縄文 飛鳥 平安 鎌倉時代

大化の改新「真の歴史書は蘇我氏の家にあったので、いっしょに燃えてしまいました」←これって?

1: 名無し 2020/08/31(月) 14:53:56.42 0
蘇我氏が本当の天皇なんじゃね
天武天皇になるまで天皇制ではないので何度か変わるオオキミの系統の一つとして蘇我氏があったのは充分考えられる

2: 名無し 2020/08/31(月) 15:08:27.88 0
それができたら娘を嫁がせて実権を握ろうとかいう発想にはならない

 

3: 名無し 2020/08/31(月) 15:13:21.34 0
蘇我氏が悪者という風潮は漫画で学ぶ歴史の悪人顔による影響がデカそう
no title

 

267: 名無し 2020/09/06(日) 03:28:49.04 0
>>3
天智と天武だと蘇我氏もかっこよくかかれてるよ

 

4: 名無し 2020/08/31(月) 15:15:13.28 0
天武天皇になるまで天皇制ではない
の意味がわからない

 

5: 名無し 2020/08/31(月) 15:21:23.28 0
欠史八代の時代のころの話かと思いきや、天武天皇なんてスゲー後じゃないのか

 

6: 名無し 2020/08/31(月) 15:22:07.51 0

なんとなく、日本という国は最初から天皇が治めていて、
たまたま一時期、蘇我氏が専横を極めて皇位簒奪まで企んだのを大化改新で阻止して滅ぼした、
と思ってるけど実態はたぶん違うよな。

それまでのヤマト政権は豪族の連合政権みたいなもので、大王(オホキミ)家は実務としては祭祀を担当する名目的統治者にすぎず、
それに不満を持った大王家がクーデターを起こし有力豪族たちから権力を奪い、
実質的君主の地位を確立したのが大化改新の実態だろう。
日本という国号と天皇という君主号もその際に初めて考案され、(それ以前は倭であり大王)
ついでに、日本や天皇というものがはるかな過去から存続していたかのように歴史も改竄された、と。

 

8: 名無し 2020/08/31(月) 15:32:50.28 0
歴史は勝者によって書き換えられる

 

9: 名無し 2020/08/31(月) 15:33:40.79 0
豪族同士の権力争いであったのは間違いない
祭祀を担当していたのは物部氏と中臣氏
仏教崇廃に関して蘇我氏と対立

 

12: 名無し 2020/08/31(月) 15:47:54.05 0
最近、山川の日本史教科書買って読んでるんだが
その頃の天皇て権力闘争で変わったりイメージ変わった
世襲じゃないじゃんて

 

13: 名無し 2020/08/31(月) 15:48:06.47 0
意図的かどうかわからんが
主に近代以降の国制を意味する天皇制と
前近代の天皇の在り方を混同するような言い方はやめた方がいい

 

14: 名無し 2020/08/31(月) 15:51:23.12 0
ぜんぜん意図的じゃなく
純粋になんだこりゃと
そんな分けて考えなきゃいけないなんて知らんかったよ

 

15: 名無し 2020/08/31(月) 15:52:24.84 0
崩御や譲位じゃないと世襲と言わないと思ってる?

 

16: 名無し 2020/08/31(月) 15:54:00.78 0
基本ずっと血統が続いてると思ってた

 

17: 名無し 2020/08/31(月) 15:56:34.33 0
いや続いてるから

 

18: 名無し 2020/08/31(月) 18:27:15.33 0

ちなみに蘇我一族の嫁の多くは朝鮮人
この時点で夫で天皇が朝鮮人の疑い濃厚なのに、頑なに嫁だけ朝鮮人と主張するのはウヨの無理な解釈

雄略天皇は朝鮮人でしたというのは都合悪いもんね

まあ朝鮮人といっても今半島にいるのとは違うらしいけどね

 

21: 名無し 2020/08/31(月) 19:46:17.42 0
稲作が日本から朝鮮半島に伝わったことから考えれば
当時半島に住んでたのは日本人だったというのは十分あり得る話
特に蘇我氏に縁の深い百済は日本人が半島に作った国の一つと考えられる

 

23: 名無し 2020/08/31(月) 22:04:36.70 0

>特に蘇我氏に縁の深い百済

じゃあなぜ蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子が百済を救うために日本の全軍を百済に派遣したんだよ
蘇我も中大兄も百済重視かよ

 

25: 名無し 2020/08/31(月) 22:13:13.59 0
>>23
そりゃ蘇我氏がいようがいまいが日本人の国百済を守るため全軍投入したんだろう
で破れて半島に日本人の国が無くなったんで
びびって琵琶湖まで都を引っ込めたというわけ

 

26: 名無し 2020/08/31(月) 22:59:36.42 0
>>23
蘇我氏にもいろいろいる
滅ぼしたわけではなく蝦夷入鹿親子を打倒しただけ
実際にこれ以降に天智天皇に仕えた蘇我氏はいる

 

32: 名無し 2020/09/01(火) 03:50:32.32 0
天皇の称号を最初に使ったのは天武天皇なんだけど

 

34: 名無し 2020/09/01(火) 06:43:20.71 0

いったん滅んだ百済を日本(倭)の全軍出動で助けに行った中大兄皇子が怪しい
蘇我本家を滅ぼした中大兄皇子が怪しい

>>32
天武天皇の男系子孫は皇族としては全滅している
現在の皇室は中大兄皇子の男系子孫

 

36: 名無し 2020/09/01(火) 07:22:16.61 0
少なくとも>>34は間違ったこと言っていない
皇統が天武男系から天智男系に切り替えられたことは大きい
しかも天智男系のうち百済王の子孫が入った系統へ切り替えられた

 

40: 名無し 2020/09/01(火) 08:08:26.32 0
男系にこだわる必要はないのか わからんもんな昔のことなんか

 

44: 名無し 2020/09/01(火) 09:36:32.16 0
>>40
君臣の別はわきまえなくちゃね
日本の場合それを男系継承で守ってきたということ

 

41: 名無し 2020/09/01(火) 08:08:52.48 0
そりゃあ天皇家の血筋に入り込んだら天皇の子もいただろ

 

45: 名無し 2020/09/01(火) 12:14:02.12 0
称徳天皇の崩御時に天武天皇の男系男子って残ってたか?

 

46: 名無し 2020/09/01(火) 14:41:08.93 0
>>45
残りまくり

 

52: 名無し 2020/09/01(火) 15:51:39.29 0
>>46
すまんが調べたいから残ってるやつの名前を教えてくれ

 

67: 名無し 2020/09/02(水) 00:25:13.87 0

>>45 >>52
称徳女帝は西暦770年に亡くなっている
その時点で生存していた天武天皇の男系男子の系統のうち一部を列挙する
・天武天皇-草壁皇子-文武天皇-聖武天皇-称徳女帝
・天武天皇-高市皇子-長屋王-桑田王-磯部王-石見王-峯緒王(844年臣籍降下)
・天武天皇-高市皇子-長屋王-安宿王---高階浄階(834年死没)
・天武天皇-忍壁皇子-山前王-葦原王-仲嗣王-春枝王-岑正王(843年臣籍降下)
・天武天皇-長親王-智努王-大原王-文室綿麻呂(823年死没)
・天武天皇-舎人親王-御原王-小倉王-繁野王(804年臣籍降下)
・天武天皇-舎人親王-貞代王-有雄王(850年臣籍降下)
・天武天皇-新田部親王-塩焼王-氷上川継(812年伊豆守)
わかりやすいように男系子孫がその数十年後にも存命がわかるように年を入れた

つまり天武天皇の系統がこれだけ残っているにも関わらず
突然に天智天皇の系統へと切り替えられている(しかもその時に百済王の血筋が皇統に混入)

 

68: 名無し 2020/09/02(水) 05:09:40.81 0

>>67
ありがとう
こういうのは母親の血統も重視されるので、その観点も含めて少し調べてみた

✕高市皇子(母:地方豪族の娘)
✕忍壁皇子(母:宮人→めしおんな)
◯長親王(母:天智娘)-✕智努王(752年臣籍降下、皇位の放棄)
◯舎人親王(母:天智娘)-△御原王(母:当麻山背…淳仁天皇廃帝に従い、淡路流刑→罪人?)
-△貞代王(母:不明)
◯新田部親王(母:藤原鎌足娘)-✕塩焼王(聖武天皇に無礼を働いた経緯から、孝謙天皇に皇嗣となることを拒否される)

