本名で呼べよボンクラどもが
失礼どころか、彼にしてみれば正当な評価だよ。
家臣の生活もかかってるお兄ちゃんは仕方無いだろう…
その二人に比べたらかなり歴史的重要度が落ちるからな。
片や歴史的ターニングポイントの象徴。
片や有名な著作を持つ作家。
宮崎繁三郎がどんなに優秀な指揮官だろうと、石原莞爾や徳富蘇峰のことに比べりゃ後回しにされるのと同じさ。
そう考えると、幸村って名は随分後に出来たことになるが。
スレ主の言う、信繁って言う名前も偽名かもしれないんだよね。
歴史は不明なことが多過ぎる。
うんそうだね 真田幸村じゃなくて武田幸村だったかもしれないしな
武田幸村ではなく、武田家の血を引く、武藤幸村(信繁)では?
大坂落城前に本人が「信繁」と署名している文書があるんだが。
そのとおりで、信繁と書かれた手紙は多数存在しておりますね。
だけど、信繁は名前を別の名前に改名したと言う説もあるんですよ。
改名後の名前は忘れましたが…
確かに諱で呼ぶ時点で失礼ですな。
その辺、スレ主は理解していないのかな?
と言いつつ、自分も諱で呼んでいるけどね。
本名:晴信
出家後の名:信玄
本人が名乗った確証がまったくない「幸村」とはわけが違う。
平時は信繁だったと思うけど
文字も同じだったが、高野山蟄居の時に幸村と改めた」と語った
と書いてあるとか…これが信用できる史料なのかは知らんけどw
滋野通記は松代藩士馬場政常の手になる滋野世記と真武内伝に各地に残る史料を吟味しまとめ直したもので
信之時代の記述はかなり信頼出来るものです。
誰かウィキの編集を宜しくお願いいたします。
真田家が編纂した「左衛門佐君伝記稿」にも幸村という名前が使われている。
幕府に遠慮してるんだから
信繁はノンフィクション
これでいいだろ
幸村で通っているから自分だけ変えて呼んでたら話がかみ合わなくなる
命名した人センスあるわ
オレももっとカッコいい名前を命名してほしいもんだなあ、といって叶うものか?
本人が名乗ったことのない名前を後世の他人が名付けて、本人は怒ってるんじゃないか?
武田信繁にあやかって昌幸が名付けたのに(つД`)
信繁は川中島で討ち取られた武田信繁の方が圧倒的に有名だから
具合が悪すぎる
名前にも独創性ってのが大事なんだよ
個人差や性格によるこだわりはもちろんある前提で
諱って普段ほとんど使わないから本人ですらうっかり忘れちゃったり
することもあったみたいだし
昔の人ってしょっちゅう改名したりいろいろ別称があったりするから
実はあんまり気にしてないんじゃないかなあと思うんだよなあ
西郷隆盛の逸話なんかまさにそんな感じ
で 真田幸村については
幸村と呼ばれるようになったとこまで
かの個人の歴史と個人的には捉えているのでどっちでもいいというか
なんでそう呼ばれるようになったか考え始めるとワクワクして眠れなくなることがあって困る……
戦死直後に信幸が弟の墓を建てたいと思ったが
信繁の墓ではお家取り潰しの絶好の口実になるから
あらかじめ幕府に信繁にいつも仕えていた幸村というのがおりまして
これの墓を建てたいと許可してもらった
それで幸村となったんだよ
分かったか?
>>53
説はそれだけじゃないでそ?
もしかしたらどれかの説があってるかもしれないし
どの説もあってないかも知れない
この先新しい史料が見つかるかも知れない
そう考えるとワクワクすんだ
まああくまで個人的な楽しみなので気にしないでクダサイ
文献に初めて『幸村』の名前が登場するのは『難波戦記』と言われてます。
んで、『幸』はイイとして『村』ですが、
1.幸村の姉『村松』からとった。
2.仙台伊達藩に仕えた幸村の子孫(片倉重綱の子孫?)が当時の主君『伊達綱村』から拝領した。
という説が有力だそうです。
ずっと気になっていた『難波戦記』
大正時代の写しですが、ようやく入手しました。読んでみると、成る程『真田左衛門佐幸村』となっておりました
推測ですが、江戸時代のこの難波戦記。
作者は徳川幕府の目を恐れて、『真田左衛門佐信繁』の名を書けなかったのでは?とも思いました。
『幸村』と記す事で『これは物語ですよー』って言いたかったのかもしれません。
江戸時代の書物って現在でも影響力高いな(テレビやゲームで)
忠臣蔵とか太閤記