ちなみに僕はシュメール人の残党ではないかな、と思います
・シュメール人が歴史からいなくなってから海の民が現れた(=かぶってない)
・同じように言語系統が不明
これくらいしかありませんが、ふと思いました
ペルシャ湾は東に開いているからインドとかだろうね
大国を滅ぼせるほどの侵略を開始する?
ないない 電話も翻訳辞書もないのに
全てが海の民じゃないだろう
元寇で鎌倉幕府が崩壊したという説をイメージすれば良いだろう
ヒクソスは騎馬遊牧民だぞ
助かった
ヒクソスは古代ローマ史で例えると
イタリアに侵入したケルト人みたいだな
海の民は古代ローマ史で例えるとゲルマン民族大移動みたいな事で
ヒッタイトは西ローマのように滅びエジプトは東ローマのように生き延びた
要するに時代が違う
ヒクソスの立てた王朝ではバアルなどのシリア・パレスティナ方面の神々もエジプトの神々に加える形で拝まれていたのでそれはないらしい
そしてユダヤ人は宗教は違うがヒクソスに近い言語を話すという親しみからか歓迎されたともいう
社会階層?
奴隷の反乱みたいなものってこと?
地中海の海運を取り仕切る多民族構成の海員組合みたいなのがあって、
それが一斉に海賊化したのだったら面白かも。
地中海海運の諸都市は
襲われちゃったのとやられなかったのが
混在しててマダラ模様なんですよね
やられちゃった代表がウガリトで
やられなかった代表がビブロスなんですが
これはやはりみかじめ料を払ったかどうかの違いなんでしょうかww
最初からメソポタミアに興りアッカドに吸収されて消えたシュメールとは千年の開きがあり、全く重ならない
系統不明っていうんなら5000年くらい前に遡ると
世界中系統不明だらけだぞ
この5000年で印欧語とセム語が大膨張したんだから
ユーラシアの東半分という広大な地域に印欧語とセム語とウラル語とコーカサス諸語ぐらいしか見当たらないのが異常なんだよ(チュルク語は東から来たのが確実だから入れない)
それでまず文字文明を築くのがシュメール、エラム、ミノア(線文字A)と系統不明言語ばかりでとっくに死滅してるだろ
ヒッタイトの宗教文化も系統不明のハッティ人から宗教語彙とともに引き継いだものだ
そしてそれら系統不明の言語同士はどれもお互い似ていない
細々と残ってる系統不明のバスク語やケット語やブルシャスキ語みたいな孤立言語がたくさんあったと考えるほうが自然
ヒッタイトでそれまで国家機密だった製鉄法を盗み出して
略奪してるうちに地中海諸民族のならず者を吸収して膨れ上がった
というのが無理のない推測だが
クレタ島のような海洋文明国が雇った異種族混成の傭兵集団が暴走したのかもしれないな
1994年ヒッタイト時代以前の地層から鉄片が発見され、金属考古学的分析により
2004年には、ヒッタイトがゼロから鉄の生産を始めたという説が揺らいでいる。
鉄の生産方法の改良による生産システムの確立であった可能性が高いとしている
(2005年「岩手県立博物館だより」)。
海賊が盛大に暴れたのなら記録に残るだろうがそれがないし
クレタ島も海の民の時代に滅んでいる
先進国に定住したなら、戦争の記録以外にも、定着後の何らかの文字や壁画史料などが残っててもおかしくないと思うんだけどなんかないの?