高市・忍壁の系統は血筋で除外、長親王と新田部親王の系統は経緯からなしとわかる
あり得るとしたら舎人親王の子のどちらかくらいか?
不明の母の血統には期待できそうもないだろうが

 

69: 名無し 2020/09/02(水) 05:20:47.78 0
桓武天皇の母親なんて百済王の子孫とはいえ帰化して数百年たって下っぱ役人の家なので正妻は皇族に取られた身分の低い母親だぜ
>>68の基準ならその子である桓武天皇は皇位を継げないだろ
それでも天皇になっているのだから>>68の主張が間違っているということだ

 

70: 名無し 2020/09/02(水) 05:32:18.17 0
>>68
それは明らかな嘘だ
貴方の理論だと天智天皇の第7皇子である志貴皇子は母親が地方豪族なのでこの子孫は皇位に就けないことになる
しかし実際には志貴皇子の第6皇子の白壁王が光仁天皇となりその息子が桓武天皇となり現在の皇室の祖である

 

93: 名無し 2020/09/02(水) 13:45:12.87 0
>>70
身分が低い出自の母だとなれないとは言ってないじゃんw
もし天武系から次を選ぶんなら誰だったのかな?っていう想像だよ

 

95: 名無し 2020/09/02(水) 18:26:43.82 0
>>93
称徳天皇崩御時点でも大量に天武天皇男系男子がいたのだから母親の出自が低くてもいずれかを選べばいいだけですね
それなのになぜ天智天皇男系で母親の出自が低い志貴皇子の子である白壁王を選んだのですか?
100年ぶりに天智男系男子を即位させる意図があったからでしょ?
見事に皇統が天武系から天智系しかも百済王の子孫へと切り替えられたのが奈良時代→平安時代の出来事ですよ

 

113: 名無し 2020/09/02(水) 20:32:54.30 0
>>95
そうそう
意図があるからこそ天智系に移った
オレが想像したのはもしもその意図がなく天智系に移す必要がなかったらの仮定の話
ただのお遊びだからそんなに必死に噛みつかんでくれ

 

49: 名無し 2020/09/01(火) 15:12:16.31 0
三輪山への信仰から見て崇神が初代天皇であることは確実

 

62: 名無し 2020/09/01(火) 19:33:14.89 0
崇神天皇は明らかに外部から三輪山の麓にきて統治を始めたよな
崇神が来る前から三輪山麓には文明があった

 

63: 名無し 2020/09/01(火) 19:47:45.21 0

聖徳太子=蘇我馬子

天皇家は自分たちのクーデターを正当化するため
蘇我馬子を悪人として歴史に残さなければならなかったけど
王としての馬子の功績全てをなかったことにするのは不可能だったので
聖徳太子という架空の人物を作り上げて馬子の功績を彼の所業ということにした

 

65: 名無し 2020/09/01(火) 20:44:54.76 0
別の誰かの功績にすればいいものを態々架空の人物仕立て上げてやるかよ

 

72: 名無し 2020/09/02(水) 05:56:25.68 0
桓武天皇の場合は百済王の血筋を入れるのが目的だろ

 

75: 名無し 2020/09/02(水) 07:32:30.12 0
>>72
わざわざ天武男系から天智男系へ皇統を移した目的はそれしかないよな
百済を救うために日本を敗戦に巻き込んだ天智(中大兄皇子)の男系へと100年ぶりに血統を戻すなんて怪しすぎる

 

76: 名無し 2020/09/02(水) 07:47:18.81 0
光仁天皇の皇太子は当初弟の早良親王であり後の桓武天皇が継嗣だと当初から決まっていたわけでもないのに
百済の血を入れる為に…とか知能が低すぎだろ

 

77: 名無し 2020/09/02(水) 07:54:10.15 0
>>76
その早良親王の母親が百済王の子孫だぞ

 

79: 名無し 2020/09/02(水) 09:24:22.11 0

>>76他戸親王のことと間違えているのだろう

確かに、100年ぶりの天智男系男子である光仁天皇の擁立は、他戸親王(=聖武天皇の外孫)を皇太子とする名目で仕組まれたわけだが、
他戸親王は立太子のすぐ翌年に皇族の身分まで剥奪されて幽閉死されている

そして本来の計画通り、百済王の血を引く山部親王(=桓武天皇)が皇太子とされて、更に、父親の光仁天皇から生前譲位されて桓武天皇となった

つまり100年ぶりに天智天皇男系男子へ皇統を移すとほぼ同時に、百済王の血を天皇家へ入れることに成功している

以上の件は異説も推測もない史実である

 

82: 名無し 2020/09/02(水) 10:07:19.04 0
そして井上内親王が高齢出産ながら他戸親王を産み>>79の計画へ繋がった
したがっておっしゃる通り井上内親王の存在がポイントですね
全て裏で動いていたのは藤原氏だから使えなければ他の手段を用いたまででしょう

 

83: 名無し 2020/09/02(水) 10:23:53.37 0
>>79
「本来の計画」という部分が明らかに推測でしかないな

 

84: 名無し 2020/09/02(水) 10:30:51.72 0
>>83
天智天皇の孫の白壁王(光仁天皇)へ皇統を移す名目に用いた他戸親王が立太子の翌年に殺されている史実から
百済王の血を引く山部親王(桓武天皇)を立太子することが本来の目的だったと見てよいのではないか

 

80: 名無し 2020/09/02(水) 09:34:14.24 0
井上内親王の存在がなかったらどうなっていたかね

 

82: 名無し 2020/09/02(水) 10:07:19.04 0
>>80
聖武天皇の娘である井上内親王は伊勢神宮の斎王だった
ところが既に10歳の男子がいる白壁王の元へ突如嫁がされた
その10歳の男子が百済王の血を引く山部親王すなわち後の桓武天皇である

 

81: 名無し 2020/09/02(水) 09:56:42.96 0

百済というのは前期、中期、後期に分かれていて、漢城に都があった前期百済を高句麗が滅ぼし、雄略天皇が文周王を任命して熊津に再興させたのが中期百済。
これは日本書紀にも記載がある。
任那四県を割譲したのも中期百済。

桓武天皇の母親である高野新笠は和乙継(やまとのおとつぐ)の娘だけれど、「やまと」を名乗る和氏がなぜ渡来人と言われているかというと、中期百済の王である武寧王の子孫だと続日本紀に書いてあるから。

それが事実ならおそらく中期百済の再興のために雄略天皇が派遣した倭人の中から、倭国とも関係が深かった武寧王の后あるいは側室になる者がいて、その末裔と考えられる。

 

85: 名無し 2020/09/02(水) 10:45:27.14 0

>>81
それはさすがにあなたが無知すぎる
桓武天皇の外祖父である和史乙継は百済の武寧王の男系男子の子孫です
和史[やまとのふびと]は倭国へ帰化してから朝廷により賜ったカバネです
ちなみに和史を賜る前に最初は倭君[やまとのきし]を賜っています

このように桓武天皇は百済王の血を受け継いでいることが史実としてはっきりしているので
その子孫である現在の上皇さまもそのことを言及なさったのです

 

86: 名無し 2020/09/02(水) 11:14:20.61 0
>>85
続日本紀に書いてあるだけだけどね

 

99: 名無し 2020/09/02(水) 19:13:07.78 0
このスレここまでの話をまとめると
・蘇我が元々の皇族だった
・百済系の中大兄と鎌足が蘇我本家を滅ぼした
・そして倭(日本)が全力で百済救援戦争をしたが敗北
・中大兄(天智)の天下が続くと思ったら息子(大友)が破れて大海人(天武)の時代へ
・天武系の天下が続くと思ったら奈良時代の最後に大ドンデン返し
・天智系に戻るとともに百済王の血が皇統に入り現在の皇室にも続いている
これで合ってますか?

