有名な逸話だとは思いますが、若き日の信長の話
尾張の一色村に左介と言う男がいた。この男が、知り合いである隣村の甚兵衛の自宅に、彼が年貢納入のため留守にしている間に、夜盗に入った。
ところが甚兵衛の女房がこれに気がつき、佐介ともみ合いとなり、左介は逃げていったが、女房は彼の刀の鞘を取り上げていた。
明朝、女房はそれを証拠に奉行所に届け出た。左介は引き立てらて来たものの、容疑を否認。
そこで奉行は火起請(真赤に焼いた鉄を握らせ、持てるか否かで真偽を判定するもの)を行わせることにした。
左介は焼いた手斧を持つと、たちまち放り出した。これは有罪である。ところが、信長の乳兄弟として当時織田家で権勢を誇っていた池田恒興の家来達がこれに介入、左介を無罪にせよと迫った。
左介は、池田恒興の被官の一人だったのである。
この騒ぎの中に、鷹狩りから戻る途中の信長が行き当たった。何をしているのかと訳を聞くと、たちまち顔色を変え、「その火起請はどれほど焼いたのか見せてみよ」と言った。
奉行の者が同じように焼くと、信長は「わしがこの火起請を成し遂げたら、この左介を成敗する。良いな。」と、焼いた手斧を握り締めると、そのまま3歩歩いて、柵に置いた。
「確かに見たな?」
そう言うと、たちまち左介を成敗した。
「信長公記」に掲載されているからおそらく史実。
手をアルコールで冷やしておくと火傷しないらしいが、勇気はいるわなw
わかります
信長が若かりし頃ということは信長公記の首巻だろうから、信憑性は並で史実とは請け負いかねるぜ。
牛一自身が見聞きした訳ではない、いわゆる伝聞なので史料価値は他の巻に比べるとぐっと落ちる。
ま、いかにも信長らしい逸話だと思うけどね。
ニュース
たぶんまだ
それじゃ、こういう話。
天保の大飢饉の時、信州松代の領民は草の根まで求めて次第に山奥へ山奥へと入り込んでいった。
と、人も通わぬ山億に突然栗林が出現。
収穫してみるとなんと1,100俵も集まり、全村飢餓から免れた。
ある古老が言うには、往年信玄公がこの地を調べた折、
「軍陣の大敵は飢餓である。栗を植えよ、人里近ければ村人が採ることもあろう。人も通わぬ山奥にせよ」と命じた、ということを聞いたことがあると。。。
この話を知った滝沢馬琴は、自署「異聞雑稿」のなかで、「さすが名将、武田氏の賜。土中の遺金に勝るべし」と賞賛している。
甘栗むいちゃいました買ってくる
でもそれだと最初から村人にやるつもりはなかったわけで関係者が全員とっくに土に還っていたから村人がたすかただけで信玄的には意図してなかったことだから彼のいい話っていっていのだろうか・・・
将来的に村が飢餓になった時のために栗林作ったわけじゃないしね
偶然とか怪我の功名(ちょっとちがうか)と言っていいのでは?
大事に備えていた所が(武将として)いい所だろ
別に飢饉から救ったのはたまたまだしいい所かはわからんが
知らないから推測だけで書くぞ
栗林は静岡県に多い名字で、そもそも静岡県には甲信発祥の名字が多いから、仮に信州発祥とすると滋野系の海野や望月等と同時期の流入が考えられる。
つまり古代から戦国時代のの長期間に渡る。
現に今川と後北條の家臣にもいる。
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