家紋が隠れキリシタン大名に多いものだったり
もしかしてキリシタンだったの?
宗麟の臣下だったし、結構そういうのになじんでたんじゃないの?
イイトコ育ちのボンボンってイメージが^^;
はぁ? 実父と義父、あの2人の下で甘やかされてたとでも?
イイとこ育ちのボンボンの方が案外教育が厳しかったり
するんだよな…これが……
有名な戦国武将はほとんどおぼっちゃまになるわな。
お坊ちゃんぽい逸話と言えば関ヶ原後の浪人時代での各エピソード辺りか
なんかどちらかと言えばお殿様なエピソードだが
ちょっと俗世離れしてんだよね
ネタとして大河ドラマ風に「立花宗茂」の話を考えてみた。
1話「吉弘鎮理の結婚」~鎮理(高橋紹運)の結婚の逸話と千熊丸誕生まで
2話「多々良浜の戦い」~大友家と毛利家の抗争
3話「高橋家」~紹運が高橋家の名跡を継ぐ
4話「女城督誕生」~立花道雪が娘誾千代に家督を譲る。
5話「雷神の化身と栗の毬」~由布雪下に栗の毬を刺し込まれる。
6話「豊後の落日」~耳川の敗戦で揺れる大友家臣衆に道雪は檄文を発す。
7話「婿入りと初陣と」~統虎が高橋家を出て立花家に婿入りする。
8話「松尾殿の悲劇」~宗像家との抗争で悲しむ松尾殿を慰める。
9話「カエサルの死」~竜造寺隆信と四天王の死、同日に松尾殿も死去
10話「秋月襲来」~道雪の留守を狙って、秋月軍8千が襲って来る。
11話「雷神の最後」~道雪が高良台で陣没、統虎が実質的な立花城主に
12話「筑紫の押しかけ女房」~岩屋城に筑紫広門の娘かね姫が訪問
13話「島津の野望」~島津軍が筑紫家に攻め込む
14話「父の覚悟」~岩屋城退去を求める統虎からの使者に紹運は覚悟を語る。
15話「壮烈!岩屋城」~紹運玉砕
16話「義に背いて生きんより」~父が死に母弟妹達を人質にされた統虎は・・・
17話「反攻」~援軍到着の報により後退する島津軍に統虎は追撃を仕掛ける。
18話「吉塚」~高鳥居城を落とした統虎は敵将星野吉実を手厚く葬る。
19話「雲井の空に」~岩屋城を奪還した統虎は、父の辞世の句を目撃する。
20話「剛勇鎮西一」~九州征伐、秀吉との会見、薦野増時が弟達を奪還する。
21話「柳河へ」~筑後柳河の大名となる。誾千代が立花城を出るのを嫌がる。
22話「肥後の動乱」~肥後国人一揆勃発
23話「山鹿の兵糧入り」~佐々成政への兵糧支援の為出兵、有働兼元と戦う。
24話「十三連戦」~柳河への帰り道に次々と肥後国人衆が襲い掛かる。
その2
25話「人鬼の涙」~田中城攻めに参加した統虎に、巨漢和仁人鬼が立ちはだかる。
26話「黒門の放討」~隈部一族の処刑の命を受けた統虎、その中には家臣の弟が・・・
27話「無情の世」~佐々成政が切腹し、加藤清正、小西行長が代わりに肥後の領主に
28話「十九万石の傘」~一揆鎮圧の功により従四位の官位を得た統虎に加藤清正は・・・
29話「戦国の義人」~加藤家から逃れた罪人を匿い、一族の立花統春が切腹する。
30話「西国無双」~小田原攻めの際、統虎は本多忠勝と共に秀吉に褒め称えられる。
31話「唐入り」~文禄の役開始、小早川隆景、秀包等と共に朝鮮へ
32話「大友家改易」~明軍の襲来に敵前逃亡してしまった大友家は改易されてしまう。
33話「碧蹄館の戦い」~明の李家軍との戦い。十時伝衛門戦死。
34話「墨縄」~鉄砲自慢をする黒田長政に、弓で勝負をすることに。
35話「晋州城の戦い」~晋州城の援軍に来た明の軍勢を小早川秀包と迎え撃つ。
36話「休戦」~明との間に一時的な講和が結ばれ、日本に帰国する。
37話「菊姫」~従兄弟の吉弘統幸が訪れ、叔母である菊姫の探索を頼まれる。
38話「溝口紙」~日源上人の製紙業を支援し、溝口紙を製作する。
39話「出会いと別れと」~細川家からの勧めで八千を側室にし、誾千代と別居する。
40話「再び異国へ」~慶長の役開始
41話「般丹の戦い」~明の高策2万の軍を、立花軍は夜襲を仕掛けて撃破する。
42話「蔚山城救援」~明軍の襲撃を受けた蔚山城を救い、加藤清正と友誼を結ぶ。
43話「夢のまた夢」~日本で秀吉が死去、日本軍は撤退のため釜山へと集うが・・・
44話「日の本の名誉のため」~小西行長を救うため、仇敵島津義弘と共に順天へ向う。
45話「露梁海戦」~朝鮮出兵最後の戦い。李舜臣戦死、小西行長を助けて撤退する。
46話「大戦の始まり」~徳川家康と石田三成の対立が決定的となる。
47話「勝敗に拘らず」~家中で一人家康の勝利を予見する薦野増時に対して宗茂は・・・
48話「去り行く人」~誾千代との最後の対面、そして吉弘統幸が立花家から去ってゆく。
その3
49話「大津攻め」~西軍に付いた宗茂は、京極高次の離反を察知し大津攻めに参加する。
50話「大友家の終焉」~立花家を去った吉弘統幸の石垣原の戦い。大友家完全滅亡
51話「勝利し敗北する」~大津城を降伏させた宗茂、しかし翌日関ヶ原で西軍は敗北する。