 

109: 名無し 2020/09/02(水) 20:12:23.80 0
>>99
その通り
しかし蘇我の血は残ったよ
まず天智天皇自体が蘇我稲目の子孫なので現皇室は蘇我の子孫でもある
次に不比等の息子の藤原四兄弟のうちイマイチだった京家を除いた三兄弟(北家・南家・式家)はいずれも母親が蘇我つまり藤原の子孫のほとんどは蘇我の子孫でもある
つまり日本人の上層部のほとんどは蘇我の子孫なのである

 

100: 名無し 2020/09/02(水) 19:36:56.41 0

持統天皇の血脈を守りたかったんじゃないのかな
白壁王の妃は孝謙天皇の妹だし
他戸親王へのつなぎのつもりだったのかも
天武天皇の男系子孫をっていうならそもそも阿倍内親王を即位させる必要はなかったと思う

天武系というより持統系って感じがする

 

103: 名無し 2020/09/02(水) 19:57:47.81 0
>>100
淳仁天皇は持統天皇の血を引かないぜ
あくまでも天武男系とその皇后だけで約100年間を守ってきた
それなのに突然に天智男系男子の白壁王へ皇統が移ったのは異常事態

 

101: 名無し 2020/09/02(水) 19:49:02.84 0
他戸親王は立太子の翌年に幽閉されて殺されたから本命ではなく大義名分として使われただけ
阿倍内親王を含め女帝は全て一時的な繋ぎにすぎないから本命じゃない

 

102: 名無し 2020/09/02(水) 19:57:38.19 0
一時的なつなぎなら何十年も皇位に居座ったり重祚したりしないでしょ
純粋なつなぎは後桜町くらいだと思うよ

 

110: 名無し 2020/09/02(水) 20:21:07.08 0
光仁天皇の推戴、井上内親王の立后、他戸親王の立太子に尽力した藤原北家の永手が亡くなった後に
同じく光仁天皇の擁立に尽力した藤原式家の良継が自分の娘が嫁いだ山部親王を皇位に就けて主導権を握ろうとした結果として井上内親王と他戸親王が廃されただけ
当初から百済系に移行させる為に光仁天皇を擁立したなどというのは結果を原因と取り違える倒錯的思考

 

107: 名無し 2020/09/02(水) 20:11:05.52 0

古事記と日本書紀作った時にも
不比等に意図的に悪者にされてるのは確か。

蘇我蝦夷とかどう考えても名前おかしいだろ。

 

117: 名無し 2020/09/02(水) 20:50:35.25 0
蘇我馬子は国王でありそこまでは古代的な民主主義だったのを
天智天皇がクーデターで世襲制にしたのが天皇制だと思うわ

 

118: 名無し 2020/09/02(水) 20:52:05.22 0
だとしたら推古天皇は何だというのか

 

122: 名無し 2020/09/03(木) 00:05:48.36 0
>>118
推古天皇は創作
同時代資料には当時の日本は男王とある

 

120: 名無し 2020/09/02(水) 21:40:08.11 0
大和朝廷が万世一系ではなく有力豪族の連合体でそこから大王が出てたんだろ
蘇我氏が滅ぼした物部氏も有力豪族で大王も出していたんだろうな
それを藤原家が仕える家の正統性を強調するために日本書紀を編集した藤原不比等が色々歴史の改ざんした

 

124: 名無し 2020/09/03(木) 01:50:25.33 0
中国側の隋書に倭国から遣隋使が来たときのことが記録されている
倭国の王は、姓が阿毎(アマ)、字が多利思北孤(タリシヒコ)、号は阿輩雞彌(オホキミ)、妻がいる
つまり日本側で推古天皇となっているのは創作

 

128: 名無し 2020/09/03(木) 02:33:32.97 0
>>124
それは聖徳太子のことだと思うが
推古時代には皇太子で摂政であったことだし、日本書紀にもおおきみと呼称されてる
蘇我馬子よりはしっくりくるんじゃないかと

 

125: 名無し 2020/09/03(木) 02:01:49.66 0
天智天皇と天武天皇は日本史を語る上でかなり重要な人物だけど二人とも謎が多いんだよな
天智はなぜなかなか即位しなかったのか?いつどこで崩御したのか?
天武はいつどこで生まれたのか?
天智の娘が4人もなぜ弟である天武に嫁いだのか?
天武はなぜ天智から後任の天皇となる依頼を断り出家して吉野山に行ったのに、天智が崩御すると壬申の乱で天智の息子を討ち権力を掌握したのか?

 

126: 名無し 2020/09/03(木) 02:18:09.62 0

天智と天武は政策も真逆で、天智は百済救済の軍を派遣したり、制度を唐風にしょうとしたり、外国との係りを重視したのに対して、天武は外国との縁をほぼ絶ち、現代の日本文化の原点ともいえるジャパンオリジナルを作っていった
天武は忍者の元祖という話もある

とにかく謎が多く興味深い二人

 

127: 名無し 2020/09/03(木) 02:21:12.38 0
何かを隠した記述になっているね
同父同母の兄弟ということになっている
それなのに兄の娘が4人とも弟に嫁いでおりこんな例は他で見たことない

 

130: 名無し 2020/09/03(木) 14:00:21.63 0
天智が娘4人を天武に嫁がせたのは天智がアウトサイダーで天武の正統性が高かったということかな

 

131: 名無し 2020/09/03(木) 14:23:12.92 0
天智と天武で血統に差異なんかないから勝者か敗者かの違いだけだろ

 

133: 名無し 2020/09/03(木) 14:35:23.43 0
系図だと天智と天武は兄弟って設定だけど
これは違うのか?

 

134: 名無し 2020/09/03(木) 14:42:34.43 0
天智天武は同腹の兄弟
皇極斉明は重祚
皇極斉明は再婚

 

135: 名無し 2020/09/03(木) 14:47:40.84 0
違うという説の根拠は日本書紀の没年時の年齢から上下が逆転しているというものだけど、そもそも日本書紀は10人以上の手で書かれてるにも関わらず擦り合わせすらしてないのか年のズレがいろんなところで散見しているので根拠とするには弱い

 

136: 名無し 2020/09/03(木) 14:54:03.77 0

天智・天武は同腹の兄弟ならあんま関係ないんじゃ。

蘇我が潰されたのって
蘇我の娘と舒明天皇の子供の古人大兄皇子がいたから
天智(中大兄皇子)が自分が天皇になりたくてやったんじゃないの?

 

137: 名無し 2020/09/03(木) 14:58:26.97 0
山背大兄王が蘇我に殺されて、次は自分だ殺らなきゃ殺られる、となったというのがまんが日本の歴史説

 

138: 名無し 2020/09/03(木) 16:06:59.43 0
中臣鎌足(後の藤原氏)が
全部の黒幕だろな。蘇我氏だけじゃなく色々と殺しまくってる。

 

142: 名無し 2020/09/03(木) 17:20:21.13 0
>>138
中臣氏は神祇官の系統で物部氏と共に仏教受容する蘇我氏と対立した氏族だから、乙巳の変の原因は蘇我馬子によって物部氏が滅ぼされたところまで遡る恨みつらみがあっただろうな

 

140: 名無し 2020/09/03(木) 16:28:50.66 0
鎌足も渡来人の家系だったよな

 

141: 名無し 2020/09/03(木) 16:42:13.69 0
中臣氏は神道つかさどってた地方豪族だから
渡来系かは微妙。

 

144: 名無し 2020/09/03(木) 17:43:19.27 0
中臣氏は神道だけど
藤原氏は仏教やで
鎌足は中臣氏の男系ではない

 

