春秋 戦国

【春秋戦国時代】統一された中華と統一されていないヨーロッパの比較

277: 名無し 2019/01/02(水) 00:41:11.87 0
燕、斉、晋は異民族の侵入を防ぐためにもうけられた辺境伯か。

278: 名無し 2019/01/02(水) 02:58:24.30 0

>>277
斉は協力的だった東夷でしょ

太公望の先祖の出身は山東だし

 

283: 名無し 2019/01/02(水) 14:28:10.22 0
>>277
それは斉ではなくて魯だな

ニュース


280: 名無し 2019/01/02(水) 11:50:12.55 0
燕周辺は秦や晋と反対に元々夏華族農耕民の土地だったのが
気候変動で時と伴に段々遊牧民が入り込んで来た

 

284: 名無し 2019/01/02(水) 16:58:55.79 0
燕は周の王族が燕侯に封建され建てられた国
まあ燕が建てられた頃にわ既に遊牧民の多い土地に成ってたが
商代以前は以っと温暖で降水量が多く農耕で暮らして居た地域

 

286: 名無し 2019/01/02(水) 17:31:08.96 0
住んでる鮮卑が農耕遊牧民だからな

 

287: 名無し 2019/01/02(水) 17:43:54.73 0
周自体がもともとは遊牧民だったしな
伝説だと古公亶父の頃に定住したことになってるが
実際は文王か武王あたりだろう

 

290: 名無し 2019/01/02(水) 18:39:22.49 0

>>287
いくら古代文明があったといっても、
先進都市国家を除けば、基本的に原始人の世界だからな

中原にも狩猟採集民が少なくない

 

296: 名無し 2019/01/02(水) 22:22:28.23 0

>>290
北狄や西戎は狩猟採集民ではなく遊牧民だし
決して原始人ではなく都市国家を持たない以外は夏華族と同じか
もしくはそれ以上ともいえる

例えば
西戎の甘粛省磨溝遺跡や新疆の盆地洋海遺跡から
少なくても紀元前14~11世紀には
鉄器文化に移行していて中原よりずっと早い
北狄もスキタイの影響を受けて
紀元前11世紀には綏遠青銅器と呼ばれる青銅器文化を形成している

 

298: 名無し 2019/01/02(水) 23:39:59.82 0

>>296
そりゃ、中央アジアや北アジアは、西アジアとつながってるからな

ペルシャやアッシリアの文明を取り入れた彼らのレベルは、中華より進んでた

 

300: 名無し 2019/01/03(木) 00:29:01.15 0
>>296
そもそも華夏族という存在が学術的じゃないんだがな

 

288: 名無し 2019/01/02(水) 17:49:06.20 0
周は落下傘組で農耕民が周辺の牧畜民を征服したパターン
北京とか遼西の辺りわ逆で気候が変わって遊牧民が南下して来たパターン

 

291: 名無し 2019/01/02(水) 19:16:40.51 0
周がフランク王国みたいなもんだな
自身は異民族系でありながら
他の異民族を征服したり自国の伯を入植させて文明化させている

 

292: 名無し 2019/01/02(水) 20:19:03.29 0

文字も記録も無かった、大倭国を簒奪した日本国と違い
燕は周の王族が侯に封建され建てられた方谷だと記録されてる

狩猟採集民などという非効率な存在わ
不毛な山岳地等を除けば歴史以前に消滅してる

 

293: 名無し 2019/01/02(水) 21:25:46.24 0
>>292
えーと?燕は召公セキの長男の封じられた土地で
召公セキって後の関中、今の西安周辺の有力者で周の王族ではないよ?
史記だと姫姓としてるけど史記以外の資料で姫姓でないことが確認されてるし

 

294: 名無し 2019/01/02(水) 22:01:05.52 0
召公奭って神話上の人物だろ?と思ったら
当時の金石文が出土してて実在が確定してるんだな
ただし姓は姞で周王と同姓ってのは権威付けのための後の創作だろう

 

297: 名無し 2019/01/02(水) 22:42:50.42 0
紀元前11世紀にわ未だスキタイわ存在すらしてないww
綏遠文化の方が成立が早い上に墓制も東から西へ伝播している

