中世欧州

【ヴェルダン条約】イタリアが大航海時代に乗り遅れた理由【メルセン条約】

2022年8月21日

189: 名無し 2020/03/11(水) 14:54:41.51 0

世界史の話に戻すけど

イタリアが大航海時代に乗り遅れた理由として、イタリア諸国は自分たちが直接事業に乗り出すよりも、他国の国王にリスクを背負わせて、利息を手に入れるほうが安全だと考えていて、コロンブスに直接資金を提供することなど考えてもみなかったことがあげられる

 

200: 名無し 2020/03/14(土) 11:47:18.67 0
>>189
先に上陸して、
インディアンに銃を売ってほしかったな

ニュース


198: 名無し 2020/03/14(土) 10:54:40.56 0

中国の歴史を見ると、しょっちゅうモンゴル人に攻め込まれる日々が、千年も二千年も続いている。
インドの歴史も、中央アジア人に攻め込まれ続ける歴史だ。

でも、イタリアがゲルマン人に攻め込まれた回数は、おそらく、さらに多いのではないかと思われる。
歴史には、数えきれないものがいくつかある。
「ゲルマン人がイタリアに攻め込んだ回数」も、そのうちの1つだ。

 

199: 名無し 2020/03/14(土) 11:21:18.46 0
ゲルマン人よりケルト人に襲われたことの方が多そう

 

201: 名無し 2020/03/14(土) 14:18:40.24 0
南からイスラム教徒に攻め込まれた回数も多いけどな

 

209: 名無し 2020/03/19(木) 23:08:11.17 0
フランク王国の三分裂からオットー大帝に征服されるまでって教科書でも全無視されてるけど、誰が支配してたん?

 

210: 名無し 2020/03/19(木) 23:43:10.04 0
教皇やサラセンなどが分割支配

 

211: 名無し 2020/03/20(金) 05:24:29.81 0

高校は3年間しかないし、世界史の他にもやるべきことが山ほどある

さすがに、中世ヨーロッパを深く探求してるヒマなどない

 

212: 名無し 2020/03/20(金) 08:33:06.19 0
だから、高校の教科書では、「カール大帝」から「オットー大帝」までが、ほぼ空白

 

213: 名無し 2020/03/20(金) 12:44:29.96 0
意外とその辺が面白いのになぁ

 

214: 名無し 2020/03/20(金) 19:56:19.90 0
ベレンガーリオ1世ってのが有名なんだってね
あとマジャール人騎兵も傭兵として雇われてたとか

 

215: 名無し 2020/03/20(金) 20:02:42.64 0
十字軍以前は、普通にサラセン人傭兵がフランクとかにもいたよ

 

216: 名無し 2020/03/21(土) 21:02:46.78 0
フランク分裂のヴェルダン条約とメルセン条約は高校の教科書では重要項目だからオットーやカペーまでの1世紀がスコンと飛んでる事になるのか

 

217: 名無し 2020/03/22(日) 08:53:51.10 0

イタリア(中フランク王国)は、メルセン条約でアルプス以北の領土を失った

「イタリア」の原型ができたのは、この時だったと考えられる

 

219: 名無し 2020/03/22(日) 12:27:40.30 0
>>217
この時期位から、俗ラテン語から分離してイタリア各地にて、今に至るまで差異のある言語になったしね

 

218: 名無し 2020/03/22(日) 11:33:31.87 0
ブルゴーニュが微妙なんやな
サヴォイアドーフィネプロヴァンス含んでた時代もあったけど最終的にスイスになってるし

 

221: 名無し 2020/03/23(月) 13:39:14.07 0
イタリア人は未だにローマへの未練あるの?