145: 名無し 2020/09/03(木) 18:05:12.62 0
説1)
・百済王による倭の王(蘇我氏)暗殺
本来は唐・新羅と倭は敵対していなかったが窮地の百済から亡命してきた百済王子豊璋=藤原鎌足が百済を救うためクーデターを起こし倭の王を殺し政権を簒奪した
本来なら唐軍に協力し百済討伐のはずだったが百済救済軍に代えてしまい大国に刃向かう動機となった
説2)
・唐による謀略に嵌められた
日本支配に邪魔な倭の豪族達を勝ち目のない戦場に駆り出し全滅させ戦後処理という名目で唐による日本の支配と中央集権化を目論んだ
中大兄皇子は唐のスパイ鎌足に外圧を口実に騙され乙巳の変を起こすが3年後自らも葬り去られる
武則天は藤原鎌足の娘である(能「海人」、志度寺縁起「海女の玉取伝説」)
鎌足は中臣氏とは無縁で実際は唐の武氏カク(関隴貴族集団の武川鎮軍閥)→郭務?(藤原不比等による架空の人物)に当たるか?
この事から天皇家は鮮卑系と考えられる

 

150: 名無し 2020/09/03(木) 19:56:57.36 0

百済救済というか新羅が日本を裏切って任那潰して唐と手を結んだから
百済まで完全に潰れたら朝鮮半島南部での日本の勢力圏がなくなるし
安全保障にも関わるから本土で戦争やるよりかは
白村江の戦いやったってだけな気がするけど。
それで負けて結局、日本は朝鮮半島から完全に手引くことになるけど。

もし唐による謀略だったら
その後にわざわざ防人を派遣して財政圧迫するような事しないだろうし。
それをしたなら本格的に日本に攻め込めばいいのにそれもなかったからなぁ。

 

153: 名無し 2020/09/04(金) 00:50:48.76 0

藤原鎌足が中臣氏を名乗ったのは強いて言えば詐称だよ
中臣の関係者に潜り込んで中臣を名乗ることを許されたから正確には詐称ではない

とはいえ藤原鎌足は中臣氏ではないので熱心な仏教派
鎌足の長男の定恵(定慧)を出家させて仏教を唐で学ばせるために遣唐使に加えている
そして定恵が帰国後に建てた多武峯寺に鎌足が祀られることとなった
もちろん次男の不比等とその子孫も全て仏教派

このように神道をつかさどってた中臣氏と真逆の仏教派であったのが鎌足とその子どもたち
この点からも鎌足の本当の出自が中臣氏ではないとする見方が多い

 

155: 名無し 2020/09/04(金) 01:07:29.96 0
藤原鎌足の母方の祖父は大伴金村の息子なんだけど
大伴金村といえば百済に任那の4県を割譲したことで有名だよね
そんな百済派筆頭のひ孫が藤原氏の祖である鎌足さん

 

156: 名無し 2020/09/04(金) 03:46:39.55 0
百済派といえば藤原鎌足が死の間際に見舞いに来てくれた天智天皇に言った言葉が興味深い
「生きては軍国に務無し」
これは日本書紀(天智天皇8年10月)と藤氏家伝の両方に記載されている
当時あった軍事は「白村江の戦い」しかないので百済救援に失敗したことに責任を感じ死の間際に嘆いているのである

 

158: 名無し 2020/09/04(金) 04:30:02.23 0
日本書記によると唐の水軍に対峙した倭の水軍は中軍がやられているのに前軍と後軍は傍観して見殺しにしていたと云う
百済日本(大和朝廷)による九州北部の王朝潰しを目的とした裏切りがこの戦からも垣間見える

 

159: 名無し 2020/09/04(金) 04:37:45.18 0

日本書紀に白村江の戦いのことはもちろん詳しく書かれていて
斉明天皇は皇居を飛鳥から九州の朝倉宮へ移して中大兄皇子たちも移動しているんだけど
なぜか鎌足の名前は一切出てこず白村江の戦いで鎌足が何をしていたのか不明にしてある
意図的に記載しないことで鎌足の白村江の戦いでの立場を隠しているのである
そして白村江の戦いが終わると再び鎌足の名前が頻繁に出てきて活躍している

藤氏家伝においては白村江の戦いの部分について丸ごと記載していない
日本の国家にとっては重要な事項であっても藤原氏について不利になることは書けなかったのだろう
したがって鎌足についてどんな失態があったのか百済との関係はどうだったのか謎のままである

 

161: 名無し 2020/09/04(金) 09:08:00.63 0
>>159
関裕二らの鎌足=百済王子「豊璋」説はそこから来てるんだよな
鎌足が消えている時期に活躍しているのが豊璋というのが日本書紀
この説はさすがに滑稽としても鎌足&中大兄が百済派であることは間違いない

 

162: 名無し 2020/09/04(金) 10:54:49.01 0
日本書紀が白村江でのみ鎌足の活動を記述しないからそういうトンデモ説が成り立つ隙きを与えている
藤原氏に不利となるため藤原不比等が記載を削ったのだろう

 

164: 名無し 2020/09/04(金) 11:52:57.64 0
大化の改新で氏姓制度が廃止
元は天皇と同格の大王だった「臣」であった蘇我と家来にすぎない「連」の中臣
臣からしか天皇の妃は輩出されなかったが、それが廃止されたのち中臣を捨て藤原になることで天皇の妃を送り出し実権を握った
この一貫した目的で行動していたとなれば鎌足の百済王子説は考えられない

 

167: 名無し 2020/09/04(金) 12:42:35.16 0
基本的に勝者の歴史である記紀は一番の偽書というスタンスで当時の周辺各国や国内事情を加味して分析する必要がある

 

171: 名無し 2020/09/04(金) 14:43:44.59 0

大陸側の情勢も大きく関連してる
蘇我や物部が争っていた時代は大陸も南北朝分裂で倭に介入する余力は無かった
内、倭の五王は漢民族の南朝に朝貢している

ところがその後、大陸が統一され騎馬民族系の隋唐王朝が誕生
そして白村江では大敗している
迫る唐の脅威に対抗する為、中臣氏としては大王の正当化権威化を行い国内の安定化を図った

 

205: 名無し 2020/09/05(土) 08:43:34.73 0
藤原不比等は659年生誕
兄の定恵は666年没なのでこの時点で不比等は7歳
父の鎌足は669年没なのでこの時点で不比等は10歳
みなしご不比等となり不比等が30歳になるまで消息不明
不比等が13歳の時に壬申の乱が起きるが中臣氏は大友皇子の近江朝に参加したため中臣氏も天武朝から排除
日本書紀に藤原不比等の名前が初めて出るのは30歳となった689年(持統天皇3年)で判事に任命
このみなしごで遅咲きの不比等がこのあと天下を取ってしまう
そして歴史をさかのぼって書き換えてしまう

 

208: 名無し 2020/09/05(土) 09:01:02.32 0
さらにややこしいことにここで蘇我氏
藤原不比等は20歳の頃に蘇我娼子(=蘇我馬子のひ孫娘)と結婚
不比等21歳の680年に長男・藤原武智麻呂(南家の祖)が誕生
不比等22歳の681年に次男・藤原房前(北家の祖)が誕生
不比等35歳の694年に三男・藤原宇合(式家の祖)が誕生
3人とも蘇我娼子が生んでいる
ちなみに系譜は蘇我馬子♂→蘇我倉麻呂♂(蝦夷の弟)→蘇我連子♂(石川麻呂の弟)→蘇我娼子♀

 

211: 名無し 2020/09/05(土) 09:12:41.04 0
>>208
つまり真の大王である蘇我馬子の血を受け継いでいるのがその後の藤原氏
そして皇位簒奪者である天皇家から藤原氏が天下を取り戻したわけだ

 

227: 名無し 2020/09/05(土) 22:21:06.25 0
中大兄皇子って本当に舒明&皇極天皇の息子なの?
・父の舒明天皇が亡くなっても即位できず
・母の皇極天皇が皇位を退いても即位できず
・叔父の孝徳天皇の時に中大兄皇子が皇太子だったとされてるけど孝徳天皇が亡くなっても即位できず
・重祚した母の斉明天皇の時も中大兄皇子が皇太子だったとされてるけど斉明天皇が亡くなっても即位できず
・そして7年間も天皇のいない空白期間(この間に百済救援の白村江の戦い)
・近江大津宮へ遷都してようやく中大兄皇子が即位して天智天皇

 

