物語ってないのか?
サクラ大せ ぃゃなんでもない。
>>7
帝都物語
明治45年から昭和3年というロマン溢れる時代を背景に
東京の闇の世界でくりひろげられるサイキック・ウォーズを描く、スペクタクル超大作。
帝都物語は架空の1999年まで続いている。
2・26事件や満州、学生運動も関わってるし時代風俗も多少かいているよ。
どーしてもイデオロギーがどうのって話にならざるをえない上に
当時の関係者や遺族が健在なので事実誤認をすると抗議がくるから
リスクが高いと思う。さらに学校でもこの時代はそう詳しく教えないから
お客さんの側もあまり興味がないし知識もない。だからこそ面白いところが
忘れ去られている気もするが。
ニュース
騙されて日本だけな。
デモクラシーはどこで失敗したのか。
226とか言われてるが、そこに突っ走る前に何かがあった筈。
日本の何が変化したのかは興味深い。生活水準は格段に向上したらしいが。
大不況、黄禍論、米飢饉。
一気にきたんだよ。
全部、昭和初期に一気にきた。
大恐慌が・・・・。
みんな貧乏が悪いんや。
>>12
日本政府の理想主義に、
日本人が耐えられなくなった時代……。
貧富の格差の是正が遅れるなら
せめて日本政府はセーフティネットに
力を入れるべきでした。
東北の農家が零落して大東亜の興隆も何も無い。
>>12>>14>>27
もともと戦闘階級の武士を否定し農村からの徴兵が始まった明治時代から
軍隊の平等化や民主化は進んでいた。
軍部の暴走とはそのまま国民の暴走と同義だ。
恐慌も震災も契機に過ぎず、いずれはジャコバニズム的な或いはボルシェビッキ的な
暴走は不可避だったろうな。もともと上から押し付けたものに下から突き上げられて
コントロールできなくなった形だな。明治の愚策に原因がある。
軍の将校クラスに影響した右翼の発想はロシア革命以降特に社会主義の
影響が強く、その典型が北一輝等の私有財産制限や企業国営化と言う発想。
つまり大正時代で1番重要な事件はロシア革命1917年、大正6年の出来事だよ。
これは世界中にインパクトを与えた出来事だ。
民主化が革命に至るのを恐怖して治安維持法と普選がセットになるんだろ。
日本は開港以後イヤでも国際情勢に巻き込まれて行くんだよ。
現在で言えば冷戦以後のナショナリズムの潮流だな。
日本の転機はロシア革命だよ。
民主化よりも平等指向が前面に出て現在に至るわけだな。
明治の亡霊が民主化された平等主義を暴走させたんだよ。
その組織が軍隊でであり、契機は貧困、そして制度的原因は明らかに
徴兵制だ。徴兵が経済的な問題をモロに軍隊組織内にもちこみ暴走させた。
民主化された軍隊の兵士が普選により政治参加の権利まで獲得すれば
当然の成行と言うものだろうな。政治意識の醸成と不満が頂点に達していたのが
開戦直前だろ。革命の代わりに開戦して大敗したわけだ。
徴兵制度こそ社会主義と大衆運動を軍隊内に持ち込んだ原因だ。
その結果が226事件だろ。徴兵制度とは兵士の民主化だろ。
戦闘階級や貴族ではなく大衆(デモス)による軍役だ。
馬鹿ほど平等に拘泥する。それが明治維新の限界であり、末路だな。
明治最大の改革は徴兵制度だ。そもそもこれがなければ武士は消滅しなかった
ろうからな。徴兵は必ず国民の政治や戦争に対する意識を過敏にし時には
過剰に反応さえさせる。
明治の馬鹿どもにそこまでの深慮がなかったことが失敗のもとだ。
米国のベトナム戦争前後もイラク戦争前後もそうだが異常な程の過剰反応により
開戦や参戦を好むが他方で失敗に対する反応も過剰。結果平和運動なるものも
過激になり易い。このブレの大きさこそ大衆運動の限界であり世界のあらゆる国
あらゆる制度が民意を制限している理由だ。
大衆には政治に必要な妥協だの制度の安定に必要な中庸の発想と言うものがない。
感情に走り易い。つまり馬鹿だと言うことだww古代ギリシャの碩学の警告は実に普遍的だなw
凄くいい事を言ってると思う。
これからの日本を運営してゆく上でかなり勉強になると思う
列強どもが原因だろが
こんな奴等に政権とられちゃ日本も終わって当然だったね。
一億総中流は、マルクス主義かぶれの
軍部のおかげです。
今、貧富の格差を拡大させている今の
小泉・竹中路線こそが、それ以前の日本の
経済政策に近い。
政党政治が当時の感覚では腐敗しまくりで結局軍事官僚が国の舵取りをやらざるおえなくなる位追い詰められた。国際状勢からみても軍事政権にするのが5年遅れたとも言われている。しかも戦略家が誰もいない東條内閣で議会もちゃんと終戦まで続いてる脳天気さだ
違う。豊かだったから長期戦略という発想がエリートらには無かった。ビンボというのは当時の支那や併合前の朝鮮みたいな状態をいう。
大正時代を象徴する人物を上げるとすれば、
やっぱ原敬?
