ニュース
ユーラシア大陸以外の無茶苦茶に未開な所だけ。
鉄すら存在しない所を征服しただけで、インドも中国もアラブも無傷。
オスマン帝国には押されまくり。
せやな
つか16世紀はまだまだ帝国主義なんかじゃなくて
せいぜいが原住民しかいないような未開の国を滅ぼすくらいが関の山だしな
西洋優位の今の価値観を当てはめて考えるからわからなくなる
この頃はまだまだアジアの帝国が優位
日本に決まってる
スペインが日本征服は無理と認めるくらいだからな
当時の日本は世界最強国家
日本>>>>>>>>>雑魚オスマン>ヨーロッパ笑
これが真実
・フィリピンなどと違って組織的な抵抗をしてくる
・兵器や戦術が強力
・為政者が軍人
・商人の統制が強く、金品での懐柔が難しい
つけ入る隙が無いんだよなあ
最強だったら明征服できたことね?
十字軍遠征は結局失敗
ドイツ・ポーランド連合軍がモンゴル軍に惨敗
ヨーロッパ諸国が束になってようやくオスマン帝国と対等
スペイン宣教師「日本を植民地にするのは無理だわ」
中世ヨーロッパって軍事的にはしょぼいな
わざわざ来ていただけるか甚だ疑問だが
時期によるが豊臣政権期ならオスマンだろ
>>7
豊臣政権期はオスマンはもう下り坂
この時期君主のカリスマも低下し明ほど酷くないものの、
官僚支配と戦意技量の低い軍隊になっていた。
戦闘だけなら豊臣政権が勝利したのではなかろうか
カリスマ・スレイマン1世時代なら戦闘互角かも
ただ四方を海に囲まれた日本と
東西北の三方を敵に囲まれたオスマンとでは
条件が違いすぎて比較が難しい
同じことはスペインにもいえて、
四方を自然国境に囲まれ恵まれていながら、
オランダという経済重要地域に敗北し、
あまつさえイングランドに敗北してしまったスペインもいまいち。
軍事的には豊臣政権が勝利できたかも
というわけでこの時期の4国の比較では戦闘に限っては日本かな
文永弘安の役 ●元 VS 日本〇
文禄慶長の役 〇明 VS 日本●
日清戦争 ●清 VS 日本〇
日中戦争 〇中華民国 VS 大日本帝国●
文禄・慶長の役も日中戦争も戦闘では中国ボロ負け
軍事的に中国が日本に勝てたのは白村江くらいだろ
結局これ攻めこんだ方が負けるってだけの話だよな
日清戦争は例外だけど
>>39
汽船の無い時代には海越えの征服など無理だった。
ただし統治されてない未開地の征服なら可能。
未開地でなくても群雄割拠状態ならその割拠する群雄の一つとして参入可能。
例:ノルマンコンクェスト
蒙古が攻めてきたのが鎌倉時代なのが救いだったな
これが平安時代の麻呂だったら負けていた
もしそうだったら中国の一部になってたね
平安末期だったらそうでもないかも。
源氏、平氏を頂く武士団が全国規模成立してたから。
平安期の武士の戦闘力もかなり高かった。
規模は小さいが道長の時代に
九州武士団だけで刀伊を撃退してるからね。
>>9
正しくはこうだな
文禄慶長の役 ▲明 VS 日本△
日中戦争 〇アメリカ合衆国 VS 大日本帝国●
文禄慶長の役の理由は明白、終始日本側の優勢だったが
秀吉の病死で作戦自体がリセット
後の明史でも
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、
中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(意訳)「秀吉が死ななきゃいずれ俺等はやられてた」とある
日中戦争については言うまでもない、
日本を倒したのは国民党軍ではなく米軍だから
>>11
遠征が成功したかどうかは、はなはだ疑わしい。
一日の戦闘後、陸に留まらず船に引きあげてたってことは、
鎌倉武士を恐れてた証拠。
それに船に引きあげてたからこそ、嵐であれだけ大損害を受けた。
それに二回目では、なかなか上陸できず海上をうろおろしてたのも、
日本側の手強さが骨身に染みてたから。
>>11
台風はまったく関係ない
文永の役は11月、しかも引き揚げ途中の暴風雨遭遇
台風で引き上げたわけじゃない
弘安の役は暴風雨の襲来以前に拠点すら作れず
暴風雨以降も戦闘を続けたが日本軍の完勝
寺社が恩賞を貰う際に神威を強調
→神国思想に転化
→戦後は外交を知らない無謀との決めつけ
さらに日本の武士は集団戦法。
海戦ではスペイン>オスマン>>日本=明かね
あと大砲がほとんど無いことも弱点
スペインもオスマンも明も大砲は主力兵器として多数装備してる
日本の軍事組織って
地形的制約や後には生産力や予算の関係で大砲が運用しにくいから
それを歩兵の重装備化で解決しようという風潮が強いのね。
戦国時代の鉄砲にしろ、旧軍の機関銃や擲弾筒にしろ、
戦後自衛隊の対戦車ミサイル山盛り装備にしろ
プレヴェザの海戦で