230: 名無し 2020/09/05(土) 22:44:11.85 0
>>227
中大兄皇子は「天皇の子」ではなく「出自の怪しい実力者」とみなすと全て辻褄が合う
日本書紀では「天皇の子」だったことにしたためそれら多くの問題点が生じた

 

269: 名無し 2020/09/06(日) 03:51:55.92 0
>>227
日本書紀には舒明天皇の皇太子も中大兄皇子とある
舒明天皇の葬儀の時に皇太子の中大兄皇子が16歳にして代表して葬儀の弔辞を読んだと書かれている
しかしこの皇太子だったとの記述はほとんどの研究者が日本書紀の捏造だと断定している
同様にして孝徳天皇の時の皇太子や斉明天皇の時の皇太子も中大兄皇子であったかどうかは不明

 

231: 名無し 2020/09/05(土) 22:44:55.20 0
不穏分子をちゃんと潰してから即位したかったんだろ

 

235: 名無し 2020/09/05(土) 22:55:29.38 0
>>231
中大兄皇子が本当に舒明天皇と斉明天皇の子供なら正統派中の正統後継者なんだから支持も高く不穏分子なんかいても少数派
中大兄が即位できないほど不穏分子が多いならば中大兄は正統な後継者ではないということ

 

238: 名無し 2020/09/05(土) 23:03:24.52 0
>>235
どっちにしても弟を始末しなかったのは失策だったがな

 

241: 名無し 2020/09/05(土) 23:08:28.05 0
>>238
年齢を計算すると天武の方が年上になるのに皇位の順序から天智の弟という設定にしただけだよ
むしろ天智にとって天武はめっちゃ気遣いしなければいけない関係
そのため天智の娘が4人も天武に嫁いでいる

 

249: 名無し 2020/09/05(土) 23:17:18.93 0
>>241
額田王もあげてたな
飽きただけかもしれんが

 

239: 名無し 2020/09/05(土) 23:04:40.86 0
日本書紀が作られた時は天武系の時代だが天智の娘の持統系の時代でもあった
だから天智の本性も天武の本性も日本書紀に書けない
そこで天智と天武は同父同母の兄弟でその前の天皇の子だったというファンタジーでお茶を濁すことにしたんだよ
だから矛盾点が山のように生じている

 

240: 名無し 2020/09/05(土) 23:06:15.22 0
本当に同腹の舎弟だったからなのか

 

246: 名無し 2020/09/05(土) 23:13:02.97 0
>>240
同腹じゃないと思う
同腹の兄弟の兄が自分の娘を四人も弟の嫁にするって当時の状況でもありえない
中大兄皇子と大海人皇子は血が繋がっていないと思われる

 

245: 名無し 2020/09/05(土) 23:12:51.94 0
ようわからんが実の兄弟じゃなかったってこと??

 

248: 名無し 2020/09/05(土) 23:15:06.13 0
同腹だけど種が違うとか

 

247: 名無し 2020/09/05(土) 23:13:42.83 0
天智天皇は舒明天皇の子ではないけど斉明天皇の子で天武天皇の兄貴というのは本当っていうのはどうよ

 

250: 名無し 2020/09/05(土) 23:18:07.92 0
日本書紀にも記されているが斉明天皇は再婚しており二度目の夫が舒明天皇
最初の夫との間にも斉明天皇の息子がいて名前は漢皇子

 

251: 名無し 2020/09/05(土) 23:23:39.98 0
日本書紀にも記されているが舒明天皇は再婚しており二度目の妻が斉明天皇
最初の妻(蘇我法提郎女)との間にも舒明天皇の息子がいて名前は古人大兄皇子
そして天智天皇の正妻(皇后)はこの古人大兄皇子の娘である倭姫王

 

253: 名無し 2020/09/05(土) 23:30:37.96 0
>>251
その皇位継承者筆頭である古人大兄皇子を出家させて吉野に追い払って攻め殺した中大兄皇子は悪人

 

254: 名無し 2020/09/05(土) 23:31:31.95 0
天智天皇は通常なら天武天皇と古人大兄皇子より
天皇になれる見込みの薄い人だったとか

 

256: 名無し 2020/09/05(土) 23:43:04.48 0
>>254
その可能性はある
日本書紀は中大兄と鎌足をスーパーヒーローにする形に表面上は書き換えてあるが
細かく見ていくと様々な矛盾が吹き出してきておりその可能性はある

 

257: 名無し 2020/09/05(土) 23:49:05.04 0
日本書紀を仕上げた当時は藤原氏と天武系の時代だからその両者だけを持ち上げる形に仕上げればいいのだけど
・藤原氏にとっては始祖である鎌足を持ち上げるために乙巳の変での相棒である中大兄も持ち上げなければならない
・天武系にとっても天武の死後は中大兄の娘である持統天皇とその子たちだから中大兄も持ち上げなければならない
そのため中大兄皇子も同時に持ち上げる形に日本書紀は仕上げられた

 

260: 名無し 2020/09/05(土) 23:56:25.05 0
天武天皇は異父兄で自分にとっても邪魔者を排除してくれた天智天皇本人には感謝はしていたが
兄も大友皇子も本来天皇になれる人ではなかった

 

244: 名無し 2020/09/05(土) 23:11:04.27 0

正義の味方コンビ・中大兄皇子と中臣鎌足が、大悪人の蘇我入鹿を成敗して成し遂げた政治改革を「大化の改新」と言う。
日本古代史上、最大級の暗殺事件だ。
明治17年、美術研究家アーネスト・フェノロサと岡倉天心は奈良の法隆寺・夢殿の中にある謎の仏像を見ようとした。
その仏像は「救世観音」と呼ばれ、聖徳太子をモデルにしたとされる。
ところが白布でぐるぐる巻きにされて1200年以上も封印され、誰も見ることができない。
おまけに、その仏像を見ようとすると天変地異が起こるという伝承まで残されていたのだ。
https://www.cmoa.jp/title/71268/

日本版ダヴィンチ・コード??
ふたりが夢殿の扉を開こうとすると、恐怖に駆られた僧達が逃げ出すほど。
しかも仏像を調べると、後頭部に釘が打ち込んであった!!
ありがたき聖徳太子の化身を、なぜ人目に触れぬよう封印し、釘を打ち込み、絶対秘仏とせねばならなかったのか?
まるで、その祟りを恐れているかのようである。
ここで日本古代史上、最大の暗殺事件の犠牲者が浮かび上がってくる。
「大化の改新」の真相は、中大兄皇子(天智天皇)と、父親を殺された大海人皇子(天武天皇)との、壮絶な兄弟喧嘩の号砲だったのだ……!!

 

263: 名無し 2020/09/06(日) 00:42:40.06 0

>>244
日本書紀でも聖徳太子一家とその死については謎が多いのよ
まず最も重要な事項「日本書紀には山背大兄王が聖徳太子の子とは書かれていない」
「山背大兄王が聖徳太子の子と書かれている資料は『上宮聖徳法王帝説』のみ」

じゃあその『上宮聖徳法王帝説』は日本書紀より信頼できるの?ってことになるわけだけど
両者に記録されていることで一致することは多いけども不一致点もあるのよ
例えば有名な「辛亥の変」「継体・欽明朝の内乱」と呼ばれる相違点
【日本書紀】継体天皇が亡くなった531年に安閑天皇が即位して536年に宣化天皇が即位して539年に欽明天皇が即位
【上宮聖徳法王帝説】531年に欽明天皇が即位
【百済本記】531年に継体天皇および太子と皇子の3人が同時に亡くなった
つまり全く出所や背景が異なる百済本記と上宮聖徳法王帝説の内容がこの点では一致

 

261: 名無し 2020/09/06(日) 00:27:56.30 0
これってもしかして山背大兄王を殺した犯人も疑ったほうがいい流れ?

