親父:大人
長男:君子 次男:英雄 三男:病弱 四男:豪傑
と親子そろってキャラが立ってる。
正直な話、長男が後を継いでも、貞観の治の内実は大して変わらなかっただろう。
乱世に共に立ち向かうことが出来たのに、治世を共に過ごすことが出来なかったのは悲しいことだ。
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それって長男が貶められている反動での、過大評価というわけではないの?
誰がやっても似たような政治って、登用される官僚の質にもよるんだから、そんな簡単に言えることなのか?
李世民の場合は結果として残っているが、長男の場合は希望的観測のような気がするが。
なんか、生前にその片鱗があるのなら、ちょいと教えてくれまいか。
誰がやっても、とは言ってない。建成は世民ほどでないにせよ、部下の人心は得ていたのは確かだ。
相続上の優位と並よりマシな人間性、まともな補佐があれば、二代目としての合格点を出すのは、そう難しいことではない。世民に比べて建成の詰めが甘い点は否めないが、穏健策と国力の休養を国策とするならば、トップがそれくらいで丁度いい。
最初から何もかも与えられた役立たずのボンボンが継ぐわけではないのだから、まったくの希望的観測とも思わない。お約束どおりなら、対突厥での成功も、対高句麗での失敗もない無難な治世だったと思われる。
まあ唐太宗とは違った地味な二代目なのは確かだろうよ。過小評価の反動であることは仰るとおり。
どうであれ、世民は兄弟と甥を皆殺しにして父を幽閉し、天下を奪った。余人なら何の弁護もされない類の非道である。
その是非は俺にはどうでもいいことだが。
>>89
レスをどうも。
まぁ想像と願望の範囲を越えることはないなぁ、記録に残されなかった人のことは。
そういうところが、歴史の影の部分で、脚光を浴びせたくはなるんだが。
なんというか、こう李建成の統治下ではいい状態だった、とかそういう記録はないのだろうか。抹消されている?
>>並よりマシな人間性、まともな補佐、穏健策と国力の休養を国策とするならば
それが終始たゆまなければ、兄・建成も名君足りえるのだろうが。
当初の意気込みから崩れていく皇帝、あるいは統治者というのは多いから、なんともねぇ。
当初、見込みありそうな皇帝でも、まともな補佐をしだいに遠ざけるのもいれば、外戚を抑えられないようなのもいる。
ま、その可能性があったことはよくわかりました。
李家の蜂起の際に突厥の兵隊を借りたけど、その後彼らは建成を窓口にし、兵隊は建成の指揮下にあったことを考えれば
世民の対突厥戦線はいわば自分の蒔いた種以外の何物でもなく
高句麗も突厥もいわば世民のせいで起きた戦争と言えるんじゃないか?
それを功績とか派手とか言うのは壮大な自作自演なんてなw
よく知らんのですが、突厥って劉武周を後押しして太原落としませんでした?
その後の始末を李建成がしたということ? 違ったかな。
ところで、征服戦争というのは、ほとんどが侵略する側の都合でしょ。自作自演といえばそうなのだろう。
漢武帝もそういう意味では、あんまりいい印象はないようだし。
漢光武帝のように、匈奴の略奪区域から住民を避難させたほうが、評価されてしかるべきなんでしょうね。
光武帝と比べるのはあまりに武帝に失礼すぎる
>その後の始末を李建成がしたということ? 違ったかな。
武徳三年以降、唐の北辺防衛の責任者は李建成と思われる。詳細な記録が失われてるので、指揮官としての手腕を確認することはできない。突厥兵が李建成の指揮下にあったというのの根拠は知らないが(劉文静つながり?)
ただ、唐建国期に突厥が中国内地まで侵攻してきたことが二度あり、どちらも李建成が前線に不在だった時期であることから、北辺の守備隊を李建成はよく掌握していたのではないだろうか、という推測がしばしばなされる。
後、玄武門を「暗殺」
→「残党による反撃・軍事衝突」
→「詔による停戦」という
通説の流れと史料の記述を見る限り不自然な点が多く見られる。
確証は無いが、最初っから長安城北部で太子軍・秦王軍の衝突があり、その中で李建成は暗殺ではなく、戦死したのではないだろうかと、最近、思っている。
>>101
太子軍・秦王軍の衝突
それを招いてしまった李淵はどうしてしまったんだろうか。
父親としてはいい父親でも、皇帝としては落ちる・・・ 私人としてはよい人でも公人ではいまいち、というのに似ているな。
しかしその説は目からうろこだった。これもサンクス。
父親として駄目親父で皇帝としてはまずまず>李淵
秦檜は別に後世に対して自己弁護も自己装飾してなくね?
