中世欧州 イスラム

【ガチ議論】イタリアの歴史をみんなで語る【中世~近現代】

1: 名無し 2020/02/25(火) 10:51:22.31 0
中世から近現代にいたるまでのイタリアの歴史を語るスレです。

2: 名無し 2020/02/25(火) 10:55:19.08 0
中世イタリアっていつから?

 

3: 名無し 2020/02/25(火) 11:01:35.79 0
>>2
西ローマ帝国の滅亡から

 

4: 名無し 2020/02/25(火) 11:11:00.81 0
中世のイタリアって、なんであんなにたくさんの都市国家に分かれてたん?
なぜ統一された王国ができたなかったのか不思議だ

 

5: 名無し 2020/02/25(火) 11:50:44.26 0

>>4
理由はいろいろと考えられる

まず第一に、ミラノは皇帝、ローマは教皇、ナポリはアラゴン国王という具合に、いくつもの巨大な権威によって分断されていた

ヴェネチアやジェノヴァはイタリア半島にとどまらず地中海全域に進出し、それぞれ巨大勢力を築いた

そもそも根本的な原因として地形
「イタリアは征服するには長すぎる」とナポレオンが言ったように細長く、しかも「西海岸から東海岸に行くには、船でグルッと海を回ったほうが早い」と言われる山岳国家

北のロンバルディア地方は、半島とは言語も異なり、同じ民族と思ってなかった

 

9: 名無し 2020/02/25(火) 11:56:54.30 0
>>4
海洋民は寄れる港さえあれば国土なんか必要ないから

 

6: 名無し 2020/02/25(火) 11:53:29.48 0
ビザンチン帝国とロンゴバルド時代、カロリング時代、神聖ローマ時代、このへんまで他国支配下
他国支配下が長いから統一国家ができなかったのかな
んで他国支配がなくなっても公国レベルがどんぐりの背比べになったと

 

7: 名無し 2020/02/25(火) 11:53:30.47 0

ドイツとイタリアの統一が遅れたというより、フランスとスペインの統一が早かった

一足お先に、この両大国が中世から早抜けしてしまった

 

10: 名無し 2020/02/25(火) 12:10:48.79 0
19Cのイタリアでは高名な作曲家は輩出してるくせに
文豪のほうはサッパリやな

 

12: 名無し 2020/02/25(火) 12:31:22.01 0
>>10
ダヌンツィオ

 

67: 名無し 2020/02/26(水) 18:54:44.80 0
>>10
輩出はしてないけど国民作家という位置づけの文豪はいる
マンゾーニは日本語Wikiでは4600バイトしかなく知名度も低いが
イタリア語は14万バイトある
夏目漱石でさえ93000バイト

 

68: 名無し 2020/02/26(水) 19:27:55.43 0
>>67
20世紀だと、イタロ・カルヴィーノも日本での認知度が極端に低いな

 

13: 名無し 2020/02/25(火) 12:57:28.75 0
フィウメ占拠した人のイメージが強いわ>ダヌンツィオ

 

14: 名無し 2020/02/25(火) 13:16:06.48 0

>>13
ダヌンツィオに限らず、この時代のイタリア文学者は、政治的な方面でアツくなりすぎたようだ

現代の日本にたとえれば、文学者が「北方領土奪回!」とかを叫んで、ろくに作品を書かないようなもの

 

17: 名無し 2020/02/25(火) 13:20:32.50 0
ダヌンツィオって日本だと石原慎太郎に近いポジの人だったりして

 

18: 名無し 2020/02/25(火) 13:21:03.34 0
三島由起夫もか

 

19: 名無し 2020/02/25(火) 13:34:03.27 0

三島由紀夫は、ダヌンツィオにかなりの影響を受けたと言われているな

イタリア統一運動が盛んなのはダヌンツィオに限らず、19世紀のイタリア文学界全体の傾向。
当時のイタリア政治文学の大半は、後世に残らず消えた

 

15: 名無し 2020/02/25(火) 13:17:01.91 0

枢軸国のくせに途中から連合国へ鞍替えしたイタリアだが
第二次大戦後は反独感情と反日感情のどちらが強かった
のやら

日本とは直接的な接点や利害関係は薄そうだがローマ五輪で
日本の選手が現地のイタリア人から嫌がらせを受けたり卵を
投げつられたりとかされたんかね?

 

48: 名無し 2020/02/25(火) 23:50:07.20 0
>>15
反独という見方が正しいのかわからんが少なくとも反日感情よりはあったろうね
イタリアで一般的に知られてる第二次世界大戦末期の歴史なんて、ナチスドイツ軍の支配への抵抗ぐらいのもんだからね

 

21: 名無し 2020/02/25(火) 14:07:28.66 0
ムッソリーニの功罪って何?
日本ではファシズム枢軸のイタリア代表のイメージしかないけど
イタリアではそれなりに評価され孫がEU議員になったりしてるよな

 

129: 名無し 2020/03/03(火) 16:16:51.08 0
>>21
ローマ人の物語の作者が当時の生き残りの人たちの話を直接聞いて回ったら労働組合も家族手当の制度もできて学校と駅も多く建ったと答えたそうな。
郵便はちゃんと届くようになったし汽車も遅れなくなったし役人は親切に、店員もごまかさなくなった、という言葉も紹介していた。

 

23: 名無し 2020/02/25(火) 14:57:57.68 0

大航海時代に、大西洋沿岸諸国に圧倒されたのは仕方ない

イタリアだけでなく、ドイツやロシアも同じ

 

26: 名無し 2020/02/25(火) 17:18:19.71 0
>>23
ロシアはシベリアや中央アジアや極東に進出できた

 

38: 名無し 2020/02/25(火) 19:54:01.78 0
>>26
進出した極東にウラジオストクなんてまんまな名を冠してたな

 

24: 名無し 2020/02/25(火) 15:03:42.47 0
ヴェネツィアは輸出品の自作などで繁栄してる
他国から奪うより安上がり
隣にオスマンという安定した大国があるのは幸いであり不幸であり

 

28: 名無し 2020/02/25(火) 17:44:43.18 0

>>24
17世紀のヴェネツィアは、毛織物の輸出でも
イギリスやオランダに負けるようになったな

その時のヴェネツィア人は、イギリスやオランダの毛織物は
品質は悪いが低価格だから売れるのだと言っていた

 

30: 名無し 2020/02/25(火) 18:12:10.17 0

>>28
毛織物はフィレンツェの特産品

ヴェネチア商人が扱ってたのは、フランドルの毛織物ではなかったか?

 

31: 名無し 2020/02/25(火) 18:14:53.74 0
>>30
ヴェネツィアでも毛織物は生産されていたよ
毛織物職人のギルドもあったし

 

27: 名無し 2020/02/25(火) 17:43:57.81 0

イタリアも、リビアとかバルカン半島に進出した

どこにも行くとこ無かったドイツよりはマシ

 

33: 名無し 2020/02/25(火) 18:47:07.32 0
>>27
南西アフリカとか山東とか
そういえばドイツは南西アフリカに入植者の子孫が現在も住んでるが
イタリアは自国の進出した地域に入植者がそれほど渡ってないような
たいてい新大陸に渡ってるよな

 

36: 名無し 2020/02/25(火) 19:21:26.83 0

>>33
アルゼンチンはスペイン語圏だけど、スペイン系よりイタリア系の移民のほうが多かった

アメリカでも、イタリア系は一大勢力

 

40: 名無し 2020/02/25(火) 20:57:55.09 0
>>36
母を訪ねて三千里もイタリアからアルゼンチンに向かう話だったな

 

65: 名無し 2020/02/26(水) 18:18:50.31 0
>>36
ウルグアイもイタリア系の方が多い

 

29: 名無し 2020/02/25(火) 18:07:17.96 0
サンマリノが独立を保った意味訳わからん
イタリア統一に協力したから逆にイタリアに統一されないって矛盾の塊やん
こういうんがイタリア人の気質なんか?