 

222: 名無し 2020/03/23(月) 16:13:44.58 0
ないよ
地元主義

 

223: 名無し 2020/04/05(日) 09:49:27.26 0
イタリアのことをよく「都市の国」と呼ぶが、
これは北・中部イタリアにだけ当てはまることであって、
南部ではナポリを除くと都市の発達はほとんどみられなかったんだよな

 

226: 名無し 2020/04/24(金) 07:40:07.71 0
南イタリアは、
北西ヨーロッパのような封建制もなければ、
北・中部イタリアのような自治都市国家の歴史もなかった
ただ専制があっただけ
むしろあの地域は北アフリカに近いのかもしれない

 

229: 名無し 2020/04/24(金) 09:49:13.74 0
>>226
ギリシャとは、狭い海峡をはさんで、ほぼ連続している

 

227: 名無し 2020/04/24(金) 09:41:26.14 0
南イタリアは
サラセン海賊に暴れ回られ一時期はムスリム勢力圏になったこともある
ビザンチンは徴税地としか考えず
ランゴバルド人は内陸部で勢力争いしかしない
神聖ローマ、スペインも遠隔地なので植民地扱い
ノルマン人支配の時が比較的マシかな

 

228: 名無し 2020/04/24(金) 09:47:36.40 0
>>227
皇帝フリードリヒ2世のときは、シチリアが世界の中心になった

 

230: 名無し 2020/04/24(金) 22:32:54.10 0
フリードリヒ2世の財政資金は、国王役人によって自治を抑圧された王国都市への重税と、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアの商人からの融資に依存していた。
王国都市の工業は重税と国王の独占企業にとによって衰退し、商業は特権を得た外国商人に支配された結果、王国では北部・中部都市の製品を輸入し、そこへ食糧・原料を輸出する経済構造が成立した。

 

232: 名無し 2020/05/04(月) 23:11:37.30 0
17世紀にイタリアの織物工業が衰退したのは、
ギルド規制が強く残り、伝統技術へのこだわりや
高品質と高賃金の維持などのために
外国製品との競争に遅れをとったことがあった

 

233: 名無し 2020/05/05(火) 08:14:32.68 0

>>232
まあ、仕方ない

オランダ・ベルギーも、毛織物を生産する製造業から、イギリス産の毛織物を輸入して大陸諸国に売る貿易業に転換したくらいだからな

 

234: 名無し 2020/05/05(火) 08:18:15.26 0

フィレンツェだって、当初は毛織物の製造業で伸びてきたが、次第に商社や銀行へと業種転換していった

新興国に移っていくのは、昔から製造業の宿命なのだろう

 

235: 名無し 2020/05/05(火) 10:44:53.64 0
ヴェネツィア共和国では、衰退期に入ると、海上交易よりも本土からの収入に頼るようになった
貿易不振によって行き場を失った運用資金は、毛織物をはじめ、ガラス、レース、印刷業など各種の地場産業に投資されるようになった

 

236: 名無し 2020/05/05(火) 20:29:33.31 0

ヴェネチアの場合はそうだな

滅亡したビザンチン帝国から、ガラス職人とかを連れてきたのが大きかった

 

237: 名無し 2020/05/05(火) 20:38:16.26 0
水の都ヴェネチアの本島から水上バスで10分ほど移動したところにある小さな島「ムラーノ島」。落ち着いた雰囲気の街並みに、色彩豊かなガラス工芸店が並び、島全体がひとつのアートスペースのようになっています。
ムラーノ島は、中世の頃からガラス職人が集まる島。そこで作り出されるガラス工芸は「ヴェネチアングラス」として、ヴェネチアの特産品であり世界に誇る工芸品でもあります。
なぜ、ムラーノ島にこのような技術が結集したのか?それは、かつて敷かれた政策が理由だったそうです。

 

238: 名無し 2020/05/05(火) 20:41:25.71 0

ヴェネチアングラスの工房が集中し始めたきっかけは、13世紀中世にまで遡ります。

当時、東西貿易の中心地だったヴェネチア共和国は、取引物の中で最も珍重されていたガラス製品を自国で製作して、
利益をあげたいと考えていました。しかし、原材料や燃料を自国で産出することが出来ないヴェネチア。
コピーや類似品が、原材料が豊富な他国で生産されることも懸念されていました。
そこでヴェネチアがとった政策は、非常に大胆なものでした。

