歴史書の訳

【南宋】宋史「岳飛伝」の全文訳と解説をするで!(晩年&秦檜の和睦について)+字の付け方

2022年1月4日

397: 名無し 平成31年 04/06(土)22:51:18 ID:Jdu


方指日渡河、而檜欲画淮以北棄之、風台臣請班師。

まさに日ならずして黄河を渡ろうとしていたところ、檜は淮河を画してそれより北方を棄てようとしていたので、諌官に諌めさせて軍の帰還を要請させた。

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399: 名無し 平成31年 04/06(土)22:52:38 ID:Jdu


飛奏:「金人鋭気沮喪、尽棄輜重、疾走渡河、豪傑向風、士卒用命、時不再来、機難軽失。」

飛は上奏した「金人は鋭気を挫かれ、輜重をすべて棄て、急いで逃げて黄河を渡り、豪傑は(我らを)慕い、士卒は力を尽くし、このような時は二度とやって来ませんので、この機会を軽々しく失ってはなりません。」

 

404: 名無し 平成31年 04/06(土)22:53:58 ID:Jdu


檜知飛志鋭不可回、乃先請張俊、楊沂中等帰、而後言飛孤軍不可久留、乞令班師。

檜は飛の決意が固く戻らせられないとわかるや、まず張俊、楊沂中らに帰還を求め、それから飛に孤軍では久しく留まってはならないと言い、軍の帰還を命じるよう求めた。

 

405: 名無し 平成31年 04/06(土)22:54:48 ID:Jdu


一日奉十二金字牌、飛憤?泣下、東向再拝曰:「十年之力、廃於一旦。」

一日に十二回も金字牌(急ぎの命令を出すときにこの牌が用いられる)が奉られ、飛は憤り悲しんで涙を流し、東を向いて再拝して言った「十年の努力が、一旦にして終わってしまった。」

 

406: 名無し 平成31年 04/06(土)22:55:54 ID:Jdu
>>405
これがいわゆる「十二道金牌」
岳飛は無理に北伐を主張したと議論されるが
この状況で攻撃するのも決して愚策ではないと思ってる

 

408: 名無し 平成31年 04/06(土)22:56:13
苦労してるな

 

409: 名無し 平成31年 04/06(土)22:57:08 ID:Jdu
>>408
せやな
中国人人気もこの健気さが所以なのかも

 

412: 名無し 平成31年 04/06(土)22:57:28
こんなにイキってた金でも
モンゴルが来たら簡単にひねられてしまった事実
やっぱモンゴルってすげーわ

 

416: 名無し 平成31年 04/06(土)22:59:41 ID:Jdu
>>412
そのころ金は中国文化に影響されて奢侈に流れて苦しんでたからな
小堯舜と呼ばれた世宗が中国文化禁止させたにもかかわらず直らなかった
末期に至ってはもうやばい

 

425: 名無し 平成31年 04/06(土)23:01:41
>>416
やっぱ中華文化は強力やね

 

426: 名無し 平成31年 04/06(土)23:03:34 ID:Jdu
>>425
直接の原因は実質の第五代元帝アリクブケとの戦いに
集中しなければならなかったということにあると考えとる
宋攻略は時間はあれど強い軍は足りないって感じやから包囲で十分やったし
北をどうにかするのが優先や

 

428: 名無し 平成31年 04/06(土)23:04:07
>>425
高貴な女を風俗嬢にする国家と
誰かれ構わず伴侶や父の前で女を犯していく性癖劇ヤバ対決

 

429: 名無し 平成31年 04/06(土)23:05:25 ID:Jdu
>>428
そんなあなたに完顔亮という男を教えたい
金国内でやべーやつ扱いされて死後王に格下げされた性癖狂ってる人

 

432: 名無し 平成31年 04/06(土)23:06:47

>>429
Wikipedia日本語版さあ…
中国語より詳しいのなんでだよ

リンク
「完顔亮WIKI」

 

435: 名無し 平成31年 04/06(土)23:08:45 ID:Jdu
>>432
マジだった

 

441: 名無し 平成31年 04/06(土)23:11:18
>>435
読んできたわ
小物なんてとんでもなかったわロマンの塊やんけ
なお

 

433: 名無し 平成31年 04/06(土)23:07:19
海陵王やっけ?
あの小物臭しかせんやつそんな狂ってたんか…

 

435: 名無し 平成31年 04/06(土)23:08:45 ID:Jdu
>>433
獣性狂というあだ名を持つ男やぞ
さらっと読んだがウィキでも十分伝わるわ

 

437: 名無し 平成31年 04/06(土)23:09:47
>>433
近親、ロリ、姉妹丼、母娘丼コンプやぞ

 

419: 名無し 平成31年 04/06(土)23:00:11

モンゴルが金を滅ぼすまで→23年
モンゴルが南宋を滅ぼすまで→44年

うーんこの

 

420: 名無し 平成31年 04/06(土)23:00:39
>>419
や孟?神

 

425: 名無し 平成31年 04/06(土)23:01:41

>>419
金は北部にあるから遊牧民には適してるけど
南宗は馬がバテるから時間かかったんやろうな

 

423: 名無し 平成31年 04/06(土)23:01:10

遊牧民族はデフォで騎馬隊持ちやから
そら強いわな

 

407: 名無し 平成31年 04/06(土)22:56:09 ID:Jdu


飛班師、民遮馬慟哭、訴曰:「我等戴香盆、運糧草以迎官軍、金人悉知之。相公去、我輩無?類矣。」

飛が軍を帰還させると、民は馬を遮って慟哭し、訴えた「我らが香盆を捧げ、兵糧や秣を運んで官軍を迎えたのは、金人もすべて知っておりましょう。相公(岳飛に対する敬称)が行かれたなら、我らは生きていられません。」

 

410: 名無し 平成31年 04/06(土)22:57:14 ID:Jdu


飛亦悲泣、取詔示之曰:「吾不得擅留。」哭声震野、飛留五日以待其徙、従而南者如市、亟奏以漢上六郡閒田処之。

飛も悲しんで泣き、詔を取り出して示して言った「私は身勝手に留まれないのだ。」
泣き叫ぶ声は野を震わせ、飛は五日留まってその移動を待ち、従って南に行く者で市のように(騒がしく)なり、しばしば漢上六郡の人のいない田に彼らを住まわせるように上奏した。

 

413: 名無し 平成31年 04/06(土)22:58:09 ID:Jdu


方兀朮棄?去、有書生叩馬曰:「太子毋走、岳少保且退矣。」兀朮曰:「岳少保以五百騎破吾十万、京城日夜望其来、何謂可守?」

兀朮は?京を棄てて去ろうとしていたが、書生がいて馬を叩いて言った「太子にはお逃げにならず、岳少保は撤退しようとしております。」兀朮は言った「岳少保は五百騎で私の十万を破り、京城に今にでもやって来そうであるのに、どうして守るべきだと言うのだ?」

 

417: 名無し 平成31年 04/06(土)22:59:51 ID:Jdu


生曰:「自古未有権臣在内、而大将能立功於外者、岳少保且不免、況欲成功乎?」兀朮悟、遂留。

書生は言った「古来より権臣が内にいて、大将で外で功を立てられた者などおらず、岳少保は免れられずに(そうなりかけて)おりますのに、ましてや功を成せましょうか?」兀朮は悟って、ついに留まった。

