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曹操の夫人は武帝紀とは別の伝に載ってるから
そもそも範囲外や
スマンな
太祖武皇帝、沛國?人也。
太祖武皇帝は沛国?の人である。
姓曹諱操字孟德、漢相國參之後。
姓を曹、諱を操、字を孟徳といい、漢の国相曹参の末裔である。
※曹参は漢の初代皇帝、劉邦に仕えた人物や
ちな曹操の父が養子やから曹操には曹参の血が流れてないんやで
桓帝世、曹騰爲中常侍大長秋、封費亭侯。
桓帝の世に曹騰は中常侍、大長秋となり、費亭侯に封ぜられた。
※曹騰は曹操の祖父やで
養子嵩嗣、官至太尉、莫能審其生出本末。嵩生太祖。
養子となった曹嵩が後を継ぎ、官位は太尉まで至ったが、
その出生と本末は明らかに出来ない。曹嵩は曹操を生んだ。
孫権は孫氏の子孫なんじゃない?(適当)
みたいなかんじで書かれてるんや
孫氏の兵法書で有名な孫子のことやで
太祖少機警、有權數。而任?放蕩不治行業、故世人未之奇也。惟梁國橋玄南陽何?、異焉。
曹操は幼い時から機転が利き、権謀術数があった。しかし、任侠放蕩で行いを正しくしようとしなかった。そのため世間の人々には評価されなかった。ただ、梁国の橋玄、南陽の何?だけは曹操を評価した。
玄、謂太祖曰「天下將亂、非命世之才不能濟也。能安之者其在君乎!」
橋玄は曹操に言って曰く「天下はまさに乱れ、才能のある人でなければ治めることは出来ない。これを安んずることが出来るかは君であろう!」
年二十舉孝廉爲郎。除洛陽北部尉、遷頓丘令。?拜議郎。
二十歳で孝廉に推挙され郎となった。洛陽北部尉に任命され、頓丘令に昇進した。中央に呼ばれ議郎となった。
蒼天航路で有名なあれや
光和末、?巾起。拜騎都尉、討潁川賊。
光和末(184年)、黄巾の乱が起きた。曹操は騎都尉となり、潁川で賊を討った。
遷爲濟南相、國有十餘縣。長吏多阿附貴戚、贓?狼藉。於是奏免其八。禁斷淫祀、姦?逃竄、郡界肅然。
斉南相に出世して、そこに国は十余りの県があった。長吏(県の偉い人)は貴族の親戚に擦り寄り、賄賂や狼藉があった。曹操はその八割を上奏して罷免させた。淫祀を辞めさせると悪いものは逃げ去り、郡の中は粛然とした。
>>374
曹嵩が夏侯惇の叔父って説があるんや
その説が正しいとすれば
夏侯惇が夏侯嬰の末裔やから曹操も夏侯嬰の末裔ってことになるな
久之、?還爲東郡太守。不就、稱疾歸?里。
久しくして東郡太守となった。
しかしその職に就かず、病気を理由に郷里に帰った。
※曹操も一時期ニートしてたんや
夏侯氏と曹氏の助け合いとかワクワクするわ
>>379
曹操の台頭には夏候氏のバックアップも大きいンゴからねぇ
司馬氏が曹氏に対立したときも夏候氏は曹氏に味方したからええ話やで
金城邊章韓遂、殺刺史郡守以叛。衆十餘萬、天下騷動。?太祖爲典軍校尉。
金城の辺章、韓遂が刺史郡守を殺して反乱を起こした。
十余万の兵を集めたので天下は騒然となった。曹操は典軍校尉となった。
頃之、冀州刺史王芬、南陽許攸、沛國周旌等、連結豪傑謀廢靈帝。立合肥侯、以告太祖。太祖拒之、芬等遂敗。
このころ、冀州刺史の王芬、南陽の許攸、沛国の周旌らが豪傑らと図って霊帝を廃そうとした。合肥公を立てることを太祖に告げた。曹操は拒否し、王芬らは失敗した。
※うーん、この先見の明
そして許攸がいるンゴねぇ
金城邊章韓遂、殺刺史郡守以叛。衆十餘萬、天下騷動。?太祖爲典軍校尉。
金城の辺章、韓遂が刺史郡守を殺して反乱を起こした。十余万の兵を集めたので天下は騒然となった。曹操は典軍校尉となった。
※曹操に余り関係ないので中略
霊帝が死に、何進が死に、董卓が台頭し、
献帝が即位したことが述べられている。
このとき曹操は董卓に見込まれ驍騎校尉に任命されたが
姓名を偽り逃亡
太祖至陳留、散家財合義兵、將以誅卓。冬十二月始起兵於己吾。是?中平六年也。
曹操は陳留に着き、家財を使って兵を集め董卓を倒そうとした。冬十二月に挙兵した。この年は中平六年(189年)である。
初平元年春正月。後將軍袁術、冀州牧韓馥、豫州刺史孔?、?州刺史劉岱、河?太守王匡、勃太守袁紹、陳留太守張?、東郡太守橋瑁、山陽太守袁遺、濟北相鮑信、同時?起兵、衆各數萬、推紹爲盟主。太祖、行奮武將軍。
初平元年(190年)の春正月。後将軍袁術、冀州牧韓馥、豫州刺史孔?、?州刺史劉岱、河?太守王匡、勃海太守袁紹、陳留太守張?、東郡太守橋瑁、山陽太守袁遺、済北の相鮑信は同時に挙兵し、各々数万の兵が集まり、袁紹が盟主に推された。曹操は奮武将軍を自称した。