ガラス職人だけでなく、家族、販売者をムラーノ島へ強制的に移住させたのです。
この政策は技術流出を防ぐためだけではなく、溶解炉が火元となる火事の被害を
最小限に抑える目的もあったと言われています。

狭い島内に押しやられた職人たちは、独自の技術を次々と生み出していきました。
ガラス製品や鏡、シャンデリアなど美しい芸術品を生み出す力が育てられていったのです。

 

239: 名無し 2020/05/05(火) 20:45:11.57 0
フランドルやフィレンツェの毛織物も、主にイギリス産の羊毛を輸入して生産する加工貿易。
原材料の産地であるイギリスが毛織物の生産にも乗り出したため、加工貿易が衰退した。
仕方なく、イギリス産の毛織物を輸入する輸入業に転換した。

 

240: 名無し 2020/05/05(火) 20:53:11.36 0

ヴェネチアもフィレンツェも、15世紀が繁栄のピーク。
とくにフィレンツェは、それまでの存在感があまりなかっただけに、なおさら栄光の15世紀が輝いて見える。

16世紀に入ると急速に衰退した。海洋貿易の主舞台が、地中海から大西洋・北海に移ってしまった。
海洋貿易と金融は切っても切れない関係なので、金融もついでに衰退した。

 

241: 名無し 2020/05/05(火) 22:41:00.48 0

イタリアでは、北部・中部の都市が、ナポリ王国、シチリア王国、サルデーニャ王国に
各種製品を輸出し、そこから食糧・原料を輸入した
いわゆる「小麦と毛織物の交換」であり、その結果、後者は前者の経済的植民地
になった

南部が後進地域となる兆しは中世から始まっていた

 

242: 名無し 2020/05/06(水) 22:29:00.50 0
1320年代、フランドル毛織物工業の危機を契機に、フィレンツェ商人は、
商業特権を利用してイギリスからフランドルに輸出していた
イギリスの良質羊毛を母市に輸出し、フランドルの高級毛織物を模倣した
フィレンツェ製品を生産し始めた。
14世紀後半、イタリアおよび地中海世界の高級毛織物市場では、
フィレンツェ製品の独占状態が実現する。

 

243: 名無し 2020/05/07(木) 12:56:52.73 0

476年、傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼした。
東ローマ帝国の皇帝ゼノンは、ただちにオドアケル追討令を発し、東ゴート王のテオドリックがイタリアに侵攻した。
テオドリックは勝利し、宴席にオドアケルを呼んで謀殺した。

最初の「イタリア王」が、オドアケルなのか、テオドリックなのかについては諸説ある。
でも、このときに「イタリア王国」が成立したのは確か。

 

246: 名無し 2020/05/07(木) 15:04:06.67 0
>>243
オドアケル統治期は15年ある
オドアケルは最初東ローマからパトリキウス(総督)の爵位を貰おうとしたが失敗
やむなくレックス(王)を名乗った

 

248: 名無し 2020/05/07(木) 15:34:39.69 0

>>246
それなら、最初のイタリア王はオドアケルだな

ローマ王と言うべきか?

 

249: 名無し 2020/05/07(木) 16:33:59.42 0
>>248
「イタリアの王」を名乗ると東ローマ始め周辺国に敵視されるから「王」だけ名乗った
テオドリックもそうだったような

 

250: 名無し 2020/05/07(木) 18:16:23.56 0
テオドリックの時代のイタリアでは、人口の2%にすぎないゲルマン人が
三分の一の土地を奪うことになった

 

251: 名無し 2020/05/07(木) 19:21:56.83 0

テオドリック亡き後の東ゴート王国は、結局、東ローマ帝国から敵視されるようになり、ユスティニアヌス大帝が攻めてきた

20年におよぶゴート戦争で、ローマは廃墟になった

 

