立花道雪の家臣団と言えば、屈強さで天下に名高い者達であったが、その中にも、どうにも目だった武功の無い者がいた。戦の前の日、彼がその事で悩んでいる事を知ると、道雪はこれを呼び出し、諭した。
「武功をなすのも、運不運があるものだ。そなたが弱いから武功が無いのではない、と言う事は私がよく知っている。
明日の戦で、周りの者達にそそのかされて、武功をあせり抜け駆けなどして討ち死にしてはならぬ。
それは、私に対する不忠であるぞ。
そなたはその身を全うし、この道雪の行く末を見るのだ。
私は、お前達のような家臣を打ち連れているからこそ、このように年老いても、敵の真ん中に出て怯むことなくいられるのだからな。」
次の日この者は、人に遅れじと奮戦した。そして道雪も、彼の武者振りが少しでもいいと
「あの者を見よ!この道雪の目に狂いはなかったわ!」と褒め上げ、彼の面目を上げた。
道雪は常々こう言っていたという。
「武士に弱い者はいない。もし弱い者がいれば、それはその者ではなく、その大将が悪いからなのだ。」
>>237に強く感心してしまった
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>>241
戦国末期や江戸以降はとのかく戦国の武士は個人の郎党だからね
部下は個人に仕えてるわけだ
翻って現代の上司は組織内の命令執行者に過ぎない
部下は上司個人ではなく組織に仕えている
だからべつに雷神さまのような徳や部下に対する心配りも必要がない
だからそんなことやらんでもいい。業績が上がればいい。ドライ関係でいい
問題なのは本来そうあるべきの現代の上司も
彼らの感覚としては個人同士の主従関係だと思っていることだね
預かっているだけの部下に個人の忠誠心を要求して
私有物みたいな感覚になっている。似てるが違う状況への勘違いならば完全に全部勘違いしてればいいのに
中途半端な勘違いなので戦国の世のように心配りや気遣いもしない
両方の悪いところだけとってる人が多いのが問題
むしろ比べるなら、現代の会社組織と、昔の商家の中のそれぞれ上司・部下の関係じゃね?
戦国トップブリーダー
武蔵国、岩付城主、太田資正は大変な犬好きであった。居城である岩付城と、属城としていた松山城とに五十匹ずつの犬を飼っていた。だが、城内でも場外でも、資正が犬とじゃれあっているのを見ると、家臣も領民も、あまりに度が過ぎる「うつけ殿め」と、陰口を叩いていた。
しかし資正は気にもとめずに、何月かに一度は、岩付で飼っていた犬五十匹を松山城に連れて行き、帰りがけにそれまで松山城で飼われていた犬たちを連れて戻って行った。
そんなある時、松山城が北条氏康に急襲された。
あまりに急なことで城は完全に包囲され、異変を知らせる使者すら、北条の忍、風魔の手にかかりり皆、殺された。
松山城は完全に孤立した。もはや開城しかないのか、城代たちがそう覚悟を決めようとしたとき、資正から犬の世話を任されていた下人が、おずおずと言った
「殿様が、何かあればこの犬達を放せ、と言っておりました。」
何かはわからぬが、ともかくも城にいた犬を放ってみた。
すると資正の犬達は、まっしぐらに資正のいる、岩付城へと駆け出した。
風魔衆も、人は警戒していても、犬までは警戒していなかった。
犬達が駆け込んでくるのを見た岩付城の資正は異変を察知、すぐさま軍勢を繰り出した。
岩付城との連絡は取れないと、たかを括っていた北条勢はこれに驚き、慌てて囲みをといて逃走した。
大田資正の犬、その号を取って三楽犬。日本で始めての軍用犬の活躍、と言われるお話。
それって確か山田風太郎「風来忍法帖」に出てきた話の元ネタにもなったね
・政宗と鈴木石見、現場で働く人達が好き、可児才蔵と試合
・秀吉の松茸狩り、宮本伊織の豆腐、手柄を譲り合う前田利家と佐々成政
・明智光秀の妻の話、三河時代の徳川家、側室を持たない毛利の男
・忍城攻防戦、三成の奉行「平塚越中守」、伊達政宗に呆れる細川忠興3連発
・花より団子、はしゃぐ毛利輝元、斉藤義龍の妻が持つ茶道具の名品