スペイン・ ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊を破ってるし
各国の人口(1600年時点)
日本 2200万人
李氏朝鮮 500万人
明朝 1億5000万人
イベリア帝国(スペイン・ポルトガル) 1050万人
オランダ 150万人
ブリテン諸島全体 625万人
イタリアの人口の4割ぐらい占めてると考えて
スペイン領イタリアで人口500万
それプラスベルギー150万で
今のフランス領アルトワやフランシュコンテも支配してたから
スペインの人口は最低でも1700万越えぐらいかな
宣教師フロンソ・サンチェス (スペイン国王への手紙より)
シナ人は自国のおびただしい人口に自信を持っているものの
スペインのわずかな鉄砲隊で
何百万人ものシナ人を滅ぼせるという事が理解できていない。
先年僅か13人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し
3000人以上のシナ人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが
彼らはそこから脱出するや
直ちに多数のシナ人を殺してしまった。
シナ人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い
それに乗って逃げてしまった。
シナの征服は日本人の軍事力を利用すべきである。
ちなみにアヘン戦争時のイギリスは清の正規軍には圧勝してるけど
平英団には結構苦戦させられてる
海戦 スペイン>オスマン>>日本=明
>>22
倭寇で東アジア一帯の海岸地帯を恐怖のどん底に突き落とした
日本人水軍(=海賊)の実績があるだろう
海戦でも日本は最強レベルだよ
ただ、
豊臣と徳川の臆病者が大型船舶の建造と海外渡航を禁止したから
廃れただけ
16世紀ならむしろサファヴィー朝だろ。
世界史は西洋視点だからオスマンはやや過大評価。
明は秀吉やヌルハチ相手にあの体たらくだったが
当時の明朝は完全に衰退期の暗黒時代だった。
でも15世紀の頃は間違いなく世界最大の超大国だったんだよなあ。
永楽帝の頃なら室町幕府なんて相手にすらならなかっただろうね。
ただ明が日本に攻めるとなると話は別。
明より国力がずっと上だった大元ウルスですら失敗してるんだからね。
実際に日本と同じようにモンゴル撃退したベトナムは
明の時代にも攻め込まれてるんだが元の時より遥かに簡単に明を撃退してる。
だいたいスペインと同じくらいだな
国内戦だともっといくが補給考えると参考にならん
ちなみに中国も国内戦だと数十万同士で戦うケースがあるが
対モンゴルや朝鮮出兵みるかぎり10万ぐらい
>ちなみに中国も国内戦だと数十万同士で戦うケースがあるが
対モンゴルや朝鮮出兵みるかぎり10万ぐらい
意外とそこまで多くはないんだな(補給の問題もあるんだろうけど)
隋なんて高句麗遠征で100万程動員してるが、
ああいうのは例外中の例外か
当時の高句麗の人口が100万とか200万とかそんなんだから
基本遠征は現地徴収も重要だからそんなところに
100万の兵連れてったら飢え死にする
明らかに誇張と解るようなオーバーな数字の嵩ましするけど
あれ自分達が後で振り返ったとき困んなかったのかね
まぁ古今東西盛る文化はあるからね
インドとかもひどいらしいし
ヘロドトスもペルシャ兵数百万とか誇張してる
当時の明軍のだめだめ振りと倭寇の日本人の優秀さは戚継光が記している
当時の明軍は表向きは軍戸(軍籍家系)から出来ていたが、
軍役以外の様々な苦役があり逃散していたため、募兵制がとられたが、
応募してくるのは食い詰め人ばかりで、軍隊を救貧院と考えている連中だった。
司令官は世襲制で無能でも司令官についた。
このような烏合の衆から構成される軍隊は数だけ多くても何の役にも立たなかった
戚継光は、募兵基準に、都市民は除外するようにし、
基本的に素朴な農民青年を雇い、倭寇(の日本人部隊)の組織力や武器を研究し
集団戦法と規律を厳格化して倭寇と転任先のモンゴル軍の撃退に成功した。
戚継光の軍隊はあくまで例外であって、
戚継光が否定した「現状の明軍」が明の実態であった一方、
倭寇(の日本人部隊)は当時の武士の軍事力の最低ラインであった
筈なので、明と日本軍の軍事力の差は圧倒的だった
(文禄・慶長の役では明軍の数だけ軍隊もそれなりに効果はあったが)
皇帝は暗君だらけ、宦官による専横、官僚は無能、袁崇煥のような名将を凌遅刑
勝手に自滅したようなもん
本当は明が勝手に自滅したところに清が乗り込んできただけ。
ムガールも大帝国だが流石にスレタイの4国と比べると見劣りするな
サファヴィー朝にもたびたび負けてるし
ムガールが桃山日本より下になるの?
