こっちにも貼っとくか。
項羽冤罪。
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20031206i513.htm(リンク切れ)
6日付の中国各紙によると、秦の始皇帝が造営した大宮殿「阿房宮」(中国陝西省西安市郊外)は、定説と異なって、楚の武将、項羽に焼き払われてはいないことが、中国社会科学院考古研究所と西安市文物保護考古研究所が共同で実施した発掘調査で明らかになった。
ニュース
記事を見ましたが、火災の痕跡がなかったということは
一体何が阿房宮を破壊したんだろう?
それとも、破壊されたということすらなかったのだろうか?
発掘の続きが待たれるところですな。
>>178
一体何が阿房宮を破壊したんだろう?
項羽は燃やしていない。という事は漢時代になってから破壊したという事だろう。
俺としては犯人は劉邦説をぶちあげたい。
前政権=秦の遺構を破壊し、咸陽の住民を漢化させる。
で風評を流すわけだ。項羽によって絢爛な秦の都は破壊つくされたとな
でいつしかそれがデフォルトとなり、武帝の頃には項羽=秦の都を破壊し、趙兵20万を穴埋めし、故郷に錦を飾ろうとしてハンゾウに見限られた愚劣な武将だとね。
むろん一次史料の裏づけがないから今の所俺の妄言だ。
だが、劉邦のやり口を考えてみたまえ。
竹馬の友であるロワンまで匈奴に亡命させるほど周囲を粛清した男がどうして項羽を謗る事が無いといえよう?
彼は冤罪ばかりきせて功臣を処刑してきたじゃないか。
楚漢争覇時代の戦いというものはこれまで伝えられてきた説とは全然違う可能性すらありえる。
http://j.people.ne.jp/2003/01/08/jp20030108_24987.html(リンク切れ)
もともとこの発掘は5ヵ年計画の2年目の成果だったわけなんだから
まだ新発見の事実が後3年でぞろぞろ出てくると思うよ。
たしかな事は今まで漢側ー史記などの資料だけで項羽は悪逆だったといわれていたが、科学的な検証が無かったわけだ。
ところが掘り返してみるとわずか2年目で燃えていない事が判明しているわけだ。
http://fpj.peopledaily.com.cn/2002/01/17/jp20020117_13336.html(リンク切れ)
さらにその1年前の説明。
阿房宮は紀元前212年に建造された大規模な宮殿。
秦代末期に項羽が攻め入り、阿房宮は全焼した。阿房宮遺跡は1961年
に国務院から国家重要文化財に指定された。西安市の文化財管理部門の
調査で、遺跡の総面積は10.89平方キロメートルにおよぶことが確認された。
歴史が大きく書き換えられるな。
殷が周に悪逆の王として紂王が滅ぼされたとされる事実も後年出鱈目だったとばれている。
中国の歴史は権力者に阿る嘘八百三昧。
本宮ひろしの赤龍王なんて絶版ものだねw
いやあ、あれ読んだらフツーに項羽のファンになると思うけど。
それ言うなら三国志演義や水滸伝も絶版ものだろうが。
その2書は最初から通俗本。
史記と同列に論じられない。
劉邦が咸陽略奪を堪え人心収攬につとめる一方で
楚軍が咸陽で強姦放火三昧で阿房宮を消失させて人心を失い
劉邦の野心を見抜いたハンゾウが劉邦の暗殺を企ててコウモンノ会失敗する逸話は全部嘘。
つーかコウモンノ会も捏造くさいと思うようになってきた。
じつは項羽はヘボかったとか
海音寺潮五郎が指摘してた通り、項羽があまりにも若すぎたからだろう。
秦を滅ぼした時点でまだ20代半ばだから、人生経験や政治力の点で海千山千の劉邦とは比べ物にならない。
項羽のイメージが大幅に変わるな。
>>188
司馬遷は項羽らと同時代の人でないし、
彼の生きた時期、「阿房宮を焼いたのは項羽」が異論のない定説とされていなかったことが証明できないなら、非難されるべきではないと思うが
それに司馬遷をあまりに過大評価しすぎてないか?
儒家と無縁ではないし、史記の殷や周の衰亡のくだりや始皇帝の評価を読めば彼が完全無欠な史家でないということはわかるだろ
すくなくとも楚に関する事は
捏造疑惑が持ち合っているわけで。
ちょっと疑問に思うんだが、
唐代の一歩(長さの単位)が約1.6メートル
それで
唐の皇城が東西1200歩(1.9km)、南北1915歩(3.1km)
宮城が東西960歩(1.5km)、南北1440歩(2.3km)
皇城が約6平方キロ、宮城が約3.5平方キロだ。
世界の都(の一つ)大唐の長安でこの規模だぜ。阿房宮、10平方キロ?
いくら秦の権力が絶大で、始皇帝がパラノイアのメガロマニアだといって
その拡大再生産である唐よりでかい後宮(それとも宮城か?)を本当に作ったのか?
地下宮殿にしてもそう。同様の規模の墳墓が後代に作られてないんだよ。
漢の長安や洛陽はどう? 専門じゃないので。
破壊したのが項羽にせよ劉邦にせよ、いま語り継がれるイメージからする
大破壊、大掠奪が本当にあったのか?