 

32: 名無し 2020/02/25(火) 18:44:35.70 0
>>29
ヨーロッパの小国家は未だに絶対王政だし
王が権力を手放したくなかったんじゃね

 

56: 名無し 2020/02/26(水) 11:58:47.83 0
>>32 最初から共和制
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%8E
>サンマリノは、現存する共和政体を採用する国としては世界でも最も長い歴史をもつ。アメリカ大陸がヨーロッパ人に知られる以前、すでにサンマリノ共和国初代執政が就任していたといわれる。

 

45: 名無し 2020/02/25(火) 23:12:28.57 0

ヴェネツィア共和国とかジェノヴァ共和国という名を聞いた時,
その都市だけで一つの独立国家を作ってるもんだと思ってた

実際にはその都市を首都とし周辺地域も領域となっている国家
だったのね

 

46: 名無し 2020/02/25(火) 23:34:23.64 0

>>45
都市が自治権を獲得し、周辺の農村からの徴税権をも封建領主から奪い取って、事実上の領域国家と化していく。
こういう都市国家を「コムーネ」といい、中世イタリアに特有の現象とされる

神聖ローマ帝国の封建秩序にとっては深刻な脅威で、皇帝と都市の抗争が長く続いた

 

47: 名無し 2020/02/25(火) 23:39:08.81 0

中世ドイツの自治都市は、皇帝から特許状をもらって商業に専念する「帝国都市」だった

それに対して、中世イタリアの自治都市は、周囲の農村をも支配して事実上の領土をもつ領域国家と化した。
教皇の権威をバックに、皇帝と対立することが多かった

 

50: 名無し 2020/02/25(火) 23:56:17.42 0
ダンテは、分裂抗争を繰り返すイタリア諸国の未来を憂慮し、
皇帝によってイタリア統一を成し遂げることを夢見た
彼はその考えを『帝政論』にまとめている
このためにダンテは祖国フィレンツェから裏切り者として
重罪を宣告されることになった

 

51: 名無し 2020/02/26(水) 08:26:52.09 0

>>50
タイミング良く、若きカリスマ皇帝が登場したんだよなあ

残念ながら、早死にしたが

 

52: 名無し 2020/02/26(水) 09:12:20.06 0
結局、イタリア半島はダンテの憂慮したとおり、
イタリアを征服するという最終目的を持った
スペインとフランスのバトルフィールドとなっていった

 

55: 名無し 2020/02/26(水) 11:53:02.63 0
>>52
スペインがイタリアに領土持ってたんは知ってるけど
フランスはイタリアを領有することに(ナポレオン以前に)成功したことあるん?
戦争ふっかけた事は知ってる

 

58: 名無し 2020/02/26(水) 12:09:19.95 0
>>55
フランスという国家としてはイタリアを支配した例はないが、
聖王ルイ9世の弟シャルル・ダンジューが南イタリア攻略に成功し、シチリア王になったことならある

 

57: 名無し 2020/02/26(水) 12:02:10.88 0

1463年 - 近隣リミニ(現エミリア=ロマーニャ州リミニ県)のマラテスタ家の侵略に晒された。しかし独力で撃退、追撃を加えて逆に領土を拡大した。
1631年 - 教皇ウルバヌス8世より独立を承認される。
1739年 - アルベロニ枢機卿によって一時的に占領されるが、教皇クレメンス12世の勧告により独立を維持。
1815年 - ウィーン会議で、サンマリノの独立が再確認される。
1849年 - イタリア統一を目指すジュゼッペ・ガリバルディをオーストリア軍の追撃からかくまう。
1854年 - 教皇ピウス9世が、ガリバルディをかくまったサンマリノを「自由主義者の巣窟」として糾弾。トスカーナ大公国に命じてサンマリノ共和国の教皇領併合を企てるが、失敗。

ローマ教皇のお墨付き
なかなかの自衛力(というかイタリアがばらばらだったおかげか)
ガリバルディの恩義
こんなとこ?

 

59: 名無し 2020/02/26(水) 12:10:41.14 0

1266年、シャルル・ダンジューは、ローマ教皇クレメンス4世からシチリア王カルロ1世として戴冠され、
教皇の承認を得て十字軍を称し、アンジュー、プロヴァンスの兵に加えてフランス中から兵を集め、イタリアに進撃した。

同年、ベネヴェントの戦いでマンフレーディを討ち死にさせ、シチリアを占領した。
さらに1268年、北イタリアに侵攻してきたコンラート4世の子コッラディーノも捕らえ処刑することにより、ホーエンシュタウフェン家を完全に滅亡させ、南イタリアの支配に成功した

 

60: 名無し 2020/02/26(水) 12:35:07.61 0
ナポリ・シチリアの主体性のなさすごいな
次から次へと外来勢力の支配が入れ替わるのか

 

63: 名無し 2020/02/26(水) 17:07:08.82 0

>>60
中世のシチリアは先進国、ナポリは欧州屈指の大都会

常に、ドイツ・フランス・スペイン・オーストリア・ノルマン人その他による争奪戦

 

61: 名無し 2020/02/26(水) 14:32:42.30 0

イタリアの都市国家は、フィレンツェ・シエナ・ヴェネツィアなどを除いて
共和政から君主政へ移っていったな

やっぱり内ゲバがひどすぎたんだろうか

 

62: 名無し 2020/02/26(水) 14:56:22.84 0
>>61
フィレンツェが「トスカーナ大公国」になったのが、共和政から君主政へ移っていった代表例

 

71: 名無し 2020/02/26(水) 20:03:06.53 0
現代人にとっては当たり前すぎて意識しないことだが、一国を近代化するためには、言語の標準化が欠かせない

 

75: 名無し 2020/02/26(水) 21:25:45.77 0

>>71
近代ルーマニア語についてもそんな話をきいたことがあるな

標準語を策定するときかなりスラブ語化していた元の言葉をラテン語純化したそうな

 

78: 名無し 2020/02/26(水) 22:18:03.78 0

>>71
>一国を近代化するためには、言語の標準化が欠かせない

だから多民族・多言語国家だったハプスブルク帝国は
近代に入ってうまく機能しなくなったのか

 

81: 名無し 2020/02/27(木) 13:50:03.24 0

>>78
近代は画一化と大量生産によるコストダウンが大本にあるから
国内が複数の言語にわかれていると、新聞・雑誌・行政文書等重複コストがかかり
富国強兵にとってマイナス要因となる

また国民皆兵である近代軍の兵士への命令伝達に齟齬がないようにするためには言語標準化は必須だった

 

72: 名無し 2020/02/26(水) 20:06:41.97 0

イタリアが統一されたときも(日本の幕末維新とほぼ同時期)、どうやって「標準イタリア語」を創るかが問題になった

結局、トスカーナ地方、つまりフィレンツェの言語が標準になった。
イタリア語とスペイン語は「ゆっくり話せばだいたい分かる」というくらい似ているとよく言われるが、それほど似るようになったのは19世紀後半からの話。
もしもミラノやトリノの言語が採用されていたら、もっとフランス語に似ていただろう

 

74: 名無し 2020/02/26(水) 21:16:57.20 0
>>72 ローマの方言もスペツィア・リミニ線の南側でイタリア語というくくりになるけど、むしろコルシカ島の方言のほうが標準イタリア語に近いんだっけ
そして北イタリアは実際は異言語か
スイスの「イタリア語圏」に標準イタリア語が浸透したのはいつ頃なんだろう

 

77: 名無し 2020/02/26(水) 21:37:10.14 0
>>74
アオスタ谷がフランス語圏になったのもいつ頃からなのか
元サヴォイア公国領でフランス王権下に入った事は一度もない筈だが

 

79: 名無し 2020/02/27(木) 00:08:22.39 0
>>77 アルピタン語っていう頭痛薬みたいな名前の言語を話してたんだっけ
スイスの「フランス語」圏もそうか?