 

421: 名無し 平成31年 04/06(土)23:00:50 ID:Jdu


飛既帰、所得州県、旋復失之。飛力請解兵柄、不許、自廬入覲、帝問之、飛拝謝而已。

飛が帰還すると、手に入れた州県は、取り返されて失った。飛は兵権を解いてほしいと強く要請したが、許されず、廬州から謁見に行き、帝にそれを問うたが、飛は拝謝しただけだった。

 

424: 名無し 平成31年 04/06(土)23:01:34 ID:Jdu


十一年、諜報金分道渡淮、飛請合諸帥之兵破敵。兀朮、韓常与龍虎大王疾駆至廬、帝趣飛応援、凡十七札。

(紹興)十一(1141)年、金がそれぞれ別の道から淮河を渡ろうとしていると探り得たので、飛は諸将の兵を合わせて敵を破りたいと要請した。兀朮、韓常と龍虎大王が疾駆して廬州に到ると、帝は飛に催促して応援に行かせ、おおよそ十七枚の札を使った。

 

427: 名無し 平成31年 04/06(土)23:03:40 ID:Jdu


飛策金人挙国南来、巣穴必虚、若長駆京、洛以擣之、彼必奔命、可坐而敝。時飛方苦寒嗽、力疾而行。

飛は金人が国を挙げて南に来るならば、根拠地は必ずや空虚であるから、もし京、洛に長躯してこれを叩けば、彼らは必ず命からがら逃れ、座して破れると考えた。このとき飛はちょうど悪寒とせきに苦しんでいたが、病をおして行った。

 

430: 名無し 平成31年 04/06(土)23:05:33 ID:Jdu


又恐帝急於退敵、乃奏:「臣如擣虚、勢必得利、若以為敵方在近、未暇遠図、欲乞親至?、黄、以議攻却。」

また帝が敵の撃退を急かすことを恐れ、そこで上奏した「臣が虚を突けば、情勢は必ずや有利になりますので、もし敵が近くにいると思われ、遠くを図る暇がないようでしたら、おん自ら?、黄州に向かわれ、攻撃するか撤退するかを議論なさってください。」

 

431: 名無し 平成31年 04/06(土)23:06:40 ID:Jdu


帝得奏大喜、賜札曰:「卿苦寒疾、乃為朕行、国爾忘身、誰如卿者?」

帝は上奏を聞くと大いに喜び、書札を賜って言った「卿は悪寒の病に苦しんでいるのに、朕のために行こうとし、国のために身体を顧みず、卿に及ぶ者はおるまい」

 

436: 名無し 平成31年 04/06(土)23:08:55 ID:Jdu


師至廬州、金兵望風而遁。飛還兵于舒以俟命、帝又賜札、以飛小心恭謹、不専進退為得体。

軍が廬州に到着すると、金軍は風を食らって遁走した。飛は兵を舒州に帰還させて命を待ち、帝はふたたび書札を賜り、飛は慎み深くて、去就を勝手にせず礼儀を体得していると述べた。

 

438: 名無し 平成31年 04/06(土)23:09:56 ID:Jdu


兀朮破濠州、張俊駐軍黄連鎮、不敢進、楊沂中遇伏而敗、帝命飛救之。金人聞飛至、又遁。

兀朮が濠州を破ると、張俊は軍を黄連鎮に駐屯させ、進もうとせず、楊沂中は伏兵にあって敗れたので、帝は飛にこれを救わせた。金人は飛が来たと聞くと、また遁走した。

 

443: 名無し 平成31年 04/06(土)23:11:27
楽毅がきた!みたいやな

440: 名無し 平成31年 04/06(土)23:10:59 ID:Jdu


時和議既決、檜患飛異己、乃密奏召三大将論功行賞。韓世忠、張俊已至、飛独後、檜又用参政王次翁計、俟之六七日。

このとき和議がすでに決まっており、檜は飛が自分(の意見)と異なっていることを憂い、そこで密かに三大将を召して論功行賞を行うことを上奏した。韓世忠、張俊はすでに来ていたが、飛だけは遅れたので、檜はまた参政の王次翁の計を用い、六・七日待った。

 

444: 名無し 平成31年 04/06(土)23:11:55 ID:Jdu


既至、授枢密副使、位参知政事上、飛固請還兵柄。五月、詔同俊往楚州措置辺防、総韓世忠軍還駐鎮江。

(岳飛が)やって来ると、枢密副使を授け、位は参知政事の上で、飛は強く兵権を返還することを要請した。五月、詔で俊とともに楚州に行って辺境の防衛を処理し、韓世忠の軍を統率して鎮江に戻り駐屯するようにさせた。

 

447: 名無し 平成31年 04/06(土)23:16:04 ID:Jdu

解説忘れてた
岳飛は高い地位につかされているが実はこれ岳家軍を解体する策
枢密副使になったことによって岳飛は自由に兵を動かせなくなった

 

450: 名無し 平成31年 04/06(土)23:18:09
高い地位につけて無力化するってよく使う手よな
高地位につける呪殺とか
殺す前のマフィアの送り物に近いものがある

 

448: 名無し 平成31年 04/06(土)23:16:15 ID:Jdu


初、飛在諸将中年最少、以列校抜起、累立顕功、世忠、俊不能平、飛屈己下之、幕中軽鋭教飛勿苦降意。

当初、飛は諸将の中で最年少でありながら、列校として抜擢され、何度も明らかな功を立てながら、世忠、俊は対等になろうとせず、飛は自らへりくだって彼らの下にいたため、幕下の軽装の精鋭たちは飛にむりにへりくだらないようにさせた。

 

452: 名無し 平成31年 04/06(土)23:18:31 ID:Jdu


金人攻淮西、俊分地也、俊始不敢行、師卒無功。飛聞命即行、遂解廬州囲、帝授飛両鎮節、俊益恥。

金人が淮西を攻めると、それは俊が担当する土地で、俊は最初は行こうとせず、兵士たちに功はなかった。飛は命を聞くとすぐに行き、ついに廬州の包囲を解き、帝は飛に両鎮の節を授けたので、俊はますます恥じ入った。

 

453: 名無し 平成31年 04/06(土)23:19:28 ID:Jdu


楊?平、飛献俊、世忠楼船各一、兵械畢備、世忠大悦、俊反忌之。

楊?を平定すると、飛は俊、世忠に楼船をそれぞれ一つずつ献上し、兵器が完備されたので、世忠は大いに喜んだが、俊はかえってこれを忌み嫌った。

 

454: 名無し 平成31年 04/06(土)23:20:42 ID:Jdu


淮西之役、俊以前途糧乏?飛、飛不為止、帝賜札褒諭、有曰:「転餉艱阻、卿不復顧。」俊疑飛漏言、還朝、反倡言飛逗?不進、以乏餉為辞。

淮西の役では、俊は先々で兵糧が欠乏することを考えて飛を(行かないように)誘ったが、飛はやめなかったので、帝は書札を賜って褒め、それには「険阻な場所でも糧食を運ぶので、卿はもう顧みないでくれ。」とあった。
俊は飛が漏らしたのだと疑い、朝廷に帰ると、かえって飛が留まって進まず、兵糧の欠乏を理由にやめたといいふらした。

 

