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堂々と載る事は今日でも到底考えられない
まちがいなく俺はカフェーに行く。もちろん目当てはコーヒーなんかじゃない。
女給さんだ。エプロンに和服とかありえねぇ。
そして大正初期なら、女給さんをこう呼ぶんだ
「女ボーイさん! お水!」
当時の物価考えたら一般人はカフェやミルクホールなんかいけない
というか大正は変な憧れを持つものが多いが日本は後進国だったので
大多数の庶民は薄給でこき使われ寿命も短く人権意識も低かった
そのくせ物価は異常に高く娯楽費も高かった
庶民への華族や軍人たちからの蔑視は強く決して同席すらしようとしなかったし
会話することも汚らわしいと考えられていた
あらに戦争の足音も強く混沌としていた
まじめに授業受け照ればこんな時代は唾棄すべきとわかるはず
全然浪漫なんかないよ。平等で平和な現代に生まれてよかった
ほんとか?それ
うちは庄屋の家系だが大正期に華族の方と一緒に取った写真たくさん残ってるし
一人とは親友だったらしいが・・・
ついでに曽祖父は郡会議委員やってたが写真取るとき軍人は後ろで立ってるぞ
それは旧制中学と女学校を混同してないか?
旧制中学への進学率は10~15%だけど(国策で男子の進学率を落としてた)
女学校はその4~5倍だと言われてるから最低でも40%になるぞ
女学校は、勉強というよりは花嫁修行的な教養を積む場所だからね。
裁縫とか学ぶの。だから男の旧制高等学校とかに比べて進学率が高い。じゃあ女学校に行けない子はというと、下女として
裕福な家庭に住み込みで、衣食住を保障してもらい家事を手伝いつつ、花嫁修行を積むという感じ。奉公の女版みたいな感じかね。
奉公や下女は庶民の家庭の口減らし的な意味合いがあった。親切な奥さんの家庭にいた下女なんかは
手伝いが終わった夜の少しの時間に、火鉢や囲炉裏の灰を使って奥さんから字を教えてもらったらしい。
下女を雇う裕福な家の奥さんは、義務教育以上の教育を受けている事が多かった。
>>17
>女学校は、勉強というよりは花嫁修行的な教養を積む場所だからね。
おまいさん、女学校と家政学校を混ぜて考えてない?
それから下女とか見下して言ってるけど、家政婦にもいろいろあるぞ
ひょっとして家政婦の給与が安いから、それですべて低学歴な世界だと単純に思ってないか?
あれには玉の輿を狙った子が殺到して相場が暴落した影響もあるぞ
それに雇った側も火事を任せる代わりに結婚の世話が義務みたいになって
そのために花嫁修業させてみたいな相補関係も無視できないしな
悪い部分だけを言えば、そういう資料が出てくる
良い部分を取り上げれば、こっちの資料も出てくる
一面だけで語るのも何だかなぁ
裕福な暮らしをしてる奴からすれば庶民なんかボロをきて
常識知らずで下品な顔立ちだと見てたのがよく分かる。
急いで汽車に乗ったから3等切符で2等車両に乗ってしまっただけなのに、 常識知らずで身分もわきまえない、
見たくもないという態度だ。裕福な奴や儲けた奴が市場拡大の為に
(庶民は貧しく市場は盛り上がらん)海外への進出の為に
軍部と手を組んで天皇を利用して軍国主義→戦争に繋がったわけで。
少数の金持ちや軍人だけがうまい汁を吸う、超階級社会だった。
庶民には人権もなかった。昔の作家はやたらインテリばかりだから、芥川に限らず
庶民蔑視や男尊女卑、差別用語(めくら、キチガイ、おし等)の記述が目立つ。
大学生なんてかなり少なかったしな。ボンボン息子は皆武士の家系が圧倒的だった。
あと差別用語は、庶民でも使ってたね。戦前生まれの藤子不二夫のマンガ、ドラえもんの初期なんかは
うわードラえもんがキチガイになった とか 平気で書いてるし、俺の祖母も俺が「日本脳炎って何?かかったらどうなるの?」と聞いたら 「馬鹿になるんだよ」と答えたっけな。
養護学校なんか昭和40年代あたりにできたのだから、
福祉だの人権だのなんて長い歴史から見て見れば、最近の話なわけだし。今の日本を見るととても信じられないが
先進国になってからまだ50年も経っていない。昭和30年代なんてベトナムみたく船上(船乗りじゃなくて)で家として生活する風景は珍しくなかった。戦後のバラックもまだまだ見られたらしいし。(ただ東京オリンピックで住宅事情はかなり改善した。世界に恥じないようにと。)
道路も舗装されてなくて雨が降れば道はぬかるみだった。