 

73: 名無し 2020/02/26(水) 20:18:33.31 0
母をたずねて三千里がクオレという短編集の1エピソードだった事を
知ったのはずっと後になってからですたorz

 

76: 名無し 2020/02/26(水) 21:34:56.50 0

>>73
俺は逆でクオレの方が先だった
「アペニン山脈からアンデス山脈まで」と言う原題でね

何か変なタイトルつけるなあと思ったら
戦前に既に「母を訪ねて・・・」だったらしいね

 

80: 名無し 2020/02/27(木) 11:29:15.21 0
アフリカ諸国って独立したけど多民族多言語だから内戦が尽きないイメージ

 

86: 名無し 2020/02/28(金) 02:36:35.91 0
>>80 言語がほぼ統一されてるソマリアやルワンダやブルンジであの惨状だから....
ソマリアはよくわからないけど、ルワンダ・ブルンジは分断統治に変な仮説を白人が持ち込まなければ、のちに不毛な内戦も起きず、現時点でスワジランド程度には発展していたかも
というかルワンダは結構有望な国らしいな
ソマリアもケニアのソマリ人は結構やり手らしいiから、いつか日本の戦国時代みたいに一人の英雄が終わりをもたらして、統一国家ができて栄えるか?

 

82: 名無し 2020/02/27(木) 14:30:49.91 0
アメリカ合衆国は国際社会に向かって多様性多様性と主張するけど、
自国の言語だけはかたくなに英語だけ、というのを守っているな

 

83: 名無し 2020/02/27(木) 16:12:14.38 0

>>82
英語を公用語と定めている州もあるが、大都市は他言語社会そのもので、英語はデファクトスタンダードではあるが絶対的な存在ではない。
とくにカリフォルニアやテキサスの社会は、もはやスペイン語を抜きにしては考えられない。

この状況に対して、「英語ができない移民は入れるな」と主張しているのがトランプ

 

84: 名無し 2020/02/27(木) 17:01:02.63 0
まぁ、歴史的にもメキシコの土地だったからなぁ

 

85: 名無し 2020/02/27(木) 19:47:32.20 0

ユタ州では州民の圧力で州のスペイン語サイトが閉鎖されたってのを
どっかで見たおぼえがある。

それはそうとフランスではアメリカ文化の流入による英語の侵略から
フランス語を守ろうとする動きがあったそうだけど,アメリカのほうでも
他国語の侵略から自国の言語を守ろうとする動きがあるのね。

 

87: 名無し 2020/02/28(金) 09:47:02.80 0
日本では、イタリアが第二次世界大戦で行った残虐行為については
ほとんど知られていないな
エチオピアでの毒ガス使用、アフリカやバルカン半島での住民の
強制収用や虐殺などは裁かれなかった
ドメニコンの虐殺(1943年2月)をはじめとするギリシア各地での
イタリア軍・ファシストによる戦争犯罪は忘却されていた

 

88: 名無し 2020/02/28(金) 13:23:06.93 0
イタリアはフランスと同じく連合と枢軸に分裂して戦ったから
戦争犯罪をうやむやにできたんじゃない?
後ドイツの強制収容所の方が宣伝効果があったとかな
カチンの森事件を起こしたソ連と原爆投下したアメリカは裁かれない裁判にそもそも何の価値もないけど

 

89: 名無し 2020/02/28(金) 14:15:43.95 0
第二次大戦後のイタリアでファシスト政権の要人が裁判に
かけられたり処刑されたって話は聞いた事がない
(ムッソリーニはおいとくとして)

 

90: 名無し 2020/02/28(金) 17:58:59.32 0
イタリア参戦時の残る敵は英国と英連邦のみ 講和も時間の問題のはずがヒトラーがなんの相談もなくソ連を攻撃 これだけでも頭が痛いのに今度は日本がなんの相談もなくアメリカを攻撃する こんなガイキッチな連中と組んでいたら身の破滅とイタリア人が思ったのは当然だろう

 

91: 名無し 2020/02/28(金) 20:20:23.12 0

>>90
イタリアが寝返ったり、日和見を決め込んだりするのは、そのときに限らず、いつものことだ

それが半島国家の習性なのかもしれない

 

92: 名無し 2020/02/28(金) 22:05:47.98 0

と言ってもヨーロッパって半島国家だらけだけどあんまり類似性があるように見えん
イタリアの日和見や寝返りは仕方ないと思うよ
イタリアには英仏露独のような主体になれる力がない

第二次世界大戦ではスペインもほぼ同様の立ち位置だったがフランコはギリギリで踏み止まりムソリーニは踏み込んでしまった

 

93: 名無し 2020/02/28(金) 22:35:54.28 0
ひとつには、オーストリアとの間に「領土問題」を抱えているから、同じ陣営にオーストリアが加わっているとややこしくなる

 

105: 名無し 2020/02/29(土) 15:26:31.87 0

>>93

「未回収のイタリア」に住んでるロマンス系民族の母語は、厳密にはイタリア語じゃないし、むしろオーストリアのほうに分があるな
でも統一の主役が北イタリアだから、そことは同文同種ということになるのか....
というかそれを言うならモナコも北イタリアと同じ言語だから、モナコも併合しないといけなくなる
よくあの小国がイタリアに対しても独立を保てたな。

 

95: 名無し 2020/02/29(土) 04:48:27.30 0
イタリア人は郷土愛は強いが国民国家的な愛国心は希薄だなと思う
自分の街を守るなら勇敢に戦うのだろうが意義もよくわからん対外戦争なんてやる気も湧かんのではないか
第二次世界大戦でのイタリア軍の東部戦線での闘いぶりはドイツに酷評されてるがイタリア兵からしてみたらこんな地の果てでロシア人と戦えと言われても命をかける意義を見出せないだろう

 

97: 名無し 2020/02/29(土) 07:55:05.02 0
>>95
イタリア人にとってイタリアのために戦えと言われるのは、
現代のヨーロッパ人がEUのために戦えと言われるのと
同じような感じだったんだろうな

 

96: 名無し 2020/02/29(土) 05:34:06.56 0
イタリアが再統一されたのは150年ほど前だし、
やっぱり統一前の小国分立の名残りは今もあるのかな。

 

98: 名無し 2020/02/29(土) 08:28:36.81 0

サッカーでも、イタリア代表と他国の試合より、国内の他の都市のクラブと対戦するときのほうが、ずっと熱くなってるな

まあ、イタリアに限らず欧州諸国にはアリガチな傾向だけど

 

101: 名無し 2020/02/29(土) 09:11:02.98 0
イタリアってさ、統一してから、日本の日清・日露戦争のように、
全国民が一丸となって外国の敵と戦うという経験はあったの?

 

104: 名無し 2020/02/29(土) 10:30:25.62 0

>>101
1908年のオスマン帝国の動乱(青年トルコ党革命)を機に始まったリビア侵略戦争では、イタリア全国の世論がかなりの盛り上がりを見せた

でも、結局はオスマン帝国との戦争になり、苦戦する中で熱気は冷めていった。
熱しやすく冷めやすい国民性に加え、リビアには砂漠しかないことが分かり、植民地に移民するという南イタリアの貧民の夢が幻滅に変わったこともある。

 

123: 名無し 2020/03/02(月) 20:37:21.07 0

日本では第一次世界大戦は忘れられた戦争とつけた本が出るくらいで高校の世界史の扱いは軽い
しかも半分くらいはロシア革命の記述に割かれている

選書の類では当然詳しいのだが大半が西部戦線の塹壕戦とヴェルダンやマルヌの諸会戦 ついでタンネンベルグ ユトランド海戦 無制限潜水艦作戦ときてガリポリまあこんな所である
この大戦でイタリアは65万もの死者を出した これは日露戦争の日露両軍の死者15万の4倍以上であり当時人口3500万ほどのイタリア社会への打撃は極めて大きかった
しかるにイタリアが第一次世界大戦で何をしていたかほとんど取り上げられることがない イタリアはイゾンツォ川で実に12次に至るイゾンツォ会戦をオーストリアとの間で展開していたのだが全般の戦局に与えた影響ガ低くこれがベルサイユでの扱いに繋がったとも思える

 

124: 名無し 2020/03/02(月) 20:45:47.81 0

日本では愚将などと言われる指揮官というと牟田口廉也 或いは小説の影響もあり乃木希典を挙げる人もいるだろう

イタリアで愚将と言えば何と言っても第一次世界大戦で参謀本部長を務めたルイージ・カドルナをおいて他にはいない
イゾンツォ会戦を何度も戦って最後にカポレットで大惨敗を喫しその評判は歴史家からはボロカスである 戦勝国にしてこの扱い
しかしそんな国民から総スカンのカドルナにムソリーニは何か思うところがあったのか元帥をくれてやったのである

 

125: 名無し 2020/03/02(月) 21:51:57.01 0
第二次大戦後のイタリア軍って士気が著しく低かったり
横流しが横行してたり軍事情報が漏えいしたりでNATOの
悩みの種になってた?