 

264: 名無し 2020/09/06(日) 02:45:50.94 0
>>261
もちろんそうだよ
山背大兄王を殺した犯人は中大兄皇子だとする研究者も多い
例えば福岡教育大学の亀井輝一郎教授など

 

270: 名無し 2020/09/06(日) 04:28:57.68 0
>>264
ありがとう
それで色々調べてみた
山背大兄王vs.蘇我入鹿の戦いで中大兄皇子は入鹿側に付いていたとみる研究者が多いようだ
それで聖徳太子の一家が滅亡しちゃったわけだ

 

262: 名無し 2020/09/06(日) 00:36:46.26 0
天智天皇の父親がどういう人か
斉明天皇の最初の夫は用明天皇の孫ということになってるしな
ということは山背大兄王のいとこだよな

 

265: 名無し 2020/09/06(日) 03:22:36.09 0
山背大兄王の母は蘇我馬子の娘である蘇我刀自古郎女
つまり聖徳太子の息子であるとともに蘇我系の皇族
ライバルである山背大兄王が殺害されて得をした人物はもちろん中大兄皇子である

 

272: 名無し 2020/09/06(日) 08:46:17.77 0

研究者たちの中には皇極天皇(=斉明天皇)の天皇即位を疑う人たちも多くて
その理由としてここでは書ききれない様々な理由があるのだけど
例えばその中で素人でもわかりやすいのがこれ

【歴代女性天皇一覧】
推古天皇 欽明天皇の皇女
皇極天皇 敏達天皇のひ孫
持統天皇 天智天皇の皇女
元明天皇 天智天皇の皇女
元正天皇 元明天皇の皇女
孝謙天皇 聖武天皇の皇女
明正天皇 後水尾天皇の皇女
後桜町天皇 桜町天皇の皇女

天皇の皇女でない人が一人だけいる
皇極天皇(=斉明天皇)は曽祖父が敏達天皇ではあるのだけどあまりにも遠すぎる
当時もその後も現在も血統最重視で天皇が選ばれており
曽祖父(以上)まで遡らないと天皇にたどり着けない事例は歴代で5回しかない

(1) 継体天皇 応神天皇の5世孫 (他に皇族がいなくなったため)
(2) 皇極天皇 敏達天皇のひ孫 (謎)
(3) 孝徳天皇 敏達天皇のひ孫 (謎)
(4) 後花園天皇 光厳天皇のひ孫 (他に皇族がいなくなったため)
(5) 光格天皇 東山天皇のひ孫 (他に皇族がいなくなったため)

つまり理由が成り立たない事例が2回あり皇極天皇(斉明天皇)と孝徳天皇
いずれも皇太子は中大兄皇子ということになっている時代
このように中大兄皇子の時代だけ異常な現象が発生しているのである

 

290: 名無し 2020/09/06(日) 20:36:32.44 0

>>272
元正天皇 元明天皇の皇女

女帝の皇女は無理が有るだろ父親が草壁だから天武の孫だな

 

273: 名無し 2020/09/06(日) 08:57:53.50 0
孝徳天皇は兄弟相続の時代と考えればさほど疑問でもない

 

274: 名無し 2020/09/06(日) 09:01:28.03 0
>>273
兄弟相続は先代の天皇が父親であるときだけだぜ
天皇の子供でもない姉弟が順に相続することなんてない

 

278: 名無し 2020/09/06(日) 09:22:07.46 0
>>274
そこは事例が少ないからそういうルールとも言い切れない
それよりもそこで初の譲位が行われたということのほうが重要

 

276: 名無し 2020/09/06(日) 09:07:49.31 0
古人大兄皇子は天皇に即位してて
中大兄皇子は殺害して天皇になった(なる道を開いた)
書紀はそれを隠したとか

 

280: 名無し 2020/09/06(日) 09:36:30.64 0
皇極天皇(=斉明天皇)の特異性は3点
・他に皇位継承者たちがいるのに敏達天皇のひ孫にすぎない皇極天皇が即位している
・歴代で初めて皇極天皇が生前譲位を行っている (当時としては異例)
・歴代で初めて皇極天皇が斉明天皇として重祚している (歴代で2例のみ)
いずれも日本書紀では皇太子として中大兄皇子が存在することになっているのに以上の異常なことが行われた

 

283: 名無し 2020/09/06(日) 17:31:19.50 0
斉明天皇は重祚してなくて皇極天皇の代は古人大兄皇子が天皇だったとしたら

 

285: 名無し 2020/09/06(日) 18:07:46.75 0
どちらにしても中大兄皇子が殺しちゃうんだろw
日本書紀そのまま信じても謀反の密告があったからと中大兄皇子が吉野を攻めて殺してる

 

284: 名無し 2020/09/06(日) 18:07:39.31 0
聖徳太子は蘇我氏や中大兄皇子たちにとってそんなに厄介な存在だったのかな

 

286: 名無し 2020/09/06(日) 18:18:59.81 0
>>284
聖徳太子はともかくその子孫が膨れ上がって一大勢力となっていたため
そか入鹿・古人大兄皇子・中大兄皇子たちにとって山背大兄王は潰しておきたい状況

 

288: 名無し 2020/09/06(日) 20:23:48.83 0
聖徳太子一族の魅力は絶大だからね
例えば蘇我馬子の弟である蘇我境部臣摩理勢は完全に聖徳太子一派になってしまっている
そして山背大兄王を皇位につけようと頑張ったが甥である蘇我蝦夷に殺されてしまった

 

289: 名無し 2020/09/06(日) 20:35:46.50 0
蘇我氏が上宮王家を滅ぼしたときに
こいつらそのうち皇位を奪う気じゃないかという危機感はあっただろうな

 

291: 名無し 2020/09/06(日) 21:01:20.01 0

>>289
日本書紀では蘇我入鹿が山背大兄王を配下に襲撃させた時に入鹿本人も行こうとしたところを古人大兄皇子が入鹿に自ら行くのは辞めとけとアドバイスしてる
つまり入鹿が山背大兄王を襲撃する軍勢を派遣すること自体は黙認というか了解している
このように蘇我氏単独犯ではないことを日本書紀は間接的にほのめかしている

さらに藤氏家伝ではもっと明確に記載されている
皇極天皇即位に関して山背大兄王が謀反を起こす恐れがあるため蘇我入鹿が他の皇族と謀って殺害したとある

いずれにしても上宮王家討伐は蘇我氏の暴走ではない
だって山背大兄王が存在していると最も困るのは古人大兄皇子と中大兄皇子の兄弟なのだから

 

292: 名無し 2020/09/06(日) 21:52:58.58 0
入鹿にとっちゃどっちも従兄弟なんだよな

 

300: 名無し 2020/09/07(月) 11:39:39.01 0

>>292
そう
ライバル3人の立ち位置は祖父(母方と父方)を見るとわかりやすい
・山背大兄王 ←蘇我馬子&用明天皇
・古人大兄皇子 ←蘇我馬子&押坂彦人大兄皇子
・中大兄皇子 ←茅渟王&押坂彦人大兄皇子
もちろん入鹿も祖父が蘇我馬子

この状況で中大兄皇子が天下を取るには
(1) まずは最有力の山背大兄王を潰す (異母兄の古人大兄皇子と一緒に入鹿をけしかけて)
(2) 次に古人大兄皇子だがその前にその背後にいる蘇我氏を潰す (乙巳の変)
(3) 蘇我氏を潰した後に後ろ盾を失った古人大兄皇子を潰す
この順番で3者とも潰さないと天下を取れない
そして実際にこの順序で実行して中大兄皇子が天下を取った
悪人なのか?英雄なのか?簒奪者なのか?実は詐称なのか?