文字も使わず覚えようともせず、積極的に生産して国家を営もうとも考えなかった
まともに他の文明と張り合うつもりもなかった
だから自らの手では何の記録も残さなかった
たぶん神と宗教を憎悪する集団だったのだろう
襲って奪って破壊するだけなら言葉の通じる同士で小隊を組んで
通じない者同士は身振りとカタコトで足りる
リングア・フランカのようなカタコト言語を持っていたかもしれないが、宗教と国家システムがないと文字体系が生まれない時代なので記録されなかったとも考えられる
集団で押しかけてきては国を滅亡させ、その滅亡させた国の残党を取り込んでは雪だるま式に増えてゆくゾンビのような連中
旧約聖書にヒビ人ってのが出てくるけど、あれは海の民とともに南下したヒッタイト人の末裔
海の民を生んだカタストロフィって何よ
というのもアッシリアやバビロニアでもカタストロフィが起こっているから
ISISだって三千年後の人間から見れば、雑多な民族から成っていて訳の分からない無軌道な征服活動を繰り広げたとされるが、記録を残した国によってその描かれ方はまちまちである・・・・ということになるだろう。
が当時にそんな超国家的なものは存在しない
今日では分からなくなっているだけのこと。
ISISだって制圧された後では、イスラム教の黒歴史として
その記録は散逸するだけでなく積極的に消されるだろう。
自称カリフのような指導者は初めからいなかったことにされるだろう。
スマホや携帯もない時代に西はギリシャ、東はバビロニアで同時におこったカタストロフィを一つの集団が起こしたとするのは無理がある
アカイアが海の民の一味でエジプトを襲ったとかわけわからん。
海の民によって滅亡したあと海の民の構成部族になったんでしょ
つうかこの時代の「民族」に現在の民族の定義投影しないほうがいいよ
アカイア人のミケーネ文明を滅ぼしたのは同じギリシア系のドーリア人だと言われる
言語が近かったにもかかわらずなぜ文明ごと滅ぼしたのか
アカイア人が自ら滅ぼしたミノア文明の宗教や文字といった遺産を受け継ぎ価値を認めていたのに対し新参のドーリア人はそれらの価値を一切認めなかったからだろう
ホメロスのギリシア語のうち「イーリアス」の冒頭の章句には印欧語起源の語彙が極めて少ないことが知られている
それは古代クレタ語(線文字A)のミノア文明を受け継いだアカイア人の言語(線文字B)だったからだ
ミケーネ文明を滅ぼし、かつ海の民に加わる可能性があったのはアカイア人ではなくドーリア人だったろう
民族の定義による
言語は同じ系統でギリシア語の方言同士であっても、宗教・文化語彙・風俗習慣が別々であれば別の民族と見ていいし、血統も離れていたかもしれない
しかしいったん新来の同系統異民族に王朝が倒されると、入れ替わるというほどの殺戮はなくても容易に同化するだろう
少なくともドーリアの襲来、海の民の発生、ミケーネの滅亡、線文字Bの使用の終了は同時期。その後ギリシア語は400年間の文字記録なしの暗黒時代に入る
バビロニア~古代アッシリアのアッカド語は東セム語で、語順や語彙などシュメール語の影響を大きく受けていたが、新アッシリアの滅亡とともに楔形文字ともども徐々に使われなくなり、やがて新来の中央セム語のアラム語に同化され、アケメネス朝の頃には碑文の言語として王朝の箔付けに利用されるだけになっていた。状況としてはこれに近いだろう
こんなヒャッハーな無法者達は串刺しにでもしないと大人しくならんだろ。
悪名高い串刺しとか引き回しとか情け容赦ない戦いで海の民に応じたからだと思う。
カタストロフ~暗黒時代はドーリア人だけでなくイオニア人・アイオリス人も盛んに移動した時期だ
ドーリア人の襲来によってミケーネ諸王国が滅亡したにしても
それはギリシア系同士の間で起きたことで
ミケーネの遺産が活用されている痕跡が見つかっていることからも根絶やしはなかったろう
王族や貴族の男は奴隷化し、女は配偶者か奴隷となったのなら混血もする
ともあれミノア文明から受け継いだ文明をリセットしたことで
ギリシア人がそれまでのオリエント的な官僚組織による支配体制を脱した時代だという見解は大勢を占める
その後の方言の分布を見ると、
最もミケーネのギリシャ語に近い方言は暗黒時代を経た後も
ペロポネソス半島中央のアルカディアとはるか南東のキプロス島にのみ残った
ドーリア方言とそれに近い西部方言はバルカン半島先端西部と