 

130: 名無し 2020/03/03(火) 18:42:19.97 0
ファシズムの生まれた国ではあるがイタリア人の性格は極めて個人主義的であり全体主義に向いていない 国の言う事に従うことが苦手で法律を守らない性向がある
郷土愛は強いがそれはナポリとかジェノバとか御近所周辺の郷土愛でイタリア国そのものには向いていない
そんなイタリア人がリビアだのロシアだので戦えと言われてやる気が出る訳がない

 

131: 名無し 2020/03/03(火) 18:51:34.03 0
そういう体質だったから、ファシズム体制で強力な指導者でなければ対応できないこともあったのだろう
しかしまた、そういう体質だからムッソリーニが用済みになるとあっさり連合国に寝返っても問題なかったのだろう

 

133: 名無し 2020/03/04(水) 00:45:47.82 0
現在のギリシャ軍と現在のイタリア軍、
双方とも士気が低そうなイメージだが軍配をあげるとしたらどっち?

 

134: 名無し 2020/03/04(水) 07:52:27.63 0

現在イタリアにははっきりした敵国というものがない
脅威といえば地中海を渡ってくる難民であって軍事的にイタリアを攻撃しようという国はないだろう 欧州が警戒するのはロシアだがロシアは遠くイタリアにとってはほぼ他人事

ギリシャはトルコとの間にキプロス問題を抱えているし独立以降ずっと犬猿の中でありNATOのタガが外れたら一戦交えても不思議ではない そうした緊張感はあるのでは

 

135: 名無し 2020/03/04(水) 14:50:14.41 0
コルシカ島を奪回せよとかいう右翼はいないの?

 

136: 名無し 2020/03/04(水) 15:22:01.32 0

>>135
イタリア統一後のナショナリズムは、もっぱら「オーストリアからの領土奪回」に向けられ、反墺一色だった。

韓国のナショナリストが反日ばかりで、中国には文句を言わないのと似てるかもしれない。

でも、ムッソリーニのファシスト党は、「フランスからニースやコルシカ島を奪回せよ」と言い出した。
しかし、第二次世界大戦の敗北で、あっさりと挫折した。

 

137: 名無し 2020/03/04(水) 15:26:52.38 0

ドイツ統一も、イタリア統一も、「いかにしてオーストリア帝国を排除するか」が最大の課題だった。

欧州最強の陸軍を保有したプロイセン王国のドイツ統一とは異なり、サルデーニャ王国には、独力でオーストリアと戦う軍事力が無かった。
フランス軍に戦ってもらわなければ、どうにもならなかった。
そのために代償として割譲したのが、ニースやサヴォア。
ここも本来ならイタリアの領土といってもおかしくないのだが、この経緯からいって、なかなか言い出しにくかった。

 

138: 名無し 2020/03/04(水) 15:39:19.16 0

第二次世界大戦のイタリア、

独裁者ムッソリーニの野望から英仏に参戦

リビア・東アフリカの植民地を護るのが精一杯で

東アフリカは英連邦軍に取られた。

地中海の制海権を得るためにマルタと抗戦

三年間戦っ勝てなかった。

北アフリカは西から米軍、東から英連邦軍に反撃されて

ドイツ・アフリカ軍団とカルタゴの地チュニジアで降伏。

 

139: 名無し 2020/03/04(水) 17:32:19.34 0
サヴォアってサルディニア王国の前身サヴォア王国のもととなったところだからイタリア領だとずっと思ってた

 

141: 名無し 2020/03/04(水) 18:55:47.96 0

>>139
足利尊氏が、足利を割譲するようなものだ。
徳川家康が、三河を割譲するようなものだ。

そんなところまでフランスに譲るってんだから、「どんだけ譲歩するんだよ」って感じ。
さすがは、現実主義者のカブール首相。

 

140: 名無し 2020/03/04(水) 18:24:46.25 0
イタリアは最初、チュニジアを植民地として欲しがっていたんだよな
統一以前からイタリア諸国はチュニジアと密接な関係を有しており、
イタリア出身者も多数居住していた
しかしフランスにチュニジアを取られてしまったので、イタリア国内の
反仏感情が一気に高まることになった

 

143: 名無し 2020/03/04(水) 19:32:53.85 0

>>140
地図で見ると、シチリア島とチュニジアは近いもんなあ。

no title

 

144: 名無し 2020/03/04(水) 22:02:35.60 0
>>140
イタリアに文句を言われたフランスはリビアを取ったらいいよと唆しそれが伊土戦争に繋がった
列強はこのように次から次へとトルコから領土を毟り取っていた

 

146: 名無し 2020/03/05(木) 01:28:44.21 0
コルシカ島は皇帝ナポレオン1世陛下の故郷だから、イタリアは引っ込んでろってかんじ

 

147: 名無し 2020/03/05(木) 02:21:47.77 0
>>146
ナポレオンが生きてた頃は、「ブオナパルテ」と呼んで差別してたくせに、フランス人も勝手なものだ

 

155: 名無し 2020/03/05(木) 22:07:40.62 0
>>147
ナポレオンがエルバ島脱出してからパリ入場までの新聞の見出しの変遷を見るに長いものに巻かれるのはフランス人変わらんなと

 

148: 名無し 2020/03/05(木) 11:04:49.01 0
コルシカ島民もショボいイタリアより豊かなフランス本土に養ってもらった方が幸せだろうよ

 

150: 名無し 2020/03/05(木) 16:55:39.64 0

>>148
済州島民が、「なんで対馬は日本領なのに、ウリはコチラ側になったニカ?」と嘆いたのと同じだな

結果的には、「サルデーニャはイタリア、コルシカはフランス」と分け合って、丸くおさまった

 

149: 名無し 2020/03/05(木) 13:16:17.18 0
イタリアは第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも、途中で裏切って鬼畜米英の犬になった最低の国

 

157: 名無し 2020/03/05(木) 22:41:18.50 0
>>149
シチリア島って、イタリアで言えば九州でしょ
沖縄じゃなくて九州占領されてどうする?
むしろ日独がいつまでも降伏しなかったのが
許されない まして和平派を迫害しながら
防寒具を求めるドイツ兵の要求を拒絶し、
自分だけ楽に自殺したヒトラーや
ドイツ国民見捨てて南米に逃げたナチ幹部なんて
人間のクズだ バドリオはまとも
結局ドイツのくずのせいで、イタリアも先に降伏してるのにドイツ同様本土決戦が起きたな

 

159: 名無し 2020/03/06(金) 02:42:51.92 0
>>157
連合国は非戦闘員を標的に爆撃して、女子供の見境なく焼き殺していた
そんな奴らに無条件降伏したら、どんな目にあわされるか分からないから幸福なんてできなかった

 

151: 名無し 2020/03/05(木) 18:41:02.23 0
マルタ島はなぜイタリア領にならなかったんだろう?