時期的に初期の頃ならそうかもしれないけど
>>43は17世紀のムガールのことをいってるんだろう
秀吉の朝鮮出兵に対する日本vs明の勝負なら、
結果だけを言えば日本側が撤退し明が防衛に成功したので明>日本
同時期のオスマン帝国はキョプリュリュ家の統治が一時的に断絶して混乱
ハプスブルク家・サファヴィー朝との長期戦中で内乱まで勃発
同じくスペインは英西戦争中で、結果的にはスペイン優勢下の引き分け
明と他2国を比較する術がないが、明>日本で構わないだろう
16世紀は世界史として面白い時代だったと思うなぁ
「The Grand Strategy of Philip II」Geoffrey Parker
の202頁に1587-1588年のスペイン軍の兵力の記載があってそれによれば
・スペイン、北アフリカ、ポルトガル
アルマダ乗船 19,000
要塞守備兵 29,000
・イタリア
ミラノ 2,000
ナポリ 3,000+ガレー船22隻
シチリア 2,000+ガレー船10隻
・海外
ポルトガル領アジア 5,000
スペイン領アメリカ 8,000
・ネーデルランド
英国侵攻軍 27,000
要塞守備兵 40,000
合計135,000
砲数2400門のっかってたからな
両軍あわせて4000門ぐらいか
海軍能力は西が圧倒的すぎる
ゆるい海域で大勢の人間を運ぶための船だな
右派的な作家やらが書いた歴史本でも当然のような論調で出てくる
具体的な史料にでてくる数値は大して多くないし
妄想が一人歩きしてる
しかも上にもある通り
大砲がほとんど無いことも考慮すれば
火力は当時の世界の主要国で最小クラスだろ。
信長や九州のキリシタン大名が鉄砲をいっぱい持っているので
日本全国に大名がいっぱいいたので
いっぱいあったに違いないという推測だし。
日本の都市は城壁を築かないのが普通なので
壁を崩すための大砲はあまり必要とされなかった
山がちな地形が重たい大砲の持ち運びを困難にした
硝石を産しないため一度に多くの火薬を用いる大砲の使用は敬遠された
理由としてはこんなところか?
『鋳造工学』第76(2004)巻7号によると、
・日本の鉄は大砲向きじゃない
・輸送経費込みでも輸入した方が遥かに安い
慶長19年(1614年)12月10日、
徳川家康は大坂城の豊臣方に対し投降を促す矢文を送り
11日には
甲斐や佐渡の鉱夫を動員して南方より
土塁・石垣を破壊するための坑道掘削を始めた。
13日
家康は大名一人につき50本の熊手付き梯子を配っている。
更に、船場の堀の埋め立ても命じた。
そして16日から全軍より一斉砲撃が始められる。
北方の備前島だけで大筒100門と石火矢が本丸北側の奥御殿に、
南方の天王寺口からはこれまでの総構から本丸南方の表御殿千畳敷に
目標を変更した砲撃が和議締結まで打ち込まれ続けた。
この砲撃では国友製3貫目の大砲が用いられ、
また芝辻理石衛門が作った大砲が使われた。
この後者は世界的にも珍しい鍛造で作られた鉄製の大砲である。
この大砲の実物は現在、靖国神社の遊就館に奉納されている。
その他、6月頃にイギリスより購入した
カルバリン砲4門、セーカー砲1門や
7日前に兵庫に到着したオランダ製4・5貫目の大砲12門(半カノン砲に比例)
も含まれていると思われる。
この砲声は京にも届き、その音が途切れることはなかった。
こうとして、あと二つは?
日本はパクス・トクガワーナの前段階で戦国の気風もまだまだ強い頃
世界三大パクス
パクス・ロマーナ
元祖ローマの平和。広大な領土に高度な文化、世界史的黄金時代。
偉大な建造物の数々は圧巻。
パクス・アメリカーナ
現代の超大国アメリカ。巨大な軍事力、経済力を兼ね備えた一極体制。
ヨーロッパ諸国を従えた自由主義の覇権は圧倒的。
パクス・トクガワーナ
戦国の勝者徳川幕府。主に日本の関東地域の領土に加え地方大名を統制した。
その威光は琉球から朝鮮まで多大な影響を及ぼすほど。
そこは、パックスタターリカを入れないと。
パクス・ブリタニカがローマと二強だな
あの時代のスペイン方陣無双を考えるに
野戦での威力は大したことないんじゃない?
