東では将棋や象棋に
西ではチェスやシャトランジに
なった歴史を辿る。
ニュース
将棋好きだったティムールが勝負の途中に出生の知らせを受けて命名したとか。
シャー・ルフのルフの綴りはrukh、チェスのrookと同じ場所(盤の隅)
に置かれ動きも同じ(前後十字)
シャーはshahだろうからking。
とすると日本の将棋と比較してみると
「シャー・ルフ」=「王・飛車」
そもそもシャー・ルフって尊称?幼少からの名前?
先日、日本に拘留されていたチェス元世界王者(米人)が、
アイスランドに受け入れられましたね。
経済制裁下の国でチェスで勝って、
賞金を得たから、アメリカに帰ればタイーホだとか。
政治によるスポーツへの影響って、未だにあるんですね。
冷戦構造の中でのチェスって特殊だったから。
おまけにユーゴは国技扱いにしてたし。でもフィッシャーは好きなんだよな。
我々では憧れる位しか出来ない人だと思う。
少なくとも漏れには棋譜をなぞっても、発想に想像が付かなかった。
ナポレオン定跡というチェスの定跡があったような…。ただ>>26でいわれてるように
腕前はヘボだったとも。
徳川吉宗の息子でアフォ将軍で有名な徳川家重は残された将棋の棋譜から
アフォでなかったことがわかっている。て、これ山野氏がどこかのスレで書いてたな。
あと、羽生善治三冠は>>25の元世界王者ボビー・フイッシャー救済の為に
小泉総理にメールを送ったりしている。羽生はチェスも日本代表クラス。
家康からして囲碁・将棋好きだったと思いますが、家重は能と将棋に、家治
は将棋と囲碁と絵に興味を示しており、どちらも著作がある程の実力の持ち
主でした。
賭けについては、秀吉が茂庭綱元と囲碁で勝負して負け、側室香の前を与え
たという真偽の定かでない話がありますが、どうも将棋は中世史上では分が
悪い様です。
しかし、『鳥獣戯画』(丙巻)にも出て来ており、その伝来は仏教伝来と同じ頃
だと言いますから、それなりの歴史はありました。
『明月記』建仁3年(1203)には、囲碁双六将棋と併記されており、当時遊
びと言えば音楽だった時代の楽器と対になって記されています。
また、文治元年(1185)には、文覚が寺院での囲碁・双六・将棋・蹴鞠を
始めとして博打行為を禁じていますが、『鳥獣戯画』はこうした当時の風潮を
反映したものと言えるでしょう。
『新猿楽記』には、
箏・琴・琵琶・和琴・尺八・囲棊・双六・将棊・弾棊・鞠・小弓・包丁・料理
・和歌・古歌
の名人である「一宮先生柿本恒之」という文人貴族が登場しています。
当時の主要な芸能の一つである以上、寺院への流入も自然な現象でしょうね。
チェスで大勝ちしたから
と書かれています。
日本語の「王手」をふと思い出しますね。
手持ちのHans wehrのアラビア語辞典だとshah matの意味がcheckmate
になっています。check=shahとするとmateはmatが語源ですね。
ma:tは三人称完了形「死んだ」だからsha:h ma:tは「王が死んだ」
チェックメイトの語源はアラビア語の「王が死んだ」
後手番だと玉が死んだ…。イタソー
あれは?三国志にも関羽が碁を打つシーンがあるが、起源はやはり中国?
>>33さん
「忘憂清楽集」という最古の棋書には、孫策と呂範や、晋の武帝(司馬炎)と王済が
打ったとされる棋譜などが載っています。ただし、この書が成立したのは宋代のことで、
1000年近い開きがありますので、実際に孫策が打ったものではないだろうというのが
通説です。ですが、囲碁自体は春秋戦国期には既に存在していました。
囲碁の登場する説話といえば、寛蓮上人が醍醐天皇と金の枕を賭けて勝負して、謎の
女碁打ちに負ける話なんかがありますね。まぁ、平安時代には盛んに打たれていたん
でしょうね。
ヒカルの碁といえば、サイの「黒番では負けたことが無い」という台詞がありましたが、
実際には本因坊秀策は黒番で結構負けてます。道策と道的は黒番で負けた棋譜が
残っていないそうですね。
あと、ボビー・フィッシャーがアイスランドに出国しましたね。確か彼は1972年にレイ
キャビクでスパスキーと対戦した時は、あまりアイスランドにいい印象持たなかった
ようですが、今は好きになったのかな?