 

152: 名無し 2020/03/05(木) 18:55:36.71 0
>>151
そこはイギリスの海軍基地だったから

 

153: 名無し 2020/03/05(木) 18:57:37.43 0
>>151
言語的にもアラビア語の方言だし、古来から独立してたからでは?

 

154: 名無し 2020/03/05(木) 20:05:19.00 0
>>153
たしかに根本的にはそれがあるんだろうけど、近世においてはマルタ騎士団領だったこと、近代においてはイギリスの拠点だったのが直接の原因

 

158: 名無し 2020/03/05(木) 23:57:33.77 0
>>154
イギリスはキプロス島も自国のものにしていたな
地中海の重要な拠点だったのか

 

160: 名無し 2020/03/06(金) 09:20:34.49 0
>>158
ジブラルタル海峡も、ずっとイギリス

 

162: 名無し 2020/03/06(金) 09:26:51.68 0
>>160
イギリスはスエズ運河の入り口のアレクサンドリアにも
軍事基地を持っていた

 

161: 名無し 2020/03/06(金) 09:24:58.82 0
ムッソリーニは地中海を「われらの海」にしたがっていたけど、
現実には、地中海はずっと「イギリスの海」だったんじゃね?

 

163: 名無し 2020/03/06(金) 09:51:28.98 0
>>161
イギリスから奪い取ろうと、マルタに空襲かけたが、ダメだった

 

164: 名無し 2020/03/06(金) 09:56:56.64 0

スエズ運河が開通してからは、地中海からスエズ運河を通ってインド洋に抜けるルートが、ますます死活的に重要になった

どう見ても、イギリスが地中海の覇権をイタリアに譲ってくれそうな気配はなかった

 

166: 名無し 2020/03/06(金) 12:51:22.46 0
裏切り降伏は、まあ仕方ないとしても、最後は戦勝国面して分け前に預かろうという根性が臭っとる
関ヶ原の小早川並

 

167: 名無し 2020/03/06(金) 13:45:14.40 0

西軍盟主である石田三成 枢軸盟主であるドイツ
いずれも人望なく同盟国を束ねる能力に欠けていた

イタリアは第一次大戦では戦勝国なのに扱いが軽く第二次世界大戦では敗戦国なのに報復は軽い
丁度バランスが取れている

 

169: 名無し 2020/03/06(金) 22:40:31.81 0
「未回収のイタリア」というけど、
アドリア海東岸のトリエステやイストリア半島は
スラヴ系住民の多いところだな
あんな場所を取ったらかえってややこしくなるとは
考えなかったのかな

 

170: 名無し 2020/03/07(土) 00:22:48.72 0
アルザスロレーヌを見ても領土問題はどこもややこしい
歴史的なんて言い出せば繋争地はどちらの領土でもあった経験があり住民の民族も混交している
それを押し切って併合するなら住民のクレンジングをしておかないと禍根を残すしそれをしたらしたでやはり禍根が残る
領土回収など面子に過ぎないと割り切った方が国家としては有益と思われる

 

181: 名無し 2020/03/10(火) 09:25:45.19 0

14世紀中葉、フィレンツェの総収入は、
エリザベス朝英国の総収入より上だった

中世イタリア都市国家の繁栄ぶりがわかるな

 

182: 名無し 2020/03/10(火) 21:12:45.51 0
イタリアはローマ時代の遺産(観光)、地中海に面した立地(交易)のアドバンテージあるのに経済ゴミなの何でよ
内陸で交易に不利でEUにも入ってないスイスなんて超高所得じゃん

 

185: 名無し 2020/03/11(水) 09:45:47.55 0

>>182
17世紀以降、イタリア諸国の「再封建化」が進んだからじゃね?
ルネサンス文化を発展させた市民たちが貴族化して、商業への
投資の代わりに土地への投資を増やし、帯剣する者も出てきた

ちなみに統一イタリアは農産物の輸出と工業製品の輸入を通じて
発展し、国内総生産で工業部門が農業部門を上回るのは
1930年代以降のことだったし、農業就業者の割合は
20世紀半ばにいたるも就業人口の4割以上を占めていた

 

183: 名無し 2020/03/10(火) 22:31:30.44 0
北イタリアには零細手作業職人の巣窟がありカロッツェリアとか自称してたそうだ

 

189: 名無し 2020/03/11(水) 14:54:41.51 0

世界史の話に戻すけど

イタリアが大航海時代に乗り遅れた理由として、
イタリア諸国は自分たちが直接事業に乗り出すよりも、
他国の国王にリスクを背負わせて、利息を手に入れるほうが
安全だと考えていて、コロンブスに直接資金を提供することなど
考えてもみなかったことがあげられる

 

200: 名無し 2020/03/14(土) 11:47:18.67 0
>>189
先に上陸して、
インディアンに銃を売ってほしかったな

 

198: 名無し 2020/03/14(土) 10:54:40.56 0

中国の歴史を見ると、しょっちゅうモンゴル人に攻め込まれる日々が、千年も二千年も続いている。
インドの歴史も、中央アジア人に攻め込まれ続ける歴史だ。

でも、イタリアがゲルマン人に攻め込まれた回数は、おそらく、さらに多いのではないかと思われる。
歴史には、数えきれないものがいくつかある。
「ゲルマン人がイタリアに攻め込んだ回数」も、そのうちの1つだ。

 

199: 名無し 2020/03/14(土) 11:21:18.46 0
ゲルマン人よりケルト人に襲われたことの方が多そう

 

201: 名無し 2020/03/14(土) 14:18:40.24 0
南からイスラム教徒に攻め込まれた回数も多いけどな

 

209: 名無し 2020/03/19(木) 23:08:11.17 0
フランク王国の三分裂からオットー大帝に征服されるまでって教科書でも全無視されてるけど、誰が支配してたん?

 

210: 名無し 2020/03/19(木) 23:43:10.04 0
教皇やサラセンなどが分割支配

 

211: 名無し 2020/03/20(金) 05:24:29.81 0

高校は3年間しかないし、世界史の他にもやるべきことが山ほどある

さすがに、中世ヨーロッパを深く探求してるヒマなどない

 

212: 名無し 2020/03/20(金) 08:33:06.19 0
だから、高校の教科書では、「カール大帝」から「オットー大帝」までが、ほぼ空白

 

213: 名無し 2020/03/20(金) 12:44:29.96 0
意外とその辺が面白いのになぁ

 

214: 名無し 2020/03/20(金) 19:56:19.90 0
ベレンガーリオ1世ってのが有名なんだってね
あとマジャール人騎兵も傭兵として雇われてたとか

 

215: 名無し 2020/03/20(金) 20:02:42.64 0
十字軍以前は、普通にサラセン人傭兵がフランクとかにもいたよ

 

216: 名無し 2020/03/21(土) 21:02:46.78 0
フランク分裂のヴェルダン条約とメルセン条約は高校の教科書では重要項目だからオットーやカペーまでの1世紀がスコンと飛んでる事になるのか

 

217: 名無し 2020/03/22(日) 08:53:51.10 0

イタリア(中フランク王国)は、メルセン条約でアルプス以北の領土を失った

「イタリア」の原型ができたのは、この時だったと考えられる

 

219: 名無し 2020/03/22(日) 12:27:40.30 0
>>217
この時期位から、俗ラテン語から分離してイタリア各地にて、今に至るまで差異のある言語になったしね

 

218: 名無し 2020/03/22(日) 11:33:31.87 0
ブルゴーニュが微妙なんやな
サヴォイアドーフィネプロヴァンス含んでた時代もあったけど最終的にスイスになってるし

 

221: 名無し 2020/03/23(月) 13:39:14.07 0
イタリア人は未だにローマへの未練あるの?