そういうのは悪役好き層に一定の支持されると思う
朱元璋も似たような感じで
ネラーは朱元璋好きが多いよな。
でも、自分の手で掴み取った皇帝位と、皇帝に信任された宰相位とでは、やはり違うな。
この場合、宰相は忠誠無比・清廉潔白でないと気に入らんwwwww
朱元璋自身の再評価が始まっているからだと思うけどね
三代目の倅含めてだが、暗君輩出しても揺ぎ無い政権基盤、システムの確固たる地固めをした朱元璋がこれまで陰湿な粛清者、権力の妄執者としてしか評価されてこなかったことの方が異常
逆に劉秀や趙匡胤は持ち上げられたり、宣伝されたりはしているが
その「作られた人物像」が鼻につきずぎるあたり、あるいは「恵まれた生育環境」あたりで
広範囲の支持が得られない原因じゃないかと思う
たとえ粛清されてもいいから、俺は流民、貧民のために秩序の再生者となった朱元璋を支持する
李世民はやってることのスケールは巨大なのに、歴史歪曲とかやたら小者チックなところが勿体無い
「作られた人物像」kwsk
>>114
日本で紹介されてる両名のイメージの話だから
大して通説覆すようなわけではないが
劉秀に関しては、知名度はイマイチながらも名将・名政治家というイメージが日本では強いが(本国では知らん)
洛陽奠都による国防圏の後退→諸羌の司隷侵入につながる
という政治的失策があんまり話題に上がらないのは、やっぱイメージ先行なおかげかなと思ってしまう
特に班超や馬賢といった個人の軍才に頼らなければ国防を運営できない時点で、後漢の西方防衛はヤバイ(馬賢登場まで三輔を回復できないんだから)
無理してでも長安~河套で国防圏を維持すべきだったんだがな
ちなみに後世洛陽に都を置いた西晋でも、山西からの匈奴侵攻に為す術も無く蹂躙されている。八王の乱の余震とは言え、洛陽が国防上戦争期の首府には向かないことを誰も認識できていなかったのか?
趙匡胤の禅譲はヤオ、これは賛同を得れると思っていたんだが……
趙匡胤の人気は禅譲のそれもだけど
泣き言と同情を買うことによって、平和裏に兵権を奪ったこととか、逆上して殴っても、あとで気になってうじうじするとか…
心配性で趙普がどう思っているのか気になって眠れず突然軒先に現れるとか…
そういうところが………
なんか書いてて情けなくなってきたぞw
若干スレチだが、劉秀のその失策については常備軍の大幅削減の比重も大きい。
ぶっちゃけ、個人の力量によらない防衛力ってのは数にも大きく依存するからな。
でもあの時代人口低下対策で奴隷解放をやるくらい労働力が少ないから、経済がやばくて、そもそも『無理』することが出来ない状況だったんじゃないかね。
匈奴その他にゃどうしても直接戦争する余裕ないから堅壁清野の計をやってるわけで。
>ネラーは朱元璋好きが多いよな。
ゴロツキヤクザで盗賊のような汚職官僚にベタ褒めされてる趙匡胤よりは、そのゴロツキヤクザで盗賊のような汚職官僚をバッサバッさと斬り殺しては恨みつらみを並べ立てられている朱元璋の方がマシに見えるだろ?
おれは、そういう意味でなら、朱温大好きになるのだがなw
趙匡胤はたしかに民間人気だな。
水滸伝の花和尚は、それをモデルとしているとのこと。
だが、ネラーには趙匡胤マンセー派が多いのも、事実(あくまで今のところだけど)。
それに趙匡胤の人気はむしろ民間の方が根強いよ
名門の御曹司で才気煥発、自分が権力を得るためには
親兄弟も平気で陰謀にハメ、帝位についたら自己宣伝に励む。
まあ、嫌われて当然ではあるな。
俺は好きだけど。
>名門の御曹司で才気煥発、自分が権力を得るためには
>親兄弟も平気で陰謀にハメ、帝位についたら自己宣伝に励む。
こういったヤツは他にも吐いて捨てるほどいるけど、この人の場合
他のヤツよりもなまじ成功して評価されてるのがここで嫌われる原因なんだろうか?
