騎兵が脆弱だから平原では勝てない
騎馬軍団と大砲の組み合わせ
スペインが極少数でインカやアステカを滅ぼしたのは何も鉄砲だけが理由じゃない
何の証拠もないわけだ
鉄砲の国内生産量や輸入量や関ヶ原で両軍で配備された総数など
詳細な証拠がたくさんあることぐらいはもちろん当然知ってて書いてるんだよな?
数十万ぽっちの女真族が数千万の漢族を支配
>>25
海超えして戦ってるのに補給を軽視しすぎたから
しかもこの教訓は350年後の太平洋戦争でも生かされなかった
秀吉軍と明軍との間で講和が結ばれて両軍半島から撤退
ただそれだけのこと
>>57
★日本人とは
古代・・・渡海して朝鮮半島へ侵攻し制圧
百済や新羅など古代朝鮮南部を約300年に渡って属国支配
中世・・・秀吉による朝鮮征伐で朝鮮全土を制圧
中国大陸にも進出
近代・・・朝鮮半島を併合支配
日清戦争で勝利
日中戦争でも大陸深くまで侵攻しフルボッコ
日本人は2000年前から常に渡海して朝鮮半島、さらには大陸へも侵攻している
しかし逆はただの一度も無い
>>58に関連して
Excuse:元寇を防げたのは二度とも偶然ふいた神風のおかげでしょ?
Answer:いいえ。ちがいます。
まず文永の役。
高麗史によれば風雨によって被害を受けたという記載があるのは日本でボロ負けした後、逃げ出した後のこととなっています。
一方、日本側の当事者たちの記録には風雨に関して全く記載がありません。
つまり高麗史を信用するなら、風雨は日本からかなり離れた後のことでしょう。
また。一説には日本との戦いでの損害をごまかすため風雨を言い訳にした、という見方もできるそうです。
次に弘安の役。
まず、元軍はそれ以前の5月から日本と交戦していた点を忘れてはいけません。
元軍は日本軍に追い落とされ、海上を数ヶ月間逃げ回っていたところに台風が来たわけです。
また、そもそもそんな長い間上陸を阻止し続け、海上を追い回した、日本軍の防衛能力の高さも評価されるべきでしょう。
さらに言えば元軍の大半は嵐の後も生き残っていました。
一部の元軍は残存する船とともに逃げのびましたが、10万近い兵が鷹島、平戸などに取り残されておりました。
これらの残党は日本軍との交戦によって滅ぼされています。
結論から言えば、台風はあってもなくても元軍敗北の事実は変わらなかったことになります。
実際は元寇以外でも刀伊の入寇という大事件もあったよ
これも実際は外国による日本侵攻
でもこの時も日本軍によって侵略軍は完全に撃滅されてる
確かに日本の軍事力はアジアの中では完全に図抜けていたと思う
海を越えて行く戦力がないと意味ないよ
特に島国はね
ちなみにあの時代は明、ムガール、サファヴィー朝ペルシア、オスマントルコ、スペインが5大国だったとされるが
うち3つがイスラム系だった
よくもあんな遠くまで行って戦ったもんだと
何だかちょっと怖い気分になる
その女真族がその後、明を倒して清を興すというのも感慨深い
それ以前は舶来物というか貴重品でしかなかった
無知乙
戦国時代に鉄砲は全国各地で生産されてるから
全国各地の城下町に鉄砲町という町名が残ってる
鉄砲町つうのは鉄砲職人の町じゃないぞ
鉄砲隊つまり足軽達が住んでた町だ
明もどーにもなんなかったけど秀吉が死んでくれてラッキーって記録に残してるし
日本側も朝鮮出兵に関してはこれはどうにもならんってすぐにやめるべきって幾人もの大名が書き残してるし
豊臣が滅びたのはこの無駄な戦のせいって細川とかもいってるじゃん
>>110>>115
事実として当時の中国人自身がそう言ってる
自分たちが日本に征服されずに済んだのは単に秀吉が偶然あの時に死んでくれただけだとね
「明史」
自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息
「我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった」
明史 卷320
26年9月な
http://zh.wikisource.org/zh/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7320
巻322の方が詳しいけどな
http://zh.wikisource.org/zh/%E6%98%8E%E5%8F%B2/%E5%8D%B7322
中国人もいったけど日本人も言ったんだよ
無駄な戦だったって
有益か無駄かってことと
日本軍が実際に強くて当時の中国人もそれを認めていたという事実とは全く別次元の事
同時代なら軍事力はオスマントルコ帝国が一番
あと武器の性能も普通にヨーロッパ諸国のが圧倒的に上
大阪の陣じゃイギリスやオランダからわざわざ大砲買ってるし
島原の乱だってオランダからゴーテリング砲を貰うだけじゃなくて洋上からの艦砲射撃も頼んでる
オランダにとっちゃ地球の裏側なのにだぜ
それで日本のが上ってのは単に日本一番って思い込みたいだけの妄想からだろ
大砲と騎馬軍団はオスマン・トルコ最強だろうな
普通の鉄砲の歩有数は日本のほうが多かったが
大砲を生産するほどの技術はなくて輸入に頼った
だから保有数に関してソースがないです