 

299: 名無し 2019/01/02(水) 23:41:22.95 0

紀元前14世紀だったら、ペルシャもアッシリアもまだ無いけどな

メソポタミア文明か

 

301: 名無し 2019/01/03(木) 01:11:19.53 0
アッカドもバビロニアも北と西の蛮族に滅ぼされてるんだけどなw
而もスキタイわ北アジアのトルコ人に追われたマサゲタイに追われて玉突きで西へやって来た
当該時期の進んだ技術と文明の伝播は東から西

 

302: 名無し 2019/01/03(木) 02:15:49.11 0
>>301
インドとペルシャ辺りが文明一番高くて
後はその東西の文明圏に流れてるんだけどね

 

303: 名無し 2019/01/03(木) 02:28:53.21 0
>>302
メソポタミアがダントツに進んでたんじゃねーの?
インドなんか自分たちの歴史を記録しておく慣習がなくて
研究が大変らしいじゃん

 

304: 名無し 2019/01/03(木) 02:34:58.60 0

>>303
インドは研究大変だけど少なくとも他地域に先駆けて
思想哲学の発展が早かったのはわかってるのよ

あとはメソポタミアはペルシャに含んで考えてたよ

 

315: 名無し 2019/01/03(木) 15:37:20.86 0

>>303
「歴史記録」の豊富さを文明レベルの証とする発想自体が儒教的な発想だけどな
例えばアケメネス朝ペルシャは体系的な歴史書がまったくと言って存在しない
ペルシャから見て後進未開部族に過ぎなかった古代ギリシャや属州の一つでしかないイスラエル王国のほうがまだ史料の残りが良い

考古学の三時代区分法によれば
古代インドは後期ヴェーダ時代に鉄器時代に移行してるのに対して
一方中国における鉄器時代は紀元前7世紀の春秋時代中期にあたるのだから
400年ぐらい文明レベルはインドのほうが先行していたことになる

 

309: 名無し 2019/01/03(木) 08:36:50.81 0
少なくとも隋唐あたりまでは、どうみても文明度では西高東低だな

 

311: 名無し 2019/01/03(木) 08:41:44.94 0
>>309
隋唐で無く周までな
秦漢に成ると東アジア>オリエント>欧州

 

321: 名無し 2019/01/03(木) 19:41:17.15 0
中国が分裂状態のまま行くのは地理的に無理
中原はあまりにも守るに難しな地形でどこかが必ず統一してしまうし
豊かな中原を取ってしまえばいずれ江南も巴蜀も統一されてしまう

 

322: 名無し 2019/01/03(木) 19:52:48.90 0
>>321
平原が広がっているヨーロッパですら完全統一されたことは一度もない
割と山岳地帯の多い中国だと統一されないこともありえた

 

323: 名無し 2019/01/03(木) 20:18:12.03 0
>>322
いやそれは違う
ヨーロッパはアルプスやピレネーやライン川に分断されて
どこか一強と言える様な地理的まとまりに欠けた
それに対して中国は黄河流域さえ押さえれば他を圧倒できる

 

327: 名無し 2019/01/03(木) 21:03:12.07 0
>>323
本当の意味で統一されたことがないのはライン川を越えてからのみ
ヨーロッパで本格的統一国家がローマ以来現れなかったのが不思議な気はする
中国の場合とっくに江南が魏晋南北朝時代には経済的には華北を超えていたが
統一王朝は明だけだったのは基本的には豊かでない方が富の強奪をするから
征服王朝の原理もコレ

 

328: 名無し 2019/01/03(木) 21:20:07.03 0

>>327
クレフェルトの補給戦読めば欧州の補給情勢が良くわかるよ

中華王朝が統一し易い理由もこれを援用すると簡単に説明できる
まあ河川交通です

 

332: 名無し 2019/01/03(木) 22:25:23.19 0
>>328
古代には河川交通という概念はほとんどなく隋代に入ってからではないのか
始皇帝が表れても斉が健在ならば韓を征服した時点でヤバいと思い
たちまち5か国連合で秦を僻地へ追い返すが天然の要害で滅ぼすには能わず
とにかく統一したとしても大幅に遅れたのは間違いないだろう
斉も燕を属国にするのではなく完全に併合すべきだった