52話「遺恨」~大坂城での決戦を断られた宗茂は、帰国の途中島津義弘と出会う。
53話「八の院」~柳河に戻った宗茂に、同じ西軍に付いたはずの鍋島軍が襲撃する。
54話「開城」~鍋島、黒田に攻められる宗茂に、加藤清正が救いの手を差し伸べる。
55話「人徳の罪」~加藤家に預けられた宗茂を支援した柳河領民が新領主に処罰される。
56話「浪々」~加藤家を出て京に向う宗茂一向。家臣達は働いて宗茂を養う。
57話「妻の願い」~小野和泉の知らせにより、誾千代の死を知った宗茂は江戸へ旅立つ。
58話「エイギョエイサツ」~江戸に行く途中立ち寄った名古屋にて亥の子祝いの日を迎える。
59話「虚無僧無双」~江戸にて、虚無僧姿で日銭を稼ぐ十時摂津にゴロツキが絡む。
60話「秀忠と宗茂」~摂津の騒動が元で呼び出された宗茂は、徳川秀忠に仕えることに。
61話「棚倉へ」~奥州棚倉の領主となる。
62話「感状を求めて」~肥後から以前宗茂に仕えていた清田正成がやってきた。その目的は
63話「清正の死」~清正が死に、家康は豊臣家を滅ぼしに動く。豊臣に付くか疑われる宗茂。
64話「立ち位置」~詰問を受けた宗茂は、立花家への婿入りの際の紹運の教えを語る。
65話「大阪の役」~夏の陣にて宗茂は秀忠本陣への大野治房の急襲を察知する。
66話「大阪落城」~大阪の役終焉。
67話「弟の遺言」~宗茂の養子となった忠茂(直次4男)と共に病身の直次を見舞う。
68話「柳河再封」~筑後田中家が改易され、宗茂が再び柳河藩主に返り咲く。
68話「ぼたもちさん」~肥後腹赤村を訪れた宗茂は誾千代の墓を建てる。
69話「兵は人の和」~新たに将軍となった徳川家光に、戦における心がけを語る宗茂。
70話「島原の乱」~島原の乱による思わぬ苦戦に、幕府は宗茂に参陣を要請する。
71話「最後の戦い」~原城攻めに参加した宗茂は、諸将の反発を受ける松平伊豆守を助ける。
72話「太平の世」~死の床についた宗茂は、懐かしき人々の夢を見る。
何話か削ったのに、随分長くなってしまった・・・頑張れば2年分くらいいけそうw
格好イイ!!
乙!
俺もストーリー考えたことがあるけど、君はよく調べてるし、なにより宗茂に対する
熱い思いが伝わってくるのがいい。
>>825
おつかれー!
こういうの考えてる時って楽しいよね
戦ネタ以外はもっと1話にまとめられそう
個人的には第1話は、秋月種実の旧領奪回から初めて紹運の結婚ネタでいって欲しい
同い年だし(広門あたりも?)
第10話あたりで
「秋月が攻めてきました。種実は筑前を代表する猛将です」
だけのナレーションだと凄味が全く感じられない
=宗茂がこの種実を相手に勝ったとしても「ふーん」で終わってしまうと思うんだ
相手が凄いからこそそれに勝った宗茂の見事さが映える
一度は降伏したけど耳川の後は熊とか島津と結んで延々と戦い続けて結構な領地得たんだっけ
最終的には九州征伐で秀吉に負けて移封されたらしいけどね
種実はもっと評価されるべきだと思ってる
13でお家滅亡、15で旧臣らと語らいお家再興の挙兵
20年ちょっとで筑前36万石を切り取ったわけで
実際、道雪の弟も戦で討ち取ってるし、実力もある
(道雪本人は救援で赴いたが間に合わなかった)
九州征伐のときにも島津に与してたが
秀吉からも
「百万石やるから部下になれ」
と言われたという話もあるしね
立花宗茂語録1
1、7歳の時、目前で喧嘩がおきて慌てる家臣たちに
「あの騒ぎは我らとは関わりなきこと、お前達が慌てるのは可笑しな事だ」
2、下手人を後から斬った萩尾大学に
「それは上手いやり方だ。」
3、2に対して大学を非難する者に
「役目に対して、型にとらわれやり難い方法をとって、仕損じることこそ不忠であろう。」
4、襲ってきた野犬を峰討ちにしたことを紹運に問われ
「太刀とは敵を斬るものであり、畜生を虐るものではございません。」
5、道雪から弓で的を射ることをすすめられて
「この弓は弱いものなので強いものと変えていただきたい。」
6、そろそろ初陣してみるかと、紹運に問われ
「自分はまだ強健ではないので、今出ても不甲斐なく討たれるやもしれません。
あと、1、2年もすれば必ずやひとかどの将として活躍してみせましょう。」
7、初陣の時、紹運の軍から離れようとすることを有馬伊賀に問われて
「父と一緒に動いては、我に従う者も父の勢と共に進退して、我の下知には従わぬ
ではないか、それでは我が一隊を率いてる意味があるまい」
8、道雪の留守中に押寄せてきた秋月軍を前に薦野増時に
「敵は大勢であり、またこの統虎を若輩と侮っている。夢にも夜討ちを仕掛けられるとは思っていまい」
9、岩屋城で紹運が玉砕し、母弟を人質に降伏を迫る島津軍に
「いやしくも義に背いて生きんよりは寧ろ死するに如かず」
続きはまた今度、抜けとかあったら指摘してください。(道雪や紹運のも入れるべきかな?)