456: 名無し 平成31年 04/06(土)23:21:45 ID:Jdu


至視世忠軍、俊知世忠忤檜、欲与飛分其背嵬軍、飛議不肯、俊大不悦。及同行楚州城、俊欲修城為備、飛曰:「当戮力以図恢復、豈可為退保計?」俊変色。

世忠の軍を見るに及んで、俊は世忠が檜に従順ではないと知り、飛とその背嵬軍を分かち合おうとしたが、飛は議論して承諾しようとしなかったので、俊はとても不快になった。
ともに楚州城に行くに及んで、俊は城を修復して備えようとしたが、飛は言った「力を合わせて(国土の)恢復を図ろうとしているのだから、撤退して守ることなど考えずともよいだろう」俊は顔色を変えた。

 

458: 名無し 平成31年 04/06(土)23:23:09 ID:Jdu


会世忠軍吏景著与総領胡紡言:「二枢密若分世忠軍、恐至生事。」紡上之朝、檜捕著下大理寺、将以扇揺誣世忠。飛馳書告以檜意、世忠見帝自明。

おりしも世忠の軍吏の景著と総領の胡紡が言った「二枢密がもし世忠の軍を分かてば、恐らくもめごとが起こりましょう。」
紡がそれを朝廷に上奏すると、檜は著を捕らえて大理寺に監禁し、それを扇動として世忠を誣告しようとした。飛はすぐに書を届けて檜の考えを告げたので、世忠は帝に会って弁解することができた。

 

459: 名無し 平成31年 04/06(土)23:24:04 ID:Jdu


俊於是大憾飛、遂倡言飛議棄山陽、且密以飛報世忠事告檜、檜大怒。

俊はこのために非常に飛を恨み、ついに飛が議論して山陽(楚州の中心の県であり、岳飛の城を修復しなくてもよいという発言の意味をゆがめている)を棄てたといいふらし、さらに密かに飛が世忠の事を報せたと檜に告げたので、檜は大いに怒った。

 

460: 名無し 平成31年 04/06(土)23:25:08 ID:Jdu


初、檜逐趙鼎、飛毎対客嘆息、又以恢復為己任、不肯附和議。

当初、檜が趙鼎を放逐すると、飛は客に会うたびに嘆息し、また恢復を己の任務と考え、和議に賛同しなかった。

 

461: 名無し 平成31年 04/06(土)23:26:11 ID:Jdu


読檜奏、至「徳無常師、主善為師」之語、悪其欺罔、恚曰:「君臣大倫、根於天性、大臣而忍面謾其主耶!」

檜の上奏を読み、「徳無常師、主善為師(徳にはつねなる師がなく、善事を師にする。『書経』の言葉)」の語にいたると、その欺瞞を憎み、恨んで言った
「君臣の大倫(人として踏むべき人倫の大道)とは、天性を根本とする(偽ってはならない)ものであるのに、大臣が面と向かって主君を欺くこと忍べるのか!」

 

468: 名無し 平成31年 04/06(土)23:30:30 ID:Jdu


兀朮遺檜書曰:「汝朝夕以和請、而岳飛方為河北図、必殺飛、始可和。」檜亦以飛不死、終梗和議、己必及禍、故力謀殺之。

兀朮は檜に書を送って述べた「お前は朝な夕なに和を請うているが、岳飛がまさに河北を図ろうとしているゆえ、必ず飛を殺して、ようやく和議が成立するのだ。」
檜もまた飛が死ななければ、最後には和議が邪魔され、自身にも必ず禍が及ぶと思い、そのため彼を謀殺しようと努めた。

 

469: 名無し 平成31年 04/06(土)23:31:36
ああ詰んでしまった

 

471: 名無し 平成31年 04/06(土)23:32:43 ID:Jdu
>>469
敵国の大将直々に殺してほしいと言われたらもう逃げられない
この時期保身に走ってたのに生きられなかったってことは
どうすればよかったんだろうかね

 

478: 名無し 平成31年 04/06(土)23:37:30
>>471
まじでどうしようもないな
遡って上表せず活躍せずでもないと…

 

482: 名無し 平成31年 04/06(土)23:40:31 ID:Jdu
>>478
一つは口の災いをなくせばいい
でも決定的な理由が金の兀述を恐れさせてしまったことやからなあ

 

470: 名無し 平成31年 04/06(土)23:31:40 ID:Jdu


以諌議大夫万俟?与飛有怨、風?劾飛、又風中丞何鋳、侍御史羅汝楫交章弾論、大率謂:「今春金人攻淮西、飛略至舒、?而不進、比与俊按兵淮上、又欲棄山陽而不守。」

諌議大夫の万俟?〈ボクキセツ〉は飛に恨みがあったので、?にほのめかして飛を弾劾させ、また中丞の何鋳、侍御史の羅汝楫にほのめかして交互に弾劾の議論を上奏させ、そのあらましは
「今春に金人は淮西を攻めたが、飛は略奪して舒、?州に到ると進軍せず、俊と比べて兵を淮上に押さえ、また山陽を棄てて守らなかった。」

 

472: 名無し 平成31年 04/06(土)23:32:59 ID:Jdu


飛累章請罷枢柄、尋還両鎮節、充万寿観使、奉朝請。

飛は何度も上奏して権力を返還したいと要請し、両鎮の節を返還し、万寿観使につき、閑職にいることを求めた
(古代では春季の朝見を「朝」、秋季の朝見を「請」といい、「奉朝請」は高い位の者を指すが、のちに皇帝の宗族や退職した大臣を指すようになり、転じて閑職を指すようになった)。

 

473: 名無し 平成31年 04/06(土)23:33:54

和議したいからお前のとこの強い将軍殺して
ええよ

優しい愚かな世界

 

474: 名無し 平成31年 04/06(土)23:34:17 ID:Jdu


檜志未伸也、又諭張俊令劫王貴、誘王俊誣告張憲謀還飛兵

檜は意向を実現できていなかったので、また張俊を諭して王貴を脅させ、王俊を誘って張憲が謀って飛の兵を撤退させたと誣告させた。

 

613: 名無し 令和元年 05/08(水)01:00:09

>>474誤訳が発覚したので追記

この「謀還飛兵」岳飛の兵を(戦場から)撤退させたと解したけど
状況からして岳飛の軍権を取り戻そうとしたが正しい
朝廷の堂々たる命令を陰謀扱いとか意味不明やった

 

475: 名無し 平成31年 04/06(土)23:35:13 ID:Jdu


檜遣使捕飛父子証張憲事、使者至、飛笑曰:「皇天后土、可表此心。」初命何鋳鞠之、飛裂裳以背示鋳、有「尽忠報国」四大字、深入膚理。

檜は使者をやって飛父子を捕らえて張憲の事を検証させたが、使者が到着すると、飛は笑って言った「皇天后土が、この心を表してくれる。」
当初何鋳に尋問させると、飛は裳(「も」と読む。スカートのような衣服だが男も着用する)を割いて背を鋳に示したが、「尽忠報国(忠を尽くして国に報いる)」の四つの大きな文字があり、皮膚の表面に深く刻まれていた。

 