252: 名無し 2020/05/07(木) 19:28:35.41 0

東ゴート王国からイタリアを奪回した東ローマ帝国だったが、その栄光はすぐに終わる。

メロヴィング朝フランク王国はなんとか撃退したものの、今度はランゴバルド王国が攻めてきた。
文化が崩壊したおかげで記録に乏しいとはいえ、ランゴバルド人がイタリア王を名乗るに至った。

 

253: 名無し 2020/05/07(木) 19:32:51.59 0

ランゴバルド人は200年にわたってイタリアを支配したが、774年、ついに真打ちが登場する。

カロリング朝フランク王国のカルロマーニョ大帝が攻めてきた。
露骨なイタリア侵略だったが、「ローマ教皇の保護」という大義名分を掲げてた。

774年、カルロマーニョはランゴバルド族を破って、イタリア王に戴冠した。
これが、中世イタリア王国の正式なスタート。それまでは前史ということになる。

 

254: 名無し 2020/05/07(木) 22:22:31.96 0

イタリア史では、888年から962年までを、「独立イタリア王国」の時代という

888年は、国王カール3世の死によってこの王国がフランク帝国から独立した
時点であり、
962年は、オットー1世(大帝)がこの王国を神聖ローマ帝国と結合した時点である

 

256: 名無し 2020/05/08(金) 09:17:12.93 0

イタリア王国は、カロリング朝が断絶すると、王位は各地で自立した
諸侯たちに妨害されて安定せず、国内は混乱をきわめたので、
強力な東フランク国王の支配を直接間接に受けるようになった

この間に、イタリア国王が皇帝になる状況は次第に過去のものとなり、
今度は東フランク国王が皇帝になり、さらにはイタリア国王をも兼ねる
状況が形成されていく

 

265: 名無し 2020/05/12(火) 18:32:56.51 0

774年、ランゴバルト王国を滅ぼしたカルロマーニョ大帝によって、カロリング朝の中世イタリア王国が始まった

887年、タナボタ的に西ローマ皇帝とイタリア王の地位についていたカルロ肥満王が廃位され、翌年に死去。
イタリア王国も西ローマ帝国も、ともに崩壊した。

この百年あまりは、中世イタリアが比較的に安定していたカロリング朝の時期

 

266: 名無し 2020/05/12(火) 18:36:22.97 0

その後は帝国が四分五裂する状況が続いていたが、951年、ベレンガーリオを打倒したオットーネ1世がイタリア王となった。

962年、オットーネ1世は戴冠して神聖ローマ皇帝となる。
カルロマーニョ大帝以来、久々の英雄が登場した。

この887年から951年までの数十年間は、フランク王国にも神聖ローマ帝国にも支配されていなかった時期

 

267: 名無し 2020/05/12(火) 18:40:56.80 0

843年、ヴェルダン条約により中フランク王国が成立

北イタリアからライン川流域にかけての、ブルーバナナと呼ばれるヨーロッパ最良の地が中フランク王国となり、
両側の辺境地帯が東フランクと西フランクとして分離した

no title

 

268: 名無し 2020/05/12(火) 18:47:04.68 0

870年のメルセン条約

結局、中フランク王国はアルプス以北のライン川流域を奪われ、東フランク王国と西フランク王国がこれを分割した

いまでいうイタリアの北部の領域に、だいぶ近づいた

no title

 

269: 名無し 2020/05/12(火) 18:53:12.58 0

947年の勢力図

カロリング朝崩壊後の混乱を経て、オットーネ大帝が帝国を再興する数年前の状況。
ライン川流域を失った中フランク王国からは、さらにブルグント王国が分離独立しており、図のオレンジ色の領域が失われている。
ピンク色のところが、イタリア王国となった。

no title

 

270: 名無し 2020/05/13(水) 08:27:58.89 0

まとめると、

オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼす

テオドリックがオドアケルを滅ぼし、ほぼイタリア全土を支配(東ゴート王国 約60年間)

ユスティニアヌス大帝が東ゴート王国を滅ぼす(東ローマ帝国)

