可能性がありそうだが。
バルカンから中央アジア・ウィグルまでの大帝国だって夢じゃないぞ。
宰相メフメット・タラート : ロシアとの同盟を模索
海軍大臣アフメト・ジェマル : 英仏との同盟を図る
陸軍大臣エンヴェル・パシャ : 親独派
タラートとジェマルは同盟工作に失敗し、
エンヴェルが主導権を握ってしまった。
反ソヴィエトのバスマチ運動に加わり戦死
ケマルはアナトリア領土の保全を第一義とした
汎テュルクというけど
現代トルコ人と中央アジアのトルコ系諸民族の間で言語が通じるの?
トルコ語の基本語彙に変化が少ないのかしらん?
通じるらしい
移動が始まったのが9世紀ぐらいだから
スペイン語フランス語イタリア語よりも近い
ソ連が崩壊し、
直ぐにトルコ人ビジネスマンが中央アジアにでかけて商売できた
変化の少なさに驚き。
日本古語の語彙や文法が残る琉球語なんて、
全く通じない別言語みたいになってるのに比べると。
しかし2年後に停止、オスマンは元の専制君主国家に戻る。
その結果、有色人種に憲政は無理というのが当時の常識に。
トルコ人を有色人種と見做しているヨーロッパ人はいないと思うぞ
ペルシャ人もな
元祖アーリア人で同じ印欧語族だしな
現代はともかく近代は非キリスト教=土人の認識だよ
そういや大昔の日本で欧米人役演じてたトルコ人俳優もいたっけか
ロイ・ジェームスか。彼は、タタール人だから、
テュルクではあるが、トルコとは言えないな。
カザン・タタールだと思ったが、カザン・タタールは
殆どロシア人と見分けがつかないから。
ユセフ・オスマンって人も
>>90
オスマントルコとは関係ないけど
同じタタール系でもチャールズ・ブロンソンは
風貌を活かしてインディアンとかメキシコ人も演じてたのな
ブロンソンは元々かなりモンゴル色の強い
リプカ・タタール人だからね。
そのブロンソンも荒野の7人でより純粋なモンゴル人に近い
ハルムイク人とスイス人のハーフのユル・ブリンナーと共演してる。
ブリンナーとブロンソン、
「戦うパンチョビラ」って映画ではどっちもメキシコ人役やね
クーデターで父バヤズィト2世を倒したばかりでなく
父を毒殺したという噂があるな(真相は不明)
もちろんセリムの兄弟やその子供たちも殺された
内戦に勝利して兄のダーラーシコーを殺害し、
塔に幽閉中の父シャージャハーンに兄の首を送りつけた
DNAレベルでそう決められてるの?
遊牧民は実力主義の傾向にある
イギリスがインドを統治するにあたっては
パールシーを中間支配層として
利用してたんだっけ
ペルシャ文化に深く系統し、影響を受けていた
欧州におけるフランスのような位置づけか、それ以上
中央アジアではペルシア語が広くリンガフランカとして通用する
「なんちゃらスタン」という地名は広く使われるが
これもペルシア語
音楽・美術・文学・建築、何もかもがペルシャ風になった
唐の時代に、日本が中国から受けた影響にも比すべき変化
ペルシャ語の語彙を民族語に置き換える国語改革をしたほど
ペルシャ語の影響は大きかった
近代化を始めたからこそオスマン体制では立ちゆかんようになって滅びたんや
清朝も徳川幕府もおんなじや
みんな近代化に着手したらすぐ滅びた
ロシア帝国はピョートルが近代化始めてから200年近く存続したけど
これは時代の違いや
だな
オスマンからトルコ共和国という連続した近代化
それが分かってるから、北朝鮮は鎖国をやめないんだな
中国共産党は、近代化を進めすぎたことに気づいて巻き戻そうとしている
「いまやアジア諸国の中で、日本とトルコだけが希望の星ですな」
という下りがある
日本とトルコだけは
欧州の近代化にかろうじてついていけているというのが、
当時の認識だった
軍艦購入のために行った巨額の借款が
オスマン国家の財政を窮地に追い込んだ
西アジアは無政府になると北斗の世界のようにならず者が大量に現れて
殺戮や略奪をする酷い世界になりやすいという事か
中国もそうだよ~
どうやって安定して統治出来たのだろうか
イェニチェリって強い?
軍楽隊を聞くと哀調を帯びてて、そんなに強そうに感じない(個人の感想)。
東洋的な哀調と、アフリカ的なリズム
それがイスラム圏の音楽の特徴
ガクブルしておしっこ漏らしたんやで
モーツァルトなんてノリノリでパクってんじゃん
そらモーツァルトは
オスマン帝国恐れるに足らずとわかった後の時代やもの