ペロポネソス半島の大半とクレタ島と小アジア南西端に分布
バルカン半島南東部のテッサリアとボイオティア、小アジアのレスボス島周辺地域はアイオリス方言、バルカン半島最南部とエーゲ海の諸島の大半、黒海沿岸、小アジア西岸中部はイオニア・アッティカ方言
両者とも西部方言とは一線を画し、ミケーネのギリシアの後裔として発展する
ホメロスの言語はミケーネ色が濃厚な時代のアイオリス方言
サッフォーの言語はイオニア方言の影響が強いアイオリス方言だが
それ以外のアテネと同盟諸都市の言語として、
また文芸・宗教・学問の言語として最も発展しやがてコイネーの基礎となったのはイオニア・アッティカ方言だった
ドーリア・西部方言の話し手はスパルタからマケドニアまで軍事を得意としたのと対照的
海の民の侵入にビビってハットゥシャも自分たちで放棄したんだろ
ヒッタイトは少数の印欧語族が多数のハッティ人とかを支配していた国だった
ヒッタイト軍は海の民に襲われたキプロスやウガリットへ援軍として遠征したが
海の民に敗れてヒッタイト王とその軍はハットゥシャに戻って来なかったので
残されたハッティ人らが自立してヒッタイト王国は崩壊した
周辺に紀元前1世紀まで残ったんだけどね
一部の残党は海の民のともに南下を開始してシロ・ヒッタイトと呼ばれる都市国家群を形成してる
ミケーネ文明を支えた側ではなく破壊した側にいるのがドーリア人だから
あとはカナン北西沿岸都市のペリシテ人
パレスチナの語源だがカナンのセム人ではなく、印欧語系のよそ者だったという研究がある
ほかにシラクサなどいくつかの地中海諸都市の名前が出身地として挙がっているが
ギリシア人の植民都市にしては時期が早いし、いったい何系のどんな民族なのかわからない
ヒクソス政権後エジプトから追い出され(それ以前からレバノンあたりに侵入していた)
カナン地方を乗っ取ったヒクソスがエジプトその他に報復したんだよ
ドーリア人、ペリシテ人は恐らく櫂船こいでただけの奴隷
200人近い漕ぎ手に10数人の兵隊が乗ってるみたいな代物だった
それで風がのれば40kmくらいだせる
現代の潜水艦への抑止力は潜水艦以外ありえないように当時は船に対しては船でしか
対抗できなかったのだろう、2段以上櫂船に対抗できる帆船はない
つまりギリシャあたりの交易路を全部海賊が乗っ取ってしまえば勝手に滅亡してくれる
滅亡したらフェニキアが交易を独占できる(実際そうなった)
12世紀あたりからフェニキアは一気に隆盛を極め、スペインあたりまで支配していた
ソロモン王の記録にもでてくるがタルシシュの交易で莫大な富が同じヒクソスのイスラエルにも流れてきた
ギリシアも暗黒時代終わっていきなりフェニキア文字取り入れだしたし
フェニキア以外にないだろ
じゃ、なんで海の民にフェニキア文字が伝わっていないの?
なんで伝わってないってわかるんだよ
ギリシャに伝わってるし
海の民が暴れた後定住した土地には
彼らが残した可能性のある文字記録は一切存在しない
それが完全に海の民そのものであると証明できる?
連れられてきた奴隷かもしれない
利害関係でみればフェニキアが関与してるのは明らかじゃないか
ギリシャが衰退して暗黒時代
エジプトも衰退してかつての国力も失う
そんななかフェニキアだけが隆盛を極め北アフリカやヨーロッパにも進出(莫大な金がかかる)
植民都市も作りヨーロッパを脅かす
まず櫂船を帆船にぶつけて船に穴あけるだろ
そしたら積荷は略奪、乗組員を奴隷にして船室に入れて鎖で固定して延々櫂をこがせる
死んだらまた船を沈めて奴隷を手に入れて鎖につないで(糞尿たれながし)
そいつらを鞭打ちしながら延々太鼓にあわせて漕がせる
実際あったと創造してみ、恐ろしいから
ガレー船に奴隷というか囚人つかうようになったのは近世に入ってからで
古代は市民自ら漕いでたんだが
北アフリカの黒人(ニグロイド)が奴隷にされてたという話は?
ヒクソス=イスラエルではないよ
一部ヒクソス=イスラエル&フェニキア
イスラエル&フェニキア=元ヒクソスでヒクソス王朝時代、カナンがエジプト文化を捨てた時代からあのへんが完全にセム系に乗っ取られたんだよ
元は完全なエジプトの属州だったのに
>北アフリカの黒人(ニグロイド)が奴隷にされてたという話は?
へぇ~古代にガレー船を黒人奴隷使って漕がせてた国があったんだ?
どの時代のどの国の話だ?