476: 名無し 平成31年 04/06(土)23:36:10 ID:Jdu


既而?実無左験、鋳明其無辜。改命万俟?。?誣:飛与憲書、令虚申探報以動朝廷、雲与憲書、令措置使飛還軍、且言其書已焚。

終わっても検閲によって証拠は現れず、鋳は彼の無実を証明した。(秦檜は)改めて万俟?にさせた。
?の誣告によれば、飛は憲に書を与え、嘘の諜報を申し上げさせて朝廷を動かし、雲は憲に書を与え、処置させて飛に軍を帰還させ、しかもその書はすでに焼かれていたと言った。

 

477: 名無し 平成31年 04/06(土)23:37:09 ID:Jdu


飛坐繋両月、無可証者。或教?以台章所指淮西事為言、?喜白檜、簿録飛家、取当時御札蔵之以滅迹。

飛は二月も獄に繋がれ、証言できる者もいなかった。ある者が?に(御史)台の上奏した淮西の事を言わせると、?は喜んで檜に申し上げ、飛の家を調べて記録し、そのとき手に入れた帝の書札は隠して痕跡を消した。

 

479: 名無し 平成31年 04/06(土)23:38:07

隗より始めよ
開より傾く
檜など小人

郭隗、郭開、秦檜...かいって名前の臣は多く居るのに
なぜ郭隗以外ろくなことをしないのか

 

480: 名無し 平成31年 04/06(土)23:38:08 ID:Jdu


又逼孫革等証飛受詔逗?、命評事元亀年取行軍時日雑定之、傅会其獄。

また孫革らに迫って飛の受けた詔を留めさせ、評事の元亀年に行軍の日時を調べさせて共同で決定させ、罪にこじつけさせた。

 

481: 名無し 平成31年 04/06(土)23:38:59 ID:Jdu


歳暮、獄不成、檜手書小紙付獄、即報飛死、時年三十九。雲棄市。籍家貲、徙家嶺南。幕属于鵬等従坐者六人。

年の暮れ、罪が作れなかったので、檜は手ずから小さな紙に書いて獄に渡し、飛を殺せと告げ、このとき(岳飛は)三十九歳であった。雲は棄市(死体を市で晒す刑)された。家財は登記して没収され、家族は嶺南に移された。幕僚の于鵬ら連座した者は六人であった。

 

483: 名無し 平成31年 04/06(土)23:40:42 ID:Jdu


初、飛在獄、大理寺丞李若樸何彦猷、大理卿薛仁輔並言飛無罪、??劾去。宗正卿士?請以百口保飛、?亦劾之、竄死建州。

当初、飛が獄にいたとき、大理寺丞の李若樸と何彦猷、大理卿の薛仁輔はみな飛に罪はないと言ったが、?はすべての追究を無視した。宗正卿の士?は全家族をかけて飛を保証したいと述べたが、?は彼をも弾劾し、建州に放逐されて死んだ。

 

484: 名無し 平成31年 04/06(土)23:41:38 ID:Jdu


布衣劉允升上書訟飛冤、下棘寺以死。凡傅成其獄者、皆遷転有差。

無官の劉允升は上書して飛の冤罪を訴えたが、棘寺(大理寺の別称。古代に棘の下で訴訟を聞いていたことに由来する)に監禁されて死んだ。おおよそその罪をこじつけられた者は、みな流されて(それには)差があった。

 

485: 名無し 平成31年 04/06(土)23:42:34 ID:Jdu


獄之将上也、韓世忠不平、詣檜詰其実、檜曰:「飛子雲与張憲書雖不明、其事体莫須有。」世忠曰:「『莫須有』三字、何以服天下?」

この獄を知ると、韓世忠は不平に思い、檜に会いに行って実情を問い詰めたところ、檜は言った「飛の子の雲と張憲の書は明らかになっていないが、その事はあったかもしれない。」
世忠は言った「『莫須有(あったかもしれない)』の三文字で、天下を納得させられるわけがありません」

 

486: 名無し 平成31年 04/06(土)23:43:37 ID:Jdu
>>485
「莫須有」は冤罪の意味で使われてる
焼き払われていた手紙を証拠として人を処刑にするなんて
おかしな事態だから
韓世忠の言葉通りやな

 

491: 名無し 平成31年 04/06(土)23:46:04
>>485
処刑反対って率直に言えーや、その根性すらないのか

 

494: 名無し 平成31年 04/06(土)23:47:39 ID:Jdu

>>491
韓世忠はこれを期に隠居するんや
この時点で彼も身の安全を考えて強く出られなかったのかもね

 

493: 名無し 平成31年 04/06(土)23:46:53
康熙帝「心の中で思ったことがあったかもしれない」

 

495: 名無し 平成31年 04/06(土)23:47:44
>>493
うーんこの無敵理論

 

487: 名無し 平成31年 04/06(土)23:43:48 ID:Jdu


時洪皓在金国中、蝋書馳奏、以為金人所畏服者惟飛、至以父呼之、諸酋聞其死、酌酒相賀。

このとき洪皓は金国におり、蝋書ですぐに上奏したが、金人が恐れて服している者は飛だけで、彼を父と呼び、諸酋長は彼の死を聞くと、酒を酌み交わして慶賀したとのことであった。

 

488: 名無し 平成31年 04/06(土)23:44:41 ID:Jdu


飛至孝、母留河北、遣人求訪、迎帰。母有痼疾、薬餌必親。母卒、水漿不入口者三日。家無姫侍。

飛はこのうえなく孝行で、母が河北に留まり、人をやって訪ねてくれと求めると、迎えに帰った。母には持病があり、薬餌は必ず(岳飛が)自ら奉った。母が亡くなると、飲み物を口に入れないこと三日であった。家に妾はいなかった。

 

490: 名無し 平成31年 04/06(土)23:45:39 ID:Jdu


呉?素服飛、願与交驩、飾名?遺之。飛曰:「主上宵?、豈大将安楽時?」却不受、?益敬服。

呉?はもともと飛に敬服しており、親しく交わろうと思い、有名な?を着飾らせて送った。
飛は言った「主上が宵衣?食(早くに衣服をつけ遅くに食事すること。転じて天子が努力すること)をなさっているのに、大将が安楽に暮らしていてよいわけがない」受けなかったが、?はますます敬服した。

 

492: 名無し 平成31年 04/06(土)23:46:29 ID:Jdu


少豪飲、帝戒之曰:「卿異時到河朔、乃可飲。」遂絶不飲。帝初為飛営第、飛辞曰:「敵未滅、何以家為?」

若くして酒豪で、帝は彼を戒めて言った「卿は後日河朔に到ったときに、飲むがよい。」ついに(酒を)断って飲まなくなった。帝が当初飛のために屋敷を建てようとすると、飛は辞退して言った「敵がまだ滅びていないのに、家が必要ありましょうか?」

 

496: 名無し 平成31年 04/06(土)23:47:48 ID:Jdu


或問天下何時太平、飛曰:「文臣不愛銭、武臣不惜死、天下太平矣。」

ある者が天下がいつ太平になるのか聞くと、飛は言った「文臣が銭を愛さず、武臣が死を惜しまなければ、天下は太平になるのだ。」

 

499: 名無し 平成31年 04/06(土)23:50:01
>>496
永遠に訪れませんね

 

501: 名無し 平成31年 04/06(土)23:50:43
>>496
起こり得ないので本当にそうなるかわからない無敵論理

 