 

333: 名無し 2019/01/03(木) 22:39:05.16 0

>>332
勘違いしてる人が多いけど水経注なんかを見てもわかるように
古代から中原は黄河やその支流とか色々あって河川交通が発展してる

始皇帝は戦国の統一後に各地に道路通すだけでなく運河を掘ったりもしてるように
昔から運河って重要視されてるよ

 

324: 名無し 2019/01/03(木) 20:40:27.16 0

加えて隋の南北を繋げた大運河が統一病を決定的にしたな

とは言え南宋がモンゴル軍を凌いだように襄樊さえ確保してると
南も相当持ちこたえられるけど

 

325: 名無し 2019/01/03(木) 20:43:46.35 0
南船北馬という言葉も中華帝国統一の過程から生まれた経験則なんだろうな

 

326: 名無し 2019/01/03(木) 20:54:51.22 0
>>325
あ、それ淮南子だから全然違う

 

329: 名無し 2019/01/03(木) 21:24:13.91 0
ヨーロッパはローマ法王を皇帝、各国の王侯貴族を諸侯と考えれば
ずっと統一されていたともいえるけどな
イスラムやモンゴルといった「異民族」に関しては
実質一つの文化圏として対応していたし

 

330: 名無し 2019/01/03(木) 21:52:43.11 0
>>329
教会自体が東西分裂したし
その後宗教改革も起こったから
それはあんまりない

 

338: 名無し 2019/01/04(金) 00:19:02.28 0
古代からの農耕文明地で河川水運利用してない地域なんてなかろ
鉄道の発明まで、物流の基本は水運やで

 

339: 名無し 2019/01/04(金) 01:34:27.49 0
>>338
中央ユーラシアは水運よりは陸運メインだけど
交易路の中途や終端で水運に接続はしてるね

 

345: 名無し 2019/01/04(金) 18:58:41.79 0
長江三峡、三門峡、剣閣とか統一したい病を患ってない限り
こんなとこ通ろうとは普通は思わんで

 

348: 名無し 2019/01/04(金) 20:30:10.98 0
>>345
内陸に向かうための交通の要衝だろ
抑えて関所作って通行料取れる

 

346: 名無し 2019/01/04(金) 20:17:44.19 0

塩と鉄を始めとする、産地の限られた生活必需品

これらを内陸部を含む全土に流通させる
全国的な安定した商業ネットワークが必要だ

ゆえに、統一に対するニーズは常に高かった

 

350: 名無し 2019/01/04(金) 20:43:29.74 0

>>346
全土に流通させるニーズは存在してないというか「全土」という概念がない
特に周には参加してなかった地域まで含んで統一という形にしたの始皇帝以降でしょ

秦からしたら本来関中で完結できるだけの産物も生産力もあったし
ニーズが統一を生んだのではなく統一がニーズを生んだという方が正しい

 

352: 名無し 2019/01/04(金) 21:50:26.87 0
>>346
鉄は東西南北何処でも産出してた
塩わ偏ってるけど蜀や梁が大産地だし
ちょっと前に話題出たオルドスも塩の産地だからそこ迄でも

 

347: 名無し 2019/01/04(金) 20:19:18.73 0

古代の華北は森林に覆われていたが、自然破壊が進んで草原や砂漠に変わった

平坦な草原地帯ほど、統一しやすい地形風土は他にない

 

351: 名無し 2019/01/04(金) 21:36:46.31 0
華北というか関中ね、華北平原は古代の時点で既にかなり森林消失してる
関中は古代から隋唐に掛けてゴソット消失した

 

353: 名無し 2019/01/04(金) 22:21:58.77 0

地図を見て、黄河や長江から離れているからといって
「川沿いの地ではない」と判断してはいけない。

黄河の沿岸は、洪水が多くて流路がよく変わる上に、
侵食で切り立った崖になっている。
このため、人が住むのに適した土地ではない。

都市はたいてい、黄河ではなく、支流の沿岸にある。

 

354: 名無し 2019/01/04(金) 22:42:15.56 0
都市国家は山麓に多い

 

