「毎日が今日でありますように。…今日は今日と同じであれば、どんな世界と同じなのだろうか」
壬辰倭乱(文禄の役)の時、強制的に日本に連れていかれた朝鮮人陶工たちが故国を恋しがりながら歌った望郷の歌である「朝鮮の歌」の一部だ。「今日は今日と同じであれば」という歌詞には、戦争が終わって、毎日が穏やかで平和であることを望む切実な願いが込められている。
朝鮮の歌は、壬辰倭乱当時に流行していた歌謡で、その後、韓半島では姿を消したが、日本に連行された陶工たちとその子孫が相当期間歌った。日本で朝鮮の歌を巡る研究は、20世紀初頭や半ばに時々行われたぐらいだった。
高麗(コリョ)大学国語国文学科の鄭光(チョン・グァン)名誉教授(80)は、1982年当時、先任研究員だった京都大学文学部の書庫で朝鮮の歌関連資料を発見し、その後、日本学界に広く知られるようになった。日本で朝鮮の歌に関する学術書の単行本を発行してから30年ぶりに韓国語の翻訳本「朝鮮の歌」を最近発行した鄭教授に20日、ソウル蘆原区(ノウォング)の自宅で会った。
鄭教授は、壬辰倭乱は日本近代化の基礎を作るきっかけとなったと、ずっと主張してきた学者だ。印刷術、鉄器加工、木工分野など、朝鮮の先進技術者を日本に強制的に連れて行って飛躍的な発展がなされ、その後明治維新の基礎になったという。鄭教授は、「壬辰倭乱の前までは、日本は封建領主たちが乱立する力のない国だった」とし、「戦争の時、朝鮮の技術者を4万~5万人連れて行ったと推定される。人口比で計算すれば、今の40万~50万人を連れて行って、立ち遅れた日本を発展させるために利用したのだ」と主張した。
当時、日本は鹿児島県の苗代川に連れて行かれて白磁を作った全羅北道南原(チョンラブクド・ナムウォン)出身の陶工82人も、専門技術者の一部だった。鄭教授は、「日本は、陶工たちが作った陶器700万個以上を西洋に売って利益を残したという記録がある」とし、「この資金で西洋の武器を買って武装した大名たちが、江戸幕府に反乱を起こして明治維新がなされ、最終的には日本が近代化された」と主張した。さらに「朝鮮陶工たちの話は、朝鮮の技術力が明治維新の基になったという主張を裏付ける証拠の一つだ」と語った。
鄭教授が1990年に日本で朝鮮の歌関連の単行本を出してから30年ぶりに、韓国国内で翻訳本を出版した理由はまさにここにある。日本では、「日本の植民地支配で韓国が近代化された」という主張も出ているが、壬辰倭乱時にさかのぼれば、正反対だったという点を強調するためのものである。鄭教授は、「朝鮮は高麗末、元朝などから入ってきた膨大な技術の蓄積があった」とし、「当時の技術者と文化財搬出などを巡る研究がさらに行われなければならない」と強調した。
ニュース
終戦の時、日本人が現地に残した財産を返してから文句を言え
朝鮮に残った陶工さん達はそのレベルの焼き物を作ったの?
朝鮮では職人は奴隷
待遇の違いが勤労のモチベーションの差になったんだろう
強制連行というのが腑に落ちない 強制されたプライドの高い職人がまともに陶磁器なんて作るだろうか 少なくとも歴史に残るような素晴らしい作品が出来るわけがない
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/25/6957554
子孫は外務大臣になった人もいる
東郷茂徳
北朝鮮でさえ拉致被害者というのは国家に有益とみなされれば国賓扱いで遇される
職人を奴隷扱いする かの国とは常識が違うのか
鍋島焼で有名な李三平は日本で陶工として活躍する前はそもそも日本軍の案内役だったらしいからなw
リンク先を見ずに知ってる知識を書いておくと
朝鮮出兵のとき連れて帰った陶工たちによって作られた有田焼は、その後世界に輸出されて景徳鎮と並び称され莫大な利益を佐賀鍋島藩にもたらした
その資金で近代化し、また、その技術によって西洋の近代兵器を独自生産することができたため、明治維新のとき当時世界最先端だったアームストロング砲を、発明のわずか3ヶ月後に完璧に量産することができ、上野の不忍池の戦いをわずか半日で決着させた
薩長土肥とはいうが、肥である佐賀鍋島藩の超最先端技術のおかげで明治維新が成功したのであり、その技術のもととなった朝鮮陶工のリーダー李参平は尊敬され有田には記念碑が建っている
このぐらいの常識的なことが書いてあるだけで、べつに目新しいことはなさそうだ
儒教的には自分で手を汚さず漢詩を作っているのが上級国民
土をこねて壷作っているのはどんなに名人でも労働者階級
技術者に敬意を払う国はドイツや日本
儒教の本家の中国ではなぜか紫砂壺(中国風の急須)に限っては明代から作家銘が刻印されるようになって恵孟臣など伝説的な職人の名前が残っている
普通の焼き物は朝廷に飾られる国宝級の名品でも「大明○○年」などと元号が記されるくらいで作家は無名
日本刀も銘が入っている
これら陶工たちは日本にわたり厚遇され名を歴史に残すことになる
徳川に時代になり朝鮮との間で帰国事業が行われたが朝鮮での冷遇を恐れ
帰国を拒否し日本で永住する道を選んだ
彼らが朝鮮に帰国したところで名を残すようなことはなかっただろう
その頃の日本より何倍も進んだ国家で日本が手出しする気もなくなるくらい発展してないとおかしいだろ
もともとがそれほど優秀かどうかはともかくとして長い李朝時代を通じて悪政のせいで国力も文化も衰退していったのは間違いない
大体今の北朝鮮のような体制が500年続いたと思ってもらえばいい
工芸品なども初期よりも末期は明らかに粗雑で稚拙になっていってる
こちらで家族が出来て帰国を望んでいないと幕府が拒否したのを見たことあり
西田敏行だから葵三代かな
倭の五王時代に至っては中国朝廷から半島頭ごなしに倭王に「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の称号が許されている
結局古代の華夷秩序においてさえ半島はその程度の存在
自分がスカスカだから、俺の先祖は〇〇だったとか言うバカと同じだよね