※演義では曹操が反董卓連合を組んだことになってるんやが
正史では全く関係ないんや
この書き順通りに当時の格付けがなってると思われるので
一番偉いんは袁術でええんやろうな
後将軍は
車騎、驃騎、衛将軍に次ぐ官位で武官トップ10には確実に入る高官位や
この中では抜群に偉いんやで
当時の評価は抜群やったで
董卓に後将軍、リカクに左将軍を貰ってるからよほど警戒されてたんや
ただワイ的には時勢が読めず、
忠言を聞かず自滅していったっていう印象が強いで
※初っ端やけど曹操に余り関係ないんで中略
董卓が遷都し、洛陽を焼く
董卓軍は強く、袁紹らは進軍しようとはしなかった
太祖曰「舉義兵以誅暴亂、大衆已合。諸君何疑?向使、董卓聞山東兵起、倚王室之重據二周之險東向以臨天下。雖以無道行之、猶足爲患。
曹操は「義兵をもって暴乱を誅しようと皆は集まった。諸君らは何を疑うか?董卓は山東で兵を挙げたことを聞くと、王室の権威と二重の険阻(洛陽の地形)をもって東に対抗して天下に臨んでいる。道理無き行いとはいえ、患いはなかった。
?、遣將衞茲、分兵隨太祖。到?陽?水、遇卓將徐榮。與戰不利、士卒死傷甚多。太祖爲流矢所中、所乘馬被創。
張?は、衞茲を遣わし兵を分け曹操に随行させた。?陽?水に到着したとき、董卓の将軍・徐栄と対峙した。戦いを起こすも不利になり、兵士の死傷は甚だ多かった。曹操は流れ矢に当たり、乗っていた馬も傷を負った。
※このときは張?ぐらいしか味方がいなくて実質配下みたいなもんなんや
曹操を退けてるのに初期三國志では有象無象扱いされる徐栄・・・
最近のでは扱い改善されたんやろか
>>396
蒼天航路とかは正史よりらしいから改善されとるんちゃう?
ワイはそこら辺読んでへんけど
從弟洪、以馬與太祖、得夜遁去。
榮、見太祖所將兵少力戰盡日、謂酸棗未易攻也。亦引兵還。
従弟の曹洪が馬を曹操に与えたので、夜に逃げ去ることが出来た。徐栄は曹操の率いる軍が少なくも一日中奮戦し、酸棗(地名)を容易に攻められないと言って、兵を引き返した。
ああ、今は亡き光栄のゲームの話や
蒼天航路ではちょっとかっこいいところ見せたと思ったら呂布にブチ殺されてた
サンガツ
13でも過小評価やったで
>>395で述べたように
曹操は張?の配下みたいなもんやったんや
だから陳寿は代表で名前出したんちゃう?
※曹操と関係ないんで中略入れるンゴ
袁紹と韓馥はここで幽州牧劉虞を皇帝にしようとたくらんだが、
曹操は拒否したンゴ、結局これは失敗に終わったンゴ
>袁紹は上奏して曹操を東郡太守とし、東武陽を治めさせた。
さっきまで対立してその上別の皇帝立てようとしたのに
何ぬけぬけと上奏しとるんやこいつ
それくらい皇帝の権力が弱ってた証拠や 確かに袁紹居るとは書いておらへんかったな
>>411
袁紹や袁術は他の場所に居って、酸棗に居ったのが張?らやからやで。
多分。
416: 名無し 2016/08/15(月)23:02:28 ID:2XR
>>415
確かに袁紹居るとは書いておらへんかったな
太祖到酸棗。諸軍兵十餘萬、日置酒高會、不圖進取。太祖責讓之。
曹操は酸棗に帰ってきた。諸軍は兵が十余万あり、日ごとに酒を飲む会が開かれ、進軍しようとはしなかった。曹操はこれを叱責した。
因爲謀曰「諸君、聽吾計。使勃海引河?之衆、臨孟津。酸棗諸將守成皋、據敖倉、塞?轅太谷。全制其險。
謀略を述べて曰く「諸君、我が計を聞け。袁紹は河?の兵を率いて孟津に臨め。酸棗の諸将は成皋を守れ、敖倉に寄って、?轅・太谷(洛陽の土地)を塞げ。その険しさを制するのだ。
使袁將軍率南陽之軍、軍丹析。入武關、以震三輔。皆高壘深壁、勿與戰。益爲疑兵、示天下形勢。以順誅逆、可立定也。
将軍(袁術)は南陽の軍で丹析に布陣し、武関に入って三輔を震わせるのだ。それぞれ高い塁と深い壁を作り、戦ってはならない。疑兵を盛んにして、天下に形勢を示せ。順を以て逆を誅すれば、平定することが出来る。
今兵、以義動。持疑而不進、失天下之望。竊爲諸君恥之!」?等不能用。
袁今、兵を義によって動かせ。疑いを以て兵を進めなくば、天下は失望するだろう。諸君のためにこれを恥じようぞ!」張?らは策を用いることが出来なかった。
張?、無能
なんでそこで矢面に立ってるのが張?なんなんですかね・・・?