355: 名無し 2019/01/04(金) 22:54:31.08 0

古今東西の侵略はたいてい、北から南へ、高地から低地へと行われる。
古代中国の場合は、西の黄土高原から東の華北平原へという、
高いところから低いところへの侵攻が基本パターンとして続いた。

この2つの間には、長大で峻険な太行山脈がある。
太行山脈と黄土高原の間には細長い盆地があり、それが山西省の晋。

 

358: 名無し 2019/01/04(金) 23:23:56.93 0

>>355
秦の統一は西進してるけど逆に秦末漢初で秦楚の争いは楚が秦に攻め込んでる
楚漢抗争に入ると関中から侵攻してる
後漢は中原を制した光武帝が関中に攻め込んでるね
三国魏の制圧も中原から関中に向かってる

それ別に基本パターンじゃないんじゃないの?

 

361: 名無し 2019/01/05(土) 01:04:47.07 0

>>358
周が殷を滅ぼす
秦が他国を滅ぼして統一
漢が他国を滅ぼして統一
曹操が袁紹を滅ぼして華北統一
北周が北斉を滅ぼして北朝統一
唐の李世民が王世充を滅ぼして華北統一

・・・と、大きな歴史の節目で
西から東というパターンが繰り返されている

例外がないとは言ってない

 

363: 名無し 2019/01/05(土) 01:22:23.43 0

>>361
曹操が袁紹を滅ぼして華北統一したのって西から東じゃないぞ
南から北だぞ、適当な事言い過ぎ

北から元が来て南から明が来たりもするし北から南に攻めた清は
次に西に攻め上って最大版図を実現したり

北から南、西から東というのは、全然基本じゃないんだよ

 

365: 名無し 2019/01/05(土) 06:44:24.16 0
>>363
隋唐までは西高東低のパターンが繰り返されてきたが、
元・明・清あたりでは西の存在感が薄れ、
侵略は「北から南へ」というのが基本パターンとなる

 

368: 名無し 2019/01/05(土) 13:44:46.00 0
>>365
逆のパターンも何度も起こってるので
「繰り返された」って強調できるもんでもないでしょ

 

370: 名無し 2019/01/05(土) 16:11:37.50 0

>>368
だから、あくまでも「基本パターン」なんであって、
「例外なく全部そうだ」とまでは言ってないじゃないの(笑)

周、秦、漢、北周、隋、唐と、唐宋変革期以前の主要な王朝は、
どれも基本的に「西」の勢力なんだから
そこに無理なくパターンを見出だせる

 

379: 名無し 2019/01/05(土) 19:55:59.95 0

>>370
だから基本パターンと呼べるほど基本的な動きじゃないって言ってるんだが

基本だと言うなら秦が西から攻めて統一した割とすぐ後の時代に
楚が東から西へ秦を攻めて滅ぼすなんておかしいし

次の戦乱からの統一王朝樹立も中原から西へ関中、蜀に攻め込んで統一
後漢末の魏も東から西の動きで勢力拡大してるだろう

西からは遊牧系のユーラシアの民族が雪崩れ込む場所だから
晋以降の時代に西から、北からって形が目立つけど
それ以前の歴史は基本ではないとでもいうの?

 

382: 名無し 2019/01/05(土) 22:12:48.38 0

>>379
いやいや、西から、北からってのは、それ以前から目立つ形だよ

なにせ、周・秦・漢・北周・隋・唐と、主要な王朝がそのパターンだからねえ

あくまでも「基本パターン」であって、全部がそうだと言ってるわけじゃない

 

391: 名無し 2019/01/05(土) 23:13:56.30 0

>>382
周 西→東
秦始 西→東 後に南→北
項羽 東→西
前漢 西→東
後漢 東→西
曹魏 東→西 後に北→南

上古までを東西の形で見るとこんな感じで別に目立ってないよね
春秋の強国で見ていくと南北対立の形を取ってるからそこまで東西関係ないし
むしろ楚の侵攻を中原の勢力がどう対抗していくかという歴史だから
形の上では南から北へ侵攻していた時代と言える

