明智家

日本人は明智光秀に感謝するべきだと思う

2019年11月6日

1: 名無し 2006/06/07(水) 22:45:03
信長が殺されてなかったら
天皇制の廃止、虐殺、無理な外征で
きっと日本はボロボロになってたと思うよ

 
2名無し 2006/06/07(水) 22:51:33
>>1 
少なくとも民虐殺しまくりってことはないな
収入減るだろ
34名無し 2006/06/08(木) 13:32:49

そもそも信長が自分の支配をどうしたか
が後世の妄想以外で語られてないから結論なんて出ない 

逆に信長が覇権を握っていれば
開放的な外交貿易立国で豊かになったという妄想も語れるわけで

35名無し 2006/06/08(木) 14:53:40
>>34 
日本が早くから貿易立国してたら台湾やフィリピンあたりまでは 
今頃公用語は日本語だったかも知れん。 
フィリピン人がスペインやアメリカに支配されたのも必然性あるわけでなし
74名無し 2006/06/25(日) 03:34:11

天皇とかべつにどうでもいんだけどさ、
光秀に信長が殺されて秀吉→家康になっちゃうんだけど
家康になるとこが納得できないね。 

鎖国とかマジありえねえよ。 
あっちの国じゃ鉄の船に銃なのにチョンマゲに刀ってなんだよww 

75名無し 2006/06/25(日) 07:19:10

>>74 
一理はあるかもね。 
長らく世界の先進地域であった東アジアが取り残されたのは
揃いも揃って鎖国政策をした事が最大原因だろうし。 

ただ、科学的思考の基礎が無いと、結局知識だけ貰ってもダメであって・・。 
ガリレオが生まれたのは16世紀半ば。
実は幕府ができるころには
既に圧倒的かつ絶望的な素養の差がついていたとも思える。 

76名無し 2006/06/25(日) 09:07:18

結局開国には成功したんだし
そう考えると300年ノウノウと戦争もなしに暮らして
その後、大した数の死傷者も出さずに、他国から技術パクって、成り上がって
第二次世界大戦で負けていっぱい死んだものの 世界No.2まできてるんだから
家康のお陰でおいしい思いしてる 

と考えると光秀はいい禿だ

78名無し 2006/06/26(月) 00:24:45

>>76 
でもさ、信長が天下取ってそのままずっと世界の知識を日本人が取り込んでいたら 
世界№2どころか今頃ガンダムとか作れるくらいの科学力を持ち合わせている国に
なったかもしれないという可能性も… 

それはないよな…

79名無し 2006/06/26(月) 00:43:43
つーか信長のやったことはメリットも大きいがリスクも大きかった 
メリットだけ見てたら夢膨らむけどリスクだけ見たら日本が崩壊してたかも知れない 
実際既に日本を統一する前にクーデターで織田政権が崩壊してるしな
80名無し 2006/06/26(月) 01:24:28

安易に拝外的な事を言いたくないけど、欧州文明が世界制覇したのは
偶然でなく、ギリシャの科学的思考+民主思想がイスラムを経由して
花開いたからだと思うよ。 

たとえば中国の明の技術的達成は凄いと思うが
天才的職人が素晴らしい物を作ったてのと
ある数学的公式からテクノロジーの基礎を確立するてのは
長い目で見れば比較にならないほどの生産への寄与の差となる。 

中国も、諸子百家的な時代には色んな萌芽があったと思うけど
儒教に飲み込まれたしな。 

ただ、19世紀に、科学文明と立憲主義の圧倒
的有効性を見てそれをすぐに 
学んだことは、それらの産みの苦しみをバイパスして果実だけを効率的に 
頂戴する近道ができて得だった、と言えなくもない気もする・・

82名無し 2006/06/26(月) 10:13:20

日本の場合は鎖国って言っても長崎の出島を通して交流は続いていたし 
閉鎖的な江戸時代においても幾多の画期的な発明はあった。 
それが単発なものに終わってしまったのは鎖国の影響が大きいだろうが 
一方で日本独自の文化が熟成したと見ることもできる。 