昭和初期の象徴としての犬養毅・鳩山一郎と対になって
丁度宜しいかと思います。
美濃部達吉、吉野作造も代表的ですなぁ。
ワシントン条約とか、軍縮の時代に
いわゆるシビリアンコントロールとか、明治体制のほころびが出始めてきたのも
この時代でした。
昭和になってその反動が出た。
ある意味では、大正天皇は名君主かも。
なんつーか
大正時代って大日本帝国で一番幸せな時代だったんだろうな
昭和初期もなんじゃないの。
今思えば嵐の前の何とやらだが、たいていのジジババが226まではいい時代だったと言う。
文化的にも広がりをみせた時期ではあったでしょうねえ。
今でもデパートのビルやら鉄道の高架橋など、基盤となって当時のものが多く現存
していることからも窺えます。
如何せん、物理的にかなり向上した反面、震災前の大正期に比べると縛りがきつく
なったというか、エログロナンセンスとでもいうような空気というのは寧ろ退潮
していった感を受けますね。
もう少し前、大正7年の米騒動あたりが
モダニズムが生まれてくる分岐点だと思う。
ちょっとおいしいとこ取りをしすぎた感があるな
もうちょっとイギリスの要望を聞いて恩を売っておけばその後の展開も多少は違ったかも
7・3とか耳隠しとかああいうのが束髪みたいですが、
じゃあ単に後ろに一つにして束ねてるような髪型はなんというんでしょうか。
あと現代でいうただの長髪、仲間ユキエみたいな髪型は
当時の髪型の分類の中には意外と見られないんですが、どう呼べばいいのでしょうか。
>>59
VoCEの特集にちょっと載ってた。
仲間風に髪を長くたらすのは「おすべらかし」かと。安土桃山時代に結髪が出てくるまで
の主流だったけど、江戸時代後期の上流階級の女性も儀式があると伝統を重んじで
このおすべらかし(垂れ髪)にしたらしい。
普段は笄で仮結いにして必要に応じて笄を抜いて垂れ髪に変身する技もあったとか。
束髪は、まとめ髪の総称じゃない?明治の夜会巻から大正巻・九重巻・帝劇スターが
流行らせた女優巻(これが7・3だね)も束髪だし後ろに垂らした髪をみつあみにする
マガレイトも束髪みたい。コテでつけたウェーブで耳を隠すのが「耳かくし」
サイドとトップがふくらんでる髪型は「庇髪」「おでこ隠し」で明治時代後期に
流行ったそうだよ。
大正と平成って少し似てるんだよね
女性の社会進出
都市に人口集中
人口減少
大震災
に加つて参戦した。日本の参戦が英仏米側の戦捷に圧倒的影響を与へ
たるにもかかはらず、この従順な貢献者に対し英米の報いたところは
冷酷不遜まことにお話にならぬものであつた。ベルサイユ会議がこ
れであり、ワシントン会議がこれであつた。
しかもまた、戦争中より米英の思想謀略の魔手は日本に延びてゐた
のである。日本が日本人の心を喪失したのは、大正以来特にこの前の
欧州大戦中であつた。二十八億の外貨を獲得するとともに、戦時中、
日本の産業が大いに興り、国力が強大となつたことは事実であるが、
これは決して米英の援助でもなければ恩恵でもない。日本自らの手に
よつて、日本自身の努力によつて成し遂げたのである。
ただここに遺憾なことは、二十八億の外貨引当に、日本は大切な三
千年の遺産である大和魂を輸出してしまったのであつた。家族主義の
醇風美俗を破壊して、個人主義、自由主義が侵略して来た。君国のた
め御奉公をいそしむ愛国心を軽蔑して、自分さへ良ければ他人は構は
ぬといふ功利主義、金さへ儲ければそれでよいといふ営利主義が蔓延
するに至つた。労資提携して一つ心になつて事業を営むといふ日本本
来の勤労精神は、労資相剋の共産主義によつて著しく混乱せしめられ