>>903
4.に補足をさせて下さい。
それを聞いた紹運は嬉し涙を流しながらも
「我が子ながら器量雄才ともに抜群だ。しかし成長して後、自分の才能を誇る
ようなことをしてはならぬ」と諭した。
宗茂はその教えを生涯まもり、自分の才能を人前で誇るようなことはしていないね。
>>911
したよ。独立した軍は率いず秀忠の参謀的な役割だったと思うけど
その時の宗茂の用兵の妙に関するエピソードも残ってるし
彼のエピソードを読むと、人間の心理を読むのがうまかったんだろうなと思う
その辺が秀吉と相通じるところがあって、かわいがられたんではないかな
その才能を秀吉は主に政治の方に、宗茂は戦術の方に活かしたという違いはあるけど
まぁ性格や立場の違いもあることだしね
>人間の心理を読むのがうまかったんだろうなと思う
その割には嫁さんの心理は読めなかったよーで
心理学者やカウンセラーだって夫婦円満とは限らねーだろ
雨降っても乾飯を取り込まなかったりの
微妙な浮き世離れ感と合わせて
逆に宗茂の欠点を教えてくれ
俺はタネ無しということくらいしか思いつかんが
その人柄や歴戦の武将として、潰すのは惜しいと思われたんだろうな。
有能すぎるのも時として損になるっていうか
でもまぁその後の奇跡の伏線と考えれば、これほどドラマチックな役回りもないよな
宗茂を残すのは厄介事を残すのと同義語だったかと♪
>忠義者ってのは敵からみれば靡かない厄介者だからね
徳川が大名復活に際して領地を棚倉1万石とワンクッション置いたのは
その辺警戒して親しい西国の大名と離す意味もあったのかもね
真相の有無はともかく、確かに親父譲りの篭城戦をやられたらたまったもんじゃない。
>>925
そんなことされたら
大阪城近辺が地獄絵図に
力攻めしたら間違いなく血の海。そうなると結局兵糧攻めに……
鳥取城の悲劇が
>>926
立花宗茂が守城指揮を執り、真田幸村が切っ先となる大坂城相手に
兵糧攻めなんてやったら、兵糧が尽きる前に心労で家康の寿命がつきかねんw
事実家康が遠行したのは豊臣滅亡の翌年で、歳を考えればいつくたばってもおかしくない。
だからあそこまでえげつない謀略を使ってまで開戦したんでしょうに。
天の時考えれば早期解決しか選択肢はねーの。
宗茂が数万の兵の上にたって守城指揮するイメージがないなぁ
むしろ、2,3千の手勢を率いて徳川方へ攻撃かましているイメージだ
問題は、宗茂の才覚を生かせる人間が史実の豊家にいたかどうかだな
ここは、やっぱり、墓の中から秀包に蘇ってもらうしかないな、うん
似合わないようなイメージがある>宗茂
理の無い暴発はやらないタイプだし
親父さんの玉砕は大友と、後ろに控える子供たちを護る為だったからね。
実はそういう美学とは最も無縁だったのかもしれない。
関ヶ原後、宗茂が柳川で玉砕しなかったのも、そういう父の姿を見ているから。
何かを守るでなく、武門の誇りの為に死を選ぶのが無為と知っていたから…なのかな。
宗りん婿養子だし
簡単に家を潰すわけにはいかんしね。
>親父さんの玉砕
もちろん子らを守るための時間稼ぎもあったろうけど、
衰退する大友家で引き目の家臣が多い中、忠義とは何たるかを示したかったんだよなー
またこういう事が起こって戦いの経験を積ませて気を引き締めさせた方が良いって幕府
に言ってたから、出来れば長引かせたかったんじゃないかな?
確か知恵伊豆の持久戦を支持してたし。
九州の争乱にもまれ秀吉に認められて朝鮮出兵、関ヶ原、大坂の役、島原の乱とかっこよすぎるぜ