結局偉いさんに直接意見できなかったのか?
>>410で述べたように曹操は張?の配下みたいなもんやったんや
だから陳寿は代表で名前出したんちゃう?
※曹操と関係ないんで中略入れるンゴ
袁紹と韓馥はここで幽州牧劉虞を皇帝にしようとたくらんだが、
曹操は拒否したンゴ、結局これは失敗に終わったンゴ
太祖兵少。乃與夏侯惇等、詣揚州募兵。刺史陳?丹楊太守周昕、與兵四千餘人。還到龍亢、士卒多叛。至?建平、復收兵得千餘人。進屯河?。
曹操は兵が少なかった。夏侯惇らと揚州で募兵をした。刺史の陳?と丹楊太守の周昕は、共に四千余りの兵を与えた。龍亢に帰還すると兵士の多くが反乱を起こした。?・建平に到着し、また兵を千余り集めた。河内に駐屯した。
※ここで味方に逃げられてるンゴ
演義の華々しい活躍と違って正史曹操はわりと泥臭い人物なんやとワイは思うで
黑山賊于毒白繞?固等十餘萬衆、略魏郡東郡。王肱不能禦。太祖引兵入東郡、?白繞于濮陽、破之。袁紹因表太祖爲東郡太守、治東武陽。
黒山賊の于毒・白繞・?固ら十余万人が魏郡と東郡を攻略しようとした。王肱は防ぐことが出来なかった。曹操は兵を率いて東郡に入り、白繞を濮陽で破った。袁紹は上奏して曹操を東郡太守とし、東武陽を治めさせた。
※ここら辺から徐々に力つけていくンゴねぇ
※中略
董卓暗殺後、呂布は覇権を握れず東に逃げる
李?・郭汜が権力を握る
青洲黄巾党百万人が?州に入る、劉岱がこれを攻めるが敗死
信、乃與州吏萬潛等、至東郡迎太祖領?州牧。遂進兵??巾于壽張東。信力戰?死、僅而破之。購求信喪、不得。衆乃刻木如信形?、祭而哭焉。
鮑信は州吏の万潜らと東郡に行き、曹操を領?州牧として迎えた。こうして兵を進めて黄巾を寿張の東で討った。鮑信は力戦したが敗死し、何とかしてこれを破った。曹操は鮑信の遺体を求めたが得られなかった。皆は鮑信の形をした木の彫刻を作り、祭って泣いた。
ラストや
追?巾至濟北、乞降。冬、受降卒三十餘萬。
男女百餘萬口、收其精?者、號爲青州兵。
黄巾を済北まで追い詰め、黄巾は降伏を請うた。冬、黄巾軍三十余万人、男女百余万人を手に入れ、精鋭を軍に入れ、青州兵と号した。
これから大躍進を続け皇帝を手中にし、
官渡の戦いを得て覇権を握るんがロマンあるんよなぁ
これもうわかんねえな
青州は当時では最も人口の多い地域の一つで
募兵に行った揚州は人口少ないからね。
何か質問あったらわかる範囲で答えるで
>>424
劉虞を皇帝にして権力を得ようとしたり
自身が皇帝になろうとしたりで陳寿からの評価は悪いで
基本皇帝僭称しようとした奴はボロクソや
そういう意味じゃ董卓の扱いも酷いのもうなずけますな
正史にも乗っ取るで
確か裴松之の注釈やったわ
かなりの高級嗜好品やったんやないかな
ワイの時間とれるかわからんから次から不定期になるかもしれんが
そこは赦してクレメンス
わかったんご
あるで
好きな人物の一人やし絶対やるやで
やったぜ。
内外に策が光る軍師、法正
期待しといてやで