直江兼続の話。
信玄が岡田堅桃斎という高名な歌詠みを謙信のもとへ使者に送った。
謙信はこの名を知っていたので、「越の長浜」という名所へ案内し、酒宴などを催した。
堅桃斎は連れて来た童に投げ輪をさせるなどして、一日遊びつくして甲斐へ戻った。
1月ほどして信玄から「越の長浜の丈尺はどれほどでござろう?」という手紙が来た。
謙信はその地の奉行に測量を命じた。
その時、奉行の下役の若い美丈夫が
「武田殿のご依頼ならば測量は不要でござる。
先月殿と遊びに参った歌詠みが、投げ輪でしっかりと計っていかれました」と言った。
謙信は堅桃斎の曲者ぶりを見破っていた若者に感心して小姓とし、与六兼続と名乗らせた。
~ここまでは知略に優れる彼の若きころの逸話として有名~
で、この話には無理がある。
生まれたのが1560年。小姓になったのが1564年。
わずか4歳で奉行の下役とは・・・・・ありえない・・・・残念
ニュース
続・直江兼続公の残した書物に見える、後世の皆様へのいい教訓。
「死ぬ気でやれば、案外何とかなる。」
なんとかならなかった奴は死んでるんだから後世に言葉残せねーもん
そりゃ努力とか頑張れとか賛美されるわ
ダメだった奴は一切記録に残らない
地面に落下するときは力抜くと怪我しないってのとおなじ
なんとかなった奴らの数億倍の死ぬ気で頑張ってもなんとかならなかった連中は
あの世で「頑張れば何とかなるなんてうそやんねー」って言いあってるわ
直江個人でみればなんとかなってる
上杉家としては…
むしろ鷹山あたりが言うべき言葉では
直江兼続公の、後世への教訓シリーズ
「毒薬の入った膳を出されると
俺は涙目になる
持ってきた奴も涙目になる
みんな涙目になる
だから、わかる。」
直江兼続公はもしかして馬鹿なんじゃ・・・
天下を取るには知恵が足りないと秀吉には評されてる
お梅(真田信繁の娘)と伊達家重臣、片倉重綱(重長)
大坂城落城の時、一人の娘(16歳)が徳川の先陣を勤める伊達家の片倉隊の前に現れた。
白の鉢巻きに薙刀姿の娘を見た重綱は、捕らえるとそのまま国に連れ帰り、後妻とした。
(信繁と重綱とは何度か戦いを交えており、自分が死んだ後、娘を重綱に託そうとして、梅に言い聞かせて置いた。)
重綱は、智勇優れた真田家の娘、梅を妻としたことを誇りにした。
そして片倉家の家紋はこれ以降、真田と同じ六文銭に変えられた。
時代は下り、松代藩三代藩主、真田幸道が伊達藩へ寄ったとき、
眞田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見てたいそう驚いたという話が残っている。
兼続はどっちかというと内政に天才を感じる。
120万から30万石になった時、家臣をできるだけ解雇しないで
なんとか生活が立ち行くようにした手段は鷹山が手本にしたというから、
ま、なんだ、来年がたのしみだな。
>>617
重綱の戦ぶりを見て、娘を託せるのはこの男しかいないと
矢文で重綱に娘との婚姻を頼んだという説もある。
あの真田に認められたのだ、という感激が六文銭の家紋への変更となったんだろう。
伊達家きっての美男子で当時29歳、於梅も悪い気はしなかったと思うな。
まあ、根本的に何とかなっていなくて、その場しのぎの世界に過ぎなかったから、
鷹山の時代にあんな大規模な改革にいたるわけだけどなー。
>>617>>625
え? 片倉家の家紋って六文銭になったの?
主君政宗から九曜紋を拝領してるのに変えるはずないと思うんだが・・・。
重長が梅と同時に保護した大八の家紋じゃないか?
大八は信繁の次男で梅と同時に片倉家に保護され、片倉守信と名乗ってる。
確か息子の代で真田に復姓してたような・・・。
まぁ何にせよ幕府から信繁の血筋を守りぬいた片倉家は立派だな。
助かったもう一人の娘「あくり」は徳川の家臣・滝川一積の養女となって、蒲生郷善に嫁ぐが、敵の娘を幕府の許しも無く婚姻させるとは!といって一積が改易させられる。
(本田正純には報告許可を得てあった)
於梅のことはお咎め無しなのにww
本田正純には他にも「許可を得ていたのに」改易というのがあったな。
正純じゃなくて土井利勝だろ。
いい話というか、長野業正のちょっと面白い話を見つけたので張り
219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/03/08(土) 21:56:37 ID:i4ZXIU7M
業正の娘たちはいずれも美女揃いだったので先を争って縁談の申し入れがあったそうだ。
あまりの人気ぶりに業正も生産が追いつかず娘を貰えなかった豪族が反抗したりして上州戦略に支障を来たした。
あと10人娘がいれば信玄に箕輪城とられずに済んだのに惜しい。
あと10人いればって、12人も嫁がせてんだよ。
徳川家斉みたいにやること無くて子作りマシーンならともかく、ふつう無理だよなwww
というか豪族どもはどんだけ美人の嫁が欲しかったんだw
関東管領家の下で上野を実質支えてきた長野家
国人衆にしてみれば少々のぶさいくでも婚姻関係になりたいだろう
ましてや美女だなんてサイコーすぎる!
もらえなかった国人衆がふてくされるのもしょうがないな
・医学に通じていた毛利元就、桜の木にしがみつく鮭様
・武田信玄の異母弟「川窪信実」の心根、北向きに置かれた信長の兜
・瓜の皮むきをする尼子経久、若き上杉景勝が佐竹義重に送った手紙
・歌舞多城の乞食、池田輝政と福島正則、千利休の石灯籠
・福島正則が宇喜多秀家に贈った備前の酒が詰まった樽