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【戦国いい話47】山形城に天守閣がない理由、黒田如水が「瓜の皮を厚くむけ」

2022年8月16日

208: 名無し 2008/09/29(月) 16:25:55

山形城に天守閣がない理由

五十七万石の大大名となった最上家。
ある日家臣と義光は城の庭を散歩していた。すると家臣たちが
「今の城は殿のおすまいにしてはあまりに手狭、天守閣を築いて五十七万石にふさわしい城としましょう」
と盛り上がり始めた。
だが鮭様はむすっとしていて何故か話に加わらない。

数日後、天守閣を提案した家臣たちに鮭様から伝言が。
「おまえたちの気遣いはありがたい。ここは平地にあるんだから、天守閣なんかつくっても防衛では意味ないだろ? なのに工事とかしたら民が疲れるよ。そんなことよりおまえたち家臣と領民を労ったほうが、いざというとき役に立つんだ。だから、天守閣はいらない」
家臣たちは流石鮭様と感心したとか。
ちょっと信玄のエピぽいね。

かわりに鮭様は城下町にたくさん寺をつくった。
宗教施設でもあるが、軍事上重要な場所にあり、いざ街を攻められたら城を拠点に戦えるような配置になっている。
実際、長谷堂合戦でもその戦略でハズレなかったわけだしね。

 

209: 名無し 2008/09/29(月) 19:22:05
スレ読んでたら義光好きになったわw

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213: 名無し 2008/09/29(月) 20:58:57
俺もこのスレで最上が名君だと知った。
政宗より良い殿様じゃね?

 

214: 名無し 2008/09/30(火) 00:51:37
伊達家の資料読んだら最上義光は超悪党だけどな。

 

215: 名無し 2008/09/30(火) 01:17:42
伊達に悪党と言われても、だから何としか思わない
DQNヤンキーががまじめな生徒をガリ勉野郎と悪口言っているのを
聞いたような気分

 

218: 名無し 2008/09/30(火) 01:34:58
政宗は「憎まれっ子世にはばかる」を地で行った奴だからなw

 

220: 名無し 2008/09/30(火) 02:20:25
>>218
「憎まれっ子世にはばかる」というのは、「人に憎まれるようなことをすれば、人に嫌われて、小さくなって世間を渡ってゆくこととなる。」という意味なんだが、思いっきり日本語を誤解しているのでは?
「はばかる。」というのは、権勢があるとか、大意張りとか、威勢がいいというような意味ではなく、「大いに憚りさん。」というように遠慮勝ちに断りを入れるようなさまを言うのだが?…

 

221: 名無し 2008/09/30(火) 02:25:34
>>220
まあ誤用は誤用だけど、通俗的にはその意味で通ってしまっているので、日本語の変化にちまちま突っ込むのは正直いかがなものかと

 

222: 名無し 2008/09/30(火) 02:52:04
>>220
辞書ですら「憎まれる様な人に限って大成する」の意味で掲載されてるのに、そんなこと言われても・・・
ことわざってそういうもんでしょうが。

 

223: 名無し 2008/09/30(火) 02:57:57

>>222
それは辞書が大衆に迎合した結果でしかない。

「憎まれっ子世にはびこる。」という言葉もあるが?…

 

224: 名無し 2008/09/30(火) 03:02:26
ぜんぜん〇×◇△▽という言葉が、最近誤用されている。
「全然」の後には否定形が続くのが本来だが、肯定形で続けて当然と考えている国語を習っていない輩が多すぎる!

 

228: 名無し 2008/09/30(火) 06:04:12
>>224
明治ぐらいまでは文学でも肯定型が続いてるし
否定じゃなきゃだめってなったのは実はここ数十年だけらしよ?
あと憎まれるぐらいのことせにゃ大成なんてせんよ
商売だって馬鹿を騙してガッポリ儲けて笑うが理想スタンスだし
人がよかったらどこの世界でも食われるだけよ
それに早く気づいた人が大成して気づかなかた人がダメになる俺は間に合わなかった

 

233: 名無し 2008/09/30(火) 12:33:36
>>224
全然の後に否定系がくるのは大正時代から。
本来は肯定否定どちらでもいい。

 

231: 名無し 2008/09/30(火) 11:48:58

秀吉の謀臣・黒田如水は倹約家で知られていた。

瓜の季節になり、彼の領民がたくさんの瓜を献上してきた。
如水は小姓や坊主に至るまでご馳走してやったが、不思議なのは如水が「瓜の皮を厚くむけ」と命じたことである。
家臣たちは「皮を厚くむいたら、実の部分が少なくなりますが」と聞いたところ、如水は台所役人を呼び出して皆の前でこう申し渡したという。

「あのむいた瓜の皮を塩漬けにしておけ。台所で飯を食う者は、おかずが少ないこともあるだろうからその足しにせよ。更に、茄子のヘタでも、野菜のくずでも捨ててはならぬ。すべて塩漬けにして、備えておけよ」

さらに、こんな事も言っていたという。
「屋敷持ちの侍どもは、庭に梅の木を植えろ。禄米は与えてやっているのだから、おかずの梅干しくらいは自分で作れ」

こうして如水は蓄財に励んだ。

秀吉の晩年は疎んじられ、政権の中枢からは程遠い豊前中津に追いやられてしまった。

しかし彼の知謀は衰えず、関ヶ原の合戦の際には蓄財した金銀をばらまいて浪人・領民を集めて傭兵集団を結成し、九州全土を席巻しようとしたという。

 

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