「ボビー・フィッシャーを探して」という映画があるんですが、結構いい作品です。
当時から好まれていましたよ。
『源氏物語』の主人公光源氏も、帝と囲碁で賭けをしているぐらいです。
『懐風藻』には、僧弁正が唐に渡って囲碁の上手かった事から玄宗に重用さ
れたと記されており、唐代の小説にも、日本一の囲碁の名人であった王子
が唐に来て唐の名人に敗れ、「この人は唐で何番目の名人か」と問うたので、
「三番目です」と答えたところ、「小国の一番は大国の三番に及ばない」と歎
いたが、実は名人は唐で一番の人で、日本に見栄を張ったという話があります。
唐関連では、吉備真備が唐で双六・囲碁を利用して天変地異を引き起こした
という話がありますが、これも「大国」に対する「小国」の意地を示した説話
と言えるでしょうね。
漢代の名人が唐代の霊媒を通して碁を打ったところ、僅差で負けたので手
加減したのでしょうと言われたが、「いや、時代の進歩だ」と口にしたとい
う話もあります。
なお、碁石の丸いのは天を、碁盤の四角いのは地を表しているなど、色々
とこじつけめいた由来があった筈です。
は長かったですからね。囲碁は暇つぶしとしても重要なものでした。
他に「はかなき遊び」と言えば、石なご(石を使ったお手玉)やへんつくり
(漢字の扁と旁で組み合わせを楽しんだか。詳細不明)や双六ぐらいでした
から、なかなか重要です。
『十訓抄』巻一には、源義家が暇さえあれば右大臣と囲碁に興じていたと
あり、囲碁の最中に逃亡犯が庭に入って来たのを「八幡太郎がいるぞ」と
伝えさせただけで降参させたといいます。
チェスを禁止する法令をだしている。
コーランでは
あなたがた信仰する者よ、誠に酒と賭矢、偶像と占い矢は、
忌み嫌われる悪魔の業である。(5章90項)
というように賭事を禁じている。酒も女性の外出も禁じたハーキムであった
のだからチェスを禁止したのは中世アラブ世界でチェスによりコーランに
禁じられた賭事が行われていた背景があったからなのだろう。
兵隊や臣下の重要性をわからせるための、シュミレーションだったとのこと。
戦争好きの王の気を紛らわすためとも。まあ起源は謎なんでしょう。
あと発明者が王からもらったご褒美の話は数学でよく聞きますね
例えばチェスで飛車と同じ動きをするルークとキングを両取りできる状態に
あった場合、「キング・ルーク両取り」となり和訳すれば「王手飛車取り」となる。
ティムールが武将とシャトランジ(アラブ将棋)を指していて「キング」(シャー)
と「ルフ」(ルーク)を両取りした時に息子の誕生をしったのでその息子の名前を
「シャー・ルフ」と名付けた。
チェスの最強の駒は飛車と角の動きを兼ねるクイーンだから、キング・ルーク取りはそれ程の痛手ではないのでは?
歴史には関係ないけど、キング・ルークの両取りは普通なら「勝負あり」の大損害
将棋ならいったん敵にくれてやった後で取り返すことも出来るけど、チェスの駒は死んだらそれっきりだからね。
「ナイトフォーク」と言ったと思います。
小将棋(酔象なんて駒がある)とか古いものはは持ち駒はないらしい
大将棋もあるぞい。
日本将棋は中国から伝わったとされるけど、中国象棋は日本将棋やチェスとも
かなり異なる。盤の真ん中に河が流れてるし、陣地はあるし。
意外と、将棋は奈良・平安時代にインド、ペルシアから直行で
日本に伝わったのかもしれん。
でももしインドから直行で伝来したとしたらなんで日本の駒は板状で
インドとかチェスの駒は立体なのでしょうか?象棋も円形ですが板状なので
将棋との関係性もあるのでは。
日本の将棋は「成金」があるから板じゃないとまずいのでは。
ルールが先か、駒が先かが問題だけど。
そういや、貧乏人が急に金持ちになる「成金」も将棋用語から来てるな。
インドから東南アジアを経由した東南アジア系の将棋が
古い時代に日本に伝わったらしい。
東南アジア系の将棋ってどんなの?