た。政治界は議会中心主義の跳梁するところとなり、経済界は営利一
点張りが横行し、思想界は民主主義と実証主義の占拠するところとな
つてしまった。国民生活一般もまた、安価な享楽主義とアメリカ的生
活様式が流行しはじめ、日本は米英の思想的植民地であるかの観を呈
したのである。
誰かが言っていたが
明治 国家の羽振りのいい時代
大正 恋愛の羽振りのいい時代
昭和 軍隊の羽振りのいい時代
つまり大正は明治からズッコケた
軟弱な時代なのであると。
大正時代にはもういたのでしょうか?
青森の軍隊では明治末期に遭難者救助でセントバーナードを連れてったという記述があるよ
猟犬、ペットとは少し違うかもしれないけど…
土佐犬は江戸時代にすでに洋犬の血を入れてたみたいだから、
大正時代にも舶来から来た犬はいたんじゃない?
日本テリアは昭和初期に作出されてるし、大正時代に元になるテリアが
いたはずだ。
日本テリアと土佐犬について調べてみたら、ヒントを得られるかもよ。
あ、思い出した。
梨本宮伊都子妃の日記に、大正天皇(当時皇太子)からダックスフントを
もらったという記述があった。
明治時代にダックスフンドがいたのは確定。
漫画とかだと結構舞台になっている時代
萌え漫画からわりと考えて作っているものまで・・・
ところでこの時代の女性は下着を着けなかったらしいのだが
女学生袴とかだと捲れた時どうするんだ?
あとまぁ少なかったんだろうが洋装してるお嬢とかも
ノーパン健康法だったのだろうか・・・
いい時代だったんだな・・・
ただし今のような下着という意識ではなく大事な部分を隠す服という感覚なので
下着を男に見られても割と平気でパンティとブラだけで近所を歩くとか
スカートなのに電車の中で大股開きは大戦前は普通の光景だったそうだ
俺もそれきいた事がある。汽車で母親が方乳出して子に乳飲ませるのは普通の光景だったし今の中学生位の年齢の女子が上半身裸で体操していた。一部のキリスト狂の団体がキーキー怒ってたらしいけど
ソースは?
昭和以前の風俗について書かれた本を読め。
けっこう見掛けるぞw
>>88
昔読んだ「パンツが見える~羞恥心の現代史」に書いてあった
町をブラとパンツで歩くまではなかったと記憶してるけど
パンツどころか中身も見せるのに抵抗ない人がけっこういたって話があった
電車の話とか中身を「コウモリ」と揶揄してたり
ゆえに白木屋の火災でノーパンが恥ずかしくてうんぬんは
当時の新聞や小説を調べると眉唾らしい
ちなみに洋装が普及しだしたころの一般女性のパンツは
着古した浴衣のはぎれを自分で縫ったものが主流だから基本色柄付き
既製のまっ白いパンツを履くのは風俗女性ってことで
白はしたないって印象だったらしい
しかしだとすると金持ちはどうしてたんだろう?
今は室町時代以降では最悪の時代
今に比べりゃ昔の華族や財閥や成金なんて可愛いもんだね
政務に携わってる人もここまであれなのは日本史上はじめてです
明治大正の写真みたら汚職といわれる人ですらいい顔してる
結局逮捕されたんだが、当時の北國新聞に「怪力女学生、大暴れ」と書かれたらしい。
留置場でその新聞を見せられて「お嫁に行けない。」と泣きじゃくったそうです。
そして引き取りにきたひいお爺ちゃんが、愛娘が警察に何かされたと勘違い、小豆を擂り潰すための愛用の擂粉木(樫製で無茶苦茶硬い)で周りの警察官を殴打。
結局、親子そろって留置場で一泊しました。
ちなみに婆ちゃんは、米俵を担いで警察官に投げつけたそうです。
いい話だなあ
きっと>>139氏もいい人なんでしょうね
留置場で一泊で釈放されたのか?