いずれにしても約300年という長い期間、
平和を享受できたというのは世界に誇っても良い事柄かと。 
お伊勢参りに女性だけで安全に長旅ができた国ってだけでスゴイ。 
識字率においても文句なしに世界最高レベルにあっただろうし。 

ぶっちゃけ軍備に関わる事柄と植民地支配につながる 
異民族統治のノウハウがないぐらいで 
明治の短期間に一気に成長できるぐらいの潜在的な力は培われていたかと。 
技術革新や重工業の発達を自力でなしえたかって言うと 
ものすごーく疑問符はつくけどね。

84名無し 2006/06/26(月) 17:30:10
>>82 
あと致命的なのは外交の下手さだな 
まあ日本の周りは欧州に比べれば単純だから
開放政策とってもあまり鍛えられた気がしないが 
83名無し 2006/06/26(月) 12:20:53
時代を破壊する役割を持つ人って殺されるよね
明智がやらなくてもどうせいつか暗殺されてただろうな
84名無し 2006/06/26(月) 17:30:10

>>83 
途中で死んだから破壊者的イメージが残るってこともあるんじゃないか? 
最後まで生き残ったら
新体制を創造してそいつが体制側にならなきゃならんのだし

個人的には家康の低評価は
日本がWW2に負けた後の責任の押しつけみたいで好きじゃない 
逆に言えば日本は東アジアで植民地されなかった希有な例でもあるんだし 
日本統一後開放的政策を取っていたらどうなったかは
議論しなければならない点が多すぎるしな 
(まず「勢力的には大したことがなかった西欧が天下をとったのは何故?」
 という所から語らなきゃならんし) 

86名無し 2006/06/26(月) 23:17:14

>まず「勢力的には大したことがなかった西欧が天下をとったのは何故?」 

理由はこの上なくはっきりしてるジャン

87名無し 2006/06/27(火) 13:10:57

>>86 
近代においては産業革命と国民国家の成立で良いんだけど
それまでの土台も問題 

まあこの質問って
オスマンが負け組になったのは何故って質問のようなものだけど

88名無し 2006/06/27(火) 19:18:19

喜望峰回りの世界航路の発見と新大陸の発見が
>>産業革命と国民国家の成立
>>オスマンが負け組の双方の土台になった
とおもう。 

オスマンがヨーロッパを三方向から包囲して東西交易の中継利潤を独占してたのが 
喜望峰回りの世界航路の発見によって迂回されることで交易の利を得られなくなり 
タイミング的に老大国ゆえの制度疲労が重なっておじゃん・・ 

新大陸の発見によって膨大な銀と産物がヨーロッパに流入し蓄積されることで 
広域資本市場が成立する土台となり殖産興業を促す土壌ともなり 
タイミングよくルネッサンスというカソリックからのパラダイムシフトがあって 
市民階級の台頭を促す土壌ともなり
産業革命と国民国家のバックボーンとなる階層が出現した。

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91名無し 2006/06/29(木) 20:32:03
>>88 
うん。つまり、ルネサンスの科学的思考と、 
大航海時代のシーパワーがあってこその西欧の天下というのは正しいだろう 
ただそれが16世紀末~17の日本に根付いたであろうとはあまり思えないわけで……
92名無し 2006/06/29(木) 23:59:39

ルネサンスの科学的思考は
エジプトの幾何学経由でギリシャで数学を基礎とした世界観が作られ
それがアラブ世界で保たれていた、という遺産あったればこその再開花だろう。 