カンボジアとジャワの将棋はマックルックに近い物でしたがチェスの影響も受けているとの事。
ミャンマのシットゥインはマックルックと似てますが独特です。
越南のカートンと沖縄のシュンジィは象棋とほぼ同じだそうです
>>69,71
タイにマック・ルックと言う将棋があります。駒の数はチェスと同じですが、チェス
でビショップに当る駒が日本将棋の銀と同じ動きをします。
凝った彫刻の駒ではナイトが象の形になっていたりしますが、普通は宝珠型の駒で大小
で駒の区別をします。
モンゴルの将棋はほぼ中国将棋と同じですが、名称が全て動物の名前です。
中国の象棋はよく差しましたが変形で三国棋や六国棋と言った変わり象棋もありますし
バラエティーに富んでいて漢代の資料にも象棋を差している絵があり歴史的にもかなり
古いようです。
韓国・朝鮮の将棋は中国将棋とほぼ同じですが真中の「河界」がありません。
後、九宮と呼ばれる王(漢・楚)と士がいる場所では兵/卒、車/俥というまっすぐにしか
進めない駒も斜めに動けます。昔『労働新聞』に棋譜があるのを見たのですが、ルールは
いまだに分かりません。
ご教示ありがとうございました。
となると、わたしがモンゴル料理店でみかけたのは、たんにチェスの駒を
モンゴル風に彫っただけのもののようです。
小学生五年生のころ、クラスの男子たちの間で将棋がはやって、その時期は外でボール遊びもせず、休み時
間に盛り上がってたことがありました。
プレーヤーたちの間で順位が付いて、そろそろブームも煮詰まったかな、というころ、「摩訶大々将棋」
をもってきた子がいて(普通の将棋にない駒と板は手作り。駒は厚紙を張り合わせて厚さ5ミリ位で、文字
はカッターで切り抜いて彫り込んである凝った作り)、No.1とNo.2の間で勝負が始まりました。
勝負決着まで一週間くらいかかったかな。
軍人将棋は普通の将棋とはかなり異なります。
陣地に兵、地雷、密偵、将軍などの駒を"裏返し"で並べそれぞれを縦横に動かし
向かい合った駒同士の優劣で相手の駒を取り合うと言うものです。
勿論、将軍なり元帥が取られると負けです。
駒の並べ方に特に決まりは無く、いきなり敵陣に並べることも出来ますし、駒の
動き自体は全て同じです。
駒の種類は製造元や地域によって違いますし、それぞれのローカルルールもある
ので一概には言えませんが・・・。
よくギャグとかで使われるけど結構奥深いもんだね
打つときは二人ではなく、三人。一人は審判で両者の駒がぶつかった時にどっちが勝ちか
を判定すると言う役。
勿論、審判と組んでイカサマをすることも出来ますし、駒同士の優劣がかなり複雑ですので
お互いの持ち駒が分からないから何をどう進めるかでかなり楽しめます。
他の流れはなかったのかな。
ま、合戦系ってのが結局将棋型の事になるなら起源
が一国になるのは仕方ないけどね。
将棋の起源と言えば、インドのチャトランガですが、単に将棋の起源を
ひとくくりにしてしまうには惜しい気がします。
将棋の起源については、
増川宏一『将棋の起源』平凡社ライブラリーが手軽でしょう。
本書は、将棋そのものの起源と日本の将棋の起源について取りあげ、
日本の方は、最近の奈良興福寺から出土した駒などを、
将棋そのものの起源については、旧ソ連の崩壊に伴うサマルカンドの
出土の駒・ウズベク共和国の駒などに考古学からの新たなる解明の
可能性もあることを紹介している。
また研究においては、旧来、チェスの歴史の基本文献とされた
マレーの『チェスの歴史』にも批判がなされはじめ、研究グループの
「ケーニッヒシュタイン・グループ」など活動もあり、将棋の起源や
研究をめぐる動きが、活気であることを伺わせる執筆で、今後とも
期待したいところです。
昭和23年の夏、日本将棋連盟は連合国総司令部(GHQ)に呼び出され、将棋に関する事情聴取を受けることになったのだそうです。
その時に、代表に選ばれたのが「升田幸三」です。
GHQは「チェスと違って日本将棋では、取った駒を自軍の兵隊をとして使用する。これは捕虜虐待で国際条約違反だ。日本軍の捕虜虐待に通じる思想なのではないか。」と難くせをつけてきたのだそうです。
ホイットニー准将という人からこう質問されて升田は、まず「少し酒を飲ませろ。」と言った。ビールが出されて、それを飲むと、「冗談を言われては困る。チェスで取った駒を使わないことこそ捕虜の虐殺だろう。