>ヒクソス=イスラエルではないよ
>一部ヒクソス=イスラエル&フェニキア
ヒクソスは 第15王朝が滅んだあと所在不明、一方イスラエルが出てくるのはそれから300年後のメルエンプタハ碑文からで全然つじつまが合わないんだが
メルエンプタハでわかるのは当時その地区にすでにイスラエルという国があったということだけだ
どれだけ長い間そこにいたかなんてわかるはずがない
またユダヤ教の原型のような集団が神と契約して戒律を持つに至ったのも同じ時期
海の民ほど文字と宗教を否定し、破壊し尽くした集団は当時ほかにない
むしろそれから人口増えだした
他が滅ぼされて弱体してる間10世紀あたりにはヨーロッパや北アフリカにもすでに侵入し、植民都市作ってる
ソロモンもそれの交易で栄華を極めたと書かれてる
それがペンで紙に書くという方法とすべて表音文字ってのが広まった理由だろうし
それが襲われた理由?
ていうか海の民が文字と宗教を否定する集団だっていう話からズレてるんだが
登場したのも原シナイ文字より遅く、原カナン文字とほぼ同時期
アブジャドに接して、こういうものを紙ではなく粘土板に刻みたいという、当時のメソポタミア寄りの考えで折衷してできたもの
粘土板と楔形文字が時代遅れになるのはその千年後からで、新バビロニアでアッカド語が使われなくなりアラム語に取って代わり、楔形文字「風」に作られたこれまた別体系のペルシア語音節文字は最初から碑文ぐらいにしか使われなかった
エジプトでカナン人以外を奴隷にしたのってわずかな黒人の例を除くとまるでなくて
ヨーロッパから奴隷を買ったなんていう話もぜんぜんないのはどういうことだ?
エジプトがアジア方面を占領しただけでも今までのエジプト史からすれば活気的な事だろ
新王国はミタンニ、ヒッタイト、リディアと言った強国がいる中で最大限に勢力を拡張したのだ
欧州の蛮族地区に進出するには強国の激戦区東地中海を押さえないといけないが、アケメネス朝ペルシア登場まではどこもあと一歩届かなかった
その記録というのもフェニキア文字を転用して作ったもの
ギリシャなどの記録からフェニキアが知られだした時からフェニキア=海賊・商人・奴隷売買・人さらいとして知られている
それが「ある日突然」始まったなんて馬鹿げてる
元々そういう民族だったのだと考えるほうが自然
メルエンプタハも侵略(というか元々の領土を取り返す)して支配したと言ってるだけで実際はなんにもなってないからな
問題にしてる紀元前12~9世紀あたりのギリシャ暗黒時代とか言われるあたり
何故その時期にフェニキアだけが繁栄できたのか?
前1200年のカタストロフィでミケーネ文明が崩壊し、ギリシャ海洋交易圏がいったん途絶えた所に、その空隙を埋めるように広がったのがフェニキア交易圏だ
暗黒時代以前のミケーネのギリシャ交易圏の存在はエジプト資料によっても確認されている
古典時代以降に記録されたギリシャ語方言のうち、キプロス方言とペロポネソス半島中央部のアルカディア方言がそっくりの形をしていて、はるか後に解読された線文字Bがアルカディア方言とこれまた同じ形をしていることも、ミケーネのギリシャ交易圏の広がりを示している。キプロス島と言えば地中海の東端、レバントのすぐ沖だ。
キプロス島にはミケーネ文化崩壊後にギリシャ人が移民したのではなく、もっと前からいたのだ。 フェニキア人は島の南側に後から来て植民した。カナンの目と鼻の先なのに、後から入ってきてほんの一隅を占めただけ。
そこでギリシャ人と交友を深め、海洋民族としてのノウハウを吸収したのだ。「フェニキアだけが繁栄」というが、滅んだのはヒッタイトだけで、エジプトはテーベに押され一時的な衰退、ミタンニとカッシートは遅れて滅亡、アッシリアとエラムは健在だ
おそらくユダヤ人も動員されたんだろうけど
これが最盛期?