統一王朝で見てくと傾向としては
晋 北→南
隋 北→南
唐 北→南 統一後は南から北 東から西へ勢力伸長
宋 北→南
元 北→南
明 南→北
清 東→西かつ北→南

統一王朝の大半を占める北から攻めて統一するパターンの内、漢人の国は宋だけ
要するに「遊牧民は強い」って話で西から東は基本ではない

 

394: 名無し 2019/01/05(土) 23:26:11.11 0

>>391の漢人の国云々は晋もそうだね

色々書き足してったら何故か晋が落ちてしまったので追記しとくね

 

401: 名無し 2019/01/06(日) 03:18:21.87 0

>>391
唐の李淵が旗揚げしたのは太原だけど、
長安を急襲して乗っ取ってからが本当のスタート

西に長安の李淵・李世民、東に洛陽の王世充や、
北京・南京の勢力というのが、隋末唐初の群雄割拠図

やはり、その数十年前の北周と同様、
天然の要害を活かして国力の劣勢を凌ぎ、東の諸勢力を滅ぼした

 

402: 名無し 2019/01/06(日) 03:29:47.45 0

>>391
いやいや、そういうことじゃないんだな

西の周と、東の殷
西の秦と、東の六国
西の漢と、東の楚を始めとする復活六国
西の北周と、東の北斉
西の唐と、東の王世充を始めとする群雄

・・・という具合に、何百年も続いた群雄割拠が終わるときや、
何百年も続く長期王朝が登場するといった歴史の節目には、
なぜか上記のような東西対決の構図となり、
西の勢力が勝つというパターンを繰り返してきた。

たいてい、国力は東のほうがもともと上なのに、
劣勢な西が最後に勝利するというのが多い。

全部がそうだっていうわけじゃないんだが、
ここぞというときは、いつもそうなんだよねえ。

 

404: 名無し 2019/01/06(日) 03:56:58.39 0

>>402
補足しとくと、ここに挙げた「東西対決」の例は、
どれも、中国の時代劇には欠かせない大人気テーマばかり。

当方は中国の時代劇が好きなので、
周の武王の東征とか、隋末の群雄割拠とか、北周・北斉の東西対決とか
・・・を見慣れている。

いつも東西対決の緊迫した状況で、
地力に勝る東側を、最終的には西側が逆転勝利するパターン。

マジメに歴史を勉強してきた人ほど反例を出したくなるのも分かるけど
こればっかりは、感性の問題でしょうな(笑)

 

371: 名無し 2019/01/05(土) 16:30:58.35 0

華北平原は、面積も人口も、ちょうど関東平野を十倍にしたイメージ

ここが統一されるのは時間の問題

南は山岳地帯が多くて、なかなか統一しにくい

 

372: 名無し 2019/01/05(土) 16:36:23.35 0

華北平原は、黄河が作り出した巨大な扇状地。

扇のカナメあたりに位置するのが洛陽や開封で、
開いた扇の両端あたりに北京と上海がある。

華北平原の面積は、日本より少し広くて、フランスよりは狭い。
ここに、4億人の人口が集中する。
インドのガンジス川流域に次いで、
世界で2番目に極端な人口過密地域だ。

 

373: 名無し 2019/01/05(土) 16:47:46.15 0
広大で平坦で、森林も乏しい。
内陸部
と比べたら緑は多いが、日本人の目から見ると、
上海ですら、ちょっと郊外に行ったら赤茶けた乾燥地だ。これほど騎馬軍団にとって征服しやすい地形・風土もない。
ただし、日本と違って河川がバカでかいから、騎馬で越えるのは難しい。

 

374: 名無し 2019/01/05(土) 17:44:29.53 0
今の環境をそのまま当時に投影しても意味ないで
殷代の頃は黄土高原も象や犀が生息していたようなジャングル地帯だし
統万城の発掘調査から紀元5世紀に入っても
内モンゴル付近まで森林地帯だったことがわかってる

 

397: 名無し 2019/01/06(日) 00:40:29.62 0

>>374
古代の黄土高原は熱帯か亜熱帯だったのか
だとすると日本も暑かったんだろうな

夏王朝って昔は暑かったから「夏」って名前だったのかな?