日本の将棋は敵の駒を殺さない。常に全部の駒が生きている。これは人の能力を尊重し、それぞれに働きを与えようという正しい思想である。」と言ったのだそうです。
さらに彼は、「アメリカ人はしきりに民主主義を振り回すが、チェスでは王様(キング)が危なくなると女(クイーン)を盾にしてまで逃げようとするじゃないか。あれはどういうわけだ。」と続けたのだそうです。
これには係官も呆れたらしく「貴君は実によくしゃべる。珍しい日本人である、みやげにウイスキーを持って行け。」などと言ったといわれています。
その時ナポレオンを貰ったんだけど
「あんな冬に弱い将軍はいらん」と返したんじゃなかったかな
ちなみに升田は日本では城を攻められた時は先に女を逃がしておくとか、
事実ではない事も言ってた。
国際試合が盛んなのもそのおかげかな。
囲碁はつい最近、世界に広まったんだよ。
碁は一部の例外を除き、発祥の中国と、日本などその周辺にしか伝わらず、
世界中に広まるようになったのは近世、特に戦後だったりする。
とっつきは将棋よりも悪いが、白黒のみの石で陣地取りで完成されていたのが
差異を生じさせなかったのか、日本や朝鮮半島でも基本的なルールは変
わらない。違いは事前の置き石制だが、今日では中国も朝鮮半島もその
自由度の高さゆえか日本で始まった置石なしの自由棋法が主流。
日本ルールと中国・台湾ルールとでは、現在も得点計算の方法が異なる。
「地合取り」と呼ばれる日本ルールの方が若干複雑。
現在の国際ルールは日本式。
オセロは次元がまた別か。
だったかな、あたりに特許が通ってしまったというのは聞いたことあり。
日本人がオセロを発明して売り出したところ大ヒット。
日本での特許もとってある。
ほぼ同じルールのゲームが昔からイギリスにあった。これがリバーシ。
ツクダ以外の会社は特許回避にためにリバーシの名前で売ることにした。
当時リバーシは無名で、広く知られるようになったのはオセロのヒット以後。
日本オセロ連盟 オセロの歴史 長谷川五郎 記
http://www.othello.gr.jp/r_info/history/
オセロの原形は、1945年9月に茨城県水戸市で生まれました。……
私(長谷川五郎)の家も、私の通う水戸中学校(現水戸一高)も、全部燃えて灰になりました。
1945年9月からは土手に腰をおろして土手の下に一つだけ黒板をおいて青空授業が再開されました。
オセロの原形はそういう環境の下に生れました。
囲碁(相手の石を囲んだら取る)を良く知らない中1の生徒達のガヤガヤワイワイの中から、
相手の石を挟んだら取るというルールが私の発案で生まれました。だからオセロの石は黒と白です。
初期のオセロは挟んだらいちいち黒石、又は白石を全部そのつど取りかえて行っていました。
それでは手数が進むにつれ大変な作業となるので、表裏を黒と白にしたボール紙を使うようになりました。
オセロは1945年9月から1950年ごろにかけて水中、水戸一高の10分の休み時間に徐々に
はやって行きました。友人のM君(現存)もボール紙製のきれいなオセロの石を作って学校に
持ってきていたことをなつかしく思い出します。
……
オセロゲームのオセロの名は、シェークスピアの劇「オセロ」からとったものです。
美しき白人の妻デズデモーナ(白石)を持つ黒人将軍オセロ(黒石)が緑の平原(緑の盤)で勇敢に戦う
波瀾万丈の物語ですが、それはオセロゲーム(黒石、白石、緑の盤、波瀾万丈の内容)そのものでしょう。
学校の休み時間作ったんかい! (゚Д゚;)
・2人交互にやる
・情報完全公開(麻雀のように、手の内を隠すことがありえない)
>>129
まず「ゼロサム」「有限」「確定」も条件として必要だよ。
それと理論的にいえるのは「手番を決めた時点で勝敗が決まる」だけ。
先手必勝ではなく先手必敗かもしれないし、引き分けかもしれない。
あとこれはCOM対人の話とは何の関係もない。
両者が最善手で応酬すると引き分ける解があるから必勝法があるとは限らない。
将棋の場合、千日手のことですか?持将棋のことですか?
俺は>>130じゃないけど千日手などによる引き分けのルールがあること
が前提。より正確に言うとチェスの場合、『「白に必勝法がある」、
「黒に必勝法がある」、「引き分けに持ちこむ方法がある」』のいずれ
かが成立することが数学的帰納法で簡単に証明できる。証明自体はして
いないけど、チェスを数学的に定式化した数学者、E.ツェルメロの名を
取って「ツェルメロの定理」と呼ばれている。