おれは、どっちも気に食わなくて・・・
殺された岳飛のほうに同情と、言い分があるように思えてね。
秦檜も政治はよかったかもしれんが、結局は李世民とやってること一緒じゃんって。
>>99
俺は李世民は嫌いじゃない(好きじゃないが)
秦檜は嫌いだな。
秦檜スレでは秦檜擁護派が勝ったみたいだが、ただの粘り勝ちで全然納得していない
(というか岳飛擁護すると右翼と決めつけられるのでいやになった)
李世民が政治がよかったのはある程度間違いないが、秦檜は証拠はどこにもない。
軍事費がなくなったから良くなったであろうとか、孝宗の時の繁栄は秦檜の力であろうとか
ただの推測に過ぎない。秦檜に本当は彼なりの正義があるのならもっと人材が集まっても
よい気がするのだが、それもない。
ただ、李世民はそのままでは兄に始末されたかも知れないし、兄が名君であった保証もない。 秦檜は岳飛が国家の邪魔になる可能性はあっても、クーデターを起こす可能性はまずない。
2ちゃんの李世民アンチもやりすぎだが、秦檜シンパは行き過ぎ。
南宋はこれといったまとまった資料がなく、学術書は秦檜擁護論をどうしてものせたがるので勉強した奴は秦檜擁護に偏る。これでは公平な論議はできない。
確かに、李世民と秦檜は似ているところもあるが、むしろ李世民に失礼じゃないか
>>100
俺は不戦論を妥当と主張しただけで、秦檜なんぞを擁護した訳じゃないのですが。
また、劉裕の北伐⇒旧都回復⇒禅譲の故事がある以上、
岳飛のクーデタが有り得ないなんてのは希望的観測にすぎないでしょう。
府中の指示に従わない軍閥の、党首一個人の忠誠心など、その疑惑と脅威の自己弁護には成りゃしないんですよ。
李淵が、李世民に天策上将の称号と弘義宮を与えた時点で、玄武門の変は不可避です。
世民一人を殺せなかったために、二人の息子と十人の孫を失った、と陳御大は仰るが、そうではない。
長幼の序と論功行賞を一緒くたに扱ったのは李淵です。
どこまでも彼の失策であって世民もまた被害者の一人でしょう。
もっとも当事者であることで、競争相手を皆殺しにして、最大のメリットを得たことが、世民が嫌われる理由なのかもしれませんが。
>>102
岳飛と秦檜の場合、相反する政策の主張ってのが間に挟まる分、ダーティさは強まってるんでね?とりあえず金の間牒説は置いておくとしても。
しかも雄々しいこと言ってるのは主戦派の方だしさ。秦檜の方は絵的に陰湿さが映える。後は民族主義的な思想が芽生えたせいで、「俺らの」裏切り者つう色が出てるところもマイナスポイントかね。
あったかもしれない、という理由すらなく大虐殺ってのも少なくないんで、秦檜をどう思うってのを、特別悪いのか?という意味だとすると、他にも悪い奴はいっぱいいるんじゃねえ? という結論に向かう。
まあ、善人であったとも手がきれいな政治家であったとも思わないけど。
>>102
100だけど、自分が言っているのは岳飛が兵権を返した後の話だよ。
私兵が集まってきたらしいが(これもソースは不明だが)
さすがにあの時点ではクーデターはないだろう。
一番仲の良い韓世忠が『あり得ない話』と言ってどなりこんでくるのだから
(心当たりがあったら、さすがにそんな危険はしないわな)
その時点で秦檜は岳飛を殺している。これはひどい話だ。
それに、人を右翼だと決めつけ、秦檜は民のために良い政治をした、とか、金軍の方が圧倒的に軍事力が上で押していたのに、岳飛はただの好戦主義者だの、たいした根拠もない話で無理矢理、秦檜スレで議論を勝利に持っていった輩は貴公ではないだろう。
別に秦檜擁護論者を責めているわけではない。不戦論を否定しているのと違う。その手の輩がいやなだけだ。権力者に対する盲従精神が感じられるしな。
それよりも李世民の話だが、
では、あの時、李淵はどうすればよかったのだろう