今だったらそんなことしたら1日程度で釈放されないぞ。
場合によっては実刑判決で刑務所行きになると思う。
大正時代のヒット商品(週刊・日録20世紀より)
1910(明43):金鳥棒線香、金縁メガネ、ボトル負い猿、無鉛クラブ白粉
1911(明44):チューブ歯磨、ミニマムアイデアカメラ、シマウマ水着、クラブ水白粉
1912(明45~大1):ベス単カメラ、蓄音器、マッセークリーム、革女ブーツ
1913:大正琴、森永ミルクキャラメル、シンガーミシン、幅広リボン
1914:蝶印ハモニカ、ライオンコドモ歯磨、イカアトム53号カメラ、襟留
1915:亀の子束子、マンドリン、フローリン養毛剤、リグレーチウイングガム
1916:椰子ボタン、亀の子束子、レートポマード、名古屋帯
1917:粉ミルク、ブリキ模型船、マーセルアイロン、七色白粉
1918:スイートカメラ、ゴムバンソーコー、森永ミルクチョコ、キューピー人形
1919:国産消しゴム、メチレットライター、風防ランプ、カルピス
1920:一山式湾曲メガネ、タバコピース、アイデアカメラ
1921:謄写機、タバコエアシップ、二又ソケット
1922:渦巻き蚊取り線香、グリコ、N型万年筆
1923:糸瓜コロン、養命酒、競馬双六、電池自転車ランプ
1924:麻雀、改源、和文タイプライター、モボモガ
1925:風景オフセット切手、パーレットカメラ、洗濯板、フランス人形
1926(大15~昭元):すりガラス電球、キンカン、明治チョコレート、洗濯石鹸マルセル
1927(昭2):水枕、松下電気アイロン、2号電話機、美白ウテナ
1928:ロイドメガネ、パブロン、キリンレモン、ミヤタハーモニカ
1929:通年クレパス、エナメル下駄、携帯歯磨セット、白札ウィスキー
1930:ハエ取り紙、バスクリン、電気コタツ、ダイハツオート三輪
流行歌
1910:唱歌ふじの山、唱歌我は海の子
1911:唱歌浦島太郎、新ドンドン節
1912(明45~大元):唱歌春の小川、都ぞ弥生
1913:早春譜、阿呆陀羅経、城ヶ島の雨
1914:朧月夜、故郷を離るる歌
1915:青島ナッチョラン節、鯉は優しい野辺の花よ
1916:電車、新磯節
1717:コロッケの唄、憎いあん畜生
1918:新金色夜叉、宵待草
1919:かなりや、東京パイノパイ節
1920:赤い鳥小鳥
1921:めえめえ子山羊、叱られて
1922:七つの子、籠の鳥
1923:砂山、船頭小唄、
1924:月の沙漠
1925:証城寺の狸囃子、からたちの花
1926(大15~昭元):この道
1927:兎のダンス、鉾ををさめて、モンパリ
1928:ちゃっきり節、波浮の港、出港の船
1929:東京行進曲、お菓子と娘、君恋し
1930:あらその瞬間よ、唐人お吉、すみれの花咲く頃
都会の人も煮炊きはかまどに薪くべてだったのかなあ。
・こんな信長がやりたかったんや!PKの超級が楽しみでしゃーない!
・新生をやり始めてからなぜか全然、腹が減らなくて3日何も食べてない
・上杉プレイ面白いわ。同盟国を義で守るための勇者プレイくっそ笑える
・なんで織田と同盟組んでんだ義元!お前なんで死んだのか思い出せ!
・灌漑で農業と兵力両方カバーできるの汎用性高すぎるわ
・援軍使って落とした城って自分のものになる?
・羽柴秀長は隣で戦争やってるのに出陣しないガンジーだった
・知行一括で選べるようにしてくれないとやる気が起きない
・帰雲城の城下町のしょぼさは飛騨民からクレーム出るレベル