 

293: 名無し 2020/09/06(日) 22:16:40.09 0

『日本書紀』皇極三年冬11月
蘇我大臣蝦夷・児入鹿臣(蘇我入鹿)、家を甘樫岡に双べ起つ。大臣が家を称(よ)びて上の宮門(うえのみかど)と日ひ、入鹿が家は谷の宮門(はさまのみかど)と日ふ。男女を称びて王子(みこ)と日ふ

このように蘇我氏は自分の子らを王子と呼んでいた
これは編纂者の藤原氏が言うような「驕り」が動機などではなく「天皇」が置かれる前に代々倭を支配していた真の王族が在ったという事実を示唆してはいないか
蘇我蝦夷に警戒心はあったがその児入鹿が人が良いのを知っていて近付き殺害したと読んでいる
聖徳太子なる人物の創作もその功績が大き過ぎる余り隠したくても隠しきれなかったのだろう

 

294: 名無し 2020/09/06(日) 22:26:53.48 0

日本書紀の編集が行われた時代に権力を持っていたのは
中大兄の娘である持統天皇およびその子と孫たちと
鎌足の息子である藤原不比等とその子たち

中大兄と鎌足が起こしたクーデター乙巳の変で蘇我が悪だとバイアスかけざるをえない
中大兄と鎌足が殺していった相手たちは全て悪人ということにしなければならない

 

295: 名無し 2020/09/06(日) 22:55:06.12 0
天武の息子で天智の孫の舎人親王のスタンスが気になるところ

 

296: 名無し 2020/09/06(日) 23:34:45.14 0
天武って若い頃の記事が殆どないんだよね
天武の事績を顕彰するために書かれた書紀のはずなのに捏造してないんだよね

 

297: 名無し 2020/09/07(月) 00:37:56.40 0
天武とか蝦夷とか入鹿とか生まれた年すら不明なんだぜ
あるいは意図的に削って書いていない

 

298: 名無し 2020/09/07(月) 00:48:44.38 0
皇極斉明天皇が最初に産んだ漢皇子が全く記録がない
この漢皇子が後の天武天皇だという説があるよね
既出だったらスマソ

 

299: 名無し 2020/09/07(月) 01:02:07.80 0
このスレの途中で何度か出てきた「中大兄皇子が大海人皇子に対して何度もめっちゃ気遣いしている」問題
これは実は大海人が兄だとかいう年齢差レベルの問題ではなくて
大海人の方が中大兄よりも身分が高いとか実力が高いとかそういうレベルの差なんだよね
もし大海人が漢皇子だとするとそういう問題が解決するのかどうか

 

301: 名無し 2020/09/07(月) 18:12:15.07 0
そんな中大兄皇子は亡くなる直前に近江まで遷都してようやく天皇に即位だからね
よっぽど皇位継承者としての資格が無かったのだろう

 

307: 名無し 2020/09/07(月) 20:45:56.77 0
中大兄がなかなか即位できなかったのは実妹との不倫関係が原因という説もあったな
異母きょうだいの結婚は問題なかったが同母は禁忌だった
天智測位は間人皇女逝去後だったはず

 

308: 名無し 2020/09/07(月) 22:40:24.31 0

>>307
中大兄皇子と不倫&近親相姦関係だったと言われる間人皇女(=孝徳天皇皇后)だけど
斉明天皇が崩御しても中大兄皇子は天皇に即位できなかったため
間人皇女が一時的に皇位に就いていたという説もあるようだ
兄が不適格だから妹が先に皇位に就くって本当に兄妹(きょうだい)なのか??

> 『万葉集』に「中皇命(「なかつすめらみこと」の訓が一般的)」とある人物が
> 間人皇女のことを指すのではないかとする説が荷田春満以来あり土屋文明などによって広く支持されている。
> さらに「中皇命」の号をもって母(斉明天皇)の崩後に、兄(中大兄皇子)が即位する環境が整うまでの中継ぎとして
> 一時的に妹の間人皇女が皇位に就いていたとする説が押部佳周・小林敏男らによって展開されている。

 

329: 名無し 2020/09/08(火) 07:10:40.12 0

おそらく中大兄皇子は皇統ではない簒奪者
だから自分はなかなか即位できない
それで敏達天皇のひ孫の孝徳天皇や斉明天皇を即位させて傀儡にしていた
孝徳天皇は途中で言うことを聞かなくなったので捨てた
斉明天皇が亡き後は間人皇女を中皇命>>308として即位させた

その間に中大兄皇子は権力をさらに強めてついに近江へ遷都
そして待望の皇位簒奪に成功
自分の息子(大友皇子)に皇位を継承させようとしたが
大海人皇子というわけわからんやつに皇位を奪われた

ってな感じのパターンでも成り立つし日本書紀ではそこだけ伏せて現状のように書くだろうね

 

309: 名無し 2020/09/07(月) 23:19:48.50 0

中大兄皇子は出自が卑しくそれを日本書紀が隠しているとみなせば全て矛盾なく解決するよ

難波宮での孝徳天皇の時に中大兄皇子が孝徳天皇の皇后である間人皇女を連れて飛鳥へ移動と日本書紀にあるけど
これは出自が卑しい中大兄皇子が皇后を略奪婚したと素直に解釈できる

そして斉明天皇の後に中皇命として間人皇女が就いたのだとしてもそれは自然な結果となる
中大兄皇子は出自が卑しく皇位継承権はないのだから

さらに間人皇女を嫁にしたことで中大兄皇子の(義理の)父は舒明天皇となり
(義理の)母は皇極天皇(斉明天皇)となったのだ
日本書紀には「(義理の)」をわざわざ明示しなかっただけで矛盾はなくなる

 

310: 名無し 2020/09/07(月) 23:38:26.24 0
古人大兄皇子にとって皇極天皇は母親じゃないし
漢皇子(中大兄皇子)こと「漢王」は弟ではない百済野郎

 

312: 名無し 2020/09/07(月) 23:57:54.31 0
>>310
古人大兄皇子の母親の蘇我法提郎女と
山背大兄王の母親の蘇我刀自古郎女は姉妹で二人とも蘇我馬子の娘だから当時のエリートだよ
むしろ逆に皇極天皇は茅渟王の娘なんだけど日本書紀にも茅渟王は名前だけで生没年なし・事績なしという雑魚の娘
だから仮に中大兄皇子と大海人皇子が皇極天皇の娘だったとしても地位は限りなく低い

 

314: 名無し 2020/09/08(火) 00:03:09.19 0
>>312
ライバルを消していって成り上がったわけだね

 

315: 名無し 2020/09/08(火) 00:04:22.72 0

>>312
皇極天皇が即位する以前の状況はその通り
山背大兄王と古人大兄皇子は馬子の外孫として皇位に最も近い状況

しかし皇極天皇が即位した以降は状況が一変
もし中大兄と大海人が本当に皇極天皇と舒明天皇の子供ならば次の皇位は確実ですぐ即位可能
しかし皇極天皇(=斉明天皇)が崩御後も二人とも天皇になれず7年間の空位時代が訪れたことは日本書紀も隠していない
つまり中大兄と大海人は出自が怪しい

 

320: 名無し 2020/09/08(火) 06:23:29.83 0
皇極天皇は>>312も書いているように父親が茅渟王という生没年も動向も全く不明で名前だけが出てくる人
つまり舒明天皇が崩御して皇極天皇が即位というのは異常事態なんだよ
舒明天皇の息子である古人大兄皇子と中大兄皇子がいるのだから皇極天皇の出番はないはずのところ

 

332: 名無し 2020/09/08(火) 10:49:31.68 0
>>320
中大兄皇子が皇太子というのはおそらく嘘
蘇我と縁の深い兄を差し置いてというのはおっしゃる通り考えにくい
ただ、蘇我のなかでも山背大兄王を推す勢力があったことから、それにケリをつけるまでの繋ぎでの皇極即位ではないかと

 

341: 名無し 2020/09/09(水) 09:26:27.05 0

>>320
皇極即位時に仲大兄はまだ十代では

皇太子でない後に即位した皇族を皇太子であった故に正当な継承だと書くのは黄金パターン

 

343: 名無し 2020/09/09(水) 09:41:45.83 0
>>341
日本書紀に明記してある
中大兄皇子は舒明天皇が亡くなったときに16歳で皇太子で代表して葬儀の読み上げしたと記述がある
その後もだが皇太子というのが嘘なのだろう
そして日本書紀では舒明天皇→皇極天皇→孝徳天皇→斉明天皇→空位7年間→天智天皇(4年間)→壬申の乱

 

311: 名無し 2020/09/07(月) 23:53:54.46 0
中大兄が中々皇位に就けなかったのは出自か実力かどっちなの
両方駄目なら無理だろ

 

316: 名無し 2020/09/08(火) 06:01:21.66 0
中大兄皇子について日本書紀に書いてあることをそのまま信じると、
(1) 父の舒明天皇が崩御した時、中大兄皇子が皇太子と書かれているがなぜか即位できず
(2) 母の皇極天皇が譲位する時、【同上】
(3) 叔父の孝徳天皇が崩御した時、【同上】
(4) 母の斉明天皇が崩御した時、【同上】
(5) その後は7年間も天皇のいない空位時代 (ここで白村江の戦い敗北)
(6) なぜか近江大津宮へ遷都してようやく中大兄皇子が即位して天智天皇となったが4年間で崩御
何度も皇太子なのに何度も即位できず空位期間も発生し滋賀県へ遷都して即位したらすぐ死亡
以上が推測ゼロで日本書紀の記述そのままの中大兄皇子

 

317: 名無し 2020/09/08(火) 06:16:07.78 0
孝徳天皇を置き去りにしたというのが史実なら、それだけの力がありながら天皇になれなかったというのはちょっと考えにくい
百済情勢が落ち着くのと近江大津宮遷都を待って即位した、あるいは情勢の悪い中での即位はイメージが良くないから改竄したと見ていいのでは?