地方の関係で完全に全国が水洗になったのは、本当につい最近らしいし。
前半の好景気と(その好景気で町並みの急速な西欧化が進んだんだけど)
後半の西欧風の町並み(でも景気はバブル崩壊の大不況で、社会はデフレに苦しんでる)
の良いところだけが合わさった印象なんだよなあw
でもなんとなくレトロな感じは好き
明治時代は西洋を真似てレンガやコンクリート建ての建物が造られて、
大正時代になると日本の気候に合わせて木造の建物が増えてくる。
赤いトタン屋根の文化住宅が典型だが、
明治時代の学校は西洋を真似て校舎の中まで土足で入れたが、
大正時代になると木造の校舎が増えて土禁、上履きの風習が始まったらしいねw
明治の西洋文化は政府の高官や資本家など限られた範囲の人が洋風を楽しんだ。
庶民は、男女とも和服を着て、箱膳で焼き魚や煮物など食べてという江戸時代とさして
変わらない和風の生活。
大正はその西洋文化がもっと大衆化して都市庶民層にまで広まった。
食ならちゃぶ台を囲んで煮物などだけでなくコロッケを食したり、衣服ならサラリーマンの登場で
成人男子の外出着は洋服となったりしていった。
また、サラリーマンの中である程度裕福な者は私鉄などが開発した沿線沿いの郊外都市の
文化住宅(和洋折衷住宅)を購入する者も現れ、西洋文化が都市中流層にまで広まっていった時代。
>>29
明治・大正建築好きだが
明治のころの建はかなり西洋を意識していて曲線・装飾的なアールヌーボーな感じだな
日本は土地が狭いので天井を広く、ドーム型にしたりして広々と見えるように工夫してるものある
西洋風な建物でも赤く塗った瓦をつかったりしていて洋風が裏返って東洋的になって不思議なことになってる建物もあるなあ
大正時代の建物は装飾がある程度はぶかれ、直線的なシンプルな造りの傾向の建物が少しづつ増えてくる(今の建築物に近い感じ
それでも西洋の影響をひきずっていて、アールヌーボー風な装飾を施していたりするけどね
まー正直明治と大正の明確な違いはほとんどないね(建築限定で
今の我々はモダン建築をみてレトロで趣きあって面白いなあと感じるけど
当時の人々はそれが最先端の建築物で「これこそくるべき未来都市の建築だ!」と感動していたんだよね
資料すくねえ!出版社め!
江戸時代や昭和30年代ばかりがちやほやされてるけど
あの和と洋が入り混じったカオスな時代が好きなんだよ
とネタにされる事はあっても
現人神サマだなんだと学校や職場で軍人にムリヤリ崇めさせられることもなく
銀座辺りじゃ陸軍将校が路面電車に乗ってりゃ蔑まされた古き良き時代w
>>32
大正時代は陸海軍のリストラが激しかったからねえ…
たとえ将校でも尉官クラスだと現役に留まることができても食うのがやっとこさの安月給。
まるでバブル時代の公務員をもっと過酷にしたようなもんだ。
仕事は死ぬほどキツくて物価がキチガイみたいに高いのに給料が死ぬほど安いという、
今でいうとこの派遣や請負みたいな状態だった。
この屈辱が昭和初期のクーデター事件や政党政治の崩壊に繋がっていった。
天皇を前面に押し立てていなければ間違いなく軍部による共産主義革命になったろう。
そうかな?
結構のびのびしてるように感じるけど
暮らしてる人たちはのびのびしてたと思うな
東北の農村とか悲惨だよ。
軍人は悲惨な上にその軍人達の実家(農家)も悲惨。
で、金持ちだけはどんどん儲けてんの。
クーデターくらいやりたくなる。
遅筆でマイナーだけど冬目景の幻影博覧会とかも面白いよ
まだ電気が通ってない洋館とかでてくるし
あとかりんの描いてる人の昔のマンガも
洋服着てるけど下着は褌とかのなんとなくミスマッチがでてくるし
作中の建物には浪漫を感じた!
古本屋で流し読みしたけどこの漫画ホリックに似てるな
建物とかはたしかに大正の雰囲気でてたが画力がなあ・・・・。ちょっと惜しい
・武将一覧に仕官年数載ったけど知行画面には載ってない
・手取川起きて勝家なんでもないのに軍団長の秀吉に偉そうにしててわろた
・戦国のゲームなんだからもっと義理を大切にして欲しいわ
・武田と合戦すると一般的な大名と合戦したときに比べて被害がでかい
・長篠の武田家って言うほど星1か?織田徳川を相手するの結構きつくね?
・今作は退却機会増えてるから退き佐久間系の特性に見せ場ありそうだなあ
・このゲームで分かったけど上杉謙信って土地に恵まれてなさすぎじゃね?
・斎藤道三が元々あんな名前だったなんて知らなかったよ
・兵糧回復しないんだけど何が足りない?やっぱ田んぼか