日本酒、ウイスキー、ブランデー、ワイン、アブサン・・・
なんでも結構です。
あと酔っ払いのお土産についても語りましょう。
ニュース
人類が地球に存在したと確認されているのは約200万年前と言われています
が、6000万年も前にワインの原料であるブドウが繁茂していたことが
化石より確認され、
また、そのはるか前に微生物も生息していました。
つまり、ブドウ果が微生物によりアルコールになっていたことが
推測されます。
現代の酒のように嗜好品としての価値はともかく、
ワインの原型のようなものは確かに存在していたようです。
飲みたい(;´Д`)ハァハァ
ただ初期の酒は果実、木の実、蜂蜜などが自然に醗酵してできた酒だった
と考えられる。
やがて稲作の発達と共に“口噛みの酒”が生まれた。
これは口の中で飯を噛み、唾液に含まれるジアスターゼ
(糖化酵素の作用で米の澱粉を糖化してできた)、
アルコール度数の低い酒である。
その口噛みの作業を司ったのは処女であったといわれており、
ジアスターゼに老若男女は無関係ではあるけれど、
古今東西、誰しも考えることは皆同じなようである。
新婚ホヤホヤの若妻が造り、
それを二人が水いらずで飲んだものとされ、
それがハネ・ムーンの語源となっている。
『論語』郷党篇
肉雖多 不使勝食氣 唯酒無量 不及亂
肉は多しと雖も、食気に勝たしめず。ただ酒は量なし。乱れるに及ばず)
(孔子は、肉はたくさん食べたとしても飯より多くは食べなかった。
しかし酒は底なしだったが、乱れることはなかった)
山東省の曲阜には今でも「孔府家」という銘柄の酒がある。(孔子が飲んだ酒かどうかは定かではない)
アルコール度数39度、主成分は水と高粱、小麦、大麦、豌豆。
キツイ酒だが割と後味はすっきりしている。
「酒は量無し、乱れるに及ばず」だった孔子が、
伝統ある酒器の形が変わったことにブチ切れた言葉が残っている
『論語』雍也篇 子曰 「觚不觚, 觚哉! 觚哉!」
觚は古代の酒器で、当時の二升(約400cc)が入った。孔子の時代はどうか知らないが、戦国時代には既に、本来青銅器だったものが漆器に変わっていたという。
小生はこの前に中国国宝展で殷代の觚を見たが、大型で上部がラッパ型に開いた筒型の青銅器で、とてもここに直接口をつけて飲んだり杯に注ぐことができそうな形ではなかった。
ひしゃくを使ったという説もあるが、徳利や燗などのような日常使う酒器ではなく、祭祀の時に酒を入れるものだったのかもしれない。
祭器と考えると孔子がこれほどまで激怒した理由も納得がいく。一般的に儀礼では特に伝統的形式が重んじられるからである。
「大事な祭器<觚>を適当な器で間に合わせおって!わしはこんなもの觚とは認めんぞ。
こんなもんが觚か!こんなもんが觚か!! (`Д´怒)」
おおむね、殷代の青銅器は祭具と考えて申し分ないかと。
日常生活に利用するには製造に手間がかかり希少であり、
農具などならいざしらず、現代に比べ金属加工技術の未熟な
殷代において、器を金属製にしても
重く持ちにくいなど、日常の利便性に欠けるから。
日用品としての器は主に木や竹、土器などを用いたんでしょうねえ。
まあにぎやかしに「酒の変えた人生」でも一つ。
久安6年(1150)6月14日、舞楽の家系の人であった狛則康が、29歳
にして「無縁聖人」の下で、突如出家した。
「非道心、非病、酒狂云々、又私主君仁和寺宮勘当故」かとも言われた彼の出
家は、果たしていかなる顛末によるものであったのだろうか。
元々彼は若い頃は仁和寺の法親王の寵童であったのだが、後にその縁で北面
の武士源則遠の養子となる。飲酒癖は養父から受け継いだものらしい。
しかし、間も無く彼は法親王の寵愛を失い、旧姓に復して舞人としての生涯
を送ろうとした。
だが、成長してからの習得は上手くいかず、頼れる人もいない中では、後ろ
めたさもあって鬱状態になる事が多かったらしい。
そして運命の6月12日、下向先の奈良で兄光親の宿を訪れた則康は、酒を
くみかわしている内に口論を起し、遂には乱闘に到った。
これは則康のいいがかりに近いものであったらしく、周囲の親族が一方を制
止し、もう一方を別室に逃れさせる事で、その場は収まった。
しかし、則康は光親のものを破壊し、日頃の鬱憤をぶちまけ、裸足で外に飛
び出すや、衣装はもとより烏帽子まで脱いで、絶叫しながら歩き続けた。
まもなく彼は発見され、親族に送られて帰宅する。
だが、弓箭を帯び、腹巻(歩兵用の鎧)を着用してまた外出した。
後世でいう辻斬りを目指したのか、それとも襲撃を目論んだのか。
それは分からない。偶然一人の僧侶に出会った彼が、微笑して帰宅したので。
出家を遂げ、俗世と縁を断ったのは、その翌々日の事であった。
途中まではただのDQN譚ですが、何か救われた気になるオチです。
まずは柿ワインがあるか。
試しにペットボトルにドライイーストと適当な果汁入れて常温で放置してみ。
でもアメリカ史スレでもあまり語られたことないんだよね。
アメリカ史上で禁酒法時代は黒歴史なのかも。
しかし、タバコ関連の訴訟(「肺ガンになったのはタバコ会社の責任だ!」というあれ)でも
タバコ会社に異常なまでの高額な賠償金が科される背景には、
酒を禁止してギャングを増殖させた禁酒法時代の苦い経験があるのかも。
昔の漫画などに出てくる酔っ払いのお土産は、海苔巻きなどのすし屋の折り詰めです。
酔って、その辺に忘れないように、手首に通して持ち帰れるよう、ヒモを長く、ワッカ状に出して縛ります。
私が子供の頃には実際に、あの長い紐をぶらぶらさせて、千鳥足で歩く、中折れ帽をかぶった、
波平のようなサラリーマンもたまには見かけられました。
一度でいいから、そのナチュラルな酔っ払いの土産をみたいな(藁
飢餓体験をした戦中派の刷り込みで
ちょっと高めの食物を買って帰ったら、家族みんな喜ぶと思っている。
父親が外で酒飲んで、折り詰めをぶらさげて帰るなんてのは
日本、しかも特定の世代だけの現象なのでは?
そりゃ君、あんまり一方的な決め付けじゃないか。
酔ったおっさんが、後で自分で食うためにだって買う事もあろうし、
たまたま入ったすし屋の寿司があんまり見事なら、女房にでも、見せて、食わしてみたくなったすることもあろうさ。
まぁまぁ。
折り詰めと千鳥足ってマンガでは酔っぱらいの記号みたいになってるのに、
本当に折り詰め提げた酔っぱらいなんて見たことないと思ってたら、
実物を見たという前レスがあったから、昔はよくいたのかなーと思っただけさ。
ついでに、外で酒飲んだお父さんが弁当を持って帰るって話も
外国ではあまり聞かないから、日本だけの現象ではと推測してみただけよ。
決め付けと受け取られたのなら謝るよ。
もう10年くらい前の話だが、会社の飲み会でシメになったときに、幹事が
「この店は、あの『酔っ払いのお土産』が出来ますよ」っつったもんだから、
みんな(20才の新人から50前の社長まで)喜んで頼んでたよ。
ちなみに、中身は細巻きの詰め合わせだったが、確かに家族も喜んでいた。