 

320: 名無し 2020/09/08(火) 06:23:29.83 0
>>317
その前に、父の舒明天皇が崩御した時に中大兄皇子が皇太子と日本書紀は書いているのだから即位していないところからもうおかしい

 

318: 名無し 2020/09/08(火) 06:16:44.13 0
中大兄皇子は斉明天皇の子でなければ皇子になれないような人だったからでは

 

319: 名無し 2020/09/08(火) 06:19:17.36 0
大海人皇子も同じだな

 

321: 名無し 2020/09/08(火) 06:30:32.42 0
山背大兄王か古人大兄皇子のどっちかが即位していて
斉明天皇と同一人物の皇極天皇はいなかった可能性は

 

322: 名無し 2020/09/08(火) 06:34:16.69 0
推古天皇は欽明天皇の皇女だから即位するのも理解できる
持統天皇は天智天皇の皇女だから即位するのも理解できる
皇極天皇は敏達天皇のひ孫だから遠すぎるかな

 

323: 名無し 2020/09/08(火) 06:43:57.73 0
斉明天皇は「中大兄皇子」の母で皇族の端くれで舒明天皇の皇后だったから天皇になった
「中大兄皇子」や大海人皇子は母親が天皇になったから皇子になったという
覇道成就の結果なんでは

 

325: 名無し 2020/09/08(火) 06:48:56.08 0
>>323
皇后だからという理由だけで即位できることは絶対ないよ
それは男系を辿れていない
それに資格があるとしてもわざわざ皇后が即位しなきゃいけない成長待ち後継者不足でもない

 

327: 名無し 2020/09/08(火) 06:58:31.28 0
>>325
斉明天皇は重祚していないということね
山背大兄王も古人大兄皇子もいない時点で中大兄皇子が
敏達天皇のひ孫の軽皇子をや母親を即位させたということ

 

324: 名無し 2020/09/08(火) 06:47:38.60 0
孝徳天皇が先だな叔父だからということで

 

328: 名無し 2020/09/08(火) 07:05:38.10 0
最初は石川麻呂が後ろ盾だったということなのかな

 

331: 名無し 2020/09/08(火) 07:20:06.55 0
斉明天皇が舒明天皇の皇后でもなく
天智天皇と天武天皇は兄弟でないだけじゃくて
二人とも舒明天皇の子でも斉明天皇の子でもなかったらすごいなw

 

333: 名無し 2020/09/08(火) 10:56:33.25 0
国譲りの概念があることからもわかるとおり簒奪者に正統性はない
にもかかわず、乙巳の変・古人大兄皇子殺害を自ら行っている
この記述がそのまま残ること自体が疑問でならない

 

334: 名無し 2020/09/08(火) 11:04:27.22 0
あと気になるのは、書紀で鎌足が軽皇子と仲良くて天下の王とか持ち上げちゃってることだね
黒幕かとも疑ってしまう

 

335: 名無し 2020/09/08(火) 15:18:17.10 0
白村江で新羅水軍と対峙させられた倭側の中軍を見殺しにした裁兵という戦法
最も多く動員されたのは吉備の兵で蘇我氏と縁が深いと言われる葛城氏と吉備氏は婚姻関係を結ぶ親密な間柄にあった
国譲り神話のように禅譲と主張しながら実際は簒奪したのも唐の建国と同じ手口を使っている
倭は新羅系で白の付く史跡や東北オシラ様信仰とも繋がる
白村江の戦いでは同胞と相打ちさせられ前後を固めた藤原の軍勢は笑いながらそれを傍観していたという事になる
本土決戦の準備までしたのに唐は倭に攻めてすら来ない
王族は滅亡し騙された怒りは後の壬申の乱へと続く

 

336: 名無し 2020/09/08(火) 20:49:23.19 0
唐は日本まで攻め込んで占領するメリットってあるのか?
対唐のために軍事費の負担が増大した地方豪族たちの不満がたまって
壬申の乱が起きたってことか

 

342: 名無し 2020/09/09(水) 09:39:21.73 0
古人大兄皇子が即位できなかったのは
山背大兄皇子がいたからという理由でいいの?

 

345: 名無し 2020/09/09(水) 11:08:13.82 0
>>342
年長で蘇我馬子の外孫の二人(山背大兄王と古人大兄皇子)がいるのに中大兄皇子が皇太子だった時点でおかしいね
さらにおかしいのは3人以上も皇位継承候補者がいるのに敏達天皇の曾孫にすぎない皇極天皇が即位したこと

 

344: 名無し 2020/09/09(水) 09:59:15.24 0
天智天武は皇極天皇の子どもじゃなかったのかな
ヤバい息子たちwがいる人をわざわざ繋ぎの帝にしたんだろうか
ただ者じゃないことは16・7になればだいたいわかるよな

 

346: 名無し 2020/09/09(水) 11:16:59.57 0
二人で継承争いになってるから繋ぎが必要なんでしょ
男だと繋ぎで終わらない可能性があるから女帝
となれば皇后が1番収まりがよい
中大兄皇子なんか元からお呼びではなかった

 

347: 名無し 2020/09/09(水) 18:14:53.71 0
山背大兄王と田村皇子が争った時は田村皇子に皇位を継がせたぜ
皇極天皇は不要だろ

 

348: 名無し 2020/09/09(水) 18:29:37.63 0
舒明は50%敏達だからな
よくよく考えるとやべーけど

 

349: 名無し 2020/09/09(水) 22:03:36.78 0
日本書紀が嘘ついていないならば
中大兄皇子は母方も父方も敏達天皇男系
なのに死ぬ間際まで即位できなかったのはナゼ

 

351: 名無し 2020/09/10(木) 08:52:09.95 0
系譜をよく見せかけるために繋いでいるだけで実際には血は濃くないのかもよ

 

352: 名無し 2020/09/10(木) 08:54:49.58 0
天武天皇が怪しいとは良くいわれるが天智天皇もかなり怪しいな

 

353: 名無し 2020/09/10(木) 12:52:21.31 0
「反逆者・蘇我を滅ぼした正義の中大兄皇子と鎌足」っていう史観では天智天皇のこと全て良いように解釈してきたからね
でも日本書紀を冷静に各記述をみると中大兄皇子は少なくとも16歳の時から亡くなる4年前までずっと皇太子となって怪しさてんこ盛り

 

354: 名無し 2020/09/10(木) 13:22:58.81 0
天皇になれないずっと皇太子で何を示そうとしたのか

 

365: 名無し 2020/09/11(金) 20:29:46.55 0
地方豪族たちは天智天皇には逆らったが天武天皇には逆らわなかったんだな

 

366: 名無し 2020/09/12(土) 01:11:05.09 0
その点も日本書紀でははっきり書いているね
中大兄皇子は即位しようとしても支持がなく何度も即位できなかった
大海人皇子は立ち上がったらすぐに各地の支持が集まり勝利して即位できた

 

367: 名無し 2020/09/12(土) 01:25:15.08 0
でもやってる政策は天智も天武も同じような気がするけどね

 

-縄文 飛鳥 平安 鎌倉時代

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