俺はもうちょっと様子を見たいよ
まともな証人がおらず話が膨れ上がるばかり。
>>198も指摘しているが、史記の信頼性が大幅に低下したという事だろう。
>>198
しかし事前調査で
http://fpj.peopledaily.com.cn/2002/01/17/jp20020117_13336.html
10.89平方キロメートルにおよぶことが確認されているわけだが。
どう確認したのか詳細な報告が知りたいところだな。
10.89平方キロメートルにおよぶことを「決定」して発掘してたりして。
こういうと悪意のようにとられる、というか悪意にしか聞こえないが、まあ、どう確認したか、の報告を待つ。
地下宮殿や阿房宮の存在も規模も事実なら、前後の時代の建造物と比べて、秦始皇の建造物の規模が段違いに大きいのは何故かというテーマも生まれる。
それも楽しみだ
むしろ中国にゴッドハンドがいるんじゃねえか、と、そっちの方を疑ってる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031206-00000513-yom-int(リンク切れ)
新華社電によると、今回の調査では、始皇帝在位中に完成したとされる阿房宮の前殿部分の基本構造や範囲など輪郭が初めて判明した。
前殿の土台は東西1270メートル、南北426メートルで、総面積は54万1020平方メートル。専門家は「今回の重大発見は中国史上最大規模の建築群の1つ、阿房宮の謎を解く上で重要な資料を提供してくれた」と意義を強調している。(読売新聞)
[12月7日3時
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031128-00000214-kyodo-ent(リンク切れ)
あ、探索の一次報告あがっているわ。
【上海28日共同】中国陝西省西安市の秦の始皇帝陵(東西345メートル、南北350メートル)を、同省文物考古研究所と中国地質調査局が、電気探査などのハイテク技術で調査した結果、墳丘の地下約30メートルの地点に巨大な「地下宮殿」や墓室が存在することを28日までに確認した。
地下宮殿の存在はこれまでのボーリング調査などで予測されていたが、具体的な規模や構造が判明したのは初めて。飯島武次・駒沢大教授(東洋考古学)は「世界最大の『地下宮殿』であり、これまでの調査を一歩前進させた」と評価している。
始皇帝陵の発掘は、巨額の費用がかかる上、保存技術が不十分なため、実現の見通しは立っておらず、今回は始皇帝陵の保護計画を制定するための調査という。(共同通信)
濡れ衣を着せる劉邦の悪行が2200年後に暴かれたという事だな。
司馬遷の時代にはもはやその事実すら歪められて伝えられてたんだろうか?
それとも司馬遷が意図的に作った話なんだろうか?
やっぱり、当時は項羽が焼いた説が一般だったんではなかろうか。
秦の宮室が全部焼けたと書いてあるから、普通は阿房宮も含まれると思うんじゃない?
>>223
項羽本紀に
項羽引兵咸陽西屠咸陽、殺秦降王子嬰、焼秦宮室
とある。ところで『索引』その他に「咸陽宮在渭北、興楽宮在渭南」とある。一方、阿房宮は渭水の南。
中国の歴史の捏造は周の武王が簒奪したおりに殷王が残虐だとして討った故事からしてそもそも捏造だ。
明の永楽帝にいたっては建文帝時代の年号を史書から抹殺していた事が明らかになっている。
建文帝は「存在していなかった。」
魏忠賢のような太監が東廠を仕切って人々の口に上ろうものなら即座に捕らえて処刑されたものである。
同様の事が漢代にもあった事は想像に難くない。
劉邦の独裁、呂氏の専横を経て呉楚7国の乱を経て郡国制に移行した漢は市井の隅々まで監視の目を張り巡らせたであろう。
事に旧楚は厳しかったであろう。
漢はそんなに強力な権力とか無いから。
どうせ張飛が虎髭だったとか孫権が碧眼だったと思ってる奴らと同レベル
後付けだってのに
だから、秦の宮室が皆焼けたって書いてあるでしょ。
皆、っていうのが渭水の北だけとは書いてないから、咸陽近辺に存在した宮室全部とこれまで解釈してきたんでないの。
「項王見秦宮皆以焼残破」の部分だね。「皆」をどう捉えるかはそれこそ解釈でしょう。「完全に」の意味にもとれますから。
>>238
だから今となっては書いてないともいえるし、書いてあるともいえる。
で、『史記が直接言及しているものではない』と言い切ることもできない。
今となっては司馬遷の意図は測りようがないからね。
けど、普通に読んだら阿房宮も含むことになるから「史記に書いてある」とだれもが思い疑っていなかった。
>>243
普通というのがわからん。
阿房宮自体は結局未完だったはず。宮室というからには皇帝の居室を含む渭北の咸陽城内の咸陽宮全体を指すと読めると思うんだけど。
他に渭北には秦が滅ぼした諸侯の宮殿を模した建物が並んでいたという記述もあったりするけど。
史記が世に出てから二千年以上。
あまたの人々が史記を読み、その中には中国の史官もいるというのに、阿房宮が項羽によって焼かれたということを疑うものはほとんどいなかった。
これを普通といわずして何を普通というのだ?
織田信長も発掘調査の結果、叡山焼いてないしね。
焼いたのは城下の坂本。根本中堂などは焼けていない。
項羽の件もこれに近いかな?
次の長期政権で歴史が歪曲されることが、端的に現れている典型だよ。
オレも含め考古学者や歴史研究家、市井の研究家まで
歴史の再考察必死だな!
訂正
城下⇒山下(麓)
城塞の比叡山であっても山門だからな・・・。
後世の人間は叙述トリックにまんまと引っ掛かったということで。
膨大な木材や瓦はどこに消えたのか?
再利用されたんだろw
それが未央宮の一部になったかどうかはまだわからんがw
百年もたてば事実は忘れ去られるのだな・・・
・天正猿芝居欲しくて悩んでる途中で特別なイベントはないよな?
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・領地諸策ってこんなもんするやついるのかって思ってたけどかなり効率いいな
・敵の進行速度問題だけど最初だけじゃない?最初クッソ早いのはたしかだけど
・なんか本願寺に存在感が無いな、ここまで存在感薄い本願寺があるかよ・・・
・威風って最前線に部隊集結させて敵部隊も集めて調整していくんだよね?