まともに野戦に使えて威力を発揮するのは
もう少し後の時代だと思うが
大したことないなら使わねーよ
どの国も使ってるんだから威力はある
だいたい日本も朝鮮で苦労してるし
大したことないは言いすぎだが、
火砲の運用がまだ確立していなくて敵への損害が限定的であったことは事実。
テルシオという運用自体が火力が不足してる戦場でしか通用しなくて
それがそこそこ長い期間猛威を振るったということは
欧州式軍隊の野戦での火力はそんなもんだと言うことだ
>>82
百年戦争末期のカスティリヨンの戦いとか火砲活躍しとるじゃん
まだまだ防御的な兵器で塹壕や野戦築城がないと
まともに運用できなかったみたいだけど
テルシオも三十年戦争後半のロクロワの戦いで
フランス軍にボコられて衰退を余儀なくされてる
フランスの軍事革新力はもう少し評価されていいかも
大砲は相手をビビらせる心理的な影響もでかいんだよ
射程距離もずっと長いしな
それに海戦だと大砲が勝敗を決するし
1600年ぐらいだと野戦砲は大陸だと必需品になってるけどね
少なくとも火力が薄かった
テルシオ初期(1500年頃)と比べものにならないと思う
どんくらい効果があるかは正確にはわからんけど
米国は中国と痛み分けに終わってしまい
英国との独立戦争で勝利して以来、
米国にとって歴史上初めて勝利出来なかった戦争となった
世界征服はもはや不可能である、
という現実を米国に最初に突きつけたのは中国だった
あんなん人海戦術で死人出しまくりながら戦ってただけじゃん
仮に中国人全てを兵士にして投入しても
当時の米軍なら余裕で殲滅出来たぞ
世界征服なんて興味ないから割りに合わないと思って退いたけど
暗君のオンパレードなのに約300年も続いたこと
>>103
朱元璋の政治センスが頭抜けているから
あいつ漢民族の復興と見せかけておいて大元ウルスは天命を受けた王朝だから
それを継承するって
平然と言い放って北元をボコりに行きやがったから
王朝初期の遺産が大きすぎる
土木の変のエセンにしろ庚戌の変のアルタンにしろ大元ウルスよりかは小物だ
資料によると、戦国時代の宣教師、
日本と対峙した明兵に始まり、
日露戦争のロシア人、大戦中のアメリカ兵と時代が変わっても
「日本人の兵士と近接戦闘は絶対にするな」と言う記録が残ってるね
明、宣教師の方は:
我が国だとそれぞれ武器によって兵の役割を変えているが
侍は全てを我が国の一流の兵士の如く使う。
銃を使わせると末端の兵士が狙撃手並だ。
やっとの思いで接近すると、今度は異常に切れる刀を使い
横に素早く跳躍して見えない所から襲ってくる。
ロシアだと:
小男だと思っても接近戦はしてはいけない。
不思議な術で倒されて喉を一突きにされてしまう。
(この経験から柔道、合気道を徹底的に研究してコマンドサンボが生まれた)
アメリカは資料ビデオ作って流してた。
航空戦力がメインだったけど、どんなに少数でも相手を侮って近寄らずに
日本兵が死に絶えるまで爆撃と艦砲射撃しろって内容。
射撃が下手、奇襲に頼り過ぎだとかなんとか
>>109
それ、アメリカ軍の報告書をまとめた奴だったけ?
軍板の方ではあの本色々異論が上がってたような・・・
スペイン
膨大な植民地を擁する日の沈まない帝国。
海では無敵艦隊、陸ではテルシオと最強の戦力を率い世界制覇へ邁進する。
オスマン
史上最大のイスラム帝国。
先進的火器武装に加え、最精鋭たるイェニチェリは世界最強に相応しい。
明
圧倒的人口を抱える中華帝国。
洪武永楽の栄光に比べると劣るものの、未だ他国を凌駕する大軍勢は健在。
日本
朝鮮に大遠征を繰り出し、圧倒的攻撃を見せつけ撤退した最強の侍帝国。
秀吉病死によって夢と終わったが、
欧州をも征服する力を秘めていたと言われることもある。
16世紀~17世紀初頭でいいのか?
カール5世の時期とフェリペ2世の時期とで
スペインの評価が分かれそうなんだが
スピノラ登場はフェリペ3世までずれこむし
他文明から超絶してしまう
もはや武器を輸入するだけでは追いつけない壁
イタリアの第一次エチオピア戦争を見ても同じことが言えるかな?
実際その頃の戦いで
「オーストリアは射撃のスペシャリストが揃ってるのにうちは」
って司令官が嘆いてるからな
射撃のスペシャリストってことは猟兵のこと?
一応ヤーゲル銃はその頃には生産されてるけど