①李建成にさっさと皇位を譲る(李世民は干されるか、殺される)
②李世民を皇太子に。李建成はただの王か、宰相に。
③李世民を天策上将に(歴史のまま)
④国土が広すぎるので李世民を突厥対策に北方に送る
⑤同じく、李世民を洛陽か江南、もしくは山東に封じる
⑥李世民を皇太子に。李建成はいいがかりをつけて、廃する。
⑦その他(誰か教えてくれ)
李淵の立場で言うのなら、
①もしくは④か⑤だろ。
李淵は建成を皇太子としてそれを揺るがさなかったのだから。
(李淵が兄弟相克に対して表立って執った処置は、世民側の重臣を左遷させたこと)
秦檜スレで主張が通らなかったからって、ここで愚痴を吐くなよ
単に能力は同じで、いうこと聞かない軍人と、従順でいうこと聞く軍人がいてうるさい方を潰しただけだろ。
李世民のように反乱できなかっただけだよ。
それがヒゲみたく民間に広まっただけだよ
その評には勝ち組へのルサンチマンが幾分混じってるようにも思うが。
自分の命を賭す分だけ世民は大分マシ。(たとえ自分の為だけとはいえ)
讒訴して陥れるくらいなら決闘して殺す方がマシ。
>>142
さあ? 李世民と曹操を繋ぐような記録はあったっけ?
だけでもつまらないので、余談になるが、
李世民のみならず唐朝が「漢朝の後継者」を強く意識しているので、
その間にある時代を漢朝以上に好意的に捉える可能性は少なそう。
いろいろ宥和政策を取っているが、
結局魏以降の南北朝五胡十六国、
唐以降の五代十国も異民族を巻き込んでいる大乱世になった。
さすがに李世民>>>>>>>曹操だろ
>>146
曹操は人生全てをかけても天下を統一できなかった
李世民は二十代で天下を統一した
曹操の魏は百年持たなかった
李世民の唐は二百年以上続いた
これだけ見ても李世民>>>>曹操は明らか
統率 98 93
戦闘 95 90
政治 99 97
知力 96 75
魅力 90 60
>>153
曹操 李世民
統率 98 196
戦闘 95 97
政治 99 157
知力 96 94
魅力 90 160
光栄数値を基準にするなら、このくらいになるかな。
曹操が李世民に勝てるのは知力くらいのもの。
ちなみに俺はアンチ曹操ではないよ。曹操は高く評価しているよ。
李世民は騎兵適性がSSSくらいありそうだな。
あの緩急のある用兵をされると、曹操もそれを打ち破る算段をたて辛いだろ。
部隊攻撃力と言う点では、秦・尉遅の門神コンビがあり、程知節・羅士信もいいじゃないか。徐世勣の軍略は当代に冠絶レベルだから、曹操陣営だけで立ち向かうのは厳しそうだよ?
と、ゲームレベルで語ってみる。
離籍なんて朝鮮にも負ける程度のレベルの将。
スキタイ型遊牧帝国の東アジア版が匈奴帝国
メソポタミア型農耕帝国の東アジア版が秦漢帝国
遊牧帝国の全盛期とは最強の戦争指揮官を推戴し、部族集団が組織化されることと同義だ。
近代化以前ではそんな集団は戦争において無敵なので、農耕帝国側では誰が采配を取ろうが負ける。
言うまでもなく、長安と洛陽の間辺りのバッチリ中国領土を荒らし回ってる。
ここまで進出した異民族に対して、戦争ではなく移住権利を認めて妥協したのが曹操
なのに批難するのは曹操だけという不思議。
とある意味納得できるのだが、せっこい歴史改ざんがいやなんだよなぁ
もともと李世民も李建成に粛清される側の人間だったんだから、そう簡単に粛清はできない
褒めるところと言えば、南北朝時代、皇帝と側近が独占していた行政についての執行権を整備された官僚制に委譲してったことか?
おかげで、長孫無忌が失脚しても、武周が滅んでも、韋后が中宗を弑殺しても唐という(もしくはそれに基づく)国家は滅びなかった。
軍事的手腕についてはわからんな。優秀ではあっただろうけど詳細が残ってるのは劉武周との戦闘だけだし。長安侵攻は李世民が主導したとは思えないしな。