ランゴバルト族がほぼイタリア全土を支配(ランゴバルト王国、約200年間)

カルロマーニョ大帝がランゴバルト王国を滅ぼす(フランク王国 100年あまり)

 

271: 名無し 2020/05/13(水) 08:33:06.09 0

問題は、カロリング朝フランク王国の支配が崩壊した887年以後なわけだが、ベレンガーリオ1世がイタリア王になった。

しかし、イタリア貴族の反乱により、ベレンガーリオ1世は打倒された。
その後はブルグント王がやってきてイタリア王になったり、混乱が続く。
最後は、ベレンガーリオ2世が、オットーネ大帝に滅ぼされて、この時期は終わる。

人によって、「無秩序時代」と呼ぶ人もいれば、「独立イタリア王国時代」と呼ぶ人もいる。
ベレンガーリオたちの時代は、フランク王国や神聖ローマ帝国に支配されなかった例外的な時期というわけだ。

 

272: 名無し 2020/05/13(水) 11:21:02.16 0
フリウリのベレンガーリオ1世
イブレーアのアンスカリ家
アルルのボゾン家
スポレートのグイド家
ユラニアのヴェルフ家
等が王になって降ろされて繰り返してる

 

273: 名無し 2020/05/13(水) 11:38:36.37 0
「独立イタリア王国時代」とやらの頃のイタリアってイタリア語話してたん?
それとも俗ラテン語?

 

274: 名無し 2020/05/13(水) 12:32:58.87 0
ランゴバルド文化も根強いからねえ
ラテンとゲルマン、ちょこっとビザンチンをミックスしたイタリア語醸成時期だったかも
んで南はサラセン海賊とビザンチン、ランゴバルド圧政で海岸沿いは無人だった

 

275: 名無し 2020/05/13(水) 17:04:50.22 0

20世紀になっても、北イタリアのロンバルディア地方と、ローマ以南とでは言葉が通じなかったと言われている

イタリアは、バラバラすぎて、なかなか言語統一できなかった

 

276: 名無し 2020/05/13(水) 17:08:04.82 0

統一の三傑の1人、サルデーニャ王国の宰相カヴールは、北イタリアを統一した時点で満足していた。
南イタリアに関心を示したことすらなく、生涯に1度も足を踏み入れなかったのではと言われている。

「南を併合してローマを首都にする」ということにあくまでもこだわったのは、三傑の一方の雄、ガリバルディだった。

 

277: 名無し 2020/05/14(木) 07:08:13.25 0

ランゴバルド族は、スウェーデンから移住してきたバイキングなんだな

no title

 

278: 名無し 2020/05/14(木) 07:14:36.33 0

いや、スウェーデンにいたのは紀元前の話で、その後はドイツのエルべ川のとこにいたんだな

しばらく記録が途絶えた後、5世紀末にドナウ川の中流あたりで、いきなり再登場。
パンノニア(ハンガリー)からイタリアに移動してきた

 

279: 名無し 2020/05/14(木) 07:39:03.95 0

前から思うことだが、「神聖ローマ帝国の皇帝は、肝心のドイツ統一をおろそかにして、イタリア侵略ばかりしていた」という、よくある批判。
ありゃ、後付けの理屈なんじゃないのかね?

当時の北イタリアにいたのは、「イタリア人」ではない。
ランゴバルド族は、南ドイツ人と同じような民族。
むしろ、北ドイツ人のほうが、皇帝にとっては違和感のある存在だったのではないか?

 

297: 名無し 2020/05/20(水) 15:48:46.53 0
>>279
寧ろ「属州出身のローマ皇帝」みたいな意識でイタリアを支配の中心に位置付けてたのでないか?