497: 名無し 平成31年 04/06(土)23:48:49 ID:Jdu


師毎休捨、課将士注坡跳壕、皆重鎧習之。子雲嘗習注坡、馬躓、怒而鞭之。

軍が休息するたびに、将士に斜面を駆け下り壕を跳ぶことを教え、みな重い鎧でこれを習った。子の雲はかつて斜面を駆け下りることを習い、馬を躓かせたので、(岳飛は)怒って彼を鞭打った。

 

498: 名無し 平成31年 04/06(土)23:49:49 ID:Jdu


卒有取民麻一縷以束芻者、立斬以徇。卒夜宿、民開門願納、無敢入者。軍号「凍死不拆屋、餓死不鹵掠。」

兵士で民の麻を一縷でも取り上げて秣を束ねた者は、たちどころに斬って人々に示した。兵士が夜に泊まると、民は門を開いて入れようとしたが、入ろうとする者はなかった。軍は言い広めた「凍死しても家屋を開かず、餓死しても略奪はしない。」

 

500: 名無し 平成31年 04/06(土)23:50:25 ID:Jdu


卒有取民麻一縷以束芻者、立斬以徇。卒夜宿、民開門願納、無敢入者。軍号「凍死不拆屋、餓死不鹵掠。」

兵士で民の麻を一縷でも取り上げて秣を束ねた者は、たちどころに斬って人々に示した。兵士が夜に泊まると、民は門を開いて入れようとしたが、入ろうとする者はなかった。軍は言い広めた「凍死しても家屋を開かず、餓死しても略奪はしない。」

 

502: 名無し 平成31年 04/06(土)23:51:20 ID:Jdu


卒有疾、躬為調薬、諸将遠戍、遣妻問労其家、死事者哭之而育其孤、或以子婚其女。凡有頒犒、均給軍吏、秋毫不私。

兵士に病気があると、自ら薬を調合してやり、諸将が辺境を守りに行くと、妻をやって彼らの家を慰労させ、戦いで死んだ者がいると慟哭して孤児を育ててやり、あるいは彼らの息子を彼らの娘に娶せてやった。
おおよそねぎらいの恩賞があれば、平等に軍吏に給わり、少しも自分のものにしなかった。

 

503: 名無し 平成31年 04/06(土)23:52:17 ID:Jdu


善以少撃衆。欲有所挙、尽召諸統制与謀、謀定而後戦、故有勝無敗。猝遇敵不動、故敵為之語曰:「撼山易、撼岳家軍難。」

よく少数で大軍を撃破した。行動を起こそうとすれば、統制たちをすべて呼んで謀をともに考え、謀が定まってから戦い、それゆえ勝っても負けなかった。
にわかに敵に遭遇しても動揺せず、それゆえ敵はこのために語った「山を揺るがすのは感嘆だが、岳家軍を揺るがすのは難しい。」

 

505: 名無し 平成31年 04/06(土)23:54:04 ID:Jdu


張俊嘗問用兵之術、曰:「仁、智、信、勇、厳、闕一不可。」調軍食、必蹙額曰:「東南民力、耗敝極矣。」

張俊がかつて用兵の術を(岳飛に)問うと、言った「仁、智、信、勇、厳は、一つも欠けてはならない。」兵糧を集めると、必ず額にしわをよせて言った「東南の民力を、消耗しつくしてしまった。」

 

506: 名無し 平成31年 04/06(土)23:55:19 ID:Jdu


荊湖平、募民営田、又為屯田、歳省漕運之半。帝手書曹操、諸葛亮、羊?三事賜之。飛跋其後、独指操為姦賊而鄙之、尤檜所悪也。

荊湖を平定すると、民を募って田を営み、また屯田を行って、一年に漕運(される兵糧)の半分を省けた。帝は手ずから曹操、諸葛亮、羊?の三事(この三人は屯田を行っている)を書いて賜った。
飛はその後にあとがきをして、操だけを姦賊として卑しんだ(曹操は簒奪の基礎を固めている)ので、とりわけ檜に憎まれた。

 

507: 名無し 平成31年 04/06(土)23:56:16 ID:Jdu


張所死、飛感旧恩、鞠其子宗本、奏以官。李宝自楚来帰、韓世忠留之、宝痛哭願帰飛、世忠以書来?、飛復曰:「均為国家、何分彼此?」世忠嘆服。

張所が死ぬと、飛は旧恩を感じ、その子の宗本を養い、上奏して官職につかせた。
李宝が楚から帰順しに来ると、韓世忠はこれを留めたが、宝は痛哭して飛に帰順を願ったので、世忠は書で告げたが、飛は返答した「等しく国家のためにすることなので、あちらとことらで分ける必要はないでしょう」世忠は感服した。

 

509: 名無し 平成31年 04/06(土)23:57:32 ID:Jdu

>>507
張所は岳飛の下積み時代の上司

 

507: 名無し 平成31年 04/06(土)23:56:16 ID:Jdu

襄陽之役、詔光世為援、六郡既復、光世始至、飛奏先賞光世軍。好賢礼士、覧経史、雅歌投壷、恂恂如書生。毎辞官、必曰:「将士効力、飛何功之有?」

襄陽の役では、詔で光世が応援をして、六郡を取り戻したが、光世が当初到着すると、飛はまず光世の軍に賞するように上奏した。
賢人を好み士を礼遇し、経史を読み、雅な歌をうたい投壷(壷に矢を投げて当てる遊び)を行い、慎ましくて書生のようだった。官職を辞退するごとに、必ず言った「将士の力であり、飛には何の功もありません」

 

512: 名無し 平成31年 04/06(土)23:59:06
>>510
歌を詠む岳飛なんか草

 

514: 名無し 平成31年 04/07(日)00:00:28 ID:oeg
>>512
岳飛はその筋でも有名やで
特に岳飛の満紅江(歌の形式)はとても評価されとるとか
ワイこの分野は弱いからどういいのかは知らん

 

517: 名無し 平成31年 04/07(日)00:01:33 ID:oeg
>>514
ごめん満紅江じゃなくて満江紅だ
いつも間違えるから念のためググったら案の定間違ってたという

 

520: 名無し 平成31年 04/07(日)00:03:00
>>514
ほんまに何でもできるんやな
曹操みたい(煽り)

 

522: 名無し 平成31年 04/07(日)00:04:06 ID:oeg
>>520
曹操の文才は決して岳飛に劣らないと思うけど
そう言ったら岳飛キレそうやな

 

511: 名無し 平成31年 04/06(土)23:58:50 ID:Jdu


然忠憤激烈、議論持正、不挫於人、卒以此得禍。

しかし、忠憤激烈で、議論では正論を持ち続け、人に屈そうとしなかったので、ついにこのために災いをうけてしまった。

 

513: 名無し 平成31年 04/06(土)23:59:47
なぜ悲劇的な英雄はどいつもこいつも性格に難があるのか

 

515: 名無し 平成31年 04/07(日)00:00:29
性格に難があるから悲劇的な最期を遂げることが多いのでは…?

