実朝への忠信の表明と政子が義理を感じるという伏線なのかな
政子→義時は先週から少しずつ不信感募ってるよね
今回のサブタイのセリフを誰が言うのかと思ったら普通に実朝だった。
義盛は首桶にならなかったし今年の大河で首おけの出番は終了かな。
願わくばそうであってほしいけど少なくとも3人くらい首桶候補が残ってるかな。
>>56
宗時が観音様取りに行って戻ってこれなかったというエピの回収では
>>57をさらに補足すると
武士の頂に立つといった宗時は(生を司る)観音様を取りに行って生還できなかった
武士の頂に立つとは言ってないものの頂に立つ者の傍に影のように付き添う広元は
(死を司る)ドクロを取りに行って生還した
そういう意味かと思った
京で自分の前に首桶が並べられて泣きそうになる泰時は有るかもしれないw
大江が政所に書物等を取りに行ったという記述が実際あるらしい
髑髏にしたのは三谷の脚色
トキューサが鍋ダレのCMに出だすと冬を想起させる
>>65
貴重な資料書物を取りに行ったついでにドクロも取りに行ってたって話しじゃね
あのタレが鎌倉時代にあれば
のえさんもキノコ美味しく食べられるのに
ニュース
わざわざ入れたからには今後のエピソードを固めるためもあるはず
やはり政子の信頼を深めていくことかと思う
義時に懐疑的になっていくのと対照的
以前の伏線回収かつ今後の伏線ってのはそうだろうね
なにしろ女装エピも現状2勝1敗だし。
もう一回くらいコスってくれることを願ってますw
確かに若い頃は大勢を切り伏せる仕置も少なくなかった
あの行動は酒の力を借りていた~?
たぶん、大江広元無双シーンは~
吾妻鏡では合戦二日目に泰時の家臣が実朝のところに芳しくない戦況報告をしに行ったらそこには大江広元、義時もいて大江広元が「よし、神頼みしよw願書書くから実朝の和歌を添えて神社に捧げて来てくれ」と。すると同時期に和田方の土屋義清が鶴岡八幡宮のある北側から飛んできた流矢に当たって死亡。神様のおかげと噂立つ。
流矢>神のおかげ>神頼み>大江広元
戦況をひっくり返したターニングポイントが大江広元の神頼み作戦だったとも言えるのでそのオマージュかwww
土屋義清は佐奈田与一の弟で岡崎義実の子供。岡崎義実は三浦義明の弟なのでまぁ、和田一族同様の猛者だったと言える。石橋山の戦いで佐奈田与一を殺した長尾定景(公暁も仕留める)の一族と土屋義清は和田合戦で対戦してるが長尾定景の弟の子供(だったかな?)の勇気に免じてこの子供を見逃している。
(長尾定景は頼朝のお気に入りだった佐奈田与一を殺したがために頼朝に終生恨まれ御家人になれなかったんじゃね?とは個人的感想)
石橋山に参陣ということは公暁追討の時は相当な爺さんなのか。
それで出陣を渋ったんだな。
そんな老人に押し付けた三浦義村の意図もいろいろ考えさせられる。
>>72
義村よりはおっさんだと思うが同じく石橋山の戦いに参戦した義時と近いかもしれない。まぁ、討手として送り込まれる年齢ではないねw(義村から見ても強いってことなんだと思うが、最大の理由は三浦と血縁ではない家人だからか)
石橋山で敗北後岡崎義実に預けられ、そこで念仏ばかり唱えていたら義実に感心され、頼朝に許され三浦の家人になれたという経緯があるそうな。
長尾は岡崎に足向けて寝られないくらい恩があるのだが、三浦の裏切りに付き合って和田合戦でも敵。しかもまた情けをかけられた。
吾妻鏡に長く登場する猛将爺筆頭は加藤景廉かな。為朝の首を取り石橋山の戦いも参戦。仁田忠常の首を取り承久の乱では長老としてお留守番。その年の夏に死去。
頼朝が鎌倉に戻ってきて大庭景親を破ったあとにそこで囚われて岡崎義実の預かりとなったんだね
・政治に無関係な中下級武士層を作ったのは鎌倉幕府の大きな功績
・北条鶴太郎は得宗なんて無理なのにやらされてかわいそうな面もある
・実朝の人上手だ。声がしっかり通ってて、演技にも違和感がなくて良い
・第41回「義盛、お前に罪はない」のMVP
・巴御前が凛々しくて良かったわ!しかもスゲェ長生きしたんだな!
・「政を行うには力が必要」を実朝なりに理解したんだろうな
・主君をガン無視した義時と義村の行動は有り得ない
・頼家に「父を超えるには人を信じて見ること」とか言ってたのに
・史実の和田ってどうなの?ちゃんと優良な人間で慕われてたの?