 

375: 名無し 2019/01/05(土) 18:27:03.15 0
言語も今でいうベトナム語やタイ語に似ていた
タイムマシンで3千年前の中国に行ったら、東南アジアだと思うだろうな
それは日本も同じだけど

 

378: 名無し 2019/01/05(土) 19:32:55.28 0

上海が黄河扇状地の端ってどんな地理的概念やねん、と

黄河よりはるかに大きな大河長江はどこ消えた

 

381: 名無し 2019/01/05(土) 22:09:09.04 0

>>378
それは、地形図を見るしかない

黄河は長い間に流路を大きく変えており、
下流で長江に合流していたこともあった

 

392: 名無し 2019/01/05(土) 23:23:05.10 0

>>381
だから、上海は長江三角州の都市であって、黄河の影響じゃねえ
黄河の流路は度々変わっているけど、その影響を受けるよりはるかに新しい土地なんだよ

黄河の影響はそれよりはるかに北の地形(淮河の北)までやねん

 

383: 名無し 2019/01/05(土) 22:18:13.55 0
参考までに3D地形図
no title

 

386: 名無し 2019/01/05(土) 22:41:27.82 0

斉や魏が天下統一しても不思議はなかった

でも、函谷関や潼関を突破して秦を滅ぼすのは至難

 

387: 名無し 2019/01/05(土) 22:43:30.26 0

遥か後の時代にも、西の北周の国力は、東の北斉に大きく見劣りした

しかし、最後は天然の要害に守られ、北斉の攻撃を凌ぎきっている

 

388: 名無し 2019/01/05(土) 22:44:56.98 0
曹操も、馬超が率いる関中連合軍に苦戦した

 

389: 名無し 2019/01/05(土) 23:01:53.07 0

函谷関の高さは66メートルで、「赤坂ツインタワー」くらいの高さ

古代人にとって、見ただけで圧倒されるシロモノだったのは確実

no title

 

390: 名無し 2019/01/05(土) 23:03:11.60 0
このビルの壁にハシゴをかけて、屋上から矢が雨のように降ってくる中をよじ登るとか、もはや人間の根性でできることではない

 

395: 名無し 2019/01/05(土) 23:30:53.11 0
函谷関は漢代の祁山堡と同様、山をそのまま削り取って城壁としたもの
現在復元されている函谷関の後ろに見える開墾されて段々になった山こそが本来の函谷関の残骸

 

405: 名無し 2019/01/06(日) 04:03:05.73 0

はっきり言って、西の黄土高原は貧しい。
東の華北平原に、国力ではかなわない。

しかし、東から西に攻め込んでも、なかなか勝てない。
西の地形は山あり谷あり、デコボコで、最終的な勝利をおさめるのが難しいからだ。

そうこうしているうちに、西が逆転勝利する。
いつも、そのパターン。

 

408: 名無し 2019/01/06(日) 04:41:19.94 0

中国人は、華北の覇権をめぐる東西対決の話が大好きだ。

隋末唐初がいい例で、たいてい、
西の長安の李世民と、東の洛陽の王世充の対立が、
群雄割拠ストーリーのメイン。

実際には、復活した南朝の蕭銑を倒すほうがよほど大変だったと思われるのだが、そこは省略されることが多い。

 

411: 名無し 2019/01/06(日) 10:13:21.06 0

斉は東帝、秦は西帝を称して並び立つほど、二強だった時期もあった

斉は、燕の楽毅が率いる6カ国連合軍によって、滅亡寸前まで潰れかけた。

秦も、魏の信陵君の5ヵ国連合軍に攻められたが、なんとか凌いだ

ここで生き残った秦が天下を取った

 

412: 名無し 2019/01/06(日) 10:14:17.01 0
その後は、秦と楚の南北二強時代になった

 

413: 名無し 2019/01/06(日) 10:15:28.47 0

楚の領土は、他の6カ国を合わせたより広かった

単独でヨーロッパ全土、インド全土に匹敵した

 

414: 名無し 2019/01/06(日) 10:19:15.55 0

後には中国経済の心臓部となる長江下流の三角洲が、この頃はまだ開発途上

それでも、楚の国力は大きかった

 