 

516: 名無し 平成31年 04/07(日)00:00:38 ID:oeg


檜死、議復飛官。万俟?謂金方願和、一旦録故将、疑天下心、不可。

檜が死ぬと、議論して飛の官職を元に戻そうとした。万俟?は金がまさに和睦を願っているのに、一旦亡くなった将軍を用いれば(ここでは官職を元に戻せばの意)、天下の人々は疑うので、すべきではないと言った。

 

518: 名無し 平成31年 04/07(日)00:01:44 ID:oeg


及紹興末、金益猖獗、太学生程宏図上書訟飛冤、詔飛家自便。初、檜悪岳州同飛姓、改為純州、至是仍旧。中丞汪澈宣撫荊、襄、故部曲合辞訟之、哭声雷震。

紹興の末年に及んで、金がますます勢いを増すと、太学生の程宏は上書を書いて飛の冤罪を訴えたので、詔で飛の家族は自由の身になった。
当初、檜は岳州が飛の姓と同じだということを憎み、純州に改めたが、このときになって元に戻った。中丞の汪澈が荊、襄州を宣撫すると、もとの兵士たちは集まって彼に訴え、泣き声は雷のごとく震えた。

 

519: 名無し 平成31年 04/07(日)00:02:40 ID:oeg


孝宗詔復飛官、以礼改葬、賜銭百万、求其後悉官之。建廟於鄂、号忠烈。淳熙六年、謚武穆。嘉定四年、追封鄂王。

孝宗は詔をして飛の官職を戻し、礼をもって改葬し、銭百万を賜り、その後裔を探し求めてすべて官職につけた。鄂に廟を建て、忠烈の号を贈った。淳熙六(1179)年、武穆と諡を贈った。嘉定四(1211)年、鄂王に封じた。

 

521: 名無し 平成31年 04/07(日)00:03:32 ID:oeg


五子:雲、雷、霖、震、霆。

五人の子、雲、雷、霖、震、霆。

 

523: 名無し 平成31年 04/07(日)00:04:27 ID:oeg
>>521
ちな岳飛の息子にはある共通点があります
わかるかな?

 

524: 名無し 平成31年 04/07(日)00:04:42
>>523
上に雨がある

 

528: 名無し 平成31年 04/07(日)00:06:54 ID:oeg

>>524
正解や

これ字輩といって南北朝あたりから流行した
同世代に同じ部首つける名前の付け方なんや
その人がどの世代にいるか覚えやすくなるから知ってて損はないで
ちな三国時代では諱と字に同じ部首を使うってのも流行りの一種や
探してみれば面白いぞ

 

530: 名無し 平成31年 04/07(日)00:08:48 ID:oeg
ちな岳飛の息子の場合は雨が共通するんで雨字輩という
三国志で諱と字の部首が共通するのは
例えば馬超、字孟起とか姜維、字伯約とか孫策、字伯符とか
これ覚えておけば字の暗記もしやすいからマメ知識としてどうぞ

 

532: 名無し 平成31年 04/07(日)00:09:43
>>530
はえー知らんかった

 

525: 名無し 平成31年 04/07(日)00:04:43 ID:oeg


雲、飛養子。年十二、従張憲戦、多得其力、軍中呼曰「贏官人」。

雲は、飛の養子である。十二歳のとき、張憲に従って戦い、その力を借りること多大で、軍中は「贏官人(贏は勝利、官人は男性の敬称)」と呼びならわした。

 

529: 名無し 平成31年 04/07(日)00:07:08 ID:oeg


飛征伐、未嘗不与、数立奇功、飛輒隠之。毎戦、以手握両鉄椎、重八十斤、先諸軍登城。攻下随州、又攻破鄧州、襄漢平、功在第一、飛不言。

飛の征伐に、随行しなかったことはなく、しばしば奇功を立てたが、飛はそのたびにそれを隠した。戦うたびに、手で二本の鉄槌を握り、重さは八十斤(約50kg)で、諸軍に先んじて城を登った。随州を攻め落とし、また鄧州を攻め破り、襄漢を平定して、功は第一だったが、飛は言上しなかった。

 

532: 名無し 平成31年 04/07(日)00:09:43
>>529
なんぼなんでも50㎏振り回すのは無理やろ

 

531: 名無し 平成31年 04/07(日)00:08:58 ID:oeg


逾年、銓曹弁之、始遷武翼郎、楊?平、功亦第一、又不上。張浚廉得其実、曰:「岳侯避寵栄、廉則廉矣、未得為公也。」奏乞推異数、飛力辞不受。

年を越え、銓曹(官員を抜擢する部署)がこれを弁ずると、はじめて武翼郎になり、楊?を平定すると、功はまたもや第一だったが、それも言上しなかった。
張浚は本当のことを調べて、言った「岳侯は寵愛や栄達を避け、清廉といえば清廉だが、公のためになっていない。」上奏して何度も推薦したが、飛は努めて辞退して受けなかった。

 

533: 名無し 平成31年 04/07(日)00:10:04
クソ面白いけど中国文学の博士かなんかなんかな
才能の無駄遣いだわ

 

536: 名無し 平成31年 04/07(日)00:11:55 ID:oeg

>>533
ワイ程度取るに足りん
ただの一般人やで

字の法則は結構あるんであとでまとめたい

 

535: 名無し 平成31年 04/07(日)00:10:13 ID:oeg


嘗以特旨遷三資、飛辞曰:「士卒冒矢石立奇功、始沾一級、男雲遽?崇資、何以服衆?」累表不受。

かつて特旨(天子の特別のおぼしめし)をもって三級ばかり昇進させようとしたが、飛は辞退して言った「兵士は矢や石を冒して奇功を立て、はじめて一級の恩恵を貰えますのに、子の雲が突然高い位を貰うならば、人々が服従するわけがありません」重ねて上表して受けなかった。

 

537: 名無し 平成31年 04/07(日)00:12:12 ID:oeg


穎昌大戦、無慮十数、出入行陣、体被百余創、甲裳為赤。以功遷忠州防御使、飛又辞、命帯御器械、飛又力辞之。終左武大夫、提挙醴泉観。

穎昌の大戦では、十数人を恐れず、(敵の)部隊に出入りし、体に百余りの傷を作り、甲冑や裳も赤くなった。
功によって忠州防御使に昇進しようとしたが、飛はまた辞退し、帯御器械(官職の名前。武器を持って皇帝に侍る役目を担う)に任じられたが、飛はそれも努めて辞退した。最後は左武大夫、提挙醴泉観であった。

 

538: 名無し 平成31年 04/07(日)00:13:25 ID:oeg


死年二十三。孝宗初、与飛同復元官、以礼?葬、贈安遠軍承宣使。

二十三歳でなくなった。孝宗の当初、飛と同じように官職が元通りになり、礼をもって合葬され、安遠軍承宣使を贈られた。

 

541: 名無し 平成31年 04/07(日)00:15:38
岳雲のところまで読むと
秦檜に取って岳飛は何を求めているのか全然分からないから
恐怖の対象だったんだろうなって思えてくるわ

 

546: 名無し 平成31年 04/07(日)00:18:26
>>541
ある程度の欲を見せないと粛清されるから
いらなくても貰うのが処世術ってあったな

 

551: 名無し 平成31年 04/07(日)00:21:40
>>546
やっぱ王翦ってすげーわ

 

554: 名無し 平成31年 04/07(日)00:24:29
>>551
猜疑心の塊すぎる主君にも問題があるのでは…?