一体何を根拠にフェニキア人がユダヤ人を自由に動員できるような立場だったと思ってるんだろう
言語が近ければ何でも言う事聞くとでも思ってんのかよ
乗り込んで城塞を日干し煉瓦から強化したのも関係あるかも
むしろ海の民に対抗するためとか
で11世紀には宗教施設を放棄で他にうつる
こんな大々的なことが何もなしに起こるわけがない
例え遷都があっても元の土地には必ず残る人がいる
障壁をキュクロープス様式に改めることは、ギリシャ本土のミケーネ人も行っている
まるで将来の海の民の襲来を予期していたかのように周到に作られたという
本土を見る限り、海の民は何度かに分かれていた(元寇の防壁のように)と見るか、あるいは海の民以前にちょくちょく別の海賊が横行し始めていたか(あるいはそれがフェニキア人?)、と考えられそうだ
しかしキプロスを見ると、ギリシャ・フェニキアの様式混在が見られる南岸ともっと古い出土物を除けば、前1世紀と前後数百年の全体はミケーネ様式であふれていて、とてもフェニキア海賊の島とは思えない
アカイア人とフェニキア人が平和裏に混在していた島ではないのだろうか
ここで「『暗黒時代』が300年続いてすぐミケーネ様式の陶器が復活するなんておかしいだろ!暗黒時代なんて無かったんだよ!」というジェームズ説が説得力を帯びてくる
支持するか否かは別として、この時代に言及するウィキペディアの年代は特に英語版ではこの説に基いて年代が数百年ずれていることがあるので注意
実際カルタゴのユダヤ教改宗者などみても、あまりにもその2つが結託しすぎて蜜月すぎるんだよ
フェニキアもユダヤ教徒改宗が多かったし
宗教的におかしいだろ?そんな改宗が受け入れられる宗教じゃない
同族とみなされてたとかなんかそういうのがないと
特にユダヤ人自身が生存戦力としてそのほうが有利だと判断した時には改宗を自ら推し進めている
ハスモン朝のヨハネ・ヒルカノス1世はエドムを攻めて強制的にユダヤ教に改宗させている
ゲリジム山を攻めてサマリア人の本拠地を徹底的に破壊したのも、サマリア人をラビ派のユダヤ教に再び合流させるつもりだったらしい
実際に時代を問わず、自分の意思にせよ圧力によるものにせよ、ユダヤ教に改宗するサマリア人はいた
そういうことは特にディアスポラ時代以前にはちょくちょく起こっていた
しかしだからといってバアルを信仰するフェニキア人がそのままでヤーウェを信じるユダヤ人と行動をともにしたわけではないし、逆も然り
改宗と同盟は全く別の話
ユダヤ人自身がユダヤ教に異教徒(他民族)を改宗させる(これ自体が聖書に反することだと思うが)
ではなく異教の熱心な信者だったのがそれを捨ててユダヤに改宗
これは起こりにくいし現在ユダヤ人になるにも様々な障壁が用意されてて容易になることはできない
何か障害あるかあ?
イスラムは何やら改宗すると殺されるようだが。
ユダヤは宗教民であり民族であるからな
アジア人が「ユダヤ教信じてるからユダヤ人です」なんてなりにくい
エチオピアからユダヤ教徒の集団を受け入れるなんて事件になったが
いざ来てみると黒人で被差別者あつかい
ユダヤ教自体流布して他宗教信徒を改宗させて増やすなど教義にない
それらは普通宗教にあるものだが
ユダヤ教における入信は神との契約であり、ユダヤ教の場合それは
契約した預言者かつ族長である者がその子孫まで神に祝福されて神に従うという形式をとる
だから預言者の子孫でなければ入信できないという縛りが生まれたが、戒律というより故事の解釈による慣例にすぎない
しかしモーセが引き連れた群れはエジプトを出た雑多な集団であり血縁関係もなく
セム人であったかどうかも怪しい上に、偶像や邪神を崇拝する者でもあり、新たなる戒律と契約を必要とした
シナイの放浪者たちは内部抗争と粛清によってヤーウェ信仰を核とした特殊な集団になっていく
神話に従ってたとえイスラエルと名乗った所で、類似する他のセム人集団とは相容れない
言語的に同化した時期にも他の北西セム人を安易に容れないようにしてはいるが、
それは単にシナイ時代に生じた苦労を共にした階層の血の序列を守るためだった
実際には教団の拡大、他の地域との抗争、安全を確認しながらのディアスポラなど、必要に応じて入信や強制改宗を行なってきた
ラビ派のユダヤ教は、限られた聖典と儀式だけに頼らず(頼れば入信者に母屋を取られかねない)仲間の範囲を狭める目的も
あったかもしれないが、タルムードがいくら膨大でもそれさえ読めばユダヤ人になれるわけであり、結果的には血族でなくても
ユダヤ人になれる道を拓いてしまったとも言える すなわち民族宗教から世界宗教への変容の道だ
同族同士の結婚だった場合子供はユダヤ人となる
改宗は大々的に規制していないが、聖書、ヘブライ語などの知識が必須
「私はユダヤ教を信じている」と考えただけではユダヤ人ではない
実際現在世界で改宗ユダヤが大規模に行われて認められたりはしてない