コルフ島民は
攻めてきたノルマン人を歓迎した
重税から逃れられるからと
第四回十字軍でおおむね現地人は十字軍を受け入れた
セルジュークのアナトリア住民はセルジュークの政治のほうが善政だと評価した
なぜ東ローマ帝国は内政がダメなのか
古代ローマはインフラ設備や土木建築で高い技術があったけど
中世はとんとそんな評判聞かない
高い税金とってるのに
土木やインフラや治水ができなきゃ意味ない
だからバルカンは十字軍からも「豚飼いしか済んでない糞田舎」扱いされるんだよ
シトー会のように「祈り、働く」あるいはプロテスタントのように「救済の確認として働く」という勤勉への動機が東方正教にはない
ひたすら祈ることが尊ばれる教義、あるいは風潮の中で現世に富を築くことにあまり執着しなかった感がある
強いて言うならば、帝国の収入は神の栄光を称える寺院に費やされ、寺院の輝きに目を奪われた異教徒からの防衛にも費やされたといったところか
したがって、中世ローマ帝国においては異民族の教化やインフラ建設による積極的な経済建設が困難であったと言わざるを得ない
>>1
ユスティニアヌス 内政90
ミカエル8世 内政95
マヌエル2世 内政100
これぐらいの能力の人材だと思う
ユスティニアヌスは征服事業は行ったが国力をすり減らした
身内での殺し合いのようなものは無かった
オスマンの脅威から死ぬまで必死に国を守った
分裂しようのないくらい国がちっちゃくなっちゃってたってものあるけどな
まあ、数年間国を留守にしててもクーデターが起こらなかったのは政治がうまかったからだろうけど
一人当たりGDPを上げて
科学、工業、実業、産業を向上させる
ってことができてない国
西欧ではそれができて
フランドルのような先進地域ができた
森林を伐採しまくるぐらいの開発が行われていた
いっぽうギリシャ人は
支配下のスラブ人を文明化させることも裕福にすることもしなかった
バルカン半島は田舎のままだった
ビザンツでもオスマンでも今でも田舎
地理的に問題があるのかもしれん
ハンガリー本国はバルカンとはいわない
イスパニアとかにもローマが築いたインフラや建築物の後が残ってるんだがね
中世のギリシャ人はそういう現地人のためになるような
発展的な内政できていないんじゃないの
だから敵に取られた地方が帰って来なくなるのな
従属下の他民族や他地域への投資など思い浮かばない
>>36
レイシストにしちゃアルメニア人の皇帝や高官は何人もいるし
ブルガリア人やトルコ人の高官もたまにいるし
十字軍到来前の頃でもフランク人の将軍もいた
ビザンツは宗教上のアイデンティティが強くギリシア語が公用語というだけでほとんど民族的な感覚はなかった
>>38
そいつらはアルメニア人じゃなくて
帝国生まれのギリシャ人だ母語がギリシャ語のな
祖先は外国でも本人の生まれがギリシャでないやつは皆無
そういう国
>祖先は外国でも本人の生まれがギリシャでないやつは皆無
皆無じゃないぜ
フィリピコスはギリシア名だが元の名はバルダネスで国内のアルメニア人共同体の出身
ミシジオスはアルメニア貴族
アルタバスドスもアルメニア人
十字軍支配下のギリシャのほうが
蜜蝋や織物といった製造業の開発が進んで発展が進んでいた
帝国は産業の発展と資本の蓄積が全くでてきない
十字軍以前はコンスタンティノープルに産業が集中していたのはその通りだが
十字軍が占領したことにより、地方に分散した帝国継承国が成立し、それに伴い
産業も移転したもの