 

556: 名無し 平成31年 04/07(日)00:25:19
>>554
禿「ケチつけんのか?」

 

560: 名無し 平成31年 04/07(日)00:28:11
>>556
あ、しゃくれだ

 

562: 名無し 平成31年 04/07(日)00:29:52
>>560
はい族滅

 

565: 名無し 平成31年 04/07(日)00:31:16
>>562
グエー覚えてろよしゃくれ盗賊光禿生臭僧侶

 

566: 名無し 平成31年 04/07(日)00:32:39
>>565
錦衣衛が刷洗しにいったで
539: 名無し 平成31年 04/07(日)00:14:11 ID:oeg


雷、忠訓郎、閣門祗候、贈武略郎。霖、朝散大夫、敷文閣待制、贈太中大夫。初、飛下獄、檜令親党王会搜其家、得御札数篋、束之左蔵南庫、霖請於孝宗、還之。

雷は、忠訓郎、閣門祗候で、武略郎を贈られた。霖は、朝散大夫、敷文閣待制で、太中大夫を贈られた。当初、飛が牢獄に入れられると、檜は一党の王会に彼らの家を捜索させ、帝の書札を数箱手に入れ、左蔵南庫(国庫の一種)の管理としたが、霖は孝宗に請うて、それを返してもらった。

 

540: 名無し 平成31年 04/07(日)00:15:19 ID:oeg


霖子珂、以淮西十五御札弁験匯次、凡出師応援之先後皆可考。嘉定間、為《?天弁誣集》五巻、《天定録》二捲上之。震、朝奉大夫、提挙江南東路茶塩公事。霆、修武郎、閣門祗候。

霖の子の珂は、淮西で十五の帝の書札を分類して分析し集めて編纂し、おおよそ出兵応援の前後はすべて考えるべきだとした。嘉定年間(1208-1224)に、『?天弁誣集』五巻、『天定録』二巻を作って献上した。
震は、朝奉大夫、提挙江南東路茶塩公事であった。霆は、修武郎、閣門祗候であった。

 

542: 名無し 平成31年 04/07(日)00:16:07
岳飛の子孫も活躍したんやっけ

 

545: 名無し 平成31年 04/07(日)00:17:32
>>542
清の岳鍾琪かな

 

547: 名無し 平成31年 04/07(日)00:19:33 ID:oeg
>>542
小説の説岳全伝では
岳雷が後を継いで金の海陵王と戦い撃破するという設定
当然これは小説の脚色
あと清に岳鍾琪という人物が出てる

 

544: 名無し 平成31年 04/07(日)00:16:38 ID:oeg


論曰:西漢而下、若韓、彭、絳、灌之為将、代不乏人、求其文武全器、仁智并施如宋岳飛者、一代豈多見哉。
史称関雲長通《春秋左氏》学、然未嘗見其文章。飛北伐、軍至?梁之朱仙鎮、有詔班師、飛自為表答詔、忠義之言、流出肺腑、真有諸葛孔明之風、而卒死於秦檜之手。
蓋飛与檜勢不両立、使飛得志、則金讎可復、宋恥可雪、檜得志、則飛有死而已。
昔劉宋殺檀道済、道済下獄、嗔目曰:「自壊汝万里長城!」
高宗忍自棄其中原、故忍殺飛、嗚呼寃哉!嗚呼寃哉!

論にいう。西漢の下では、韓、彭、絳、灌(韓信・彭越・周勃・灌嬰)のようなものが将となり、この世代は人材が乏しくなかったが、文武双全、仁智のどちらをも施せる宋の岳飛のような者を求めるなら、一代に多く現れるものではない。
史書は関雲長(三国蜀の将軍。左伝を好んだとされる)が『春秋左氏』の学に通じているとしているが、未だにその文章は出てきていない。
飛は北伐し、軍は?梁の朱仙鎮まで到り、詔があって帰還させられると、飛は自ら上表文を作って詔に答え、忠義の言葉は、肺腑から流れだしており、
まことに諸葛孔明(三国蜀の丞相。この人物の「出師の表」も忠義あふれる文章として有名)の風があったが、秦檜の手によってにわかに死んでしまった。
思うに飛と檜の勢力は両立できず、飛が志を得られれば、金の仇に報いられ、宋の恥はそそげたであろうが、檜が志を得たので、飛は死んで終わってしまった。
昔劉宋は檀道済を殺し、道済は投獄されると、
目を怒らせて「自らお前の万里の長城を壊すのか!」と言った。

高宗は自ら中原を棄てるのを忍べたので、ゆえに飛を殺すことも忍べ、
ああ冤罪だ!ああ冤罪だ!

 

548: 名無し 平成31年 04/07(日)00:21:03
>>544
ラスト気持ち入りすぎやろ

 

549: 名無し 平成31年 04/07(日)00:21:30 ID:oeg
これで岳飛伝は終わり
個人的な意見を述べたいんでよかったらもう少しお付き合いください
あと質問がありましたら答えられる範囲でお答えしますので遠慮なくどうぞ

 

552: 名無し 平成31年 04/07(日)00:22:04
おつかれ
勉強になった

 

555: 名無し 平成31年 04/07(日)00:25:06
すごすぎてキングダムと蒼天航路読んだくらいじゃついていけんな
宮城谷昌光でも挑戦するか

 

557: 名無し 平成31年 04/07(日)00:25:48
北伐やりたかったら朝廷押さえんと無理なんかねぇ・・・
孔明→トップ
姜維→武官トップで朝廷も押さえる(途中までは)
祖逖→朝廷の支持が得られず失敗
殷浩→普通に負ける
桓温→クーデターまがいの行為をやって朝廷を押さえる
劉裕→トップ

 

563: 名無し 平成31年 04/07(日)00:30:15
>>557
南宋にもいなかったっけ北伐しようとした人

 

564: 名無し 平成31年 04/07(日)00:30:18
>>557
敵増やして北伐する前にボコられる殷浩さん…
謝玄も北伐したで

 

558: 名無し 平成31年 04/07(日)00:25:53
改めて
張良、蕭何、韓信、彭越、英布、曹参、
周勃、王凌、盧綰、陳平、張耳、臧荼とかを
経歴問わずに扱った劉邦ってチートだわ

 

559: 名無し 平成31年 04/07(日)00:26:31
>>558
れきいき…

 

561: 名無し 平成31年 04/07(日)00:29:31
>>559
?食其は?が変換になくて省いてしまったわ
スマンな
後?家は?商の方が濃すぎると思うわ...

 

567: 名無し 平成31年 04/07(日)00:34:29
天下を取ったら何をする?
そうだね大粛清だね(ズバー)

 

568: 名無し 平成31年 04/07(日)00:35:18 ID:oeg

まあワイこれだけは言いたくて前にも言ってるけど
秦檜の和睦自体は間違いではないと考えてる
岳飛死後、宋と金で結んだ第二次紹興の和議の内容は

淮水 ̄大散関のラインを国境にする
宋は金の臣下とする
宋は金の皇帝の誕生日と元旦には贈り物をする
宋は金に春ごとに銀二十五万両と絹二十五万匹を送る

宋は金にこれほど有利に戦いながらこのような条件で和睦してしまった

理想は北伐と和睦の両面で河北を取り戻すこと、

次善は第一次和議と同様の条件に取り戻す、
すなわち黄河を境にして平等な条約を結ぶこと

じゃあなんで秦檜がこれほどの酷い条件で和約したかといえば
主戦派と真っ二つにわかれていた、和睦することしか功績を立てられず
最悪失脚もありえたから

そうでありながらワイが和睦が間違いではないというのは
宋の軍隊の強さは金に勝っていても、内部が統一されていないから
弾圧ではあったが、秦檜の手によって国内の意志は統一されてる
これによって豊かな江南と西川を抱える宋は決して不利になるわけでもない
秦檜否定する人は一概に和睦まで否定するが、ワイは否定しない
これワイの自論なんやけどどうやろか?