唯一配備率から推定するほかないけど小早川も朝鮮出兵時の島津も全兵のうち1割くらい
これは同時代のヨーロッパ先進国と比べたら少ないくらい
お前がいろいろ書きこんでることも全てソースゼロで単なるお前の妄想ばかりだけどなw
小早川家文書にのってるよ
そもそも戦国時代の兵科とその具体的な内訳の数っていうのはほとんどの大名が残してないんだわ
島津とか小早川は珍しいほう
特に織田家なんて実体はどうだったかなんて全くわからないからね
それがヨーロッパと比べて少ないということを全くソースによって示していないじゃん
テルシオは兵科の内訳の実数が詳しく史料に残ってるけど3割銃兵
1割前後の日本兵と比べたらやはり多い
スペイン軍のそのテルシオなんて数百から数千単位での話だぞ
それをあの日本軍のような数万~20万規模のものと比較して話を同列に比較するとか馬鹿じゃないの?w
神聖ローマとスウェーデンとか数万規模で対決して
なおかつスウェーデン側はローマのスペイン式方陣を新戦術で破ってる
ソース
ドイツ三十年戦争って本が一番お薦め
ただ大砲たくさん持って運用してた明軍には負けてないけどな
明とはまともな野戦を一度しかしてないしその一度の野戦の碧蹄館の戦い
行軍の速さから大砲を携帯してなかった
なるほど
ただ時代は違うけど西南政争当時の大砲も近世城郭に通用して無いし
16世紀~17世紀当時の大砲の威力からして野戦にしても日本で戦えば
日本は西洋にも明にも負けないんじゃないかな
日本でやるという条件ならそりゃ勝てるだろう
逆なら無理だし
ただ同条件の野戦なら砲兵があるほうが圧倒的に有利
これは炸裂しないから威力ないとかいう問題じゃない
密集隊形とる歩兵に対して圧倒的に噛みあわせ悪いのが砲兵だから
(まあどちらも国家規模でないかもしれないがある意味同等の戦いで)
日本が同じ事出来ないとは思わないな
スペインの船(軍艦)が日本の正規軍ですらない海賊崩れの連中にフルボッコされて敗走し
そのことを本国へ報告している書簡が残ってるね
恐らくオランダでもスペインでも日本へ侵攻して勝利することは不可能だったと思うよ
日本ではヨーロッパやオスマントルコみたいな兵の運用のし方は難しいし
仮に日本を攻めても日本が勝つと思うよ
当時でも人口ではイギリススペインなんかより日本のほうが多い
まるで日清戦争での中国みたいだな当時の日本
>>149
>戦力で勝ってても思想や文化で負けてたから鎖国して
文章に全く論理性がなくて支離滅裂w
すでに世界規模の覇権争いが起きてる中で
国内的な事しか考えられない思想
そして文化が劣ってたからキリスト教の浸透に対抗する為に鎖国した
違うか
>>154
宗教の浸透と文化の優劣に一体どんな関連があるのですか?
だったらあのローマ文化ですら非常に劣った文化だったというわけですね
いまでこそ宗教は絶対なものでなくなったけど
宗教は当時の文化の本質ですよ
むしろその宗教(キリスト教)がローマ由来の西洋文化に飲み込まれて今のキリスト教文化は当初とは全く別物へ変わっちゃってるんだけど?
全然違う
お前の言っていることは物事のほんの上辺でしかないよ
ならギリシアやローマの文化は滅びて今のヨーロッパは中東文化に染まっていなければならない
だけで全くそのようなことにはなっていない
何一つ質問に答えていない
本来的には宗教に優劣があるわけもないが
その一時代一地域の民衆にとってより神通力がある宗教が広がっていくのは道理
その点においてキリスト教は神道仏教に優越して信者増やして行った
それに対応するには神道仏教等宗教自体には不可能で国権でもって鎖国せざるえかった
それは文化論ではなく単なる政策論だよ
その時代時代によって為政者が自分に都合の良い宗教をどう選択していくかってだけのこと
だから日本だってかつては為政者が海外の宗教(仏教)を導入したこともあったし逆に禁教(キリスト教)したこともある
西洋でも全く同じことやってきてるのは歴史を知ってる人間なら周知のことだよ
混同しては駄目
その選択をせざるえない事が結局の所当時の日本の思想的に後進国だったからじゃね
信長みたいな革新的指導者ならそうはしなかっただろう
日本がどうして鎖国したか全く理解していない
思想や文化の全ての面で日本が劣ってたって事は無いが
西洋は17世紀既に近代を用意し18世紀自力で近代化出来るほどだったんだし
鎖国といってもな
スペインポルトガル(南蛮人)は大航海時代初期には海上覇権を握ってたけど
すでにその頃とは比べ物にならないくらい衰退してる時代だし
かわりにイギリスオランダ(紅毛人)が台頭してきて日本に来るようになったわけだが
東アジアでの勢力争いでイギリス東インド会社はオランダ東インド会社との競争に敗れて
以後イギリスは東アジアから撤退
結果として日本まで来る国として残ったのがオランダになって
そのオランダとの関係は江戸時代も続いてたわけで
ただ日本国内でかなりの制限があったし
日本人が外国に行く事も困難だったし
鎖国という言葉は意味的に合ってるよ
西欧の各国に人口で負けない日本なら最強でないにしても最強レベルなのはそうじゃないの
ただ日進月歩であっちの技術力が進んで行くのに対してどうしても
輸入技術に頼る日本は遅れるだろうけど