・古代文献ソースではなく現代の考古学調査において
今日まで残る駐屯地跡とその使用痕跡から推定された数
・あちこちに陣地作ったり部隊単位でことあるごとに記念碑建てまくってるので
個々の部隊名や規模やいつどこにどれくらいの期間いたのかもだいだいわかってる
・今でも新しい駐屯地跡や部隊の記録がちょくちょく発見されているので
推定値もじわじわ増えてる
調べた後の俺「ローマ帝国しゅごい」
>>2
全人口は2世紀半ばでだいたい6000万
30万以上ってのもこの最盛期のとき
ただしこのうち15万くらいの正規軍団は
約700万人くらいのローマ市民層からの連中
人口比で見たら1%未満
むしろ少ないくらい
いや攻めるなら倍はいてよかった
アウグストゥスがトイトブルク森で惨敗してから拡張路線辞めて軍縮した
守るには充分だったが、軍の内訳がゲルマン人になってローマ人が軟弱化したことや
フン人にゲルマン人が押し出されたことが原因
領土拡大も考えものやね
これらは戦時の徴集兵じゃなく職業軍人で編成された常備軍ってところ
卑弥呼の100年位前
>>15
安土桃山時代の日本の人口はローマの1/4だから
単純計算で4倍の80万はいてもいいのとになる(しかも関ヶ原は戦場に現れた人数だからそれを考慮すると100万とかいう話になる)
要は平時には大して軍は要らないということ
なるほど人口比では少ないけどわざとなのね
他の人もいってるけどこれでも実は「少数精鋭」スタイル
共和制末の内乱時代は最大で50万軽くこえたとか言われてる
んでそこから帝政始めたアウグストゥスが正式に常備軍化させて質を向上させつつ数を削減
要するに質が良かったんだな
そして半島国家は付け根の土地に強敵が陣取ると弱体化するように出来ている
面白いなそれ
すごいな
他の地域では近世に至ってクロムウェルのニューモデルアーミー、オスマンのイェニチェリまで待っただろう
古代が崩壊してからルネサンスまでの欧州は基本的に退化してるから
もちろん最近の研究で暗黒時代というほどでもなかった面も主張されてはいるけど
基本的には
なお人員削減しまくったけどそのぶん質あげまくったから財政圧迫は相変わらずだったとこのと
帝国政府のお財布の七割が軍事費というレベル
そしてその高コスト体制のまま2世紀から軍拡またはじまって
セウェルス帝あたりで40万くらいになって完全に財政破綻という当たり前の末路に到る
拠点作って対応するのが基本だったとか
>>30
土木作業も当時最高水準だったけど
やっぱり前提としてシンプルに会戦でめちゃくちゃ強い
特に最盛期の1~2世紀ごろはあまりにも会戦強かったから
ゲルマンやダキアやパルティアとかはローマ軍と会戦するの避けてゲリラ戦闘ばっかで抵抗した
面白いなそのグラフ
かなり重要だったんだねえブリテン
属州の収支自体は赤字だったようだけど資源(とくに銀と錫)あったので手放したくなかったのと
よく言われるのはブリテン手放しちゃうと豊かなガリアが北から直に危険に晒されるって理由とかも
なるほどなぁ
資源のことは知らなかった
防衛面でも手放すわけにはいかなかったのね
ライン川・ドナウ川・東方戦線は広く配置することで負担軽減してるけど
ブリテン島だけはその地形の関係上集中せざるを得ないっぽい
細かくいくと定義がややこしいけど
この時期のはいちおう自前の正規軍扱い
「同盟国」からの供出はまた別枠
とりあえず俺がフムフムと思った本並べとくぞ
「図説 古代ローマの戦い」
「古代ローマ軍団百科事典」
「古代ローマ 軍団の装備と戦法」
「古代ローマの庶民たち」の兵士の項目
「海のかなたのローマ帝国 古代ローマとブリテン島」
「ローマとパルティア 二大帝国の激突三百年史」
軍事史学 第54巻2号
あと英語読めるなら
オスプレイ社のRoman Battle Tacticsシリーズと
わりと最近のRoman Army Unitシリーズと
WarriorカテゴリのLegionaryシリーズおすすめだぞ