569: 名無し 平成31年 04/07(日)00:37:41
多分和睦のための手段がアレすぎるのと
和睦が破られた時の軍の弱体化してる可能性の関係を合わせて
否定してるんじゃないですかね

 

571: 名無し 平成31年 04/07(日)00:39:02 ID:oeg
>>569
なるほどそれ考えてなかった
金がかつての張良のように和睦破って攻めたらやばいもんね

 

572: 名無し 平成31年 04/07(日)00:40:32
>>569
岳飛だったら・・・岳飛だったら何とかしてくれる論やぞ

 

570: 名無し 平成31年 04/07(日)00:38:04 ID:oeg

ちな高宗はなんで
岳飛の処刑を止めなかったのって疑問に思う人いるやろ?
実はそれに関して高宗の主犯説ってのがある

高宗は靖康の変で欽宗以下の皇族がほとんど連れ去られたから偶然即位できた
だから岳飛が勝って皇帝取り戻したら
自分は退位しなければならないからそのために黙認したんやろってのがそれ
第二次和睦で徽宗の遺体の返還は要求されてるのに
生きている欽宗に一切触れられていないのをその証拠としてるんや

 

580: 名無し 平成31年 04/07(日)00:49:52
>>570
引っかかっとったが
これならますますどうしようもないな

 

573: 名無し 平成31年 04/07(日)00:41:01
そもそも宋は文官優位で柔弱みたいとからしいから
それに加え其の条件だとジリ貧みたいな印象

 

577: 名無し 平成31年 04/07(日)00:45:06 ID:oeg
>>573
宋は太宗からは弱かったんやがそれは徽宗欽宗まで
この時期は一時的に節度使を復活させ士気の高い兵士を使えてるんや

 

574: 名無し 平成31年 04/07(日)00:41:12
ワイも和睦は否定しない
江北まで攻めようと思っても兵糧が足りなくなるだろうし
何よりも張浚みたいな将軍を敵に抱えてる状態だから
岳飛も徐州あたりで手酷い敗北を食らってたかもしれん
ただ岳飛の処刑に関しては本人が退役したがってたなら
軍に関わらないことを条件に替え玉でも立てられなかったんかなって思う

 

577: 名無し 平成31年 04/07(日)00:45:06 ID:oeg
>>574
秦檜にしたら面罵された相手でもあるし
奸臣として憎まれてもいるからどうしても殺そうとするやろなあ
岳飛は本当に口が欠点や

 

576: 名無し 平成31年 04/07(日)00:44:31
和睦はええと思う
ただ軍事的に優勢な状況から中華の主が夷狄の臣下になるってどうなのさ

 

578: 名無し 平成31年 04/07(日)00:46:02
>>576
隋・唐・宋、どの皇帝も出自は異民族だからセーフだぞ

 

580: 名無し 平成31年 04/07(日)00:49:52
>>578
やつらは自称漢人だし…

 

579: 名無し 平成31年 04/07(日)00:48:32
異民族いったら周も西方の蛮族といえなくもない

 

582: 名無し 平成31年 04/07(日)00:52:54
崔杼には晏嬰がいたけど秦檜には誰もいなかった
同じように悪人として扱われてるのに
たった一人の人間の存在によって
君主を弑した悪人と売国奴と評価が分かれてるのは面白いわ

 

584: 名無し 平成31年 04/07(日)00:55:32
>>582
皇帝の殺害なんてよくあることだからなのでは?
特に五胡十六国・魏晋南北朝はヤバイ

 

590: 名無し 平成31年 04/07(日)00:59:28
>>584
崔杼の場合は皇帝ではないけど
嫁が主君に犯されてたから嫁の安全のためについ殺っちゃった
記録する役人も弑殺って書いたから
正しく書けやって言って処刑するくらいにはヤバイことやったんや

 

601: 名無し 平成31年 04/07(日)01:05:11
>>599
クーデター起こして返り討ちは擁護のしようがないけど
凄惨やったんやろうね...

 

604: 名無し 平成31年 04/07(日)01:06:56
>>601
側近3人と手を組んでクーデター起こしたけど
そのうち2人から裏切られるレベルには悲惨やで

 

587: 名無し 平成31年 04/07(日)00:57:16 ID:oeg

おまけのおまけで字の付け方

生まれた順序で伯・孟(長男)、仲(次男)、叔(弟)、季(末弟)
例えば
孫策 字を伯符は長男、
孫権 字を仲謀は次男、
孫翊 字を叔弼は三男、
孫匡 字を季佐は末弟

諱と字で熟語をつくるまたは関連させる
熟語
諸葛瑾 字を子瑜
周瑜 字を公瑾 瑾瑜(宝石)
曹休 字を子烈
孫休 字を子烈 休烈(優れていること) など

関連
趙雲 字を子龍
陸雲 字を士龍 龍は雲を起こす
陳登 字を元龍 龍が登る
石虎 字を季龍 龍虎は対となる など

同義語
諸葛亮 字を孔明
孫亮 字を子明 あかるい
魏延 字を文長 のびる など

古典や古人
劉備 字を玄徳 玄徳(老子の言葉)を備う
田予 字を国譲 予譲という名の刺客

演義で張松は字を永年とされているが史書には子喬とある
松・喬は赤松子・王子喬という仙人二人に由来するから
実はこっちのが組み合わせいいんだよね
諸葛亮の養子の諸葛喬は字伯松や

こういうの探すのも面白いから暇なときに挑戦してみてやで

 

594: 名無し 平成31年 04/07(日)01:00:52
>>587
熟語とかもあるんやな

 

600: 名無し 平成31年 04/07(日)01:03:54 ID:oeg
>>594
あるで
ほかにも名前だけで言葉作ってるってのもある
長孫無忌の忌まないや王守仁の仁を守るとかがそれや

 

602: 名無し 平成31年 04/07(日)01:06:02
>>600
霍去病()
朱全忠()
後者は貰いもんやけどさ

 

588: 名無し 平成31年 04/07(日)00:58:12
靖康の変見るたびに欽宗と徴宗がいたたまれなくなる
いや無能やけどな
NTRものの極北やであれ

 

591: 名無し 平成31年 04/07(日)00:59:41 ID:oeg
>>588
徽宗は自己責任でええが欽宗なんて
直前に帝位譲られて気がついたら連行だもんな

 

609: 名無し 平成31年 04/07(日)01:14:30
おつ
このスレで一番印象に残ったのは完顔亮だったわ

 

611: 名無し 平成31年 04/07(日)01:15:47 ID:oeg
>>609
ファッ!?

 

610: 名無し 平成31年 04/07(日)01:14:49
おつやで

 

611: 名無し 平成31年 04/07(日)01:15:47 ID:oeg
>>610
こちらこそ乙
最後まで見てくれてありがとうや

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