 

280: 名無し 2020/05/14(木) 07:40:56.43 0
フリードリヒ2世も母方はノルマン人なんよなあ

 

281: 名無し 2020/05/14(木) 09:28:58.77 0

ノルマン人は、大西洋をグルッと回って地中海に入り、シチリアを乗っ取ったんだな

身体能力の高さを活かして、重要拠点をゲットした

 

284: 名無し 2020/05/16(土) 23:16:51.08 0
568年、イタリアに侵入し、王国を建設したランゴバルド族は、
人口30万人、うち武装兵は4万から5万と推定される。
文化水準の低い少数のランゴバルド族は、イタリアに文化的にも
人種的にもたいした変化をもたらさなかったが、政治的には
決定的な変化をもたらした。
以後、イタリアは、19世紀に国民国家として統一されるまで、
分裂したままにとどまることになるのである。

 

285: 名無し 2020/05/16(土) 23:47:41.12 0
>>284
ランゴバルド王国の時代はむしろ、珍しくイタリア全土がほぼ統一されてた時代なんじゃないの?

 

286: 名無し 2020/05/17(日) 05:43:55.61 0
>>285
ランゴバルド族が支配していた地域と、
ビザンツ帝国が支配していた地域に分かれていた

 

287: 名無し 2020/05/17(日) 09:41:23.83 0
住民に圧政強いただけだからなあ
海賊やビザンチン追い出して南北イタリア統一する器量の王がいない
シチリア占領したムスリムの方が統治上手かったというね

 

288: 名無し 2020/05/17(日) 14:52:36.63 0

かつてローマ地中海帝国の中心であったイタリアは、
地中海が政治的にビザンツ世界、イスラーム世界、
西ヨーロッパ世界に分裂した結果、この三つの世界の
境界が接する辺境の地になってしまった

イタリア半島が統一できなかったのはそのため

 

289: 名無し 2020/05/18(月) 23:24:14.36 0
ランゴバルド王国では、初代の王アルボイーノと第二代のクレーフィが
おそらくビザンツと共謀した族内有力者たちによって暗殺された。
続く574~584年の国王空位時代、族内有力者たちは、それぞれの
独立した領地を実力によって形成した。
しかし、ビザンツがこの機会を利用し、フランクと連携して
反撃に出ると、有力者たちはひとまず分立状態を解消し、
第三代のアウタリを選出した。

 

290: 名無し 2020/05/19(火) 09:31:14.45 0
アウタリの治世に、首都パヴィーアを中心に王国としてまとまり、
ビザンツとフランクの侵略も減少し、族民のカトリックへの改宗も作用して、
ローマ人との平和共存体制が成立した。
王国としてまとまったとはいえ、中部および南部の二つの公領はもちろん、
北部でも首都から離れた東方にあるフリウーリ公領およびトレント公領の
独立性は強かった。
第四代のアジルルフォの時代、すなわち6世紀末から7世紀初期に、
ようやく制度が整備されて国家としての体裁が整った。

 

291: 名無し 2020/05/19(火) 09:58:47.14 0
フリウーリ、トレントで遠いんならスポレート、アンコーナ、サレルノなんかは独立するわな
ヒスパニアやアフリカから皇帝を輩出したローマ帝国とは隔世の感がある

 

292: 名無し 2020/05/20(水) 03:23:48.80 0

9世紀になっても、イタリア王国から独立した、ランゴバルド系の
ベネヴェント公国が南イタリアに存在していたな
この公国では、相続原理が確立せず、フランク帝国と同様、
相続をめぐる抗争が展開した
839年、西方皇帝ルートヴィヒ1世(敬虔王)の調停により、

このベネヴェント公国が解体して、ベネヴェント侯国と
サレルノ侯国が出現。このサレルノ侯国では、861年、
辺境の有力者が独立して、さらにカプア侯国を創設した。
ここにランゴバルド系の三侯国が鼎立。

 

293: 名無し 2020/05/20(水) 10:16:08.40 0
南イタリアの候国群は
サラセン海賊には見向きもせず内部対立だけ行い略奪を見過ごし
イスラム勢からは負け続け舐められ
海賊退治は結局市民が自衛を始めたアマルフィ、ピサ、ジェノヴァが行うようになる
ノルマン人に駆逐されるまで混乱は続く

