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道雪は強い。一個人としての意見だが、彼の言動・戦略がどうも古代中国の武将と通じているような気がする。
高橋・宗茂は周りの評価、島津征討、朝鮮の役にもあるように、ある程度は強かったのだろう、
しかし、現在もてはやされているように桁違いに強かったかどうかは、登場した戦が少ないのとそれに資料不足により
軍神のように強かったのかは分かる術がない。
名将言行録だと宗茂の評価は神クラスだったな。
「岩屋城の戦い」を調べてみよう。
兵力比70:1で負け戦ではあるけれど
こうも渡り合える人はいないと思います。
立花道雪 107 89 86 54
大友家臣。立花城西城督。落雷で歩行不能となるが、
輿に乗って常に大友軍の先陣を切り「鬼道雪」の異名をとった。
生涯を軍陣で過ごした、家中随一の猛将。
立花 宗茂 97 94 68 60
大友家臣。高橋紹運の子。立花道雪の娘を娶る。
豊臣秀吉に「忠義と剛勇は鎮西一」と評された。
関ヶ原合戦で西軍に属して改易されるが、のち旧領に復した。
高橋 紹運 95 94 70 22
大友家臣。筑前岩屋城主。吉弘鑑理の次男。
立花道雪と双璧をなした猛将。
島津軍5万の軍勢を居城にてわずか7百の兵で迎撃、
敵兵多数を道連れに玉砕した。
数字は信長の野望革新の能力値(左から統率、武勇、知略、政治)
小骨を取って食うのは武士の食い方にあらず
宗茂は鮎を丸ごと食うようになったそうだ
輿は6人だったみたいだよ
今山合戦のとき
道雪/紹運は1569年から対毛利戦。
立花山城城督になるまでの1571年まで他方面で
働けないのでは?
1570といえば紹運も実父の家督の方で補佐もあったろうし。
宗茂は3歳。
どう関われと。
竜造寺勢との境界上の歴々に問題があると思うのだけれども。
ここは用兵に失敗した大友宗家と愚と、
鍋島直茂と慶誾尼樣の功を讃えるべきだと。
宗茂>道雪>紹運
宗茂は野戦だと滅法強い
肥後の一揆でもピカ一の働きをしている
ただ、宗茂に道雪の代わりが出来るかといわれれば難しいし、その逆もしかり
過小評価じゃね?
宗茂自身が優れていたのもあるが歴史とは積み重ね
>>39
下半身不全だから高いのだ。
下半身不全でも戦場に出ているということで。
単に勝手に持ち場を離れて帰った兵士を家族ごと処罰しただけのはずだが、
なんか曲解してないか?
家族ごとって旧ソ連の政治将校よりひでぇw
道雪は基本的には多少のことは笑って許すが、裏切りや軍規違反には
激怒して苛烈に当たったらしいからな。
いかにも九州人特有の誇張話
信玄が面会キボンって書簡を送ったくらいだから
誇張とは言えまい
誇張が過ぎるきらいがあるな
まあ、中国ほどではないが
道雪が豊後の南郡衆に出したといわれる九か条の檄文(実際は箇条書きじゃないんで
8とか10箇条と言われたりもするが)は評価としては政治力なのか統率力なのか?
主な内容はこういうのらしい
・家臣が主君、大友義統公をいかに盛り立てていくか
・たとえ嫌われてでも主君に諫言してこそ家臣と言うものである。
・我が身の無事だけを考えるな。公私共に気勢を失う事になる。
・何事も家臣同士で相談し、大友家の事に力を注ぐべき。
・どんな状況でも義理に背かず、主君を尊ぶ心を持て
それが道雪隊の強さを支えたのは事実だが、
僻地ならではという気がする。
道雪は畿内~関東圏で通用する武将だったのだろうか?
織田も長篠の戦いで鉄砲隊の後ろに抜刀隊を並べてたらしいし
当時としては珍しくないんじゃね?