 

222: 名無し 2020/03/23(月) 16:13:44.58 0
ないよ
地元主義

 

223: 名無し 2020/04/05(日) 09:49:27.26 0
イタリアのことをよく「都市の国」と呼ぶが、
これは北・中部イタリアにだけ当てはまることであって、
南部ではナポリを除くと都市の発達はほとんどみられなかったんだよな

 

226: 名無し 2020/04/24(金) 07:40:07.71 0
南イタリアは、
北西ヨーロッパのような封建制もなければ、
北・中部イタリアのような自治都市国家の歴史もなかった
ただ専制があっただけ
むしろあの地域は北アフリカに近いのかもしれない

 

229: 名無し 2020/04/24(金) 09:49:13.74 0
>>226
ギリシャとは、狭い海峡をはさんで、ほぼ連続している

 

227: 名無し 2020/04/24(金) 09:41:26.14 0
南イタリアは
サラセン海賊に暴れ回られ一時期はムスリム勢力圏になったこともある
ビザンチンは徴税地としか考えず
ランゴバルド人は内陸部で勢力争いしかしない
神聖ローマ、スペインも遠隔地なので植民地扱い
ノルマン人支配の時が比較的マシかな

 

228: 名無し 2020/04/24(金) 09:47:36.40 0
>>227
皇帝フリードリヒ2世のときは、シチリアが世界の中心になった

 

230: 名無し 2020/04/24(金) 22:32:54.10 0
フリードリヒ2世の財政資金は、国王役人によって自治を抑圧された王国都市への
重税と、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアの商人からの融資に依存していた。
王国都市の工業は重税と国王の独占企業にとによって衰退し、
商業は特権を得た外国商人に支配された結果、王国では北部・中部都市の
製品を輸入し、そこへ食糧・原料を輸出する経済構造が成立した。

 

232: 名無し 2020/05/04(月) 23:11:37.30 0
17世紀にイタリアの織物工業が衰退したのは、
ギルド規制が強く残り、伝統技術へのこだわりや
高品質と高賃金の維持などのために
外国製品との競争に遅れをとったことがあった

 

233: 名無し 2020/05/05(火) 08:14:32.68 0

>>232
まあ、仕方ない

オランダ・ベルギーも、毛織物を生産する製造業から、イギリス産の毛織物を輸入して大陸諸国に売る貿易業に転換したくらいだからな

 

234: 名無し 2020/05/05(火) 08:18:15.26 0

フィレンツェだって、当初は毛織物の製造業で伸びてきたが、次第に商社や銀行へと業種転換していった

新興国に移っていくのは、昔から製造業の宿命なのだろう

 

235: 名無し 2020/05/05(火) 10:44:53.64 0
ヴェネツィア共和国では、衰退期に入ると、海上交易よりも
本土からの収入に頼るようになった
貿易不振によって行き場を失った運用資金は、毛織物をはじめ、
ガラス、レース、印刷業など各種の地場産業に投資されるようになった

 

236: 名無し 2020/05/05(火) 20:29:33.31 0

ヴェネチアの場合はそうだな

滅亡したビザンチン帝国から、ガラス職人とかを連れてきたのが大きかった

 

237: 名無し 2020/05/05(火) 20:38:16.26 0
水の都ヴェネチアの本島から水上バスで10分ほど移動したところにある小さな島「ムラーノ島」。落ち着いた雰囲気の街並みに、色彩豊かなガラス工芸店が並び、島全体がひとつのアートスペースのようになっています。
ムラーノ島は、中世の頃からガラス職人が集まる島。そこで作り出されるガラス工芸は「ヴェネチアングラス」として、ヴェネチアの特産品であり世界に誇る工芸品でもあります。
なぜ、ムラーノ島にこのような技術が結集したのか?それは、かつて敷かれた政策が理由だったそうです。

 

238: 名無し 2020/05/05(火) 20:41:25.71 0

ヴェネチアングラスの工房が集中し始めたきっかけは、13世紀中世にまで遡ります。

当時、東西貿易の中心地だったヴェネチア共和国は、取引物の中で最も珍重されていたガラス製品を自国で製作して、
利益をあげたいと考えていました。しかし、原材料や燃料を自国で産出することが出来ないヴェネチア。
コピーや類似品が、原材料が豊富な他国で生産されることも懸念されていました。
そこでヴェネチアがとった政策は、非常に大胆なものでした。

ガラス職人だけでなく、家族、販売者をムラーノ島へ強制的に移住させたのです。
この政策は技術流出を防ぐためだけではなく、溶解炉が火元となる火事の被害を
最小限に抑える目的もあったと言われています。

狭い島内に押しやられた職人たちは、独自の技術を次々と生み出していきました。
ガラス製品や鏡、シャンデリアなど美しい芸術品を生み出す力が育てられていったのです。

 

239: 名無し 2020/05/05(火) 20:45:11.57 0
フランドルやフィレンツェの毛織物も、主にイギリス産の羊毛を輸入して生産する加工貿易。
原材料の産地であるイギリスが毛織物の生産にも乗り出したため、加工貿易が衰退した。
仕方なく、イギリス産の毛織物を輸入する輸入業に転換した。

 

240: 名無し 2020/05/05(火) 20:53:11.36 0

ヴェネチアもフィレンツェも、15世紀が繁栄のピーク。
とくにフィレンツェは、それまでの存在感があまりなかっただけに、なおさら栄光の15世紀が輝いて見える。

16世紀に入ると急速に衰退した。海洋貿易の主舞台が、地中海から大西洋・北海に移ってしまった。
海洋貿易と金融は切っても切れない関係なので、金融もついでに衰退した。

 

241: 名無し 2020/05/05(火) 22:41:00.48 0

イタリアでは、北部・中部の都市が、ナポリ王国、シチリア王国、サルデーニャ王国に
各種製品を輸出し、そこから食糧・原料を輸入した
いわゆる「小麦と毛織物の交換」であり、その結果、後者は前者の経済的植民地
になった

南部が後進地域となる兆しは中世から始まっていた

 

242: 名無し 2020/05/06(水) 22:29:00.50 0
1320年代、フランドル毛織物工業の危機を契機に、フィレンツェ商人は、
商業特権を利用してイギリスからフランドルに輸出していた
イギリスの良質羊毛を母市に輸出し、フランドルの高級毛織物を模倣した
フィレンツェ製品を生産し始めた。
14世紀後半、イタリアおよび地中海世界の高級毛織物市場では、
フィレンツェ製品の独占状態が実現する。

 

243: 名無し 2020/05/07(木) 12:56:52.73 0

476年、傭兵隊長オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼした。
東ローマ帝国の皇帝ゼノンは、ただちにオドアケル追討令を発し、東ゴート王のテオドリックがイタリアに侵攻した。
テオドリックは勝利し、宴席にオドアケルを呼んで謀殺した。

最初の「イタリア王」が、オドアケルなのか、テオドリックなのかについては諸説ある。
でも、このときに「イタリア王国」が成立したのは確か。

 

246: 名無し 2020/05/07(木) 15:04:06.67 0
>>243
オドアケル統治期は15年ある
オドアケルは最初東ローマからパトリキウス(総督)の爵位を貰おうとしたが失敗
やむなくレックス(王)を名乗った

 

248: 名無し 2020/05/07(木) 15:34:39.69 0

>>246
それなら、最初のイタリア王はオドアケルだな

ローマ王と言うべきか?