 

294: 名無し 2020/05/20(水) 11:17:05.80 0
ノルマン人のオートヴィル朝は面白い人たちで傭兵からシチリア王国を起こした
ギリシャ人にもムスリムにも寛容だったため住民達から支持されたのだろう
この王朝はビザンツ帝国と度々あらそっているが十字軍のときにはアンティオキア公国を建国
ここでもビザンツ帝国の支配は拒みつづけた

 

295: 名無し 2020/05/20(水) 14:17:07.39 0

ピサは、ランゴバルド王国のトスカーナ公領がカロリング時代に
トスカーナ辺境伯領として再編されると、その領土の一部となった
1004年、ムスリムの略奪を受けたが、翌年以降、ジェノバと連合して
西地中海のムスリムを打倒していった

1005年のレッジョ、1015~16年のサルデーニャ、1034年のアンナーバ(アルジェリア)、
1063年のパレルモ(ノルマン人との共同作戦)における勝利がそれであり、
獲得した戦利品は海上事業を発展させる資金となった

 

296: 名無し 2020/05/20(水) 14:40:40.81 0
古代から西地中海の要港であったジェノヴァは、カロリング時代には
ムスリム海賊との闘争拠点のひとつとなり、10世紀前半には3回にわたって
その略奪を受けた。
独立イタリア王国時代、ジェノヴァはオベルテンガ辺境伯の
領土の一部となり、辺境伯のジェノヴァ代官の家系から
都市貴族が形成される一方、市壁内部の支配権の一部が司教に与えられた。
1056年、司教と都市貴族との協定が成立し、続いて辺境伯がその裁判権を
放棄したことにより、ジェノヴァの自立性が確立した。
ジェノヴァは、ピサとともに西地中海の一大勢力として発展し、
1087年には、ピサと共同でチュニジアに遠征してジール朝を
攻撃するまでになった。

 

298: 名無し 2020/05/20(水) 15:56:34.24 0
戴冠前はローマ王という肩書きだったらしいよ
教皇に気に入られないと戴冠してくれないし

 

299: 名無し 2020/05/20(水) 16:35:33.26 0
「ローマに上洛して天下に号令する」ってのが、日本の戦国大名の天下取りと似ている

 

300: 名無し 2020/05/20(水) 17:44:33.73 0
ローマで教皇に戴冠してもらわなければ、ただのドイツ王だもんな
西欧世界の普遍的支配者であるローマ皇帝にはなれない

 

244: 名無し 2020/05/07(木) 14:09:07.48 0
南部と北部の違いはDNAというより環境だよね

 

247: 名無し 2020/05/07(木) 15:34:00.07 0

>>244
大陸部・半島部・島嶼部で、地形や風土が違いすぎる

大陸部のポー川平野はヨーロッパ最良の地

 

257: 名無し 2020/05/09(土) 09:33:23.11 0
皇帝フリードリヒ(フェデリーコ)2世って、過大評価されていると思わね?
彼は南イタリアの製造業を育てようとしなかったし…

 

258: 名無し 2020/05/09(土) 09:49:01.61 0
ボンクラ駄目皇帝フリードリヒ2世なんて、ただのゴミだろ

 

259: 名無し 2020/05/09(土) 11:10:14.53 0

シチリアにいたんじゃダメだな

日本でいえば、鹿児島に将軍がいるようなものだ

 

260: 名無し 2020/05/09(土) 18:15:10.75 0

ノルマン=シチリア王国は異文明を共存させたと持ち上げられているけど、
別にこの王国の住民が異教徒に対して寛容だったからではないんだよな。
国王が、その強大な権力でムスリムを守っていたから。

だから王権が弱体化したときには、キリスト教徒によるムスリムに対する
攻撃・排斥運動が起きている。

 

261: 名無し 2020/05/09(土) 18:18:20.58 0
フリードリヒ2世がもたらした結果は、神聖ローマ帝国の分裂とホーエンシュタウフェン家の没落だけ

 

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