415: 名無し 2019/01/06(日) 10:37:09.61 0
そこまで広くは無いよ、秦を除いた五国と比べてどうか

 

417: 名無し 2019/01/06(日) 14:15:35.28 0

>>415
そうなのか

やはり、キングダムの読みすぎは良くないな(笑)

 

416: 名無し 2019/01/06(日) 13:28:28.52 0
あの時代の兵隊は小作農だろうが、、、
あんなバカスカ徴兵して生産性落ちなかったんかね魏とかは

 

433: 名無し 2019/01/06(日) 18:20:49.79 0

>>416
大土地所有がそんなに進んでたとは思えん

そもそも農地の貨幣売買が行われてたんだろうか?

 

418: 名無し 2019/01/06(日) 14:20:18.46 0

キングダムでの、楚の超大国ぶりは異常

しょせん、マンガだからな

 

422: 名無し 2019/01/06(日) 15:44:00.67 0

>>418
所詮マンガだし上で中国人が好きな構図ってのも所詮お話の構図に過ぎないから
ちっとも歴史的じゃないんだよなぁ

東西対立の形を好むのって南北の形になってしかも毎度のように北が勝って
しかも北方民族系が大半で被支配民族として漢民族が暮らしてきた事を思い出したくないんだろうなぁ

 

423: 名無し 2019/01/06(日) 17:03:59.78 0

>>422
そういうのはあると思うけどな

西の内陸部は、いまじゃ良いところのないお荷物地域だし

 

432: 名無し 2019/01/06(日) 17:57:12.30 0

>>422
宇文や段、赫連、呼延、慕容、独孤も今では漢族だし

日本人が隼人や蝦夷をあくまで自国民の歴史として見做すのと同様
あちらの人は鮮卑や匈奴とかもあくまで異民族じゃなくて
先祖の一つ程度に思ってるみたいよ

 

438: 名無し 2019/01/06(日) 18:46:26.84 0

>>432
そりゃ漢字で記録残ってて近くに居たら大体お仲間漢族認定してるだけの
ひっじょーに政治的な話で学術的な判定じゃないからな

そんなの基準になるわけないでしょうに

 

439: 名無し 2019/01/06(日) 19:08:00.11 0

>>438
中国の民族認定は基本自己申告じゃなかった?
それらの人々が自分を漢族とみなしてるんでしょ。

ていうかさ、中原に入って1000年以上経過してるような人たちが
未だに同化していないと思える感覚が分からん。
ノルマン・コンクエストでイギリスに入ってきたノルマンフレンチ貴族の子孫で今でも「ド・○○」って家名の貴族はいるけど、そいつらが今もフランス語で話してると思うか?

 

441: 名無し 2019/01/06(日) 19:13:43.14 0

>>439
うん?そういう民族意識がどうこう言ってるんじゃなくて
本来違っていた民族を政治的に同じ漢族認定してる政治的な認定って話なんだけどなぁ

フランス民族は存在しないのと本来同じようなもんだよ
漢族なんてなくて複数の民族的ルーツを持った人々が漢字文化を共有して漢人と呼ばれて来たのを民族扱いしちゃってるのがまたね

 

444: 名無し 2019/01/06(日) 19:25:54.68 0

>>441
いや、現代において民族意識が共有されてれば、
普通に民族と言って間違いないでしょ?
それは多様なルーツの存在を否定するものじゃないよ。
民族は超歴史的概念じゃないんだから。

あと、唐は浸透王朝にも入らないんじゃないかな。
遠祖が北方系というだけで文化的二元性の要素がほとんどみとめられないし。
異を唱える人もいたけど、定説にはなってない。

 

424: 名無し 2019/01/06(日) 17:05:31.34 0

西高東低から、東高西低へ

これが、中国文明史の最も大きなトレンド

 

427: 名無し 2019/01/06(日) 17:11:24.47 0
>>424
元から東高西低
北高南低が南高北低に変わったのが中世

 

425: 名無し 2019/01/06(日) 17:05:31.55 0
そりゃ南わ海だからな、襲って来るとしたら魚人しかいない

 

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