180: 名無し 2008/02/25(月) 22:02:49
芋鍋(1)
徳川四天王の一人、井伊直政の次男である井伊直孝の若き頃の逸話である。
直孝は父同様、その才覚を徳川家康に見込まれ、若くして周囲に一目置かれる存在となっていた。
政務に勤しむ直孝に、ある老臣が声をかけた。
「直孝、お主の様な若者が仕事に励んでいるのは嬉しい。わしたちも励みになる。そなたを見込んで話すが、実は我々年寄り連中が集まり、二月(ふたつき)に一度、合議をしておる。どうだ、お主も来ないか?」
聞けば、参加する者たちは徳川家古参の、歴戦の武将達だった。
直孝に否やがあろうはずも無く、喜んで参加を希望した。
徳川四天王の一人、井伊直政の次男である井伊直孝の若き頃の逸話である。
直孝は父同様、その才覚を徳川家康に見込まれ、若くして周囲に一目置かれる存在となっていた。
政務に勤しむ直孝に、ある老臣が声をかけた。
「直孝、お主の様な若者が仕事に励んでいるのは嬉しい。わしたちも励みになる。そなたを見込んで話すが、実は我々年寄り連中が集まり、二月(ふたつき)に一度、合議をしておる。どうだ、お主も来ないか?」
聞けば、参加する者たちは徳川家古参の、歴戦の武将達だった。
直孝に否やがあろうはずも無く、喜んで参加を希望した。
ニュース
186: 名無し 2008/02/26(火) 00:17:22
>>180
水を差すようで悪いが井伊直政の話じゃなかったか?
老将は大久保忠世で。
ウィキペディアにも載ってる。
水を差すようで悪いが井伊直政の話じゃなかったか?
老将は大久保忠世で。
ウィキペディアにも載ってる。
※WIKI「井伊直政」
188: 名無し 2008/02/26(火) 00:39:19
>>186
ウィキペディアを見たら確かにそう書かれてました。
自分が覚えていたのは井伊直孝の話としてでした。
もし不快、不信に思われたのならお詫びいたします。
個人的に、寓話として考えていますので、詳細等を検証していませんでした。申し訳ありません。
ウィキペディアを見たら確かにそう書かれてました。
自分が覚えていたのは井伊直孝の話としてでした。
もし不快、不信に思われたのならお詫びいたします。
個人的に、寓話として考えていますので、詳細等を検証していませんでした。申し訳ありません。
191: 名無し 2008/02/26(火) 01:05:01
>>188
不快になんて思ってないし糾弾しようとも思ってないよ。
wikipediaが間違ってる可能性だってあるしね。本当はどっちの話なのか知りたかっただけです。
逆に不快に思ったらごめん。評判いいみたいだから続けてくれ。
不快になんて思ってないし糾弾しようとも思ってないよ。
wikipediaが間違ってる可能性だってあるしね。本当はどっちの話なのか知りたかっただけです。
逆に不快に思ったらごめん。評判いいみたいだから続けてくれ。
181: 名無し 2008/02/25(月) 22:46:21
芋鍋(2)
さて、その日がやって来た。直孝にしてみれば、憧憬の的であった武将達が集まり、ざっくばらんに語り合っている贅沢な酒宴だ。
ある者は手柄を立てた時の話、ある者は戦の仕様を考証し、ある者は名高い武将と戦った時の思い出を語っている。一つ一つの話に直孝は感銘を受けていた。
宴もたけなわとなった頃、大鍋が運ばれてきた。鍋の中には、よく煮えた芋が入っていた。皆が思い思いに椀に取り分け、黙々と食べはじめた。芋の入った椀が直孝にも廻って来た。一口食べた直孝は驚いた。まったく味が無いのだ。それどころか、まるで泥を食べたような土臭さであった。思わず直孝は言った。
「申し訳ございませぬ。この芋は、私には少々味が足りぬ様でございます。塩か醤油はございませぬか?」
すると老臣は箸を置き、直孝に向き直ってこう言った。
「実はお主を誘ったのは、この芋鍋を食べて欲しかったからじゃ。」
さて、その日がやって来た。直孝にしてみれば、憧憬の的であった武将達が集まり、ざっくばらんに語り合っている贅沢な酒宴だ。
ある者は手柄を立てた時の話、ある者は戦の仕様を考証し、ある者は名高い武将と戦った時の思い出を語っている。一つ一つの話に直孝は感銘を受けていた。
宴もたけなわとなった頃、大鍋が運ばれてきた。鍋の中には、よく煮えた芋が入っていた。皆が思い思いに椀に取り分け、黙々と食べはじめた。芋の入った椀が直孝にも廻って来た。一口食べた直孝は驚いた。まったく味が無いのだ。それどころか、まるで泥を食べたような土臭さであった。思わず直孝は言った。
「申し訳ございませぬ。この芋は、私には少々味が足りぬ様でございます。塩か醤油はございませぬか?」
すると老臣は箸を置き、直孝に向き直ってこう言った。
「実はお主を誘ったのは、この芋鍋を食べて欲しかったからじゃ。」
182: 名無し 2008/02/25(月) 23:24:37
芋鍋(3)
老臣は続けた。
「家康公の若き頃は、我らは毎日このような味も無い芋鍋を食べていた。そして今も徳川家のために働いてくれる足軽達、田畑を耕す農民達の中には、この芋鍋すら満足に食えぬ者もいる。我らはその事を決して忘れぬよう、こうして集い、芋鍋を皆で食べているのだ。」
さらに老臣は続けた
「これからはお主のような若者が、徳川家の政事の中心となるであろう。だからこそ、お主に伝えたかった。我らの手柄や戦の仕様、ましてや、もうこの世におらぬ武将の話などでは無い。この芋鍋の味を決して忘れてくれるなよ。」
直孝は芋をたいらげると、老臣達に深々と頭を下げ、言った。
「この味、生涯忘れませぬ。」
他の徳川四天王をはじめ、徳川創業の功臣の二代目が次々と冷遇粛清されていく中、直孝は幕府の信任厚く、彦根藩主そして大老と出世し、後に名君として歴史に名を残す事となる。
彼が名君となりえたのは、芋鍋の味を忘れなかったからかもしれない。
~終わり~
183: 名無し 2008/02/25(月) 23:27:29
これも( ;∀;) イイハナシダナー
184: 名無し 2008/02/25(月) 23:36:59
(`;ω;´)うん…イイハナシだ。