 

249: 名無し 2020/05/07(木) 16:33:59.42 0
>>248
「イタリアの王」を名乗ると東ローマ始め周辺国に敵視されるから「王」だけ名乗った
テオドリックもそうだったような

 

250: 名無し 2020/05/07(木) 18:16:23.56 0
テオドリックの時代のイタリアでは、人口の2%にすぎないゲルマン人が
三分の一の土地を奪うことになった

 

251: 名無し 2020/05/07(木) 19:21:56.83 0

テオドリック亡き後の東ゴート王国は、結局、東ローマ帝国から敵視されるようになり、ユスティニアヌス大帝が攻めてきた

20年におよぶゴート戦争で、ローマは廃墟になった

 

252: 名無し 2020/05/07(木) 19:28:35.41 0

東ゴート王国からイタリアを奪回した東ローマ帝国だったが、その栄光はすぐに終わる。

メロヴィング朝フランク王国はなんとか撃退したものの、今度はランゴバルド王国が攻めてきた。
文化が崩壊したおかげで記録に乏しいとはいえ、ランゴバルド人がイタリア王を名乗るに至った。

 

253: 名無し 2020/05/07(木) 19:32:51.59 0

ランゴバルド人は200年にわたってイタリアを支配したが、774年、ついに真打ちが登場する。

カロリング朝フランク王国のカルロマーニョ大帝が攻めてきた。
露骨なイタリア侵略だったが、「ローマ教皇の保護」という大義名分を掲げてた。

774年、カルロマーニョはランゴバルド族を破って、イタリア王に戴冠した。
これが、中世イタリア王国の正式なスタート。それまでは前史ということになる。

 

254: 名無し 2020/05/07(木) 22:22:31.96 0

イタリア史では、888年から962年までを、「独立イタリア王国」の時代という

888年は、国王カール3世の死によってこの王国がフランク帝国から独立した
時点であり、
962年は、オットー1世(大帝)がこの王国を神聖ローマ帝国と結合した時点である

 

256: 名無し 2020/05/08(金) 09:17:12.93 0

イタリア王国は、カロリング朝が断絶すると、王位は各地で自立した
諸侯たちに妨害されて安定せず、国内は混乱をきわめたので、
強力な東フランク国王の支配を直接間接に受けるようになった

この間に、イタリア国王が皇帝になる状況は次第に過去のものとなり、
今度は東フランク国王が皇帝になり、さらにはイタリア国王をも兼ねる
状況が形成されていく

 

265: 名無し 2020/05/12(火) 18:32:56.51 0

774年、ランゴバルト王国を滅ぼしたカルロマーニョ大帝によって、カロリング朝の中世イタリア王国が始まった

887年、タナボタ的に西ローマ皇帝とイタリア王の地位についていたカルロ肥満王が廃位され、翌年に死去。
イタリア王国も西ローマ帝国も、ともに崩壊した。

この百年あまりは、中世イタリアが比較的に安定していたカロリング朝の時期

 

266: 名無し 2020/05/12(火) 18:36:22.97 0

その後は帝国が四分五裂する状況が続いていたが、951年、ベレンガーリオを打倒したオットーネ1世がイタリア王となった。

962年、オットーネ1世は戴冠して神聖ローマ皇帝となる。
カルロマーニョ大帝以来、久々の英雄が登場した。

この887年から951年までの数十年間は、フランク王国にも神聖ローマ帝国にも支配されていなかった時期

 

267: 名無し 2020/05/12(火) 18:40:56.80 0

843年、ヴェルダン条約により中フランク王国が成立

北イタリアからライン川流域にかけての、ブルーバナナと呼ばれるヨーロッパ最良の地が中フランク王国となり、
両側の辺境地帯が東フランクと西フランクとして分離した

no title

 

268: 名無し 2020/05/12(火) 18:47:04.68 0

870年のメルセン条約

結局、中フランク王国はアルプス以北のライン川流域を奪われ、東フランク王国と西フランク王国がこれを分割した

いまでいうイタリアの北部の領域に、だいぶ近づいた

no title

 

269: 名無し 2020/05/12(火) 18:53:12.58 0

947年の勢力図

カロリング朝崩壊後の混乱を経て、オットーネ大帝が帝国を再興する数年前の状況。
ライン川流域を失った中フランク王国からは、さらにブルグント王国が分離独立しており、図のオレンジ色の領域が失われている。
ピンク色のところが、イタリア王国となった。

no title

 

270: 名無し 2020/05/13(水) 08:27:58.89 0

まとめると、

オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼす

テオドリックがオドアケルを滅ぼし、ほぼイタリア全土を支配(東ゴート王国 約60年間)

ユスティニアヌス大帝が東ゴート王国を滅ぼす(東ローマ帝国)

ランゴバルト族がほぼイタリア全土を支配(ランゴバルト王国、約200年間)

カルロマーニョ大帝がランゴバルト王国を滅ぼす(フランク王国 100年あまり)

 

271: 名無し 2020/05/13(水) 08:33:06.09 0

問題は、カロリング朝フランク王国の支配が崩壊した887年以後なわけだが、ベレンガーリオ1世がイタリア王になった。

しかし、イタリア貴族の反乱により、ベレンガーリオ1世は打倒された。
その後はブルグント王がやってきてイタリア王になったり、混乱が続く。
最後は、ベレンガーリオ2世が、オットーネ大帝に滅ぼされて、この時期は終わる。

人によって、「無秩序時代」と呼ぶ人もいれば、「独立イタリア王国時代」と呼ぶ人もいる。
ベレンガーリオたちの時代は、フランク王国や神聖ローマ帝国に支配されなかった例外的な時期というわけだ。

 

272: 名無し 2020/05/13(水) 11:21:02.16 0
フリウリのベレンガーリオ1世
イブレーアのアンスカリ家
アルルのボゾン家
スポレートのグイド家
ユラニアのヴェルフ家
等が王になって降ろされて繰り返してる

 

273: 名無し 2020/05/13(水) 11:38:36.37 0
「独立イタリア王国時代」とやらの頃のイタリアってイタリア語話してたん?
それとも俗ラテン語?

 

274: 名無し 2020/05/13(水) 12:32:58.87 0
ランゴバルド文化も根強いからねえ
ラテンとゲルマン、ちょこっとビザンチンをミックスしたイタリア語醸成時期だったかも
んで南はサラセン海賊とビザンチン、ランゴバルド圧政で海岸沿いは無人だった

 

275: 名無し 2020/05/13(水) 17:04:50.22 0

20世紀になっても、北イタリアのロンバルディア地方と、ローマ以南とでは言葉が通じなかったと言われている

イタリアは、バラバラすぎて、なかなか言語統一できなかった

 

276: 名無し 2020/05/13(水) 17:08:04.82 0

統一の三傑の1人、サルデーニャ王国の宰相カヴールは、北イタリアを統一した時点で満足していた。
南イタリアに関心を示したことすらなく、生涯に1度も足を踏み入れなかったのではと言われている。

「南を併合してローマを首都にする」ということにあくまでもこだわったのは、三傑の一方の雄、ガリバルディだった。

 

277: 名無し 2020/05/14(木) 07:08:13.25 0

ランゴバルド族は、スウェーデンから移住してきたバイキングなんだな

no title

 

278: 名無し 2020/05/14(木) 07:14:36.33 0

いや、スウェーデンにいたのは紀元前の話で、その後はドイツのエルべ川のとこにいたんだな

しばらく記録が途絶えた後、5世紀末にドナウ川の中流あたりで、いきなり再登場。
パンノニア(ハンガリー)からイタリアに移動してきた

 

279: 名無し 2020/05/14(木) 07:39:03.95 0

前から思うことだが、「神聖ローマ帝国の皇帝は、肝心のドイツ統一をおろそかにして、イタリア侵略ばかりしていた」という、よくある批判。
ありゃ、後付けの理屈なんじゃないのかね?

当時の北イタリアにいたのは、「イタリア人」ではない。
ランゴバルド族は、南ドイツ人と同じような民族。
むしろ、北ドイツ人のほうが、皇帝にとっては違和感のある存在だったのではないか?

 

297: 名無し 2020/05/20(水) 15:48:46.53 0
>>279
寧ろ「属州出身のローマ皇帝」みたいな意識でイタリアを支配の中心に位置付けてたのでないか?

