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やや負け、という感じ
現在の商業とは、大きく異なる。
海洋帝国だったのに・・
思うに明治維新で薩摩藩出身者が権力を握り、松方正義や五代友厚、川崎正蔵などの
薩摩人が経済界で力を持ったことが関係しているのでは?
とくに五代は大阪財界で活躍したので、機を見るに敏な大阪人は薩摩の真似をしたと・・・
戦前の関一市長だって、大阪生まれじゃなかったものな。
薩摩藩は大阪商人より500万両借りて、
明治維新のどさくさにまぎれて踏み倒したと聞いたが
その後、大阪商人はどうなった?
>>33
過去の教訓で、大名貸しがリスキーなのは先刻承知でしたからね。
リスク織り込んで備えていれば、倒産は免れたでしょう。
むしろ、明治維新のときの方が、幕府や新政府への融資で、大打撃を受けています。
>>34
ああ、薩摩藩の藩政改革の際の負債整理とごっちゃになった。
大阪の老舗が、相当数、没落しました。
やはり今も現役なのだろうか。
90年代までは健在でしたよ(^ω^)ノ
テレビでも放映してました。
警察も軍隊もあてにできないから。
同時に、防衛用の武器を持った集団が海賊集団に転じることもママあった。
現代でもマラッカ海峡当たりで海賊が出没するけど、
ああいうのは有史以前からのありふれた光景。
>>1-20
てめーら越中富山の薬売りのこと忘れてるんじゃねーだろーな、ボケがっ!!
断言しよう、富山県人が世界史の主人公であると!!
富山にあるのは製薬会社、薬売りはほとんど大阪なんだけど。
新潟には農繁期には村中総出で薬売り歩く村があるとか。
本来、土木工事も、都会に出稼ぎに行くものだったんだよな
田中角栄の時代に、不要な土建工事を地元でするようになったけどな
越僑がいるくらいだから長年の海洋交易で鍛えた手腕の賜物なのか?
ベトナム経済は華僑が握っていたが、ベトナム戦争の後華僑を追い出したからだろう。
仏印進駐時現地に入った日本人が、商売第一の華僑と、のんびりしたベトナム人
では歩く速度からして違うと書き残している。
商人の都市国家なんて、大半が没落しただろ。
ヴェネチア、ニュルンベルク、フィレンツェ・・・
今じゃ見る影もない。
そもそも「商人」といっても、今日の流通業などのビジネスとは異なる。
やたら、美化するべきではない。
美術の集積は素晴らしいしGUCCI、Ferragamo、Pucciなどが本店を構えてる
地政学的に商業の中心地が別の場所に移ったから
彼らの王国はストックとしての土地ではなく
経済活動というフローを基盤としている
アルメニア人が出ておらぬ!
パーティ出るのにもギャラ発生するんだってな
したな。
古代ローマですね
特権持った人間でないと、巨利を得られなかったわけだ
商業で大もうけできたんだよ
そのため、一族あげて受験生を支援したり、
地元の富豪が支援したりするんだよね。
複式簿記はアッバース朝のバグダッドで発明されたそうな。
今日でも、国庫から王室費を受取っていないという。
① 船荷証券の荷受人欄に特定の個人または法人名が記名されているB/L
② 日本:B/L上に譲渡禁止の記載が無い限り荷主もしくはB/L権利者の裏書があれば第三者に譲渡することが商法で認められている。
③ 欧米では記名式船荷証券の裏書譲渡は禁止されている。
>>94-95
ルネサンス期に限らず、産業革命以前は、どんなに頑丈な船でも、
風と海流が頼みの綱。
時間はかかるわ、ハイリスクだわ。
それで、手形のように、とっとと裏書譲渡して、損失の少ないうちに
取引から手を引く意義があったんだろうね。
現在では、時間が短縮化してるし、そうそう沈まない。
商取引といえば、中世のギルドの時代には、商人同士の揉め事は
できるだけギルド内部で仲裁したという。
同業者の商人が仲裁役になった。
フランスの商事裁判所のルーツもここにある。
もっとも、現代に入ると、ずぶの素人の裁判官は、迷惑でしかないようだが。
同業組合があった方が中小零細業者は助かる。
イギリスのドレイク、オスマントルコ(?)の赤ひげ
実業家として成功したイギリス貴族って、誰いる?
銀行家でフランスの男爵は多い
>>230
フランスの銀行家の爵位は、ほとんどが買った爵位だけどな。
フランスは、フランス革命で貴族を根絶やしにしようとした反省で、
金持一家の息子が没落貴族の娘と結婚すれば、
以後は合成性(自分の性+貴族性)で爵位を名乗れるようにして、
貴族制度復活を図っていた期間が長かったからな。
英国の貴族は欧州の貴族でも特異な存在で、今でも様々な特権が残っている。
生まれつき特権を与えられた人間が、わざわざ事業を起したりはしないよ。
>>247
今で言う税理士や公証人などに近いな
自営業の徴税請負人
徴税請負人は、世俗の税以外も集めていたのか?
徴税請負人が、登場するのは近世。それ以前は誰が集めていたのか?
徴税請負人は、一定額を支払って請負うが、定額でない定率税は儲かるのか?
>>247-250
本来は、教会に自発的に収める献金だったようだね。
僧侶が農民から直接集金していたのでは?
後に、封建領主や徴税請負人が徴収するようになった。
のちに認めることになり払うようになった。認めなかった領主様は
のちの世にも村人からは名君として記憶に残ったというのが、
中世のフランスの寒村モンタイユにあった。
この内容が一般的に展開できるならば、領主の許可なしに聖職者は
十分の一税を徴収することができなかったことになる。