それに当時の九州は僻地ではなく都会。人口も京都の次に博多が多かったそうな。
博多がそこそこ栄えているからって、
九州が都会というのはどう考えてもおかしい。
当事のヨーロッパでの鉄砲の扱われ方というと、
実戦用途でなく、実質、王侯のへの贈り物だった。
信長の長篠の戦いというのは、鉄砲の集中運用を
世界に先駆けて行ったものとして評価が高いのだけれども
長篠を遡ること15年前に道雪は、鉄砲の集中運用をしている。
また後になって「早込」という弾丸/薬莢を開発し、速射を可能にしている。
この鉄砲隊を引き継ぐ事になる宗茂は関ケ原合戦において
他家の3倍ほどの速射であったとされている。
>長篠を遡ること15年前に道雪は、鉄砲の集中運用をしている。
地の理を考えていない。鉄砲が早く手に入る地域にいたなら当然。
実際、戦国大名のほとんどが鉄砲を知ると、運用を考え出した。
武田信玄は甲斐にありながら、伝来よりわずか10年で300挺揃え、
生産はできなくても、防御対策の研究を進めた。
たかが300挺というかもしれないが、地の利と当時の全体の挺数を
推測すれば、戦国で最も鉄砲の価値を知っていた大名ともいえる。
立花宗茂はギンチヨに戦功もなにもかも持ってかれた
>>186
岩屋城攻防戦で複数回に渡る降伏勧告拒否。味方全員戦死で相手大損害。
息子にとげとげの付いたままの栗を踏ませた。
食いっぷりが豪快
ってこれくらいしか知らない。ってみんな知ってそうなものばっかだけど
全員戦死ってすごいな
許嫁が疱瘡にかかって見られん面になって、嫁側が断り入れたの無視してケコーンとかは創作?←紹運
塚、長男の宗茂を道雪の養子にくれてやったって事自体が、この時代にすりゃ結構な逸話だと思うんだが。
道雪に養子の話を持ち出された時、最初は断って次男を進めたんだよな
でも道雪に「主家存亡の折、筆頭家老の立花家の当主は宗茂じゃなきゃいけない」
って粘着されて泣く泣く宗茂を養子にだしたって話しだよね
>>205
宗茂が道雪のもとに行く際脇差を渡して、
「もし道雪殿と父が争うようになったらこの刀で父を刺せ」
と送り出したそうな。
wikiには小田原征伐の際に宗茂は小早川隆景を義父としたとあるが、これは本当なのかね。
ネットで調べた限りではwiki以外にソースがないが、本当ならこれぐらいすごい親父達を
持った男もそうはいない。
戦国無双2買ってしまった
ぎん千代が出るから宗茂はじめ立花家もスポット当たるだろうと思ってたら
終始「偽剛勇鎮西一」ぎん千代サマの独壇場で
宗茂たちは影も形も名前すらも出てきませんでしたとさ・・・
くそおおお恨むぞコーエーめ
信長の野望やりだして、けっこう凄い猛将だってこと知った。
信長やる以前はメジャーな大名しか知らなかったな
なんか想像よりすごい小さかった。城というより砦って感じだった
その程度の城であんだけ戦えるのが紹運の凄さなんだろうね。
生き残る気が毛頭無かったことがうかがえた気がする
昔本で読んだんだが、関ヶ原後放浪中、24人の家臣が主にひもじい思いをさせまいと一生懸命面倒を見ていた。
それでも金が尽きてきて仕方なく大根粥を出したら、家臣の苦労を知らぬ宗茂が「気を使ってくれるのはありがたいが、俺は体は悪く無いぞ。」と言って普通の飯をねだったらしい。
普通なら家臣は怒るなり落胆するとこだが、家臣達は、「殿はいまだ国の主の品格をお持ちじゃ!」と泣いて喜んだとさ。
これ知ったとき宗茂主従が凄く好きになった。
俺が読んだ本では
家臣たちは「ああ我が主は雲の上の人よ、家臣の苦労などまったく分からない」とホロホロ涙を流したとあった。
紹運は強い強くない別にして惚れる。
創作かもしれんが、
・痘瘡煩った許嫁側から婚約破棄勧められたが無視して結婚
・長男(跡取り)を道雪の養子に
・岩屋城
信者だから冷静にゃ見れん。
紹運にはこんなエピソードもあるな。
あるとき老臣北原鎭久が秋月種実に内通しているのを知った紹運は
先手を打って彼を誅殺した。当然その息子も殺されるのが普通だが、
紹運はあえて父親を殺したことを告げて理由を説明し、その遺領を相続させようとした。
父の罪を償う気になった息子は
「謀反がばれて父は殺されたが、親の仇討ちのため自分が代わって
手引きするから軍勢を寄こしてほしい」と種実に密使を送った。
種実は疑うことなく300余騎の軍勢を送り出したが、
事前に知らせを受けていた紹運は兵を伏せており、
秋月勢は殲滅され生きて逃れたのは十余騎のみだった。
紹運は人を生かして使う方法を知ってた人なんじゃないかな。
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