 

280: 名無し 2020/05/14(木) 07:40:56.43 0
フリードリヒ2世も母方はノルマン人なんよなあ

 

281: 名無し 2020/05/14(木) 09:28:58.77 0

ノルマン人は、大西洋をグルッと回って地中海に入り、シチリアを乗っ取ったんだな

身体能力の高さを活かして、重要拠点をゲットした

 

284: 名無し 2020/05/16(土) 23:16:51.08 0
568年、イタリアに侵入し、王国を建設したランゴバルド族は、
人口30万人、うち武装兵は4万から5万と推定される。
文化水準の低い少数のランゴバルド族は、イタリアに文化的にも
人種的にもたいした変化をもたらさなかったが、政治的には
決定的な変化をもたらした。
以後、イタリアは、19世紀に国民国家として統一されるまで、
分裂したままにとどまることになるのである。

 

285: 名無し 2020/05/16(土) 23:47:41.12 0
>>284
ランゴバルド王国の時代はむしろ、珍しくイタリア全土がほぼ統一されてた時代なんじゃないの?

 

286: 名無し 2020/05/17(日) 05:43:55.61 0
>>285
ランゴバルド族が支配していた地域と、
ビザンツ帝国が支配していた地域に分かれていた

 

287: 名無し 2020/05/17(日) 09:41:23.83 0
住民に圧政強いただけだからなあ
海賊やビザンチン追い出して南北イタリア統一する器量の王がいない
シチリア占領したムスリムの方が統治上手かったというね

 

288: 名無し 2020/05/17(日) 14:52:36.63 0

かつてローマ地中海帝国の中心であったイタリアは、
地中海が政治的にビザンツ世界、イスラーム世界、
西ヨーロッパ世界に分裂した結果、この三つの世界の
境界が接する辺境の地になってしまった

イタリア半島が統一できなかったのはそのため

 

289: 名無し 2020/05/18(月) 23:24:14.36 0
ランゴバルド王国では、初代の王アルボイーノと第二代のクレーフィが
おそらくビザンツと共謀した族内有力者たちによって暗殺された。
続く574~584年の国王空位時代、族内有力者たちは、それぞれの
独立した領地を実力によって形成した。
しかし、ビザンツがこの機会を利用し、フランクと連携して
反撃に出ると、有力者たちはひとまず分立状態を解消し、
第三代のアウタリを選出した。

 

290: 名無し 2020/05/19(火) 09:31:14.45 0
アウタリの治世に、首都パヴィーアを中心に王国としてまとまり、
ビザンツとフランクの侵略も減少し、族民のカトリックへの改宗も作用して、
ローマ人との平和共存体制が成立した。
王国としてまとまったとはいえ、中部および南部の二つの公領はもちろん、
北部でも首都から離れた東方にあるフリウーリ公領およびトレント公領の
独立性は強かった。
第四代のアジルルフォの時代、すなわち6世紀末から7世紀初期に、
ようやく制度が整備されて国家としての体裁が整った。

 

291: 名無し 2020/05/19(火) 09:58:47.14 0
フリウーリ、トレントで遠いんならスポレート、アンコーナ、サレルノなんかは独立するわな
ヒスパニアやアフリカから皇帝を輩出したローマ帝国とは隔世の感がある

 

292: 名無し 2020/05/20(水) 03:23:48.80 0

9世紀になっても、イタリア王国から独立した、ランゴバルド系の
ベネヴェント公国が南イタリアに存在していたな
この公国では、相続原理が確立せず、フランク帝国と同様、
相続をめぐる抗争が展開した
839年、西方皇帝ルートヴィヒ1世(敬虔王)の調停により、

このベネヴェント公国が解体して、ベネヴェント侯国と
サレルノ侯国が出現。このサレルノ侯国では、861年、
辺境の有力者が独立して、さらにカプア侯国を創設した。
ここにランゴバルド系の三侯国が鼎立。

 

293: 名無し 2020/05/20(水) 10:16:08.40 0
南イタリアの候国群は
サラセン海賊には見向きもせず内部対立だけ行い略奪を見過ごし
イスラム勢からは負け続け舐められ
海賊退治は結局市民が自衛を始めたアマルフィ、ピサ、ジェノヴァが行うようになる
ノルマン人に駆逐されるまで混乱は続く

 

294: 名無し 2020/05/20(水) 11:17:05.80 0
ノルマン人のオートヴィル朝は面白い人たちで傭兵からシチリア王国を起こした
ギリシャ人にもムスリムにも寛容だったため住民達から支持されたのだろう
この王朝はビザンツ帝国と度々あらそっているが十字軍のときにはアンティオキア公国を建国
ここでもビザンツ帝国の支配は拒みつづけた

 

295: 名無し 2020/05/20(水) 14:17:07.39 0

ピサは、ランゴバルド王国のトスカーナ公領がカロリング時代に
トスカーナ辺境伯領として再編されると、その領土の一部となった
1004年、ムスリムの略奪を受けたが、翌年以降、ジェノバと連合して
西地中海のムスリムを打倒していった

1005年のレッジョ、1015~16年のサルデーニャ、1034年のアンナーバ(アルジェリア)、
1063年のパレルモ(ノルマン人との共同作戦)における勝利がそれであり、
獲得した戦利品は海上事業を発展させる資金となった

 

296: 名無し 2020/05/20(水) 14:40:40.81 0
古代から西地中海の要港であったジェノヴァは、カロリング時代には
ムスリム海賊との闘争拠点のひとつとなり、10世紀前半には3回にわたって
その略奪を受けた。
独立イタリア王国時代、ジェノヴァはオベルテンガ辺境伯の
領土の一部となり、辺境伯のジェノヴァ代官の家系から
都市貴族が形成される一方、市壁内部の支配権の一部が司教に与えられた。
1056年、司教と都市貴族との協定が成立し、続いて辺境伯がその裁判権を
放棄したことにより、ジェノヴァの自立性が確立した。
ジェノヴァは、ピサとともに西地中海の一大勢力として発展し、
1087年には、ピサと共同でチュニジアに遠征してジール朝を
攻撃するまでになった。

 

298: 名無し 2020/05/20(水) 15:56:34.24 0
戴冠前はローマ王という肩書きだったらしいよ
教皇に気に入られないと戴冠してくれないし

 

299: 名無し 2020/05/20(水) 16:35:33.26 0
「ローマに上洛して天下に号令する」ってのが、日本の戦国大名の天下取りと似ている

 

300: 名無し 2020/05/20(水) 17:44:33.73 0
ローマで教皇に戴冠してもらわなければ、ただのドイツ王だもんな
西欧世界の普遍的支配者であるローマ皇帝にはなれない

 

244: 名無し 2020/05/07(木) 14:09:07.48 0
南部と北部の違いはDNAというより環境だよね

 

247: 名無し 2020/05/07(木) 15:34:00.07 0

>>244
大陸部・半島部・島嶼部で、地形や風土が違いすぎる

大陸部のポー川平野はヨーロッパ最良の地

 

257: 名無し 2020/05/09(土) 09:33:23.11 0
皇帝フリードリヒ(フェデリーコ)2世って、過大評価されていると思わね?
彼は南イタリアの製造業を育てようとしなかったし…

 

258: 名無し 2020/05/09(土) 09:49:01.61 0
ボンクラ駄目皇帝フリードリヒ2世なんて、ただのゴミだろ

 

259: 名無し 2020/05/09(土) 11:10:14.53 0

シチリアにいたんじゃダメだな

日本でいえば、鹿児島に将軍がいるようなものだ

 

260: 名無し 2020/05/09(土) 18:15:10.75 0

ノルマン=シチリア王国は異文明を共存させたと持ち上げられているけど、
別にこの王国の住民が異教徒に対して寛容だったからではないんだよな。
国王が、その強大な権力でムスリムを守っていたから。

だから王権が弱体化したときには、キリスト教徒によるムスリムに対する
攻撃・排斥運動が起きている。

 

261: 名無し 2020/05/09(土) 18:18:20.58 0
フリードリヒ2世がもたらした結果は、神聖ローマ帝国の分裂とホーエンシュタウフェン家の没落だけ

 

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