秀吉の鳥取城攻めの相手として有名な吉川経家。彼が、城兵たちの命と引き換えにいよいよ明日、切腹すると言う日
自分の、幼い4人の子供たちにあてた手紙
「鳥取城は、昼夜あわせて200日も耐えてきました。しかし、兵糧も尽いたので、父は一人腹を切り、城兵を助け、吉川一門の名を上げたのです。その、幸せな物語をどうか、皆から聞いてください。」
それは「ちょっといい話し」というより「泣ける話」のような。
ニュース
毛利輝元が始めて上洛した時のお話
朝廷への参内を認められ、参議に就任。毛利家始まって以来の殿上人である。
御所を出たのは夜中の10時。だが輝元うれしさのあまり、付き添いの小早川隆景引っ張って豊臣秀長のところに「参議になったよ!」報告に駆けつける。
が、当然既に門は閉められており、
門番から「もう遅いんで明日来てもらえますか?」とたしなめられる。
隆景、ひどく恥ずかしい思いをする。
信長が上洛した時の事
信長は将軍の新邸や御所の新築をするため、各地から資材を集め、かつての室町幕府の政庁、花の御所があった場所からも石材をどんどん搬入させた。
それを見た京都の市民、御所の女房言葉で、団子の事を「いしいし」と呼んだ事から、「これがホントの花より団子か」と、信長、変な感心をされる。
木村重成(秀頼の乳兄弟)
大坂夏の陣の5月ごろから食が細くなった重成、
「落城近しの風聞に接し、食が進まないのか?」の問いに、こう答えた。
「昔、後三年の役のおり、末割四郎という者がいた。この者は臆病もので、朝の食事も喉に通らないほどだったが、敵陣で首を切られた時、切り口より食い物が出てきて恥を晒したそうな。俺も首を取られるだろうが、骸の臓物を見苦しくないようにしたいから謹んでいるのだ」
秀吉の北条征伐を受ける北条氏
領民たちに「農民も商人も、戦えるほどのものはすべて参戦せよ!」と、悲壮な総動員を訴える。
ただし
「見苦しい格好をしているものはその限りではない」と、ファッションへの強いこだわりも見せる。
なぜだかわからないけど、北条らしいというべきか…
それはなにか?暗に「お前らは逃げろ」ってことか?
なんかツンデレ
ちがうよ。「見苦しい格好で戦場出られると敵から笑われて恥ずかしいから」って言う理由。
さすが「装束の北条」の面目w
将軍暗殺で有名な嘉吉の乱の首謀者の一人、赤松則繁。彼は乱のあと行方不明になっていた。
新将軍義勝の元に、死亡した将軍義教を弔うために高麗から使節がやって来た時、
そういえばあいつはどこに行ったのかねえ、と、その話題が出た。
高麗使節が「それはどのような人物なのですか?」と聞いてきたので、幕閣たちがそれを説明すると、
かの使節、みるみる顔を青ざめさせ、こう叫んだ、
「そいつ!今我が国を襲撃している倭寇の頭領!!」
一同、則繁が元気でいることを知りほっとする。
そんで、倭寇として備中・河内まで攻め込んでくるんだよなw
壮大なロマンを感じさせる武将やなぁ 100点
信長が上洛した頃の事
京には、今は亡き斉藤義龍の妻が隠棲していた。その女が、美濃斉藤家に伝わる茶道具の名品を、義龍の形見として持っていると言う事を知った信長、早速その名品を自分に献上させる様に命令した。
だが、彼女はそれを拒否。信長の使者を追い返した。これを聞いた信長は、女を殺してでも奪って来いと怒った。その時、稲葉、安藤、氏家の、西美濃三人衆をはじめとする、今は信長に仕える旧斉藤家の家臣たちが、皆信長への面会を求めてきた。何事かと召し出すと、彼らは、「義龍公の奥方から茶道具を取り上げるとの事、どうか、考え直していただきたい」
さもなくば、
「我ら一同、この場で腹掻っ切ります」
これには信長も、彼らの要求を呑むしかなかった。
美濃系の武将の家に、長く伝わったお話。
それは言継卿記に出てくる壷事件の事なんだろうな。
美濃国人の佐藤が岐阜に滞在していた言継卿に語った話として出てくる。