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お母さんは同じじゃないの?
最近は秀長が産まれた時点で秀吉の父が存命していたことから
異父弟説すら否定されてる。
同父同母の兄弟だよ。
>>19
だとしたらよけいにどうして兄弟で全く違う性質の人間が……
あと、ひょっとしたら秀吉父母はかなり面白い組み合わせの血統(ダビスタ)だったのか!?
双子ならともかく、兄弟だから同じって事はない。
ましてや育った環境も違うし。
嫌ったのは、既得権を奪われた僧侶のみ。
現われよ、平成の豊臣秀長。
国民から慕われ、既得権を奪われた公務員のみに嫌われる素晴らしき漢よ。
賢人を二人も出すとは・・・
反対はしないけどさ。
それが、大河ドラマ「秀吉」の原作だよ。
実は真の主人公は高嶋政伸だった。
一般的知名度は低いがその功績は昔から評価されていた人物だぞ
秀長はちょうど畑を耕してて
秀吉の説得に「おれは田畑を耕すしか能のない男」と語ったそうな。
「太平記」の直義も高嶋政伸だったんだ
スレ立てた時、全く気がつかなかった
「秀吉」の時も「太平記」と比較する意味で高嶋にしたのだろうか?
「太平記」と「秀吉」は結構ダブる配役が多いよ。
特に、高嶋弟と沢口靖子の組み合わせは、「独眼流政宗」でもあり。
それとも反対して手打ち?
>>26
どうだろうねぇ、秀長が秀吉のやることに表立って反対し通した話が伝わってないんで
朝鮮出兵のときに限って反対するという展開もどれだけ期待できるやら。
ただ、秀長が生きていればいわゆる武断派文治派の対立は
そうとう後まで起きずに済んだ可能性は大きいと思うよ。
秀吉と同じだけの年齢まで生きていたなら、
秀頼後見として近江閥と尾張閥の対立を最小限に留め得ただろうし、
そうなると「関ヶ原」に相当する戦いの発生時期が極めて不透明になってしまう…。
史実の関ヶ原は秀長死後の十年の間の文治派武断派の内部抗争、
それが朝鮮出兵を期に激化したことを奇貨として家康が武断派取り込みを進め、
それに三成らが危機感を覚えた結果起きた戦いだから、
秀長生存の間は両勢力の遺恨を極力残さぬような采配を取れたはずだし
その後新たな対立の発火が起きない限り、史実をなぞる展開にはならなさそう。
まぁそれでも1616年の家康の没年までには関ヶ原後と似た状況にはなるだろうが、
豊臣家滅亡までには間に合わないかもしれないね…。
そしたら野心家の一人や二人居れば、面白い展開になるかも、しれない。
でも秀吉にとってこれは余計な行動で
島津の機嫌なだめるために薩摩大隈のほかに旧家久領も
安堵せざるを得なかったとか。
おいおい俗説書くなよ。
>>30
会食中に急死などしてない。
会談を終えて城に帰ってしばらく経ってから死亡。
何でも家久は事前から体調が悪く
秀吉だったかの「無理をしないように」と注意したという記録まで残ってる。
あと秀長が頭を下げに来た家久をわざわざ殺す必然性も動機も全くない。
仮に毒殺だったとしたら家久が独断で秀長に頭を下げた件で激怒していた義久の方がよっぽど怪しいのだが。
まあ病死だろうけどね。
小説ネタで偉そうに言われても困るのだが。
おまけに>>31が指摘してる点の否定には小説は何の役にも立たない。
この日本史スレに来る奴に
小説と史実の区別も出来ん奴がいるとは…
そうでなければ、コーエーのガイドブックをネタに語り出すか。
どっちにしろ、今の30代以下の思考パターンから見ると歴史学は近い将来死ぬとしか言い
ようがない。
>>38
誰でも最初は、そういうのから始まるんだよ。
土が硬いと芽が出ない。土が柔らかいと大樹にはならない。
人間も同じ。秀長は農家だったから、自然と心得ていたのかも。
藤堂高虎は「寝返り者」「主変えすぎ」などとは言われずに済んだんだろうなぁ。
大名として家名が残っていたかもしれないね。太閤殿下と秀長卿は、三菱の創業者兄弟のような人でつね。
流石、貧乏が根に付いてるな。