そういう千年単位の蓄積無しに
突然日本に科学的思考も民主的思考も発生できるわけがない。 

あのまま自前で発達していっても
所詮職人社会的生産形態に毛が生えた程度のレベルから 
上へは跳躍できなかったと思う。

94名無し 2006/06/30(金) 23:17:39
日本が早くに目覚めていたら 
世界地図のかなりが日本になってただろう 
って言う外人が居たけど
95名無し 2006/06/30(金) 23:19:28
新し物好きの信長が納めていたら、 
日本は最先端の技術大国になったような気ガス
101名無し 2006/07/04(火) 18:27:19
末期の信長は神経質が病的なとこまできていたし、あのまま 
生き続けていたらろくなことにならんかった可能性は非常に 
高い。一番いい時に死ねた信長は光秀に感謝すべきかもな。
102名無し 2006/07/04(火) 18:38:30
今の日本を作る礎の石杖の一つでもあったわけだから
一瞬くらいは感謝してもいいかな
103名無し 2006/07/04(火) 20:18:56

もし、信長が本能寺で殺されなかったら
俺の先祖が信長に殺されていたかもしれないから… 

光秀のとっつぁん、センキューね!

104名無し 2006/07/04(火) 23:07:20
>>103を見て、同意 
俺ん家も真言宗と一向宗の家系につながってる。 
本能寺の変が無かったら高野山焼き討ちを敢行する計画だったので 
なおさらだな・・ 
光秀ありがとう。
105名無し 2006/07/06(木) 07:29:22

その計画は何処から出てきたもの? 

いきなり高野山焼いてなんかいみあるの?

106名無し 2006/07/06(木) 09:06:41

高野山が信長が嫌いなヤシらを匿ったから、とかそんな理由だったかと。 

意味があるかと言われれば分からんが、信長は論理がちょっとアレな人だし 
本人的には正義の刃なんでないの?

107名無し 2006/07/07(金) 23:49:55
詳しいことは憶えていないのだが、たしか信長の敵対者が高野山に逃げ込み、 
その引渡しを要求する使者をだしたら高野山側がその使者を殺してしまった。 
信長はそのお返しに高野聖三千人を処刑したとか。
もっとも三千という数字はかなり疑問だが。
129名無し 2006/07/12(水) 10:36:20
光秀に感謝?誰がするか
130名無し 2006/07/12(水) 10:38:35
でわ斎藤利三に感謝することにする
133名無し 2006/07/14(金) 19:09:59
利三は光秀の家臣じゃなくて寄騎部将だったというのは本当かね 
確かに直臣じゃなく陪臣が長宗我部家と縁組してるのは不自然だけど
134名無し 2006/07/14(金) 21:47:36
明智軍記とかだと甥の扱いだし、光秀の妹の子というのは春日局が言ってる。 
実際地元では甥だと言ってる(岐阜県古文書類纂)。 
135名無し 2006/07/15(土) 02:20:46

本能寺の変の直後、真空状態になっちゃった美濃で、
帰蝶の弟を擁立する動きがあったとか。 

本能寺の変って美濃閥による組織されたクーデターなのかという疑いが持たれる

136名無し 2006/07/15(土) 22:35:58
>>135 
美濃閥クーデター説は40年近く前に八切止夫が提唱した説だな 
八切は着想は光るのに検証があいまいだからトンデモ扱いされるけど 
誰か綿密な検証出来る人間に再検討させれば面白いかもしれん
131名無し 2006/07/13(木) 00:12:47
利三ってずっと斬首されたのかと思ってたら
車裂きだったってよ
なんかすごくOTZ
138名無し 2006/07/16(日) 02:35:50
>>131 
そんな死に方をした男の娘が突然徳川家中枢に登場
その後に凡そ常識はずれの 
大権勢を振るう・・  
そこらにただの謀略妄想と断じる事を躊躇させる何かがあるんだよね。
明智=徳川共謀説には
139名無し 2006/07/16(日) 19:51:01
後、家康は帰参して徳川軍団の新たな旗手となった水野勝成に日向守の官位と
光秀の朱槍を授けて「武士の鑑であった光秀にあやかれ」と言ってるんだよね
140名無し 2006/07/17(月) 03:06:23

>光秀にあやかれ 
あれはホントに通常解釈では理解不能。 
あー、なんかどっかから色んな矛盾に光をあてる資料が出てこないかなぁ。

 

 

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筑摩書房
2019-08-06

 

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